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式神の魔術師  作者: 池上葉
第一章 託された使命
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1、学長会議

 山間やまあいに囲まれた小さな村。何もないところだが、ここには実り豊かな自然が広がっている。


 澄んだ空気に清い水、熟れた作物にやさしい人々。


 穏やかな気候のもと、今日も昨日までと変わらない平和な一日が訪れるはず……だった。



 ――それは、この日を境に永遠に失われてしまった。



 少年は土の上に倒れたまま顔を横に向ける。


 目に映るは火と煙。周囲を漂うは血の臭い。枯れ枝の爆ぜる音が鼓膜を震わせる。


「父さん……」


 年の頃二桁にも満たない少年の、小さなつぶやき。されど返事はどこからも返ってこない。


 溢れ出る血液が大量に土壌に染みこんでいく。痛みはない。すでに感覚もなくなっている。


 何も考えたくない。何も考えられない。


 少年はゆっくりとまぶたを閉じた。



 暗転。



 暗闇の中、彼は父親の声を聞いた気がした。


「ち……。……ひろ。千尋ちひろッ!」


 目を開ける。そこには大好きな父の顔があった。


「……うさん」


「すまない……、千尋……」


 よかった……。戻ってきてくれたんだ、父さん……。


 右手を持ち上げようとするが、体が動かない。急速に意識が薄れていく。


 なぜ謝られたのかわからないまま、千尋は再びまぶたを閉じた。



 暗転。



 ――千尋。千影のこと……頼んだぞ。



 意識の奥で語りかけられる。


 千尋が聞いた父の最期の言葉。


 それが、


 少年にとっての『全て』になった。




   □   □   □



「冗談じゃない! なんで俺がこんなガキと組まなきゃならないんだ! リーダー。俺は一人で充分だ。術式もそれように調整されている。一人でやらせてくれ!」


 二十名以上の男女が集まった早朝の会議室。一人の大柄な男が上座にいる男に詰め寄る。


「駄目だ。今年の学長会議は『石の魔術師(ホルンフェルス)』に狙われているとの情報も出ている。単独で動くことは許さん。必ず二人一組で動くんだ」


「だったら相手を代えてくれ。なんでよりによって俺なんだ。他にいくらでもガキ受けしそうな奴はいるだろ」


 男は右手にいる女性に視線を留めると、


「おい、ステラ! お前んち妹いるっつってたよな。代われよ。ガキのお守りは得意だろ」


 男の雰囲気は脅迫とも取られかねないほど威圧感があった。しかし相手の女性は眉一つ動かすことはない。


「断る。こっちは仕事として来ているのだし、その子だってそうでしょう。パートナーの年齢だけを見て判断するなんて、素人じゃあるまいし……。イワン、その程度のことでみじめに騒ぎ立ててギャーギャーわめくなんて、自分の力の無さを露呈ろていさせているようなものだと思わないの?」


「んだと、テメェコラ!」


 イワンと呼ばれた男が息んで睨みつけるが、今のやり取りに失笑している他のメンバーを見てさらに激情に駆られる。歯を食い縛り、真っ赤になった顔でふところを探る。取り出したのは伸縮式の金属棒。術式を発動させるための道具なのだが、それを『取り出してみせる』という行為そのものが、ここでは威嚇射撃を行ったことと同義になる。


 そのせいか、場にいた全員から笑みが消える。

 忠告の言葉は必要ない。次の瞬間には互いのどちらかが肉塊に変わっていてもおかしくはないのだから。


 シンと静まり返った室内。このような時もっとも苦労するのは責任者と相場は決まっている。それが我の強い魔術師相手となればなおさらのこと。


「そこまでだ。全員両手を後ろに回せ」


 リーダーの一言にイワン以外の全員が指示に従う。それでもまだ興奮が抜けきらないのか、矛先はそのままリーダーのもとへと向かう。


「馬鹿にしやがって! あまり俺をなめるなよ。こんな組織、俺一人でだって潰すことは可能なんだ」


 ここにいるうちの何名かは、学長会議の警備のための補充要員。魔術協会の推薦を受けたほかの組織から希望者を募り、選考会を経て選ばれた者が何人かおり、イワンもその中の一人だった。


 通常なら反逆罪で取り押さえることもリーダーに与えられた権限の一つではあるのだが、ここで事を起こすと警備に穴ができてしまう恐れがある。渡された予算の範囲内、最低限の人数でつつがない警備運行を任されている以上――かなり無茶なことを上から要求されているため――一人でも人数を減らすわけにはいかないのである。


 感情よりも損得を優先させた気の短いリーダーは、かなり不本意ではあるが、イワンのガス抜き工作に善処する。


「落ち着けイワン。これはお前の力を高く評価しているからこそのチーム編成だ。二人一組で組ませるからにはバランスが重要。新人の彼をお前にあてがったのも、他の者に任せられないのも、そういったことが理由なんだ。わかるな?」


 ここでリーダーの言うバランスとは、近距離、遠距離術式が得意な者同士のことであり、力の優劣のことではないのだが、ここではあえて不要な説明を省く。


 だがそれでもまだ納得しないのか、イワンはこの騒動の原因になった少年を指差す。


「しかしまだガキだぞ。聞いた話によるとリーダー。こいつあの『式神遣い』の息子だそうじゃないか。引退したとは聞いているが、相手は元特一級の魔術師だ。協会に何か圧力がかかっての採用じゃないだろうな?」


「違う。あくまでも実力採用だ。それと一つ忠告しておくが、今や世界中で裾野を広げている魔術協会が、一魔術師ごときに揺さぶられるようなことがあると思うなよ。お前もそこの保護を受けている者という自覚があるのなら、滅多なことは口にするな!」


「チッ、わかったよ……」


 最後の方は感情任せになりつつあったが、とりあえずイワンを抑えることには成功したようだ。


 リーダーは教師然とした振る舞いでホワイトボードと部下を交互に見る。


「先ほども説明したが、主役ゲストが会場入りするのが九時。開会が十時三十分。閉会が十七時三十分の予定だ。この間の安全を維持するのが我々の仕事なわけだが、例年何も問題が起きていないのは警備の人間が水面下で不穏分子を排除しているからだ。今回は諸君らにその役目を負ってもらうことになったわけだ。いいか。敵は必ずやって来るものと思え。襲撃があれば死ぬ気で阻止しろ。もし主役ゲストに万が一のことがあったら、ここにいるメンバー全員の名が協会のリストに残ることは覚悟しておけよ。使えない奴ら、としてな」


 別に冗談ジョークのつもりで言ったわけではないのだが、メンバーの間で小さな笑いが生じる。場に弛緩しかんした空気が流れるが、リーダーは特に何も注意はしない。


 魔術師としての特性のようなものか、性格に問題ありな連中が多いが、その分腕は確か。顔に笑みを貼りつけていても、誰一人として目が笑っていないのを見て取ったからだ。


 すでに互いに牽制し合っているのだろう。


 ――誰が『石の魔術師(ホルンフェルス)』を捕らえるか、ということで……。


 危険度Sランクの魔術犯罪者。国際指名手配された危険因子として、その首には生死問わずで三百万ドル(日本円で三億円相当)の懸賞金がかかっている。


 此度の学長会議を狙った『石の魔術師(ホルンフェルス)』によるテロリズム。民間の探偵会社から上がってきた情報ネタで決して信憑性があるとは言いづらいのだが、それでも己の将来をその命運に懸けてみるだけの価値はある、そう考えている者は多い。それだけの相手。


 警備する組織は、去年の段階で協会推薦の中からローテーションで決まっていたため、大部分のメンバーはすでに決定していたのだが、少数の補充要員枠を狙って応募が殺到。


 そのメンバー選考に生き残ったうちの一人が若干じゃっかん十二歳の子供ということで、そこに裏取引があったのではないかという疑心と、子供嫌いなイワンの性格が『納得いかない』理由として加味されていたわけである。


「開会までは三時間少々。その間にA班は会場内に不審な動きをしている人物、または異物が紛れ込んでないか、B班は会場外をくまなく調べろ。以上、解散」


 無論、誰よりも必死なのは責任者であるこの男である。


 失敗は許されない。


 協会の保護下にある、ヨーロッパ中に点在する魔術学校。そこの学長が一同に介して行われる話し合い――学長会議の場を賊に荒されるということは、協会の権威にもかかわる問題だからだ。


 ――だったらもう少し人員に余裕を持たせてくれよ。


 そのように愚痴りたくなるリーダーだが、今さらそのようなことを言っても始まらない。去年までこの体制でやってこれたんだ。なら今年もできるだろ? そのような世情に捉われない固執した考え、体質というのは、どこの業界も同じようなものなのかもしれない。


 ため息をつきそうになり、しかしすぐにいさめる。

 これまでの報告書を見る限り毎年何かしらのトラブルが起きているようだが、今年はその質がまるで違う。よりによって、という思いを噛み締め、会場側の責任者との打ち合わせに向かって歩き出す。


 その時、室内から出ていくメンバーの中に一人だけ幼い顔立ちの少年を認める。



 ――三上千尋みかみちひろ



 『式神遣い』と恐れられた東洋の天才魔術師、三上清之介の息子。

 初めて会ったのは補充要員を決める選考会。もちろん経歴のみで彼を推したわけではない。

 あの年齢にしてすでに完成されているともいえる卓越した技量に、思わずうならされてしまったからだ。


 天才の息子もまた天才、ということか……。


 気になるのは、すでにこの業界から足を洗ったとされる三上清之介の所在と、なぜその息子が一人でこのような場所にいるのかということだったが、尋ねても何も答えてはくれなかった。

 一応、書類上の志望動機は『金のため』という身もふたもない内容であったが、そんな安っぽい理由ではないことはこの少年を見ていればすぐにわかった。


 『こんな目』をした奴はこの業界には腐るほどいるからだ。


 ――復讐か……。


 ならば相手は……と考え、すぐに思考を放棄する。この場にいることがその答えを示しているように思えたからだ。


 黙して語らず。されどその存在だけは鋭さを増している。


 先ほどイワンが騒いでいた横で、まるで動じる気配がなかった様も流石というほかないが、それにしても少し静かすぎる点もまた気になるところである。


 この歳にしてあれだけの技術とこの落ち着きぶり。これから間違った方向に足を進めなければいいのだが……。


 そのようなことを考えているうちに、大柄なイワンに続いて少年は部屋を出ていってしまった。

 リーダーは一度息を吐き出し、同じく室内を後にした。





 時刻は早朝の八時三十分。


 会場から一キロほど離れた公園。そこの水飲み場でのどを潤す千尋ちひろ。付近には犬を散歩させる青年や連れ立って歩く老夫婦など、日常という一コマを形作るのに必要な欠片ピースが欠けることなく揃っている。少年もその一部だっただろう。


 安物のスニーカーにベージュ色のチノパン、上には黒のウインドブレーカーを着用しただけの、見た目はどこにでもいる普通の少年(日本人という点で目立つことはあったが……)。


 今回の警備に関して、服装の規定は特にない。公序良俗に反しない程度であれば何も問題はない。

 というのも、学長自身は自前の護衛は連れてきているだろうし、会場にも民間の警備会社から警備員が派遣されている。前者は学長の安全を第一に、後者は『一般的』な事件や事故に備えるためとして――。


 リーダーやイワン、千尋がこの場に借り出されているのは、あくまでも魔術犯罪者に対応するための専門家としてである。もっとも、彼らの負担が一番大きなものになるのは毎年のことなのだが、だからこそ彼らはあらゆる面で制約が免除されるのである。


 TPOに合わせ着慣れない制服で統一感を出したところで、動きを制限されれば元も子もないし、服自体に術式を組み込む魔術師もいるからだ。


 個性があって然るべきというのは魔術師として当たり前の考えであり、足並みを揃えることでそこに不具合が生じるのなら、社会通念として求められる常識の方こそ彼らにとっては間違いであるといえるのだ。


 それを体現するかのような男が、公園を横切って歩いてくる。


 明らかにこの場では異質な、迷彩服を身にまとった無骨な男。元ロシア連邦軍の魔術対策庁という機関に所属していたイワン・ホドルコフスキー。


 脆弱な視線を集めながら、憮然ぶぜんとした面持ちで千尋に近づいてくる。


「おい、ガキ。行くぞ」


「……………………」


 返事を返すこともなく、その後についていく千尋。イワンが公園の便所で用を足す間、この場で待たされていたのだ。

 公園ではしゃぎ回る少年少女たちがイワンを見て逃げ出していく。背格好よりも、その表情を見て恐れているようだ。この公園内で平然としている子供は千尋くらいのものであった。





 一通り付近を調査したが、特に異常な点は見当たらなかった。


 イワンはリーダーから持たされていた携帯電話で報告をする。見た目普通の携帯だが、秘匿通信用の術式が組み込まれているため外部へ内容が漏れる可能性は低い。


 リーダーからの返事は、三十分の休憩を挟んだ後、持ち場で待機しろとのこと。

 図らずもできてしまった安息タイム。ぶっきら棒な口調でそのことを告げられた千尋は、


「……………………」


 無視しているわけではない。ただ何も答えないだけなのだが、イワンからしたら同じこと。


「おい! 返事くらいしろよ!」


 存外まともなことを言うイワン。それに対し千尋は、


「……………………」


 今度は意図的に顔を逸らして無視する。イワンのひたいに血管が浮かび上がる。針を突き刺したら二メートルくらい噴出するのではと思えるほど盛り立っている様子だが――


 違った。千尋は無視したわけではなく、通りの先から近づいてくる女性に目を留めただけだった。まあ同じことではあるのだが……。


「二人とも仲良くやってる?」


 気兼ねなく話しかけてきた女性。会議室でイワンとやり合った人だった。


「おいステラ。何しに来やがった」


 不機嫌に話しかけるイワン。ステラは、


「なに? まださっきのこと怒ってるの? ごめんね。ちょっと言い過ぎたわ。許して。ついペラペラと余計なこと言っちゃうのが私の悪い癖なのよ。あ、そうだ。これから時間ある? ご飯でもどう? おごるからさ。リーダーには私の方から言っとくから。ね?」


 全く反省していないような顔でペラペラ話しかけてくるステラ。


「千尋くんは? お姉さん奢ってあげる。なんでも食べていいわよ。どう?」


 お姉さんという割りにまだ二十歳にもなっていなさそうだが、少年からしたら年上であることに変わりない。イワンが横から口を挟む。


「無駄だぜ。そいつには何言ったって答えやしねぇ」


「もしかして言葉わからないのかなぁ……」


 先ほどから使用している言語――英語でつぶやいたステラに、千尋は、


「No problem(問題ない)」


 同じく英語で返す。それに腹を立てたのはイワンだ。


「テメェ、俺が話しかけても何も答えなかったくせに……」


 ブルブルと震えだす。怒りで顔が真っ赤に染まっていくイワンを見て、


「アッハッハッハッハッ……。き、君、いい性格してるわ……フフ……」


 大笑いするステラ。ますます怒りに燃え上がるイワンだったが、


「行こ。あんな筋肉おじさんは放っておいて、私たち二人で楽しみましょ」


 千尋の肩を押してその場を離れていく。残されたイワンは、


「クソがッ!」


 ガードレールに不満をぶちまける。しばらくの間収まりそうになかった。





 二人が訪れた店は、会場から一本裏の通りに入った場所に立地していたレストラン。テーブル席が六つしかない小さな店だが、内装に凝った造りになっており、それなりに雰囲気は良い。テラス席もあるようだが、ステラは店の一番奥のテーブルをリクエスト。店員も了承し、入り口に体を向けて椅子に座る。


「仕事前だからね、本格的に食べるのもどうかと思うし……、サンドイッチと紅茶だけでいいかな。千尋くんもそれでいい?」


 真向かいに座った千尋。コクリとうなずく。


「そういえば自己紹介がまだだったわよね。私はステラス・エンフィールド。ステラでいいわよ。イギリスのそれなりにいい所の生まれなんだけどさ、なんか息苦しくってね。両親とケンカして高校辞めちゃった後はヨーロッパ中を転々としてて、今はここ、パリに居住を構えてるの。私朝弱いからさぁ、今回は現場が近くて大助かり。ちなみに千尋くんとは選考会の時一緒だったんだけど私のこと覚えてる?」


 滑らかに動く舌。現地の人間じゃないと聞き取れないくらい早口だが、千尋は先ほどと同じようにうなずく。適当に相槌を打ったようにも見えなくはないそれに、


「本当に~? 私せっかちだからね、結構言葉を省略して話したりすることがあるんだけど、ちゃんと私の言ってることわかる? 理解できてる?」


 同じようにうなずく千尋。それを見て唇をすぼめるステラ。YES/NOで答えられる質問ではらちが明かないと踏んだのか、


「千尋くんの苗字はなんていうの?」


 一時間ほど前に千尋についてイワンが『式神遣いの息子』と口走っているだけに、この業界に身を置く大部分の人間が千尋のファミリーネームは知っていたであろうが、ステラはどうしても本人に喋らせたいようだ。


三上みかみ


 きちんと答えてくれたのだが、


「ん? マカミ?」


「み、かみ」


「え? ムカミ?」


「……………………」


 首を傾げニヤニヤしているステラ。明らかにわざとのようだ。もっといっぱい喋って欲しいというメッセージでもあるのだが、千尋は無視することも苛立ちをみせることもない。

 ポケットから二十センチ四方の和紙を取り出すと、トンと机の上に置く。


 そこには『MIKAMI』とアルファベットで黒い文字が浮かび上がっていた。


「ワォ。器用なことするのね」


 素直に感心し、和紙を手に取る。自分も同じことをしようと念力を送るように熱心に見つめるステラ。


 今千尋がやったことは、魔術師が魔術を行使する際に必要とするエネルギー――体内にある魔素を、頭の中でイメージした通りに和紙に焼きつけるという技法なのだが、魔術師だからといって誰でもそのような真似ができるわけではない。


 古代魔術を専門とした、取り分け細かい術式が必要な、ある程度魔素の扱いに長けた人間でなければ今の一瞬でそのような『精緻な作業』などできはしない。


「あーん。ダメ……」


 テーブルの上に和紙を置くステラ。『デジタル印刷』したかのような千尋の文字と違い、ステラが魔素で残したものは、グニャグニャと歪んだ、ただの黒い塊だった。


「わたし今は現代魔術専門にやってるからね……。こんな細かいの苦手」


 ペロッと舌を出してお手上げアピール。

 その時、店員がテーブルに料理を運んでくる。サンドイッチといってもそこはさすがフランス産。食パンではなく、フランスパンを半分に切って、その中に生ハムやピクルス、チーズやレタスなどを盛り込んだボリュームのある一品だった。


 さっそく食べ始めようとしたステラだったが、


「いただきます」


 手を合わせ、軽く頭を下げた千尋を見て、


「いた、だきまーす」


 慣れない日本語で真似をする。


 食べ始めてから一分間、何も喋らず夢中になって口を動かし続けるステラ。舌の肥えた彼女にも納得のいく味だったようだ。五分の一ほどのどの奥に流し込んだところでカチャっとカップを置く音。千尋が紅茶を飲み干したようなのだが、それを見てブッと噴出しそうになる。


「もう食べちゃったの!?」


 千尋の前にある空になったプレートとカップ、それを見て素っ頓狂な声を上げるが、直後、彼女はさらに驚きの事態に見舞われる。


「お待たせいたしました~」


 女性の店員がこれでもかと料理を運んでくる。十人前はあろうかという量を見て、


「ちょっと待って! 私頼んでないわよ!?」


「いえ、こちらのお客様に注文を受けましたので……」


 千尋を手のひらで差して堂々と答えてくる店員。


「えっ、いつ頼んだの?」


「店に入ってこられた時にこれを渡されました」


 先ほど千尋と名前のやり取りをした時に使用した和紙、それと同じ種類の紙を店員がみせてくる。そこには、


『値段、高い方から、十品目』


 デジタル印刷したのかというほど綺麗な文字がつづられていた。

 平然とした様子の千尋を見て、


「確かにおごるとは言ったけども……。こんなに図々しい日本人を見たのは初めてだわ」


 あきれを通り越して感心したようにつぶやくステラだった。


 席について目の前の少年を眺める。千尋はテーブルいっぱいに載った料理を次々口に運んでいく。食べ方はきれい。しかし早い。というのも、


「こらこら少年。ちゃんと噛んで食べなきゃダメでしょ?」


「大丈夫。問題ない」


「問題ないって、あなたね……」


 しかも、手を替え品を替え味を替えといった食べ方ではなく、一つの皿のものを完全に食べ終えてから次の皿、という風に、食べる順序も一方通行のご様子。

 これには黙って首を横に振るしかないステラ。自分の食事をほったらかしにし、こっそり後ろを向いて財布の中身を確認。


 わーーん。今月やばいのにぃ……。どうしよう……。


 本気で泣きそうになっていると、


「大丈夫だよ」


 千尋がステラの背中に向かって話しかける。振り返ると、


「最初から奢ってもらおうなんて思ってない。自分の分は自分で……なんなら全部払おうか?」


 それを聞いて頬がピクッと動く。たかだか十二歳の子供にこんなこと言われたとあっては、さすがに年上のお姉さんとしては我慢ならなかったようだ。


「いいえ、そんなわけにはいかないわ!」


 強い調子で答えるステラ。


 おお、女性にしては太っ腹。近くに誰かいればそう思ったであろうが、


「最初のサンドイッチだけは私が払います!」


 プライドはそこまで高くなかったようだ。

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