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『拝啓 お手紙ありがとう。
旦那様も素敵な方のようで良かったわ。貴方が仕事を辞めたのは、最善の選択だったと思う。私は貴方の心配していた通り、十九歳になってすぐに、戦争の前線に送られたの。
今は、内偵でシスターに化けている。私には一人相棒がいるんだけど、この男が本当に最低で、聖書も読めないくせに、大司教に化けて、それで平然としてるの。
常識がないというより、常識を飛び越えてしまった感じ。高貴な人を誑かして、敬虔な神父様たちを騙して、式典も祭儀だって聖書が読めないんだから、出来もしないのに、純粋な一人の司教補を騙して、やってもらってる。自分は仕事もせずにやりたい放題よ。
……今日だって』
ユリアーナは、荒々しくインク壺にペン先を突っ込んでから、ハッと我に返った。
(……そうよね。こんな手紙出すわけにもいかないし)
アッシュバルムに手紙を送ること自体は禁止されていないが、仲介人を介する必要があるので、手紙の内容を読まれることは必至だ。それに、こんな機密情報満載の手紙、セレスティンにもオーネリアにも読ませるわけにはいかなかった。
(……相当、おかしくなっちゃてるわ。私)
それくらいのことも、分からなかったなんて、間抜けだ。
ユリアーナは手紙を丸めて千切ると、机の脇の燭台の火で燃やした。
エレリオーサを使ったランプは、アッシュバルムでもセレスティンでも普及していたが、教会で生活する聖職者たちは、蝋燭を使うのが当たり前だった。
(こんな無駄なことしてて、今日も一日が終わってしまうのね……)
セレスティンに到着した時は、どうなるものかと、ユリアーナは緊張の連続だったが、住みついてしまうと、毎日が平穏すぎて怖くなる。
――レイティアがヴォルフやエズワルドを唆し、強行的にレイティア歓迎の式典を決行してから、かなりの月日が経過していた。
どういうわけか、国王エズワルドに気に入られ、ヴォルフには信頼されてしまい、セレスティンの大司教と大司教つきの修道女として受け入れられてしまった。
そろそろ本国から繋ぎの使者がユリアーナのもとにやって来てもおかしくない時期だ。
でも、毎日がこんな調子だと、戦争中であることも、自分が軍人であることすら忘れてしまいそうで怖かった。
事実、レイティアはユリアーナがアッシュバルムの軍人であることも忘れてしまったのか、二人になっても、軍の命令に関することは話題に出さなかった。いつもくだらない世間話ばかりをして……。――今日も、平和に陽が沈みつつある。
アッシュバルムは、セレスティンよりはるかに都会で、男子は数年の徴兵制を経験し、女子は早い段階で結婚さえ決めておけば、何のお咎めもない。オーネリアとの戦争は膠着状態で、国境付近でたまに小競り合いがあるが、内地まで戦火がやって来たのは、ユリアーナが生まれた頃に一、二度会った程度なので、国民の感覚は麻痺している。前線にさえ飛ばされなければ、暮らしやすい国には違いなかった。――でも。
不思議なことに、慣れてしまうと、長閑な田園風景が広がるセレスティンも悪くはなかった。窓の前の林檎の木が夕陽色に染まり、煌めいて見える。
(きれい……)
ユリアーナは美しい風景に見惚れながら、支度を始めた。
――朝、夕の祭儀だけは、ユリアーナも参列すると決めていた。
本来であれば、修道女と神父が一緒に住むこと自体ありえないのだが、エズワルドの言葉通り、セレスティンに修道院はなく、今回だけの特例として大聖堂の離れに一室設けてもらった。離れの部屋は一人で住むには広く、アッシュバルム軍の女子寮より遥かに清潔で快適だった。
神父と修道女は共に聖ウェラーを信じ、総本山のあるローレアンに属しているが、位階や組織形態はまったく別で修行方法は異なっている。一日の行動過程もまったく違うので、この大聖堂内でユリアーナを指導できる者はレイティアを除いて、誰一人としていない。
(それがいいのやら、悪いのやら……)
炊事洗濯も、神父たちが自分自身でやってしまうので、この大聖堂でユリアーナが出来ることは限られていた。仕方ないので、外に出て、病院で看護活動をしたりしている。
だから、祭儀だけは、きっちり参列して怪しまれないようにしたいのだが……。
――しかし……。
(私はまあいいとして。レイティア(あいつ)は、今日こそは大丈夫なのかしら……?)
離れを出て、隣接している大聖堂に入って行く。
明らかに修道女は浮いているので、通路を歩いているだけで、神父たちの目をひいてしまうが、誰も何も言わない。むしろ誰も口を利いてくれないのが不自然なくらいなのだが、ユリアーナは時が経つうちに、そういうものだと慣れてしまった。
レマエラ大聖堂内で、ユリアーナに声をかけてくるのは、あの腑抜けた大司教レイティアと、司教補のヴォルフだけだった。
「シスターユリアーナ。そろそろ夕方の祭儀ですね」
夕陽がステンドグラスを透過して、幻想的な空間となっている側廊に足を踏み入れると、すぐ脇に祭服姿のヴォルフがいた。
彼が祭服をまとっている時点で、ユリアーナにはおおよそのことが想像できた。
「こんにちは。ヴォルフ司教補。今日も一日が経つのは早いですね」
「そうですね。あっという間です」
当たり触りのない挨拶を交わしてから、ユリアーナはひきつった笑顔のまま本題に入る。
「ところで、大司教は戻られましたか? 昼食にはいらっしゃらなかったようですが?」
――レイティアの姿が、今日も見当たらない。
挙動不審な真似をして、足を引っ張られるのだけはごめんだと、行き先だけはユリアーナに告げていくようにとしつこく言ったのだ。それなのに、こういうことを平気でする。
ヴォルフは叱られた犬のようにしゅんとなって、逡巡してから弱々しく告げた。
「申し訳ありません。どうしても、シスターユリアーナには言わないよう口止めされていたのですが……。この時間になっても戻られないことを考えると、私も不安になってきて」
……不安だと言う、その心持ちが、ユリアーナには分からなかった。
レイティアはくだらない理由で大事な祭儀に遅刻をする常連なのだ。
そのたびに、レイティアの身を案じていたら身がもたないだろう?
ユリアーナは溜息混じりに、断言した。
「また今日も、テオと一緒にふらふらと出掛けたのですね?」
「…………はい」
蚊の鳴く声で、ヴォルフが返事をした。
「それで、ヴォルフ司教補が代理で祭儀を行う……と?」
「私でお役に立てるのなら……」
邪気のないヴォルフの笑顔がユリアーナには直視できなかった。
聖職者とは、こういう人のことをいうのだ。
「私、レイティア大司教を捜してきます」
「えっ。でも。それではシスターユリアーナが祭儀に参列出来なくなってしまいます」
ヴォルフが琥珀色の瞳を瞬かせる。
「私はあの方を補佐するのが仕事ですから。大丈夫です。あの方は大司教なんですから、たとえどんな理由があろうと、毎日の祭儀にはいなきゃいけないんです」
ユリアーナは鼻息荒く言い放つと、身をひるがえした。




