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その人の名は狂気――influence panic――  作者: 無道
第2章 One rainy day
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逆巻く狂気

 千羽は男を物のように床に放り捨てる。


「んんーー!! んー!」


 三十代くらいの男は、両手足を縛られた上に猿轡もされ、くぐもった声しか上げることが出来ないが、こちらを見る眼からは、助けてくれと懇願するような意思が感じられた。

 大仰に姫路が両手を広げる。まるでイベントの主役のようなジェスチャーだ。


「ではあーちゃん、ついでに和彦くんに智也くん! ここで私、姫路神奈の秘密を暴露しよう! なお、アシスタントは、先日審判で有罪が決定した道野昭三さんでーす」


 そこまで言ったところで、千羽が道野と呼ばれた男の拘束を解いていく。道野は最後に猿轡を外されたところで、大きく息を吸った。


「っぷは! お、俺は助かるのか!?」

「んー、可能性は限りなくゼロに近いけど、あとはおじさん次第かなー。あ、はいこれ。慈悲深い神奈様からのせめてもの贈り物です」


 状況が分からず混乱する道野に、姫路は文房具か何かを渡す。


「これは……カッター?」


 姫路が渡したのはカッターだった。道野は、初めてこんな物を見たとでも言うようにしげしげとそれを眺める。


「じゃあそれがおじさんの武器ね。で、私の武器はこれ。ちょっと私のやつの方が強いけど、それはほら、レディファースト? みたいなやつで、一つ大目に見てくださいよ~」


「――ッ!」「ひぃっ!」「……ほう」


 続いて千羽から受け取った武器を姫路が掲げたとき、隣の和彦は息を呑み、相対する道野は情けない声を上げ、俺は感嘆の声を漏らした。

 姫路が掲げたのは、土木用に使うような、大きなショベルだった。

 決して長身とはいえない姫路のような少女が使うには余りにも不釣り合いなゴテゴテのショベルは、土を掘り返す鉄の部分が真っ赤に染まっており、それが元からそのような色では無かったことは容易に想像できる。おそらくあれは返り血――。


(いや待て。雨の日はともかく、感染者は晴れの日に殺しても返り血なんて浴びないぞ。今日を入れても二日しかない雨の日だけで、あんなになるまで殺したっていうのか?)


 そこまで考えたところで俺は結論に辿りつく。この状況を考えても、その可能性が一番妥当だ。そして同時に、目の前の道野という男に待っている結末についても。


「それじゃおじさん。ちゃっちゃと始めるよー。おじさんが勝てば晴れて自由の身。私が勝てばゲームオーバー。一度きりの大勝負。行くよ~、3、2……」

「ちょ、ちょっと待っ――!?」


 無骨なショベルを剣のように構えた姫路に道野のパニックはピークに達する。へっぴり腰になりながら、申し訳程度のカッターを姫路に向けるが、刃すら出していないそれに脅威などない。

 そして遂にカウントがゼロになる。


「1……ぜろっ!」

「――は」


 道野が何かを言おうと口を開きかけた時、真下からすくいあげるようなショベルの一撃が決まる。






 そして、道野はそのまま『十数メートル上の天井』に激突した。






「――え?」


 果たして呟いたのは俺か和彦か。ステージの上に設置された機材に身体を埋めた道野は、やがて重力に引かれてゆっくりと落ちてくる。その身体は既に糸が切れたように動かない。


「これはぁ……」


 しかし、姫路はそれを気にした素振りすらなく、ショベルを小さな身体で限界まで引き絞る。夏服の半袖から覗く二の腕は、最近の女子高生よろしく細々しく、全く力があるようには見えない。

 次の瞬間、姫路が“片手で”振るったショベルの爆風が、俺たちの身体を通り越した。


「おまけだよっっ!!」

「―――――――」


 道野の身体が物言わず吹き飛ぶ。ほぼ直線に飛んだ道野の身体は、灯の近くの壁に激突し、バコォンッ!と凄まじい音を立てた。

 誰もが声を失う中、ドスンと道野だった肉塊が崩れ落ちる。

 そう、道野という一人の人間を形どっていた肉体は、最早元が人間だったとは思えないほどに醜く変形し、床に落ちていた。


「あっははははっ! ホームランッ! 今日も神奈ちゃんは絶好調である!!」

「……神奈、せめて飛ばす方向は考えてください。灯が驚いているでしょう」

「あーほんとだ! あーちゃんごめん。血とか飛ばなかった?」


 静寂が支配する体育館に、マイペースな二人の会話のみが木霊する。

 だが、次の瞬間、沈黙は予想外の形で破局する。


「――素敵です!」


 一人の少女がそんなことを言いながら拍手を始めた。それを皮切りに、拍手する数はどんどん増えていく。


「相変わらず人間を超越した膂力! 流石は神に選ばれた神奈様です!」

「また一人、ケガレを生んだ忌むべき男をこの世から消し去った……、今まで死んでいった友達の無念が晴れていく想いです!」


 拍手はやがて喝采に変わる。それらを一心に浴びながら、姫路は戦場の戦乙女のように、ある種の神々しささえ湛え、ステージで手を広げる。


「忌むべき大災害、インフルエンス・パニックにより、世界は大きく変貌した。それにより友を、師を、家族を、それぞれ喪ったものは数多くあるだろう。だがそれでも、私たちは決して下を向いていてはいけない。死んでいった人たちの分もより生き、そして彼らを殺した忌むべき災害を引き起こした者たちを抹殺し、この世界に希望をもたらそうではないか!!」


 それまでの緩い態度とは一変した、政治家も顔負けの堂々とした態度、演説に、体育館内は異常な熱気に包まれる。まるで異界の惑星に一人だけいるような気分になる。


「な、何なんだよこれは……」


 歓声に掻き消されそうな声で、和彦は言う。見れば、和彦は疎外感や孤独を感じるというよりも、この集団に対する本能的な恐怖を感じているようだった。

 確かに、ここは異常だ。元からこうだったわけでは勿論無いだろう。

 おそらく、インフルエンス・パニックが起こり、隣人が次々と死んでいき、世間を知らないお嬢様たちが希望を失わずに生き残っていくために、超常の力を有した姫路を核にし、男を敵対視することで、結束力を高めたのだろう。

 俺はステージで喝采を浴びる姫路を見る。

 手に持つショベルと同じ紅い髪を揺らし、自分の身の丈と同じくらいのショベルを床に打ち付け、顔には返り血が飛びながらも凄惨な笑みを浮かべる。


 ――美しいな。


 紺野さん親子が捕食された光景を見た時以来の、胸を焦がすような熱い衝動が身体を駆け巡る。

 あの女が欲しい。陰惨な現実によって壊れて絶望を忘れ、今、己を救世主か何かと勘違いしている狂気を孕んだ女を、俺の物にしたい。

 だが状況は絶望的。彼女を自分の物にするどころか、逆に自分が彼女の狂気の元にいつ両断されてもおかしくない圧倒的不利。だが、高嶺の花ほど、それを手にした時の恍惚は大きい。


「……滾るぜ」


 狂気が場を蹂躙する異常な空間で、捕食者が、実は自分が獲物であったことに気づく場面を想像し、唇を歪ませた。


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