2、生命の魂源
結局、二十分かからず全ての料理を片付けてしまった千尋。
こんな細身の体によく入ったものだと呆れ果てるステラ。
二人はレストランを出ると、持ち場に向かって戻り始めた。
「あんなに食べちゃって大丈夫なの? お腹がいっぱいで動けませんなんて言ってたら、イワンにどやされるわよ」
「大丈夫」
全く感情を変化させない千尋。少しでも違うリアクションをと思ったのか、からかうように問いかける。
「ねぇ、実はずっと我慢してるだけで、ホントはイワンのこと恐いんじゃないの?」
「……………………」
黙ったままステラを見上げる。図星、というわけではなく、言っている意味がわからないといった様相だった。
「怖いって、そういうことじゃないと思うよ」
初めて会話が成立した気がした。ここぞとばかりにその真意を尋ねてみると、
「本当に怖いのは、失われるものの大きさに気付かされることだよ」
ドキリとした。それはこれ以上ないくらいに本質を捉えた意見だと思ったからだ。
千尋が普通の少年よりも大人びていることは見ていればすぐにわかる。それでも十二歳の子供がそのことについて触れるということに、年齢とはまた違う異質さというものがあるように感じてしまう。
千尋は視線を前方に留めたまま続ける。
「あの人もそれを知っている。余裕がないのはそのせいだよ」
『あの人』というのが誰を指してるかステラはすぐに気付いた。自分と千尋に共通する人間など限られているし、何よりその人物の過去を知っていたからだ。
「どうしてイワンが子供嫌いか教えてあげようか?」
特に興味もなく、聞くつもりもなかった千尋だったが、ステラは返答も待たず勝手に話し始める。
「あの人はね、一年前に事故で奥さんと子供を亡くしているのよ。原因は自動車による追突事故。運転手は無免許の十歳くらいの子供だったんだって。そのせいね。だからって他の子供にまで強く当たらなくてもいいのにねぇ……。千尋くんだっていい迷惑でしょ?」
何も答えない千尋。話を聞いているかも定かではない。構わず続ける。
「これは噂なんだけどね、イワンは軍の施設を使って、死んでしまった二人をコールドスリープで冷凍保存しているそうなのよ。目的は生き返らせるために遺体が腐敗しないようにって。千尋くんは『生命の魂源』という秘術は聞いたことある?」
「……………………」
「死んだ人間を蘇らせる術だっていう話だけど、ホントかしらね。どうして今回の仕事の募集枠にあれだけの応募者が殺到したか……。普通に考えるなら『石の魔術師』の賞金狙いなんでしょうけど、どうもその術の秘密をその魔術師が知ってるって噂が一部で流れているそうなのよ。そんな馬鹿げた術式が存在するなら、それこそ『石の魔術師』の賞金なんてはした金に思えるほど稼げるでしょうけど……」
チラッと千尋を見下ろすが、相変わらず表情に変化はない。
「千尋くんは『石の魔術師』のこと知っててこの仕事に応募したの?」
「……………………」
何も答えない。しかし食事を経てやっと口を開くようになった子が、この話題になった途端話すのを止めた。何を考えているかわからない子だが、何かを考えていることだけは伝わってきた。
正直なことを言うなら、選考会の時からこの少年のことは目で追っていた。子供だから目立っていたというのもあるのだが、それ以上に何かを秘めているような気がしたのだ。危険な香りというか、すでに死ぬことすら覚悟している者のような……。
だからこそ苦労して手に入れた情報を惜しげもなく使って少年の反応を探ったのだが、やはりビンゴだった。
――この子は『石の魔術師』を追っている。
もう引退してしまったようだが、父親は特一級魔術師という、世界でも十人といない地位にまで上り詰めた天才魔術師。その息子が十二歳という年齢で異国の地に来て、危険度Sランクの魔術犯罪者を追っている。その意味は……。
そのことを考えると胸がざわついて仕方がない。
まだ経歴は浅いが、魔術師としてこの業界に身を置く自分の、その直感が告げている。
この子を一人にさせてはいけない。
放っておけばその結末がどうなるかを想像するのは難しいことではなかったから。
なら今の自分にできることはなんだろう。
ふとそのようなことを考えてしまっていた。
要は、
ステラはこの少年のことを気に入ってしまったのである。
□ □ □
パリ。
フランス最大の都市であり、政治、経済、文化の中心でもある。市内は二十の行政区に区分されており、一区のあるパリ市街地から右回りの渦巻状に番号が付けられている。
座標は北緯四十八度と、北海道の稚内よりも北に位置しているが、温かい北大西洋海流と偏西風の影響で一年を通して比較的気候は温暖である。
しかし、さすがに三月の早朝ともなると寒いことに変わりない。気温は二桁に達していないであろう。
会場から三十メートルほど離れた木のそばで、寒そうにポケットに手を突っ込みながら目を光らせるイワンと、座ったまま和紙で鶴を折っている千尋。
イワンからすれば千尋の態度は完全にやる気がないように見えているが、元々あてになどしていないのだろう。視界に入るたびにイラついて舌打ちするが、口にしてまで咎めようとはしない。
近くを流れるセーヌ川からの冷たい風に身を震わせること三十分あまり。次々と黒いリムジンに乗ってヨーロッパ中にある魔術学校、その学長が護衛を従え会場内に入っていく。
その中の一人。護衛が後部ドアを開け、そこから姿をみせた老齢の女性。ふと何気なく見た木の陰に、一人の少年が座っていることに気付いた。
「あの子は……」
同じタイミングで千尋の手が止まる。一瞬だけ横目で確認するが、何もなかったように紙を折り始めた。老齢の女性は、
「今日の警備はどこに任せていたのかしら?」
自前の生徒だろうか。護衛として付き添っていた、見た目十台後半頃の男性に尋ねる。
「はい。確か『フィッツファミリア』という、英国の魔術組織だと……」
「あら、うちの国にそんな組織あったかしら。協会の推薦を受けているところなら全部頭に入っているはずなんだけど……、駄目ねぇ。歳取ると物忘れが激しくて……」
「は、はぁ……」
こういう時に気の利いた言い回しの一つでも出てきたらと自分を卑下する学生だったが、まだ十台の若者にそれを求めるというのも酷な話だろう。運転席にいた男性――口ひげを蓄えた中年の運転手は、微かに微笑んで車を走らせたのであった。
午後一時。
緊張感の高まる現場とは裏腹に、時間だけは刻々と過ぎていく。何も起きていないというのは警備する側としては上々といえるのだが、この場合『彼ら』にとってみれば、何も起きないことが逆に不安感を募らせる要因となっていた。イワンに限っては目に見えてイライラしている。それは個人的な理由も含まれていただろうが、原因は他にもあった。
千尋だった。
一時間ほど折り紙遊びを続けていたかと思えば、今度は二時間ほどボーっと空を眺め、今に至っては目を閉じてうつむいている。
最初から戦力外として放っておくつもりだったが、こうも目の端でのんびりした様を見せ付けられると腹が立って仕方がない。
全てを懸けてこの日に照準を絞ってきたイワン。一度も集中を途切らせることなく周囲を監視し、頻繁に会場内部とも無線でやり取りして気を張っているというのに、このガキは……。
気にする必要はないと頭の中で繰り返すことが、少年を気にしてしまうということに繋がっていることに、本人はまだ気付いていない。
使用するわけでもないのに、懐から伸縮式の金属棒を取り出して素振りする。
それから二十分ほどが経過。
会場の正面入り口から一人の男性が出てくる。早朝から頻繁に人の出入りはあるが、一般の警備員と『フィッツファミリア』のメンバーが二重の検問を実施しているため、イワンとしては特に注意を払っていたわけではないのだが、その男性がこちらに向かって近づいてくるとあれば話は別だ。
「何の用だ」
手に持ったままの金属棒をつきつける。威嚇とも取れる言動だが、相手の男性に怖気付く様子はない。それどころか慇懃な態度で頭を下げる。
「失礼。私、国立ロンドン魔術専修学院の三科生、エイブラハム・クロウリーという者です。ナディア・リドル学長の遣いで参りました。三上千尋氏をお連れするようにとの命を仰せつかった次第なのですが……」
「遣いだぁ? 今は任務中だ。後にしろ」
「いえ、すでに警備主任には話をつけておりますので」
「あぁ? 聞いてねえよ。そんなこと」
――とそこで、イワンの持っていた携帯が震える。出てしばらく会話した後、
「リーダーからだ。許可は出た。行ってこい」
いつの間に隣りに並んだのか、自分の腰元ほどしか身長のない千尋に向かって素っ気なく言ってのける。千尋は、
「……………………」
いつものように返事をすることもなく、エイブラハムの後についていった。
「チッ、腹の立つガキだ」
不満気につぶやくが、ストレス源がいなくなったことにホッとしたのか、少しだけ眉間のシワが減ったイワンであった。