1章―夏色彼岸花―6
訳が分からなかった。
千夏のほうがむしろ殺されかけているのに、今目の前にいる男は、千夏がこの人達を殺す存在だと言っている。
今まで誰かを殺したこともないし、殺そうと思ったこともない。考えれば考える程混乱してくる。それよりも、今の言葉を真剣に考えられる程の気力も集中力もすでに残っていないわけだが。
「私が、殺す? 人違いでしょ?」
本当に身に覚えがないのに、そう言い返した千夏を見て不思議そうに金髪の男は首を傾げる。こうして見ると人懐っこうにも見えるのに、相変わらず冷えた目は千夏を捉えている。
「じゃあ、何故あのカラスどもは君を追ってたの?」
「そんなの、私が知るわけないじゃん……。」
「俺は知ってるよ?」
そう金髪の男は即答した。
まるでそう言うことが初めから分かっていたように、してやったりな様子でニヤリと再び口角を吊り上げる。そして上半身を屈めてわざと千夏より低い視線にすると、真意を聞くかのように覗き込んで千夏に問いた。
「――知りたい?」
口の中はカラカラなのに、思わず息を呑む。
相手はまだからかっているような雰囲気だが、声色は正反対に真剣味を帯びている。何だか知ってしまったら、今のこの非現実の状況を受け入れてしまうような気がした。
どうせこの男達も人間じゃない。
千夏に味方してくれているわけでもない。
しかしこの人達が、ただの気まぐれでも千夏の命を長引かせたのだ。先ほどの言い方は本当に腹が立ったが、それでもまだ感謝の気持ちは完全に消え去ってはいなかった。
「……知りたい。」
迷う心の決心も着かないまま、ほぼ衝動的にそう答えた。
千夏の答えに、金髪の男は満足そうに、にっこり笑う。そこに嘲笑いの色は見えなかった。素で本当に笑っているようだ。
「じゃあ取り引きしよう?」
「へ?」
真実を教えてもらえる気になっていた千夏は、予想外の言葉に、気の抜けた声を上げた。そんな千夏を置いて、金髪の男は面白そうに笑みを深め、話を続ける。
「俺ら2人と君の取り引きだ。
俺らはある人の命令で『ある人物』を探しているんだよ。そいつを殺すように、ってね。けど、情報も手掛かりも全くない状態で虱潰しに探すのはかなりめんどくさい。
そこで、君の出番。
君は、この現世に留まっている全ての『人ならざる者』に狙われている。そうすると、俺らが探している奴も必ず狙ってくるはずさ。いらない雑魚も来ることになるけど、勝手にこっちに向かってきてくれるんだから、まだ楽なもんだろ?
つまり、君には囮役を買って出て欲しいわけ。
その代わり、俺ら2人が命令を達成するまで必ず命を守ってあげる。俺らの力はどの程度か、さっきので分かったと思うし。
どう? 悪い話じゃないでしょ?
これを承諾してくれたら、君の今の状態を俺らが知ってる限り全て教えてあげるよ。」
一気に説明されて頭がほとんど追い付いていないが、つまりは先ほどのような囮役をこれから引き受けろ、そうすれば身の安全は保証する、という事だろうか。
ただ今の自分について知りたいだけなのに、何故ここまで話が深くなってしまっているのだろう。しかもこの男達の素性も、曖昧ではあるが今説明してはいなかっただろうか?さらっと口にしてはいたが、千夏が聞いて良い内容だったのだろうか。
――嫌な予感がして恐る恐る口を開く。
「……もし、嫌だって断ったら?」
「んー、特定の名は出してないけど、俺らの情報を知った以上、口封じはしないとだからねー。」
その先は言われなくても容易に想像できる。
――――とんだ策士だ。
というか、もう策を超えてただの恐喝にしか思えない。
千夏には、この取り引きを承諾しない限り、今まで当たり前のように訪れていた明日は永遠にやって来ないようだ。
先ほどのような命を狙われ追いかけられることは、正直言えばもう2度とごめんだ。しかしこの男が言う話が本当なら、千夏は今、全ての『人ならざる者』に追われる身であるらしい。だからと言って、自分ひとりの力であんな化け物を追っ払えるほどの自信はない。どう足掻いても千夏が命を繋ぐ方法は、たった1つしか無かった。
まんまと策通りに事を運ばせるようであって、なんだかふつふつとした黒い感情が浮かび上がってきている気がしたが。
「わかった。 取り引きする。」
「よし、取り引き成立、っと。
これから俺らは君の護衛に付くわけだから、どちらかが必ず24時間体制で君を監視することになる。常にべっとり引っ付く訳じゃないけど、君には見つからないどこかで君を見ているから、君は昨日と変わらずいつも通ーりの生活をしとけばいいよ。」
「いつも通りって……、狙われてるのに普通に生活してて大丈夫なの?」
「あぁ。逆に明日から家に閉じこもったり、引っ越しなんてされたら、俺らが君に付いたことを『探している奴』に感づかれるかもしれない。それじゃあ意味ないしね。」
ふぅん……、と曖昧に相槌を打つも、千夏にはぼんやりとしか耳に入って来なかった。とりあえず身の危険はなくなった、という安心感が訪れると同時に、今まで奥に引っ込めていた不安や恐怖などから来る心と体の疲れが一気にのしかかった。非常に強い睡魔が、意識を朦朧とさせる。
最後に聞こえてきたのは、彼らの名だけだった。なんとか踏ん張っていた千夏の意識は、その名を聞き終わったと同時にふっと奥底へ沈んでいった。
「――俺は雨宮悠理。こっちの黒髪のブスっとしてる奴が、蘇芳蓮だよ。覚えとい――て――……、」