1章―夏色彼岸花―
「――じゃあ、きょんちゃん!」
夏休みが終わり、肌を刺すような厳しい陽射しを燦々と降り注がせていた太陽様も、ようやく落ち着いてきて、過ごしやすい日々がやってきた。
特に9月に入ってからはあの暑さが嘘のように涼しい日々が続いており、ついにこのの学校に設置されているエアコンの電源は切られ、天井に取り付けられた扇風機だけが音もなく弱々しい風を教室内に送っているだけとなっている。言っておこう。暑がりが多いこのクラスにとってこの状況はかなり珍しいのだ。
とは言っても、半袖から長袖にできるほどまだ暑さは収まっていない。
今日は2学期の始業式。
夏休みの間遊んでた人もそうでない人も、登校早々それぞれのグループを作って、それぞれお互いの夏休みについて自慢げに話していた。
海に行った、山に行った、ハワイに行った、特に何もしてない、課題終わんなかった、やる気もなかったー、などなど。耳を澄ませるとなかなか面白いものが他のグループから聞こえてくることもある。
その中の1つのグループ――と言っても今は2人しかいないが――、1年G組の、合計31個ある机が並ぶ教室の、窓際1番奥の席。そこに『きょんちゃん』の発言主――神崎千夏は座っていた。
「きょんちゃん」というのは、千夏が今座っている机に乗せられている、白い鳥籠の中の白いインコへの命名案の1つだ。(※千夏は真面目に真剣に考えています)
千夏の幼馴染みで親友の古野智里が、先日公園で傷ついた状態のインコを見つけて保護したのが出会うきっかけらしい。よく見るとインコの細い右足に白い包帯が巻かれてあるのが見える。白い羽にもうっすらとだが赤い血が落としきれずに滲んでいるのが目に見えて少し痛々しい。
しかしその傷とは裏腹に、インコはもうほとんど回復したようで、中央の止まり木の上で興味津々なように首を動かし続けている。時々羽を広げて毛づくろいをしたり、鳥籠のあちこちに飛び回ったりしているのを見ると本当に元気になっているようだと分かる。
しかし智里の父は生き物を飼うのには大反対らしく、回復したらすぐに飼い主に返してきなさい、の一点張りで、これ以上家に置いておくつもりはないらしい。これだけ綺麗なインコなのだから、飼い主がいてもおかしくないが、足輪も手がかりになるものも見当たらない。飼い主を地道に探すことを口実にもう少し様子を見るため、学校で飼うことにしてみないか、という話になったのがつい数十分前のことだ。
千夏自身は大賛成の意を示したが、学校はあくまで集団の場。さすがに千夏と智里の2人だけの決定で終わらせていい問題ではないので、とりあえずまだ決められていなかった名前を、先生が来るまでの間で決めてしまおうという話になって今に至る。
そうして千夏が真面目に本気で考えた結果が、この『きょんちゃん』だ。さすがの親友も少し顔が引き攣っている。
普段はもう2人ほどグループに加わっているのだが、どちらも2学期始まって早々、部活動のことで教室にはいなかったので、今頼れるのはこの何とも微妙な名前を、本気で良いと考えている親友だけだった。しかしこれほどすぐに後悔することになるとは。
「あんた……もうちょっと良いネーミングセンスないの?」
「いいじゃん、きょんちゃん! ほら、喜んでるよ、きょんちゃん!」
「喜んでるんじゃなくて、ただ水浴びしてるだけでしょ。」
はぁっ、と深いため息をついて、智里は自分の机に突っ伏した。
「ド」が付くほど天然な千夏のネーミングセンスを期待した方が問題だったのかもしれない。かと言って、ぴーちゃんとか、ぴっちーとか、在り来たりな名前は嫌だった。
なんというか……普通ではない出会い方をしている分、何か不思議な縁を感じていた。だから飼い主には返してあげたいけど、簡単には手放したくない気持ちも、正直ある。
ある意味、『きょんちゃん』という名前も悪くはないのではないかと内心では思った。
「じゃあ、きゅー太郎は? それかアニメのキャラの名前をもらってキ〇ィちゃん!渋くいって五右衛門とか?」
「うーん……」
なおもめげずに水浴びしているインコを眺めながら千夏は本気なのか冗談なのか、ある意味唸らせる案を次々と挙げていく。
白インコはというと、まるで水浴びを覗くなと言わんばかりに水に濡れた体をバタバタ震わせて、千夏の顔に冷たい水滴をお見舞いさせた。うわわっ、と慌てて千夏は顔を退ける。相手の怯んだ声と動きに、勝ち誇ったインコはピッ、と短く鳴いた。
まるで人間同士のようなやりとりに、たまらず智里は声を上げて笑った。
結局、このインコの名前は――――、
『るるちゃん』になった。(命名、智里)