1章―夏色彼岸花―2
――――……
西の宙全体を赤く染めながら、陽が少しずつ山々の間へと沈んでいく。9月になって涼しくなってきたのと同時に、陽が落ちる時間も少し短くなった。昼間の陽気な暖かさが段々と消えていき、髪をそっと揺らすそよ風が少し肌寒くなるぐらい、夜の気温になりつつあった。
千夏たちの通う高校、桐鈴高校から、自宅への帰路を歩き始めてまだ5分ほど。時刻はすでに6時半を回っていた。
千夏はゆったりとした歩調で、隣に並ぶ智里の様子を伺いながら、同時に彼女の腕の中にある鳥籠の中の白いインコにも目を向けた。
俯きがちに少し後ろを歩く智里はさっきからずっと黙ったままだ。
どう話しかければいいのか迷っているうちに、こうして無言の下校が今も尚、続いている訳だ。
まだ遠慮がちではあるが、ようやく千夏は口元にのみ笑みを浮かべて口を開く。
「……だ、大丈夫、もしかしたらオッケー貰えるかもしれないよ?」
つとめて明るく振舞おうとする千夏を、少しだけ顔を上げて見た智里は千夏と同じように口元にだけ僅かな笑みを浮かべた。無理して笑っているのが目に見えて解る。そうやっていつでも相手を安心させるよう、心配させないよう振舞おうとするのは智里の良いところであり、――悪いところでもある。
「でも、学校の会議にかけられるなんて……。そんな大事になるとは思わなかった」
「そりゃあね……。インコ飼うぐらい全然オッケーだと思ってたのに。あたしらが全部世話するって言っても、せんせー頷いてくれなかったし。頭固いなぁー、るるちゃんかわいそ」
そう言って再びインコへと視線を移すと、白インコ――名を改め、るるは、なに食わぬ顔で首を小さく傾げた。これから自分がどうなるのか、自分のせいでこうなっているのだと全く自覚していない表情だ。
まぁ当然だろう。
しかしながら、千夏のようなわざとらしい装いよりも、いつもと変わらない自然な振る舞いのるるのほうが、智里の心に余裕を持たせいるのかもしれない。その点に関してはいい仕事をしてくれてる。
「とにかく明日でどうなるか決まるけど、問題は今日……。
もう1日だけって言っても、るるを家に入れたら間違いなくお父さんに怒られるなぁ」
その姿が容易に想像できて、智里だけでなく千夏も同じく重いため息をついた。どうにか隠して智里の部屋まで持っていったとしても、インコの鳴き声が聞こえてしまうかもしれないし、智里の部屋に入ってこない可能性も無くはない。
何にせよ、智里がお父さんに怒られて、最悪の場合、泣く泣くるるを捨てなければならない状況には千夏もしたくなかった。
要は明日だ。明日先生から許可下りる下りないはもう神頼みしかない。
けど、許可が下りる可能性があるならば、今日千夏がやる事は一つしかない。
「……今夜だけ、あたしが預かるよ。るるを」
「えっ?」
でも……、と思わず顔を上げた智里が困惑の表情で千夏を見た。
心配されるのも無理はない。千夏は、
――――『生き物』が少し、いやかなり苦手だった。
何故苦手なのか、それは自分でも曖昧だった。
恐らくだが、千夏の両親が小さい頃に事故で死んでしまったのが1番の原因だと千夏自身は思っている。
事故のショックなのか両親がいなくなってしまったことのショックなのかは分からないが、両親が生きていた頃から、遺体が焼却される時までの記憶がぼんやりとしていてはっきりと覚えていない。まるでその一部分の記憶にモザイクがかかっているかのように、見えるようで見えないもどかしさがある。
大切なものが、かけがえのない存在が消えてしまって、心にぽっかり穴が空くようなショックをもう思い出したくなくて、今まで昔の記憶を取り戻そうとも思わなかったし、思い出そうとも思わなかった。
……ただ逃げているだけなのかもしれない。
犬や猫も眺めているだけならいいのだが、撫でたり、擦り寄られると胸にほんのりあたたかい気持ちが浮かぶ。それは自然と千夏を笑顔にさせるが、同時に死への恐怖感、喪失感も入り交じる。それが千夏は嫌いだった。
死んだ両親の記憶が曖昧なのは、こんな千夏には幸いだったのかもしれない。
「あたしは、大丈夫。一晩だけだし、無理そうだったら出来るだけ目の届かないところに置くようにするから。智里は明日許可貰えるように祈っといて!」
力のない笑顔を浮かべる千夏を、まだ心配そうに見つめる智里だったが、千夏がもう何も言わせないようにと、智里の腕の中の鳥籠を強引に自分の腕の中に収めた。
ぐっと距離が近くなったインコのるるがその黒い瞳を千夏へ向ける。ほんの少しだけ、息が詰まるような緊張感が湧く。しかし、鳥籠が千夏との壁になってくれているから、その気持ちももすぐに和らいだ。
ようやく、普通に笑えるようになった千夏がその笑みを智里に向ける。
それを見てようやく智里も、わかった、と同じように笑った。
「ごめん、一晩だけ、お願いね」
「任せといて! ちゃんとご飯あげとく!」
「あげ方とか量とか分かる?」
「あ、あー……まぁ、なんとかなる、よね?」
「やっぱり心配だわ……」
2人の会話に、先ほどの暗い雰囲気はもう含まれていなかった。
気が付けば2人の家も、もうあと数十メートルという距離まで近付いていた。夕暮れで赤く染まっていた空は段々と紺を着せたように夜の星空へと変わりつつあった。