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「はあ……」
カイ=ザッファフェルドは、いつものように眉間に深い皺を刻んで、溜息をつきながら、大股で王城を闊歩していた。
――青年宰相……と、周囲に揶揄されていることは、知っている。
実際宰相は、カイではなく父なのだが、三か月前の国王の急逝により、父は多忙を極め、ついに倒れてしまった。
本来なら、野心を持った他の誰かに宰相の地位を取られていただろうが、しかし、誰も宰相の職に就きたいと志願する者はいなかった。――むしろ……。みんな避けている。
誰もなり手がいないから、父は宰相の位のまま、任を解かれることもない。
実務をこなす人間がいないから、自分がほとんど代わってやる羽目になった。
「あってはならないことだ。こんなこと……」
独り言をつぶやきながら、王城の中で、一番奥にある部屋の白い扉を叩いた。
扉の左右に佇む衛兵二人がカイに敬礼を寄越したが、無視をする。
「カイ=ザッファフェルドです。……陛下」
名乗ってはみたもののというより、むしろ名乗ったからこそ、中の反応が返ってこない。
(衛兵がいるということは、ここにいることは確実なのだ)
「入ります!」
断るのと同時に、カイは容赦なく部屋に入った。衛兵は文句を言わない。いつものことだし、エズワルドを表立って叱ることの出来る人間はこの城内にはいないのだ。
(仕方ないだろう……)
中から応じられるのを待っていたら、多分一生この扉は開かないのだ。
「ご機嫌麗しく、陛下」
仏頂面で額面通りの挨拶をすると、天蓋の張られた寝台の奥でうごめく影があった。
一応、エズワルドは起きてはいるようだ。
おそらく、このまま本題に入っても何も答えないだろうと悟ったカイは、とりあえず、違う話題を振った。
「今日も、妃殿下のご容体は芳しくないようですね」
「…………ああ」
その話題には、ちゃんと答える。政略結婚とはいえ、この若い領主がオーネリアの姫に深く愛情を注いでいることは、カイとて知っていた。
「愛しいフローラ。出来ることなら私が代わってあげたい。心配で何も手につかないんだ」
何もしてないのは、常のことだろう……と言いたいのをぐっと押さえ、カイは跪いた。
「妃殿下には、是非ともお元気になって頂きたいですね」
「そうだな。お前の気遣いに感謝する。こんなに思われているのだ。フローラはきっと元気になるだろう。神のご加護があるように、私も毎日祈りを捧げているのだから……」
「……そうですね」
今日も居留守をするくらいは、エズワルドが元気で良かった。天蓋の中でもぞもぞと動いている人影を、冷めた目で見守りながら、カイはやっと本題に移った。
「陛下。実は今日は、その「神」に関わることで、お話があるのですが……?」
「ん?」
機嫌が良いらしいエズワルドの反応は結構素早かった。
ひょいと天蓋から顔を出した顔が自分と少し似ていて、エズワルドは腹が立った。
誰も指摘しないし、性格も真逆だから気づかれにくいが、この男はエズワルドの従兄なのである。エズワルドだけがたまに似ているところを発見して、怖気がするのだ。
「神がどうかしたのか?」
珍しく、エズワルドに促されたので、カイはありえないほど狼狽した。
「ええ。その……、神……。レイティア=キャライ大司教についてなのです」
「ああ。レイティア大司教のことか! 尊き御方だな。私は遊びに行く約束をしたのだよ」
ぱっと花が咲くように、笑顔になってエズワルドは天蓋から出てきた。
相変わらず、長い銀髪は結わっていない。しかも、寝間着姿にガウンを羽織っているだけだ。一足早く、夜支度をしているのか、それとも一日中寝間着で過ごしていたのか?
多分、後者の方だろう。
(……遊びに行く? コイツはガキか?)
内心、あきれ果てながらも、この男の許可をもらわないと何もできないのが現状なのだ。
カイは重々しく口を開いた。
「陛下。遊びに行く予定は見合わせた方がよろしいかと存じます」
「なぜ?」
「レイティア大司教は、本当に大司教なのでしょうか?」
「ローレアンから、遥々来たじゃないか?」
「しかし、私が知っている聖職者とは余りに違いすぎます。シスターは分かりませんけど」
きっぱりと、カイは言い放った。
テオの酷い仕打ちはすぐに発覚し、セレスティンに来るはずだった人数が減ってしまったことをカイは知った。悪いのはこちらなのだから、ローレアンには謝罪の使者を送ってみたのだが……。しかし、どうもローレアンの対応がおかしい。テオのしでかした行為に、お咎めがないというのが不自然だった。
――なにより、レイティアという大司教。あれは、一体何なのか?
「私が無能な王だから、大司教は私に合わせて下さっているんだよ。カイ」
「ですが、ハンスと名乗る神父は、こちらに到着したその日に、消えてしまいましたよ」
「至急の用事でローレアンに帰ったのだと、シスターユリアーナが言っていたが?」
「……彼は、軍人だと思います」
「えっ?」
エズワルドが小首を傾げた。
「どうして、そう思う?」
「空気が違います。あんな聖職者いませんよ。あちらもバレたと悟り、逃走したのでしょう」
「そうか。カイが言うなら、そうなんだろう。けど、たとえばレイティア大司教は何も知らず、他国の間者が紛れ込んでたとか……そういう可能性はないのか?」
カイはそれには何も答えず、唯一の要求だけを口に乗せた。
「一応、私なりに調べてみたいと思いまして、陛下の許可を頂きたく参上した次第です」
「調べるって。ウェラー教のことについては、どの国家であっても不介入のはずだ」
素直に疑問をぶつけてくるエズワルドに、渋々カイは話した。
「彼が本当に大司教であれば、不介入です。たとえどんな人でも我々が意見することはできません。ですが、それを逆手にとるような輩がいることを、我々は考慮する必要があるのです」
「しかし、聖職者かどうか確かめるといったって、どうする? ローレアンに聞くのか?」
「いえ。まず最初に、安易な方法ではありますが、ローレアンには聖職者名簿があります。司教位までお持ちでしたら、名前くらいは載っているはずでしょう。すぐに調べさせます」
「そうか……。聖職者名簿か……」
エズワルドの声がだんだん沈み込んでいった。……そして。
「でも、私はレイティア大司教のことが好きなんだけどな。それじゃ、駄目なのだろうか?」
とうとう恐ろしいことを、平然と言いやがった。
「陛下っ」
怒鳴りかけて、カイは自分の掌で口を押えつけた。堪えるのが仕事だ。耐えなければ。
「好き嫌いの問題ではないのですよ」
「分かっているけど。でも……カイ」
しょぼんと寝台の縁に腰かける。エズワルドは、成長が止まってしまった子供のようだ。
(この人は……)
きっと、国王になどなるべきではなかったのだ。
もしも、王になどならなかったら、どんなに子供じみたことを口走っても、部屋に引きこもっていても、誰も文句は言わなかっただろうに……。
「陛下……。いっそのこと」
カイは無意識に口に出そうとして、固まった。
――オーネリアに領地を差し上げたら、良いのでは?
思わず、口にしてしまいそうだった。
幸い、エズワルドは妃のフローラとは仲が良いのだ。オーネリアには悪いようにはされないだろう。オーネリアは独裁国家で、戦争ばかり繰り返しているから、国民は苦労するかもしれないが、戦争に負けているわけではないから、生活は豊かになるかもしれない。
属国というのではなく、あくまで友好的に迎えてもらえるのであれば、セレスティンにも利点は多いのではないだろうか。何より、いつ攻められるのではないかという不安も払拭できる。
(疲れているのだろうか。私は……)
カイは額を押さえて、エズワルドの背後から後光のように染めあげている赤い夕陽を、睨みつけた。




