??????
序章 幼子
―子どもは夢を見て心を育てる
心を育てた子どもと子どもはいつか、愛の夢を見る
愛の夢は正夢となって新しい夢追い人が生を受ける
愛という羽根ペンで綴られる無限の物語
子どもは夢を見て心を育てた―
永遠は自分が手を引いている三歳児の永久が顔を歪めて今にももう、歩くのは嫌、という曇り空を見せていたので咄嗟に昔、流行ったゲームの主題歌を口ずさんだ。これを口ずさんでいる間はにゃん、にゃん、にゃんという猫っぽい言葉を弾ませて、永久はスキップし出す。兎のように軽やかに飛び跳ねる永久は、永遠にとって自分の分身のような存在だ。ツインテールに結ばれた白い髪が元気よく飛び跳ねている。兎さんの耳のようにぴょこん、ぴょこんと。
赤煉瓦の家々が立ち並ぶ街並みは永遠を遠い国まで来てしまったのだなという感慨を心にもたらした。
降り注ぐ粉雪が雪という兄が永遠に確かにいたのだという事実を伝えている。四年前、母である甦南を訪ねてみると、永遠以外の人間の記憶を忘れてしまっていた。それに耐えられなくなった。それを切っ掛けに永遠は雪が残してくれた遺産と那世李緒の遺産を元手に世界を旅する事を決心した。
自分が世界から消えても影響がないように産まれなかった命の世界のベアトリーチェがいた牢屋にお金の入ったアタッシュケースを残していて、永遠に使って欲しいと明記されたメモも同封されていた。そこまでしてくれた親友や兄に助けられている。それが永遠を孤独から救い、永久を育てる原動力になっていた。だからだろうか、永遠はいつも、笑顔を絶やさない。
さっきまで粉雪を朱い瞳で追いかけていた永久が急に立ち止まる。永遠の手から自分の手を離した。一軒のウィンドウに両手を突いて何かを見入っていた。
「イブイブ」
「こら、母様でしょ、永久ちゃん」
「母様、ベアはあの熊さんが欲しい。あれをクリスマスプレゼントにしてくりゃちゃい」
永久は永遠の顔色を窺うように目を潤ませて懇願した。何だろう? と笑顔を絶やさずにウィンドウに近づいてゆくと永久がそれを好きになる理由に納得した。永久はあの我が儘ベアトリーチェなのだから。
そのウィンドウには小さな子ども用の誕生日プレゼントにっというポップが上の方に貼ってあり、下には多くの動物の縫いぐるみが住んでいた。どれも子どもが好きそうな猫、麒麟、象、ライオン、ハムスター等の愛らしい動物だ。永久が欲しがっていた熊は永久と同じアルビノの熊で、全身が真っ白だった。それは顔の深い線があの勇敢なルーベリにそっくりだった。目には長年の経験で蓄えられた知性が溢れているような気がした。
「うん、良いですよ。くろみちゃんの使い魔さん、くーにゃんさんに似ている熊さんですね」
と言ってから、永遠はあまり、永久を甘やかせるのは良くないと思い直した。ただでさえ、あんな我が儘な子に育ってしまうのだからしつけが必要だ。
永遠は永久の細い腕を握ると強く引っ張った。永久は嫌、とはしゃぐように奇声を上げている。どうやら、母様が自分を構ってくれていると思って歓迎しているようだ。
「今、欲しいでちゅ」
と調子づいた愛らしい声でさり気なく、言った。
「永久ちゃん」と両手で永久の顔を包んで上を向かせた。永久の顔は二時間も歩いたせいか、冷たくなっていた。じっと、観察してみると所々、鳥肌が立っている。心の中でいつも、このような不憫な想いをさせる度に呟く。ごめんね、ベアちゃんと。
わざとらしく、ふくれっ面になって永久に見せつける。
永久は手をゆっくりと挙げて、永遠の顔を目一杯に横に広げた。お化けのような奇妙な顔に大笑いした。
そんな永久の笑顔を見て、ずっとこの子が笑顔でありますように、と願った。本当は離れたくなかったこの子と。離れてしまえば、もう二度と逢えない。いや、違う。昔の雲村永遠にこの子は出逢うのだろう。そして、自分の父様と知らずに雲村雪に恋をする。それは不幸なのだろうか? 幸福なのだろうか? と時間様と名乗っていた女との最後の対面以来、ずっと考え続けていた。だが、やっと最後の最後で答えに辿り着いた。
こんなのってないよね? でもその連続が在り続ける事の意味が必ずあるはずだ。でも、こんなのってない! 人間はなんて不幸で幸福なのだろうか? 私は娘には幸福だけをあげたいと永遠は言いたくない台詞を何とか、口の中に留めようと意識でそう反発した。だが、無意識がそれをやんわりと躱す。
反対側の歩道に設置されたベンチを指さした。見えない涙が零れる。その涙は目に見える粉雪と混じり合って、ベアトリーチェの力と共に永久の頭上に降り注ぐ。俊足、水の圧力、重力の楔、疾風、炎の雨の種は永久の成長と共に芽吹くまで、その力の存在を永久は知らないだろう、知らない方が良いと永遠は残っている意識の領域で溜息を吐いた。
「もう我が儘なんだから。母様が買ってきてあげるからそこのベンチに座って待っているのよ?」
本当に言いたい言葉……せめて言いたい言葉が喉に引っ掛かって、心へと勝手に帰ろうとしている。ベアトリーチェ、あんまり我が儘言って、父様を困らせては駄目よ。
「はい、待てまちゅ」
と言ってベアトリーチェはダッフルコートの袖で鼻に付いた粉雪をごしごし拭いた。粉雪が取れてから手を挙げて自動車の群れを避けて、反対側の歩道へと歩く。ダッフルコートの背中に刺繍された白熊がベアトリーチェの動きに合わせて歩いているように揺れた。
その動作の全てが雛みたいに辿々しくて、思わず手を貸したくなった。だが、永遠にはもう母親として何もしてやれない。涙を流すことすら、今は出来ずに心なしか永久に新しい縫いぐるみを買ってあげた時に浮かべる天使のような笑みを妄想していた。
「調子が良いんだから。私に似たのかしら。兄様っていうのはなさ過ぎる」と独り言をぼやきながら、永遠はお洒落なベルが掛けてある取っ手を回した。すると、「いらっしゃいませ」という若い女性の店員の声が店内に響いた。どうやら、感じの良い店のようだ。永遠はその女性に愛想笑いを返した。
僕は魘されていた。寝苦しい。寝苦しくなかったことなんて、ここ最近ずっとなかった。僕が最初に覚えている記憶は寝ている間に幸福と不幸を与えてくれていた。前半は母様が僕の顔を手で包んでくれて温かかった。後半は今、見ている嫌な対話だ。
小さな僕は多分、ベンチに座って自分の指を曲げて数を数えていた。小さい頃からベア様は勉強好きだった。
季節は冬だ。
「一、二、わかんにゃい。一、二」
と何度も同じ言葉を繰り返していると、掌が薄く黒くなった。驚いて顔をあげると、粉雪が降っていなかった。代わりに空がオレンジ色になっていた。よく見てみるとそれは傘だった。
その傘を差していた背の高い金髪の女性、創造主がしゃがんで、僕に向かって三と指で示した。
「三よ、次は?」
と次の数字を促されたが、当時は知らない人に話しかけられたショックで顔の筋肉が硬直して動かなかった。
「怖がらないで、美味しい御菓子をあげるからお姉ちゃんとちょっと一緒に来ない?」
御菓子という言葉を聞いて、僕は知らない人について言ってはいけませんという母様の言葉を忘れてしまった。母様と美味しい御菓子を食べ歩くのが日課の一つになっていたから仕方がないと、妙に冷静に自分を解析する今の僕がいた。
「くりゅう。わたし、おかしだいすき」
ともはや、早く欲しいと言わんばかりに胸躍っていた。
「ポップコーンも好き?」
「うん」
「そう。さぁ、おいで」
一瞬、綺麗に整った真っ赤な唇がこの世のものとは思えないほど、不気味に捩れ曲がった気がした。だけど、御菓子が食べられるのだと自分から進んで、僕は金髪の女性が差し出す掌に自分の掌を重ねた。
僕は強い恐怖を感じて悪夢から目覚めるために叫んだ。
「助けて! 雪。僕をいつものように助けてよ」
悪夢から目覚めると蛍光灯の明かりが僕の両眼を襲った。あまりの眩しさに目を閉じながら立ち上がった。そして、雪が僕に作ってくれと頼み込んだ箱庭を、テーブルから持ってきてぎゅっと抱きしめた。雪は今、大学という学舎に出掛けているから、今日はおやつの時間に帰って来られない。それが解っていても悪夢を見た後は雪が無性に恋しくなり、甘えたくなる。
僕はじっと、箱庭を眺めた。
雪はまた、僕を褒めてくれる。そう思うと僕はこれから起きる別れをいつまでも忘れていられる気がした。
【ベアトリーチェ】終了。【ベアトリーチェ】から何年後かのお話が【魔王幼女 宮之ゆず】になります。
だから、【魔王幼女 宮之ゆず】に????が出てくるのです。
そちらもお楽しみに。