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紫魂の宙  作者: 遊兎李
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序章―始まりと終わりの悲しみ―

灰色の空。灰色の町。灰色の壁。灰色の立ち込める煙。

昨日までここは少数ながらも賑やかで活気ある一つの町だった。


都会から遠く離れ、1つの山を超えた小さな町。街全体がそこまで裕福ではなく、壁や家は全てコンクリート製の灰色一色で、食べ物は自給自足。人々が共に支え合って成り立っている町だった。


しかし、今その人々の姿はない。

町は炎に包まれて所々黒く焼け焦げ、瓦礫は散乱し、昨日まで笑顔で生活していた人々はただの肉片と化した姿で道に転がっていた。

まるで地獄絵図を現実化したかのように町は変わり果ててしまった。


数時間前に雨が降り出し、町を覆っていた炎は自然の力で鎮火された。シトシトと静かに降る雨の音だけが灰色の壁を反響してどこまでも耳に響いてくる。静寂が辺りを包んでいるだけに、雨の音は酷く大きく聞こえる気がした。


現在の時刻は、早朝5時45分。

東の空が霞みながら明るくなっていこうとしている頃、その男――蘇芳蓮は、路地でフードから零れ落ちる雫をただ見つめながら、灰色の壁に背を預けてじっと待っていた。

何時間この状態でいるか時計がないから分からない。しかし彼を覆う黒のローブはすでにびっしょり濡れて体に張り付いていた。それを不快だとも感じず、ただその時が来るまでじっと待つ。それ以外に何も感情は沸かなかった。


――――……

きゃぁぁぁぁぁぁあ!!

遠くで女の悲鳴が響いてきた。まだ生存者は残っていたのか、とぼんやりした頭の片隅で何気なく考える。しかし、蓮がようやくゆっくりと腰を持ち上げる待ちに待ち続けた合図だった。

背を預けていた壁から離れ、狭い路地を塞ぐように中央に立つ。

ここに奴らが来ることは確信している。


やがて何人かの急いだ足音が明らかにこちらへと近づいてくるのが分かった。そして荒い息。あの悲鳴を上げた女を殺ったのはこいつらで間違いないだろう。

問題は何人……いや、何匹いるか、だが。


すぐ近くまで足音の人物達が迫った時、まるで惹き込まれたかのように蓮のいる路地へと曲がり込んできた。偶然じゃない、これは必然。

そしてすぐに蓮の姿に足を止める。

1,2,3……。目標は3匹。

一見はちょっと冴えない男の3人組にしか見えない。しかし蓮の姿を認識すると、目は見開き、口角は歪に急な角度で吊り上がって不気味な笑みを作り出した。


「なんだよォ、まだここに人間が残ってたぜ。」

「ずっとここに隠れてたってのか?運が良いのか悪いのか分かりゃしねぇな。」

「早くこの町から逃げてりゃ俺らに見つかることも無かったのになァー?」

3人の男達が蓮を値踏みするかのようにジロジロと見回しながらゆっくりと距離を縮める。今にも舌なめずりをしそうな程、その目は狂気の色を孕んでいた。

蓮は一歩も動かない。

俯き気味に足元に落ちる雫をただ見つめ、己の間合いまで近づいてくるのを待った。

一歩。また一歩。近づいてくるほど、鉄の匂いがつん、と鼻腔に届く。

早く……早く。


そして。

「あぁ?なんだこいつ、立ちながら寝てんのか?それとも死んでんのか?」

「立ちながら死ぬとかマジうけるわ。」

一番前にいた男の手が素早い動きで蓮の首を鷲掴んだ。

首の骨を折らんとばかりに馬鹿力が腕に籠もり、指が首へと食い込む。しかし首の骨を折れるのも待たずに男は大きく口を開けた。

食われる。


その時、蓮の斜めに振り上げた右足がまさに口を開けた男の頬へと命中した。

口を開けたままのその男は衝撃に耐えられず顔を歪ませ左の路地の壁へと激突。大きな音と共に灰色の壁に人が通れる程の穴が開いた。

鷲掴んだ腕から解放されると、間髪入れずに2人目の男へと一気に距離を縮める。1人目の男の姿、そして想定外の事態に全く頭が追いついていなかった2人目の男は、一瞬で懐に入った蓮の姿に気付きもしない。ようやく目が蓮へと向く頃には鳩尾に重い拳を受けた時だった。ただでさえ見開いてた目が痛みと衝撃に更にひん剥かれる。次の瞬間には今度は首に振り上げた足が命中、確実に首の骨を折って、1人目の男と同じように壁に激突した。


ここまでの時間は10秒にも達していない。

たった数秒の出来事に3人目の男は大きく後ずさった。

一息ついて最後の一人を見据える蓮。

3匹もいることは想定外だったが、1匹まで減らしてしまえばどうってことはない。

3匹だとしても、敗れるつもりは毛頭ないが。


「なっ……なんなんだお前、人間じゃねぇな!?」

答えてやる義理は無かった。これから始末する奴に答えて何になる?ただの時間と労力の無駄でしかない。

口を開く代わりに、蓮は先程掴まれた首の骨をパキパキと鳴らす。

今度は蓮が一歩ずつ3人目の男との距離を縮めていった。


「ちっ……」

仲間を失い、追い込まれた3人目の男は大きく舌打ちをして蓮を睨めつける。しかし、やがてその顔には再び不気味な笑みが宿ったのだ。

不審に感じて足を止める。

3人目の男はくくくっ……と忍び笑って、微かに目線を横にずらした。その瞬間背後から気配を感じてはっと振り向く。

目に映ったのは毛むくじゃらの大きな物体が大きな口を開け、あと数センチと蓮に迫っていた光景だった。

ギリギリのところで体をずらすも右肩に齧り付かれ、肩の肉ごと噛みちぎっていった。それと同時に被っていたフードも破かれて素顔が露になる。

強烈な痛みが右肩に響き、右肩から下の部分の感覚がだいぶ薄れている。痛みはどうにか耐えられるものの、己の醜い失態に顔が思わず歪んだ。


蓮を負傷させたのは男達の本来の姿を現した人狼。それも頭部のみが意思を持って動いたのだ。恐らく首の骨を折った2人目の男が、人間の皮から這い出したのだろう。首を落としても動けるとは、本当に厄介極まりない。


「嘗めてもらっちゃあ困るねぇ。あんな生温い足蹴りで俺がァ死ぬとでも思ったのかァー?」

首だけになった人狼が先程噛みちぎった蓮の肉を、その大きな牙で咀嚼しながら言い放った。形勢逆転と言わんばかりに3人目の男も人間の皮を突き破り、人間の皮のどこに入ってたのか、2メートルを軽く超える人狼の姿を現す。

「うひひひっ、人間だろうが人間じゃなかろうが俺達の前では同じようなもんだ。

さっさと食わせろ……まだまだ腹ぺこなんだよぉお」


「はっ……」

思わず笑いが込み上げた。

目の前には2メートル大の人狼が蓮の前方、背後に1匹ずつ。そして首だけとなって宙に浮遊する1匹。

これが笑わずにいられるか。

恐怖で、ではない。


狂気とスリルで。

笑わずにはいられるか?


大きな雄叫びと共に前方の人狼1匹、首のみ人狼が迫ってくる。

蓮は目を開き、その口角を僅かに吊り上げると、パチン、と空で指を鳴らした。

小さな音の波動が水面を揺らす波紋の如く、空間を揺らしねじ曲げ蓮の真横にぽっかりと穴を開けた。そこに手をねじ込む。確かな感触を掴むと引っ張り出したのは、銀色の刃を煌めかせる1本の刀だった。


右肩の痛みなんてとうに忘れた。

神経が薄れていようと闘争本能が勝手に体を動かす。


向かってくる人狼との距離を一気に縮め、振り下ろされた人狼の腕、鋭利な爪を刃で受け止める。乗せられる腕力を横へ受け流すと再び壁へと蹴り飛ばした。デジャヴのように壁に頭を打ち付けた3匹目の人狼に、間髪入れることなく額に刀を突き刺した。断末魔を上げる暇も無く、その人狼の目から生気は消え失せた。


呆気なく仲間の一人を失い、明らかに首だけの人狼には戸惑いと恐怖の色が浮かんだ。それは直接見てはいないが蓮の背後の1匹目も同じだろう。身じろぎする音が微かに聞こえる。


格が違う。

ようやく理解したところでもう後に引き返せるわけは無かった。

額に突き刺した刀を抜き取り、軽く振り払って刀身の血を払い落とすと首だけの人狼へと襲いかかる。相手が大きく口を開けるのも構わず、蓮は刀を前方へ突き立て、その人狼の喉を突き破った。

耳障りな断末魔が辺り一帯に轟く。


致命傷を負いながらも必死にもがき助かろうとする人狼の悪あがきを蓮は冷めつつある目で見下ろした。

……つまらない。

興が乗るほどの相手では無かった。見掛け倒しもいいとこだ。

何よりもこのような相手に油断し、負傷した自分に段々と苛立ちが募り、小さく舌打ちする。

やがて絶命した人狼から刀を抜く時には、蓮の中には何の感情も湧いてはこなかった。


血に染まる刀を一振りすると己の後ろを振り返る。そこに先程までいたはずの最後の1匹の人狼の姿は無かった。今更びびって逃げたところでそう遠くに逃れられはしない。

面倒だが、あの最後の1匹を仕留めるまで蓮はこの町を離れることはできなかった。


先程まで忘れていた右肩の痛みがじわりじわりと蘇ってくる。しかし傷跡を見るとすでに塞がっており、生々しい皮の下の肉が露となっているのが視界に入った。その鬱陶しいような痛みと再び舞い戻ってきた無の感情、失望感、苛立ちなどの複雑な思いが入り交じり、小さなため息と共に吐き出された。

空はまだ灰色の雲が覆うものの、所々切れ目が発生している。雨が上がる時も近いかもしれない。

ぼんやりとそんなことを考えながらその路地を後にした。

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