5、追跡
シャンゼリゼ通り。パリ市内で最も美しい通りと言われ、とりわけフランスでは『世界で最も美しい通り』と表現されるほど。それが正当な評価か、ただの自国民のうぬぼれかどうかはさておき、現在その通りを東に向かって走り続ける女がいた。
ステラス・エンフィールド。
一人の少年を追いかけて疾走中なのであるが、間もなく視界から――正確には、彼女がパペットちゃんと呼ぶ操り人形の目を通して――その姿が消え去ろうとしていた。
元々偵察用として利用することが多く、このような追跡に用いられる道具ではないのだが、そうも言っていられない事情があったのだ。
今朝、千尋と朝食を一緒し、持ち場まで移動する最中に話した内容。そこで出た結論が、なんとしても千尋を『石の魔術師』に近づけてはならないと決意したこと。
どうしてそう思ってしまったのかはわからない。会って間もない異国の子供。情がわくほどの時間を共にしたわけでもない。
それなのになぜ……。
ステラ自身は気付いていなかったが、ひと目見て放ってはおけない何かを感じてしまっていたのだ。
まるでこれから死地に赴く兵士のような、そんな他人を寄せつけない眼。十歳そこそこの子供が醸し出す雰囲気にしては、少々殺伐とし過ぎているように思えたのだ。
だからこそ、というには動機が弱い気もするが、一度こうと決めたら頑ななまでにそれを貫き通すのが彼女の長所でもあり、短所でもある。
家出の原因もそのような引っ込みのつかない頑固な性格が招いた結果であった。
魔術師を多く輩出してきたイギリスの名家、エンフィールド家の長女としてこの世に生を受けたステラ。
現代魔術の横行する今の世においても、古くから伝わる古代魔術を信仰し、次の世に引き渡すために整えられた地盤が彼女の家では出来上がっていた。
物心ついた頃からその湯の中で育てられてきたステラ。いや、それは冷や水だったかもしれない。
躾は厳しく、教育方針もスパルタ。その中で必死になって魔術の修行に励んできたのだが、彼女には致命的な欠陥があった。
――才能がなかったのだ。
誰でも扱うことができる現代魔術と違い、古代魔術は魔素を供給する際、非常にシビアな感覚が要求される。これは努力だけで克服できるものではない。その上、膨大な量の術式を頭の中に入れておかなければならないし、多大な集中力、精神力も必要となってくる。注意力が散漫だった彼女には修行の場は苦痛でしかなかった。
それでも必死になって努力してきた彼女だが、十三歳の時に運命を変える出来事に遭遇してしまった。
七つ年下の妹。ステラが何年かかっても発動させることができなかった術式を、まだ六歳になったばかりのその子がやってのけてしまったのだ。
両親の興味も妹に向き、放っておかれることが多くなったステラ。ふて腐れ、自暴自棄になっても仕方のない状況だったが、彼女はそうはならなかった。
両親からすれば、『そう』なってくれていた方がまだマシだったかもしれない。
ステラはある時、現代魔術の修得に走ってしまったのだ。
すぐにやめるように両親から咎められたが、彼女は『頑ななまでに』やめなかった。ステラからすれば、自分には古代魔術の才能はない。だから現代魔術を極めてエンフィールド家を盛り上げていきたい。そういった前向きな考えのもとに下した決断だったのだが、両親は『ご先祖様から受け継いできた伝統』とやらの方が大事だったようだ。
結果、衝突する。
「古い因習に縛られるのは間違っている」とまで言い切ったステラに、父から「このエンフィールド家の面汚しが!」とまで言われてしまえばもう家になどいられない。
高校を中退し、十七歳の時に家を出たのであった。その時彼女が家から持ち出した人形――それがパペットちゃんだった。
体長は二十センチほど。子供の時から術式の練習相手として愛用しており、普段はぬいぐるみ代わりとして鞄に取り付けているのだが、今でもごくたまに『彼』が活躍する時がくる。
偵察用として敵地に潜入する際、ステラの目となり耳となるのがパペットちゃんの仕事。
非常に便利ではあるのだが、ステラは好んでこの術を使用することはない。パペットちゃんにもしものことがあったらとか、汚れちゃうとか、そんな乙女チックな意見からではない。
単にメンドくさい(もの凄く時間のかかる作業をしなければならない)からだ。
その作業とは、術式――この場合でいえば使役式を手書きで紙に写し、人形に埋め込み、正常に作用するかどうかを試し、様々な条件に対応できるようにさらに式を付け加えていく。
本来なら術者の頭の中で式を完成させ、魔素を用いて対象物に『焼つける』だけなのだが、前述した通りステラは魔素の扱いを苦手としている。
そのため、手作業で膨大な量の式を書いては試すを繰りかえさなければならないのだ。おまけに自立起動式だと難易度が高いため、手動式で対応するはめに。
所要時間は三時間。
当然、通常の警備任務を受け持ちながらではその作業にあたれない。そのため彼女は急病を装ってこの仕事から外れることにした。
ただ、下手な理由ではリーダーが認めてくれるわけがない。傍若無人なイワンにさえ説得を試みたくらいだ(後半キレ気味だったが……)。それだけ人手不足ということだろう。もしくは問題が表面化・深刻化することを過度に恐れているのかもしれない。
もしリーダーに認められず、それだったらと持ち場を放棄でもしようものなら、広いようで狭いこの魔術業界。信用を失った魔術師がどのような末路をたどるかは考えるまでもない。協会主催の、魔術師になるための年に一度の公認試験にも査定で響いてくるだろう。
それだけはどうにかして避けたいと、必死に仮病の理由を考えるステラ。
あまり突飛な言い訳だと逆に怪しまれる恐れがある。ここはシンプルに腹痛とでも言っておいた方がよいのではないか。一応切り札も出せる準備をしておいて――
ということで、持たされた携帯を使ってリーダーに連絡を入れる(ちなみに一緒にいる相方にも怪しまれないように、五分前から調子が悪そうな演技をしている)。
「あの……リーダー。イテテテ……。ちょ、ちょっと急にお腹が痛くてですね、この感じだと今日一日は仕事どころじゃイテテ……、ないかと……。病院に行ってきていいですか? 治ったらすぐに戻ってイテテ、きますので……」
会心の演技と自賛するステラ。
怒られるか呆れられるか……。あの短気なリーダーならどちらとも考えられる。ステラ自身リーダーと付き合いが長いわけでもない。それでもそう思えるほどに常にピリピリした空気をまとわせていた。怒鳴り声か溜め息か――。覚悟しながら聞いたその答えは、
「そうか、安静にしているといい。こちらのことは心配するな。なんとかする」
それを聞いて、
あれ、こんなに男らしかったかしら。そんなこと言われたら惚れてしまいそうになるじゃない……などと考えながらも、迷惑をかけてしまったことに対する良心への呵責が少しばかり和らぐのを感じた。
切り札の「生理痛ですっ!」を使用しなくて済んだことにホッと一息ついたのであった。
午前十一時。
なんとか術式を組み上げることに成功。百メートル離れたところから千尋への監視を続けるステラ、もとい、パペットちゃん。
壁の端からひょっこり顔だけ出してる人形を一般人が見たら、なんだこいつ、などと思うだろうが、ステラが自分で監視を行えないためそこは割り切ってやるしかない。
というのも、そもそもなんでパペットちゃんを使わなければならなかったかというと、自分で監視するとすぐに千尋に気付かれてしまうからだ(目が合った回数、十八回)。もっとも、パペットちゃんに切り替えても気付かれはしたのだが、現在の位置まで距離を離すことによってその問題をクリア。
パペットちゃんの目を通して千尋を監視していると、本当は気付いていて、単に相手にしなくなっただけなんじゃないかと疑念がわいてくるが、一応見られてはいないということで監視を続ける。
午後一時二十分。
何も起きることがないまま二時間が経過。警戒を緩めているわけではないのだが、こうも変化がないとさすがに疲れが出てくる。欠伸を我慢しながら監視を続行。
千尋は木にもたれかかりながらうつむいている。寝てしまったのだろうか……? 苛立たしげに素振りをするイワンに少しだけ同情してしまう。
――とその時、千尋が立ち上がる。
同時に会場入り口から黒いスーツを着た青年が二人に近づいてくる。さすがに距離がありすぎてパペットちゃんの耳でも声までは拾えない。黙ったまま注視していると、ものの一分も経たないうちに青年が千尋を連れて会場に向かっていってしまった。
悩むステラ。パペットちゃんを会場に向かわせると、間違いなく『フィッツファミリア』のメンバーに捕らえられてしまう。だからといって自分が行くわけにもいかない。今もっとも会いたくないのがリーダーだからだ。
今回の警備任務では昼休憩や小休止は認められていない。トイレに行く時もいちいちリーダーに連絡を入れなければならないほど。会議は十七時三十分まで。基本的にはそれまで我慢して警戒態勢を維持しろというのが方針だ。
とりあえず、現れるかどうかはわからないが、『石の魔術師』を千尋に近づけないのが自分の目的。会場から外側へ向かってはメンバーの目が行き届いている。外側から不審な人物が近づけばすぐにその異常を察知できるだろう。会場内部にもメンバーがいることだし、千尋が外に出てくるまで待機しているか、そう考えて腰を下ろそうとした時――
突如イワンが会場に向かって走り出した。何事かと目を見開くステラ。とてもではないが尋常ではない様子。すぐにパペットちゃんに追わせる。自分も別方向から会場に向かい、しばらく外からざわついた周囲の様子に目を留めていると――
ドォォンッ!! と爆発音。千尋の様子が気になったが、あの子が『石の魔術師』を狙っているなら必ず現場まで駆けつけるはずだ、そう信じて音源のある場所に向かって走り出す。
現場は通りの反対側。一度迂回してから向かってみると、遠目に見知った二人の姿。
イワンと千尋が揃ってパリの市内地に進路を取っていた。
すぐさま走って追いかけるが……速い!?
自分の足では置いていかれるだけだと判断し、近寄ってきたパペットちゃんに先に行かせることにした。手動式で動かしているため、パペットちゃんと三百メートル以上距離が開くと操作ができなくなってしまう。二人の姿はパペットちゃんに任せ、自分は走ることに専念。
途中通った並木道で戦闘のあった形跡。黒いフード付きのマントを被った連中が数人倒れている。フードの前面に黄色の逆さ十字のマーク。間違いない。『石の魔術師』が属する『アルカナ』の下部組織――『バフォメット』のメンバーだ。
近くには毛並みの違う黒服を身につけた男性もいた。顔に見覚えがある。どこかの学長の護衛だった人物。恐らくこの者たちに襲われたのだろう。腹部に大木が刺さって絶命している。
通報するか拘束するか考えたステラだったが、背後から『フィッツファミリア』のメンバーが追いかけてきているのを認め、ここは彼らに任せることにした。
足を止めずに千尋を追いかける。
シャンゼリゼ通りに出たところで右折。パペットちゃんのブレた視界でしか確認できないが、千尋は何かの動物に乗っているようだ。式神の類いだろう。先ほどとは桁違いにスピードが増している。
それに驚いて歩行者が道をあけていく。一般の人からすれば、千尋が乗っている動物が魔術によって造り出されたものなのか本物の動物なのか、それもきちんと操っているのか暴走しているのか、その区別はついていないだろう。
魔術師という職業が世間で認知されているとはいえ、こういった混乱を起こせば当然警察なり協会なりに連絡がいく。魔術師に対する刑罰、または魔術絡みの犯罪に対する刑罰は、一般のそれよりも重い刑に処されることが多い。
興味本位であったりちょっとした諍いでも、甚大な被害を周囲に与えてしまう危険性が魔術にはある。
Sクラスの魔術犯罪者ともなると、核兵器が服を着て街を歩いているようなものなのだ。それだけ大きい力を扱っている者を制御するには、今の世においては締め付けを厳しくするほかないのである。
とはいっても、さすがに今回は緊急事態である。千尋が罰せられることはないと思うのだが、余計な混乱は引き起こさないに越したことはない。
早く千尋を止めなければと追いかけているのだが……。
「もう、どこ行っちゃったのよ……」
ついにその背を見失ってしまった。途中どこかの通りで左折したようだが、周囲を捜索しても影も形もない。
荒く呼吸を繰り返すステラ。パペットちゃんを回収してそっと胸に抱き寄せる。
足元の布は擦り切れてボロボロになっていた。