再会
少女の声音に反し、ショベルは容赦なく睦月だったモノに振り下ろされた。
他の二人も姫路によって安らぎを与えられる。
「……カズくん。“八代”とはここに来るまでに既に出会ってるんだよね。一体、どんな男なの」
姫路の声には震えがあった。だが、それが恐怖から来るものではないということくらい、ここにいる全員が理解できた。
「……八代には以前、俺と灯の仲間を殺された。別に諍いがあったわけですらない。ただ、奴の道楽の為だけに、殺された」
「何でそんな危ない奴だって、最初に教えなかったんだよ!」
玲子が声を荒げ、こちらに大股で近づいてくるが、それを灯が阻む。
「あなた達も信用出来なかったからよ。いきなり捕らえられたと思ったら、目の前で処刑シーンを見せられたのよ。警戒して当然じゃない」
「――つまり、これは私が敷いた態勢が招いた事態ってことか」
「ッ……神奈様!」
言葉とは裏腹に、姫路の表情に悔恨は見えなかった。
ただ一筋、静かに涙を頬に伝わせた。
そこには、世界を嘆く女神のような、一種の神々しさを纏い、姫路は憂いた眼差しを燃える校舎へと移す。
流した涙に反して、その表情に迷いはない。
「後悔も、懺悔も、贖罪も、生き残ってる人を全部助けてからにしよう。それまでは、私は止まらない」
「神奈……」
千羽が姫路の隣に立つと、優しく姫路の肩に手を置いた。
「大丈夫。神奈は一人じゃない。私が、どこまで付いて行くから。今までだって、そうだったでしょ?」
「さっちゃん……。うん!」
そして、次に灯へと首を動かした。
「あーちゃんも。ありがとね。あーちゃんの一言で目が覚めた。私たちとのファーストコンタクトはカズくんも含めて最悪だったけど、こうして並んで立てるようになって良かった」
「……いいえ」
灯は驚いたように目を瞬かせると、やがてやんわりと首を振った。
「行きましょう。全部は、終わったあとにでもゆっくり」
「……そうだね」
灯の言葉の真意に気づいた姫路は、大きく頷くと、パッと、いつもの底抜けに明るい笑顔を振りまいた。
(……案外良いコンビかもな、この二人って)
その光景を、俺はどこか嬉しく思いながら見ていると、灯が急にこちらを向いた。
「和彦」
「ん? どうした」
「良い機会だし、今のうちに言っておくわ」
「? おう」
「私にとって、あなたは一番大切な人よ」
「……へ」
一瞬、真剣に言っている意味を理解できなかった。
外野が「おおっー!」と無駄にノリの良い反応を上げる。
「……えーと、気のせいかな。何か今の言い方だと、まるで俺の事を好きって言ってるように聞こえたんだけど」
「それは違うわ」
ばっさりと否定された。
心の中でムクムクと上がってきていた高揚が、冷や水を被ったように消えていく。
「好きなんじゃない。――愛しているの」
「なっ……!」
『おおっ~~~~!!』
これには俺も一気に顔が熱くなるくらい赤面し、外野はわっと口元を手で押さえ、あるいはヒューヒューと下手な口笛を鳴らした。
突然の告白、しかも意外すぎる人物からのことに、俺は生まれて初めてでは、というくらいに慌てる。自分の顔がトマトみたいに真っ赤になっているだろうことは鏡を見なくても分かる。
こうなるとまともに灯の顔を直視することも出来ない。横目で盗み見るようにしてみると、灯は相変わらずクールな表情は崩さず、しかし頬だけは心なしか紅潮して……って。
「……自分で言っておいて、実は灯も照れてるのか?」
「……ッ! だ、だって! 和彦が、そんなに顔を真っ赤にするから!」
灯は視線をキョロキョロと絶え間なく逸らして、一房だけ垂らした前髪を落ち着かなそうにくるくると弄る。
(あ……やば……)
その仕草は、俺の緊張も羞恥も、まとめて吹っ飛ばすのに十分の破壊力だった。
俺は未だこちらを見ない灯の元まで大股で歩み寄ると、力強く灯の手を握った。
「ひゃっ!」
驚いた灯はこれまた素っ頓狂な声を上げる。今俺はギャップ萌えという言葉の真の意味を体感していた。
「ありがとう、灯」
「え、ええ。和彦にしてはやけに力強い声ね」
「まさか灯がそんな風に思ってくれてるなんて露にも思わなくて……。態度には全然出てなかっしさ」
『え』
外野から、何か『マジかよこいつ』的な視線が突き刺さっている気がするが、無視して続ける。
「正直、今まで灯をそういう風に考えたことが全く無かったって言うと嘘になるけど、それでも毎日を生き抜くことばかり考えていて、そこまで真剣に考えたことなんて無かった」
「……そうでしょうね。まあ、しょうがないことよ。今のもこの先何があるか分からないから、私が言っておきたかっただけ。忘れてくれて構わないわ」
「そんなわけないだろ。これで、死ぬわけにはいかない理由が一つ出来たんだから」
「え?」
俺は周りにいる面々を眺める。
姫路はニヤニヤと笑い、千羽は仕方ないという風に頷き、葉月と弥生は小さな拳を突き出し、玲子と静香は呆れながらも苦笑した。
「積もる話は皆あるだろう。けど、それは全部後回しだ。あのモヒカン男にも全員で勝てたんだ。今から一人も欠けずに、皆を助け出して帰ってこよう!」
『おうっ!』
「え? え?」
一致団結した空気の中で、一人だけ場の雰囲気についていけず戸惑う灯。
そんな珍しい灯に俺は笑いかけた。
「これでやっとあいつに馬鹿にされなくなるぜ」
「え?」
「明雄にさ、事あるごとに『お前に彼女が出来ねえのは人間として魅力が無いからだっ!』って散々言われてたんだよ。次会った時は、胸張って言い返せる」
「……ッ! 明雄って、誰だったかしら……!」
「ははっ! それ本人に聞かせたら面白いな!」
灯の瞳がキラリと潤んだ気がした。
俺は意識的に目を逸らすと、凹みだらけの柵に手を掛けた。
姫路がポケットから鍵を取り出し、柵を開く。
ゆっくりと外側に開く柵は、まるで中に入る俺たちを歓迎するかのようだった。
「さぁ、決着を付けよう」
次ここを出るときに俺はいるのか。
そんな疑念が一瞬脳裏を掠めるが、必ずいる、と己を叱咤する。今から弱気になっているようでは、あの狂人には勝てない。
敷地内に入った俺たちを尻目に、後ろで校門の柵がゆっくりと閉まった。
まだ距離が十分にあるというのに、一歩進むごとに校舎からここまで凄まじい熱風が吹いてくる。
校舎は既に半分くらいに火の手が周り、今から俺たちだけで消火するのは不可能と言っていい有様だった。下手に近づけば倒壊に巻き込まれる恐れもあるだろう。
「……ッ!? 知世ちゃん!」
姫路が急に駆け出した先には、横たわる女子生徒がいた。
小柄な体型に特徴的なウルフヘア、倒れているのは早川だった。
「知世ちゃん! 起きて!」
「ッ……うう……姫路、先輩?」
姫路が慌てて抱き起すと、早川は目をぼんやりと開けた。
「ッ!」
だが、その顔を見て、俺たちは言葉を失う。
早川にはぽっかりと、左目があった場所に空洞が出来ていた。
俺たちの反応に気づき、早川は慌てて左目を手で隠す。
「ッ! ……流石に、これは引くっすよね……」
「知世……アンタそれ……」
早川は視線を逸らし、頷いた。
「はい……あの男に、やられました……」
「ッ! あの下衆がっ!!」
玲子が声を荒げ、地面を拳で殴りつけた。
早川は自分の身体を掻き抱くようにしてポツポツと喋る。
「自分は二日前から八代に捕まって、散々な拷問を受けて……。姫路先輩たちが出て行ったあとは、八代が皆を襲い始めて……、でも! まだ生きて捕まっている人も結構います!」
「……分かった。捕まっている人の場所と、八代の今いる場所は分かる?」
姫路の感情を押し殺した声に、俺たちは仲間ながら恐怖を感じた。
「生きてる人は皆まとめてプールのとこに、八代は卯月を連れて体育館にいます。……八代は、皆さんを待ってるって言ってたっす」
「……なるほど、ラスボス気分ってわけね」
姫路は振り返り、弥生と静香を呼ぶ。
「二人はこれからプールに行って、捕まっている子たちを解放してきて。プールも水場だっていっても火が燃え移るのは時間の問題。知世ちゃんも一緒に付いて行って」
「分かりましたわ」
「終わったらすぐにそちらに向かいます。ご武運を」
頷きあうと、俺たちは二手に分かれる。
智也が待つ体育館は、もう目の前だった。
火の手は体育館にも迫りつつある。改めて心の準備などする時間も無い。
俺たちは迷うことなく体育館の重い扉を開く。
「ゔぁあああああああああ」
「ッ!」
最初に目に留まったのは、三体の感染者だった。全員元は姫路の仲間だったのだろう。姫路や千羽から、一瞬竦むような気配が漂ってくる。
だが直後には、姫路と千羽も心を切り替え、目の前の感染者に向けて駆け出した。
俺たちが助勢する間もなく、二人だけで三体の感染者を瞬く間に瞬殺する。感染者になってそう時間が経っていないのか、感染者は変異した様子はなく、動きは初期の緩慢な動きだった。
「――瞬殺か。もうちょっと迷ったり苦悩すると思ったんだがな」
「ッ!」
響いてきた声はステージの方からだった。
振り向けば、そこには朝までとは見違えるような雰囲気でこちらを見下ろす八代智也の姿があった。
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