4、急転
少し時間は遡る。
千尋がエイブラハムに連れられ会場内へ入っていったちょうどその頃。木にもたれかかっていたイワンの携帯に連絡が入る。着信表示名は数字の『6』。『1』がリーダーで、『2』から『5』までが会場内部のメンバー。この日初めて目にした番号からの着信ということで少しいぶかしんだが、出てみりゃわかるかと、太い親指で小さいボタンを押して耳に当てる。
「なんだ?」
ぶっきら棒な口調。リーダーに対しても終始このような態度を貫くような男なので、相手の男もいちいち気にすることはなかったようだ。
『イワンかい? 僕だよ、カステル・リッチ。連絡事項があるんだけどいいかな?」
元々『フィッツファミリア』のメンバーではないイワンにとって、カステルなどと名乗られても顔は頭に浮かばなかったのだが、そこを気にしても仕方がないということで次の言葉を促す。カステルは、
『配置換えの連絡だよ。イワンと千尋は今から五分後、一時半になったらC地点に向かってくれ。オーケー?』
それを聞いてイワンの表情が険しくなる。
「配置換えだぁ? なんでそんな隙をつくるような真似をする。そんなもん打ち合わせの時には言われてねえぞ」
『イワン。これは先ほど入った情報なんだが、シャヒンとヨークが会場から一キロほど離れた路上で怪しげな人物を数名目撃したそうだ。だから――』
「だったら尚更変える必要ねえじゃねえか! ここは逆に警戒を強める場面だろうが」
『イワン。落ち着いて聞いてくれ。いいかい? だからこそ、だよ』
「あ?」
『わざと隙をつくるためにやるんだよ。いつ来るかわからない敵に備えるよりも、こちらから誘い込んで一網打尽にする考えだ。今リーダーと手分けして外にいるメンバーに連絡している。いいかい。この作戦は一斉に動くことによって敵の注意を引きつけることに意味がある。時計の時刻は合ってるね? もう一度言うけど、五分後の午後一時半きっかりに持ち場を移動するんだ。君たちが移動するポイントはC地点。千尋にもそう伝えてくれるかい?』
黙ってそれを聞いていたイワン。目を細めると、
「なーんか怪しいなぁ……。お前、それ言ってること本当だろうなぁ」
『当たり前じゃないか。なんならリーダーに確認を取ってみるといい』
「ああ、そうしてやるよ」
『うん、じゃあ、一応きちんと伝えたからね。時間がきたら頼んだよ』
イワンは返事もせずに電話を切る。続けてリーダーに連絡を取ってみると、
「リーダー。今カス……なんとかって奴から配置換えの連絡があったんだが……」
『ああ、その件か。本当だ。お前たちは言われた通りに動けばいい。今トラップ用の術式を会場内部に展開中だ。後のことはこっちに任せろ。いいな?』
「……ああ、わかったよ」
渋々納得したような声で通話を切ったイワン。このまま時間まで大人しくしているのかと思いきや――
「おい、レン。お前たちのところにも連絡来たか?」
他のグループにも連絡を取り出した。
『れんらくぅ? うん、さっききたよぉ。なんかねぇ、一時半にどっかいけって言われたぁ』
「どこだ?」
トロトロした喋り方にイライラしつつも、それを抑えながら尋ねてみると、
『えー……あっ、そうだったぁ。たしかC地点に行けって』
それを聞いて唇の端を持ち上げるイワン。
「もう一つ聞くが、お前確か『フィッツファミリア』のメンバーだったよな。カステル・リッチって奴もお前らの組織の一員なのか?」
『ええっ? 知らないよぉ? っていうか、その人も選考会ってやつで新しく入った人じゃなかったっけぇ……たぶん』
思った通りだった。恐らく外にいるメンバーを一箇所に集めて警備に穴を空けるのが敵の狙い。連絡してきたカステルという男が自分と同じく選考会で選ばれた人間だとしたら、どうしてそんな下っ端に連絡係なんて大事な役を任せる必要がある。その連絡の内容自体もお粗末なものだし、もしリーダーもこの件に絡んでいるのだとしたら、今最も危険なのは――
会場に向かって走り出したイワン。屈強な体格の割りにそのスピードは凄まじいものがあった。警備員の制止を振り切って会場内へ。周囲に目を光らせながら早足で捜索する。
――とその時、視界の端に何かを捉える。青色で人型のシルエットを模った表札、男子トイレだった。
魔術師としての勘が働いたのだろうか。特に違和感があるわけではないのだが、何かが気になった。この急いでいる時であってもだ。
すぐにトイレに駆け込む。中には誰もいない。小便用の便器に何か仕掛けられているわけでもないし、大便用の便器もタンクの中も同様だった。
思い過ごしか? 一瞬そう思ったが、すぐに気になる場所を見つける。
清掃用具入れ。勢いよく扉を開けてみると――
「……ッ!?」
何かが倒れてきた。人間大の大きさのもの……というより、真っ青になった顔の人間が、イワンの胸元に力なくもたれかかってきた。
「おいっ! リーダー!」
力強く呼びかけるが、すでに息を引き取っていた。
『フィッツファミリア』のリーダー。死亡してから数時間は経っているだろう。恐らく早朝の会議が終わってからすぐに殺されたものと思われる。となると、先ほどの電話の相手も誰かがリーダーに成りすましていたということになる。いや、その前の電話からずっとだ。
イワンはトイレから出ると、詰め寄ってきた(役に立たない)一般の警備員を振り払い、大声で叫んだ。
「おい! お前ら! 敵はすでに会場内に入ってるッ! 警戒しろッ!」
呼びかけたのは『フィッツファミリア』のメンバーと、学長の側近に対してである。
入り口にいた見覚えのある数名のメンバーが、携帯でどこかに連絡を入れながら会場内部へ足を踏み入れる。イワン自身もその後に続こうとした、その時――
建物全体を揺らすような爆発音が鳴り響いた。
会議室として使われている大部屋の扉の隙間から、大量の粉塵が吹き抜けてくる。
「チィッ!」
伸縮棒を取り出し、ドアを開けると――
部屋の右隅の壁に大きな穴が空けられていた。
「ラルド様ッ!」
黒服の一人がその壁から外に出て行った。どうやらどこかの学長が敵にさらわれたようだ。
すぐにイワンも後を追う。途中、何名か血を流している者を見かけたが、そんなものイワンにとってはどうでもいいこと。無視して真っ直ぐ敵の後を追う。
割れた窓ガラスやコンクリートの破片を踏みつけ、息を止めながら粉塵の舞う室内を走り抜ける。外に出たところですぐ脇に誰かが飛び降りてきた。
瞬間的に身構えるが、その姿を見てチッと舌打ち一回。
二階の窓から飛び降りてきた少年――三上千尋だった。
イワンは「付いて来い」とも「邪魔だ」とも言わず、敵が走り去っていったであろう小道を追いかける。千尋もその後に続く――が、彼自身は自分の判断で進路を取っているだけだった。
百メートルほど走り――最初に気付いたのは千尋だった。すぐに足を止めてバックステップ。直前まで走っていたところを、横から折れた太い大木が一直線に走り抜けていった。
反応が遅れたイワン。大木の先端は鉛筆をカッターで削り取ったように鋭くなっており、飛び込んでくるスピードも並ではない。現代魔術における熱変換方式の一つ。熱エネルギーを運動エネルギー変換して速度を増加させているのだ。
まともに当たればどんな生物でも一撃で即死させるほどの威力に思えたのだが、それを――
「フンッ!」
長さ一メートルもない金属棒で横薙ぎに払う。普通ならまず押し返せるわけないのだが、こちらもすでに術式は発動していた。
現代魔術における圧密化方式の一つ。物質強化によって得た硬度と質量でなんなくそれを弾き返す。
巨大な鉄球でもぶつけたように、大木がひしゃげて破壊された。
「出てきやがれオラァ!」
不意打ちにご立腹のイワン。幾重にも連なる樹木から顔を出したのは、黒いフードを被った複数の男たち。フードの前面に逆さ十字のマークが黄色で記されている。それを見てピクッと反応する千尋だったが、
「どけ、ガキ」
イワンが前に出る。
「こんな連中俺一人で充分だ。下がってろボケ」
言うや、すぐさま敵の中に駆け込む。典型的な近接戦闘タイプ。駆け引きも何もないシンプルな戦い方だが、相手の力量では数人がかりでもイワン一人を止めることはかなわなかったようだ。
いや、それ以上にイワンの実力が抜きん出ていたからかもしれない。
あっという間にこの場を制圧。血まみれで倒れるフードを被った男たち。しかしイワンも千尋もそれにどのような感情も示さない。イワンは自業自得だ、とでも言いたげな顔だが、千尋は本当に何も感じていないような顔だった。
「クソッ! 横槍が入ったせいで見失っちまったじゃねえか!」
ここで味方の援護が来ることを知っていたのだろう。学長を連れて逃げたと思しき敵は、痕跡を残すことなく――速さより慎重さに切り替えたと思われる――その場から消えていた。
千尋は黙って人差し指で方向を示す。
「あ?」
そりゃあなんの意味だ? といったニュアンスを含ませたイワンの問いかけ。そこに怒気が含まれていたのは千尋に対するこれまでの複雑な想いがあったからだろう。
案の定、何も答えない千尋に、イワンはその胸倉をつかんで怒りをあらわにする。
「おい、ガキィ。テメェ誰に指図してんだ」
真正面から視線を受け止める千尋。その顔に怯えはない。ふてぶてしいまでのその面構えが、イワンの血の流れを加速させる。
「その歳でこの仕事を受けるくらいだ。お前にだって何か目的があるのはわかる。だがな、ガキ。『石の魔術師』は俺の獲物だ。いいか、この業界に身を置く先輩として教えといてやる。もし百人でチームを組んだとしたら、九十九人を足蹴にし、罠にかけ、囮に使ってでも最後の一人として目的を果たす。それが本来の魔術師って生き物だ。仲良しごっこなんざクソ喰らえだ。覚えとけ。俺の邪魔するようならお前からぶっ殺してやるぞ!」
そのまま突き飛ばして振り返る。その背中に、
「勘違いしないでよ」
千尋は話しかけた。イワン自身、二度目となる少年の声を耳にして、
「あ?」
不機嫌に睨みつける。千尋は依然として指を伸ばしたまま立っている。いや――
「……!?」
イワンも気付いたのか、探るような目つきに変わる。
千尋は学長が連れ去られた方角を指差していたわけではなく、単に手に持っていた紙を地面に落とそうとしていただけだったのだ。
ゆっくり指を開く。しわくちゃだった紙が綺麗に引き伸ばされ、そこに無数の文字が羅列されていく。レストランでステラにみせた、魔素を用いた『焼つけ』、または『焼印』という技法だ。
和紙よりも縦長の丈夫な素材でできた式札と呼ばれる和紙札。そこに日本語でも英語でもない、イワンも見たことのない文字がびっしりと埋め尽くされていく。
手元から離れ、ヒラヒラと舞い、地面についた――
「仕えろ」
――その瞬間、
ボンッ! と爆発したように札が弾けた。
直後その場に現れたのは、巨大な虎だった。体長は五メートル以上。四つ足で立つ虎の背中が千尋の頭の高さまであった。
――式神。
現代魔術とは法則の異なる、使役式と呼ばれる専用の術式を介して、式札に仮初めの命を与えたのだ。
一瞬言葉に詰まるイワン。この業界に身を置く人間なら特に物珍しい光景でもない。元々東洋の呪術ということと、現代に式神を使える後継者の減少からそれ自体を目撃することは少ないが、似たような術ならどこの国でもそれなりに発展しているものだ。
だからイワンが黙ってしまったのは発動された術の中身ではなく、その術を行使するまでの『速さ』だった。
最初から式札に使役式が描かれていたのならまだしも、自分が目にした時は札には何も描かれていなかった。
『戦闘』という面に関して、古代魔術が現代魔術に劣ると言われているのは、その術式を構築するまでの時間に差があるからだ。
必要な術式を機械に依存させた現代魔術と、一つ一つ術者の頭の中で構築しなければならない古代魔術。共に一長一短はあるが、どちらが扱いやすいかは語るまでもない。
千尋は虎の背に乗ると、イワンに視線一つよこすことなく虎を走らせた。
イワンもすぐに走り始めるが――
「チッ」
素直にその背を追うことをプライドが邪魔したのか、別のルートを通ることを選択したのであった。