訪問者
それからは週に二回、俺は千尋たちに食料を届けるようになった。
事務所だった部屋の扉を開くと、俺に気づいた功が走り寄り、千尋も笑顔を見せる。訪れた日には必ずごはんを共に食べ、平和だった頃の話をする。
その日は、功がサッカーをしていたという話から始まった。
「へえ、功はサッカー少年団に入ってたのか。確かに、功は運動神経良さそうだもんな」
「へへーん。でも、お姉ちゃんは俺よりもっと凄いんだよ! なんたってバレーボールで県の代表にも選ばれてたんだからね!」
「もう、やめてよコウ! 違うんですよ智代さん、そんな大したものじゃないんです」
「いや、大したもんだ。すごいな、確かに身体もけっこうしっかりしてるもんな」
千尋はブンブンと首を振っていたが、俺がそう言った途端、顔を真っ赤にして抗議した。
「と、智也さん! 女の子に向かって、その言い方は流石にちょっと失礼じゃ無いですか!? 少し今のは傷つきましたよ……」
「あ……悪い、そういう意味で言ったわけじゃなかったんだ。俺はあんまり女っ気が無い生活してたからそこらへんの具合が分からなくてな。許してくれ」
すると千尋は目を丸くする。
「へぇ、そうなんですか? 意外ですね。彼女とかいないんですか?」
「いるもいないも、生まれてこの方いた試しがないからなー。千尋はいないのか?」
「いませんいません! 私なんて、どうせガタイの良いだけの女ですから……」
「誰もそこまで言ってないだろ……」
「お兄ちゃん、お姉ちゃんはこう見えてけっこうナイーブだから、面倒くさいよ」
「コウ! 面倒くさいって、アンタ今までそんな風に思ってたの!?」
「わぁー!! ごめんなさい!」
そこまでして、千尋と功がクスクス笑う。仲の良い姉弟だ。この仲睦まじい光景に心安らぐ程度には、まだ俺にもまともな感性が残っていたようだ。
だが、開いていた窓から聞こえてきた微かな音に気づいた時には、もう頭の中は完全に切り替わっていた。
「――外か……」
「え?」
漏れ出た呟きに千尋がこちらを向く。俺は立ち上がり、部屋の窓まで歩み寄ると、そっと眼下を覗いた。この窓からならちょうどこのデパートの入り口が見える。
デパートの入り口では、予想通り何人かがたむろしていた。背中に何か背負っている者もいることから感染者ではない。おそらく、デパートに食料などを探しに来た生き残りだろう。数は六人。
すると、千尋と功がやってきて、窓枠の下の方から覗きこむように窓から下を見る。「見つからないようにな」と俺は釘を刺す。
「あれは……生き残りの人ですか!?」
「お兄ちゃん! あの人たちはゾンビじゃないの? だったら、仲間だよ!」
千尋は驚き、功は興奮するように言う。久しぶりに自分たち以外の生き残りを見つけて嬉しいのだろう。それは分かる。
だが、功の言葉に俺は否定を示す。
「功。お前はまだパニックが始まってから外に出てないから分からないだろうが、今外は悪い奴らが沢山いるんだ。だから、いくら感染者じゃないからって、あの人達が俺たちに良心的とは限らない」
「そ、外はそんなに危険な状態なんですか……?」
先に反応したのは千尋だった。ぎょっとしてこちらを見返す千尋の顔は、俺の話を微塵も疑っていない様子だ。事実、この話は、俺もいきなり襲われた経験があるため偽りはない。
――まあ、今回に至っては仮に向こうが協力的だったとしても、無事に返すつもりは無いがな。
俺は心中で獰猛な笑みを浮かべる。このデパートはもう俺の拠点だ。デパートにあるもの全て一つたりとも譲るつもりはないし、その意思を示す工作もしておいた。
それはデパートの入り口二ヶ所に、事前にガラスの破片を散りばめ、誰かが踏み入れば音が鳴り、ガラスの破片からも一目で誰かが侵入したということが分かるようにしておくというものだ。頭の回る奴ならば、それが感染者では無く、生き残った人間に対して施された警報装置の役割を担う物だと分かり、それを踏まえて行動するだろう。今回の奴らは、それすらも分からなかった馬鹿か、それとも知ったうえで俺の城に踏み入る略奪者か――
「お前らはここにいろ。いいか、俺以外の奴が来ても絶対に開けたらだめだし、間違っても俺についてこようとか考えるなよ。その蛮勇が、お前ら姉弟の片方を喪う行動になるかもしれないと肝に銘じておけ」
『――ッ!』
俺の有無を言わせない厳しい口調に二人は抱き合うようにして身を寄せる。少し脅し過ぎたか、とも思ったが、これで下手についてこられて俺の本性がバレたりするよりは数倍マシなはずだ。
「――分かった。お兄ちゃん。お姉ちゃんは僕が護るから、ここは任せて!」
だが、部屋を出る直前でかかった功の言葉に、俺は今の考えが杞憂だと悟る。
振り向くと、千尋が祈るような、だが強い意志を感じる視線でこちらを見つめていた。
「智也さん。……必ず、必ずまた戻ってきてください」
「――…ああ、いってくる」
俺は信頼を背に感じながら事務所の扉をゆっくり閉める。
皮肉なものだった。以前までなら、欲しくてたまらなかったような全幅の信頼も、今の俺には、そよ風ほども感情を動かすには至らない。あるのは、あの姉弟の信頼を容易に裏切っていることに対しての、背徳的な愉悦だけだった。
「――まあ、いいか。今が楽しいんなら、それで」
俺は一人ごちると、非常階段を足早に降りて行った。
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