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彼は今、救急車に乗っている。普段乗らない車に乗っていることに違和感を覚えつつも、特に関心などはなかった。脇から救急隊員が話しかけてくる。その声もまた、他人事と割り切っているかのような声色である。

「君、ずいぶんと落ち着いてるね。放心と言う訳でもなく、静かな同様といった感じもしない。もしかして自分が何をしたか理解していないのかい?」

 さすがといったところか、職業は人を作るとはよく言ったものだ。この隊員はおそらく多くの患者を運んできたのだろう。しかしその問いははずれている。

「何をしたかくらいわかってますよ、人をひいたんでしょ、それも意識が戻らないほどの強さで」

 隊員はもう話しかけなかった。十分ほど車に揺られ、病院についた。

 坂爪は会議室のような、広いだけで机と椅子しかない部屋で被害者の保護者が来るのを待っている。春先でまだ肌寒い気温、口を開けて息を吐いてみたが案の定、白くはならなかった。廊下で二人以上の足音がする。その保護者とやらが来たのだろうか。坂爪のいる部屋のドアが開く。そこからインテリ系、だがさえない顔をした男と痩せた厚化粧の女が入ってくる。身なりからして生活は裕福なほうに入るようだ。

 二人は坂爪の椅子の前に座る。そして唐突に

「申し訳ありませんでした!」

 謝ってきた。坂爪は訳がわからない。男は続ける。

「私たちの娘は少々鬱気味の傾向がありまして、このような自殺まがいのことを時折起こすのです。以前から睡眠薬を多量に摂取したせいで開腹手術することになったり木造廃屋に火をつけてレスキュー隊員に助けられるなど、多くのトラブルを起こしているのです。私たちは一日中気を張り続けて、もうそろそろ私達も壊れるんじゃないかと我ながら心配しています」

 始終うっすらと気持の悪そうな脂汗を流して話す。そして男の隣にいる女は一言もしゃべらない。

「ですので治療費や慰謝料などといったものは一切いただきません、その点は我々の責任なのですから。しかし代わりと言うのも変かもしれませんがあの子の相手をしては頂けないでしょうか? あの子は今友達と呼べる人が一人としていません。どうかあの子の友達になってあげてください」

 そういう口調もどこか弱弱しい。坂爪拓斗は今日までの生活を思い浮かべた。

彼の送る生活で時間など意義のあるものは全く無かった。やるべき事をやり、それを終えると寝るか勉強、彼の送る生活はそんな日々だった。退屈と倦怠のみ、ならばここで試してみるのは一つの道理と言うものだろう。つまり、このときの坂爪拓斗に特に断る理由は無かった。

「わかりました。しかし僕が何かをするというよりは僕は自分の暇を潰すためにそこへ行くだけですが」

 言うと男は何か肩の荷が下りたようで、ほんの少し表情が緩んだように見えた。

「ありがとうございますしかしここで一度も会わずに帰られてしまいますと逃げられたような感覚になってなかなか落ち着きませんので、一度顔を見てからお帰りください」

 相手の話は済んだようで、椅子を立つ。坂爪もそれに応じ、男の後ろをついて行く女の後ろを追って部屋を出た。

 

 坂爪は病院の最上階、エレベーターから最も遠い部屋へと連れてこられた。どうやらそこが自転車を当てられた、被害者の病室らしい。

「この事は他言無用でお願いします」

 と男が一言。坂爪は自分が轢いた人、ましてや女性である被害者の事を誰がおおっぴらに話すかと思ったが、このときは黙ってうなずいた。病室へのドアが開かれる。

「この、今は静かに眠っているだけの女の子が、私達の娘です」

 そう言って男は坂爪を自分より奥のほうへと促す。

 不思議な、彼にとっては珍しく刺激的な光景だった。白い肌、整った顔、正しいリズムのように聞こえる心電図の音、腕や鼻から伸びている大量のチューブ、人形のように目を閉じて動かない『本体』、そして頭にネットをかぶっているのはぶつけられたときに頭を激しくアスファルトに擦ったのが原因だろう。

「十日以上この状態が続けば、私達は安楽死か植物人間として生かしていくかを選ばなくてはなりません。ですがお医者様によればこれはまだ軽いほう、三日以内に起きるだろうとおっしゃっていました」

 抑揚を一切付けることなく、そう話されていた。

「しかし、ここで娘が起きていないからこそ言う事実ですが、私達は起きる事を望んでいませんし、植物人間にするつもりもありません。どういうことか理解して頂けますね? しかしほぼ起きると断定されている今、再び同じ生活へ戻る事だけは避けたいのです。あなたの事情がどのようなものかは察しがつきませんが、お互いに利益があるのならそこに大きな疑問は無いでしょう」

 男は坂爪の目を見て、「よろしくお願いします」と一言いい、他に少女の過去をいくつか教え、坂爪を入り口まで送った。

 二日後、彼は学校の帰りに病院へ寄った。快晴だった。実際、時間つぶし程度の感覚で少女と会うつもりである。面会を申し込む窓口があったので、申し込もうとすると担当の看護婦は、身分証明書を見せいて欲しいと言ってきた。指定の人物以外は面会謝絶となっているらしい。

そのときの彼はその類のものを持っておらず、少女の親から頼まれているという事と自分が少女を突き飛ばした事を説明すると、彼は指定の人物にあたったらしく看護婦は面会の許可を与えてくれた。その看護婦が言うには少女は昨日のうちに目を覚まし、両親から事情を聞いたそうだ。

話を聞いているうちに、先日も来た部屋の前にたどり着いた。ドアに手を掛け、横に滑らせる。

すると、部屋にいた少女は上体を起こし読書をしていたが本を閉じ、こちらを見た。

「ノックもしないで入るなんて、ずいぶんと大きな態度をしてるのね、あんた。私あんたのせいで脚の複雑骨折したり頭にヒビはいったり結構大変なんだけど」

「あっそ」

 少女は鋭い目つきで坂爪を睨む。

「こっち」

 少女は手を招き、前にあるパイプ椅子を指す。

「座って」

 坂爪はドアを閉め、面倒そうに歩き、少女のゆび指した椅子に座る。彼は彼で、何の動揺もせず、少し目線を落とした状態で座っている。すると少女はあまり手入れのされていない前髪を掻き分けながら、話し出す。

「私、外山雫(そとやま しずく)っていうの、あんた、坂爪拓斗って言うんでしょ? あんたが来るちょっと前に警察のオッサンが来て名前を教えてもらったの。って、あんた聴いてるの? こっち向きなさいよ」

 坂爪はなんとなく見ていた壁のしみから雫の脚あたりに視線を流しながら、

「全く聴いてない。あと、俺は別にお前に関して何か思ってるからここにいるんじゃない。ただちょうどいい暇つぶしができると考えたからなんとなくここにいるだけだ。要するに、俺にとってここにいることはただの退屈しのぎだ」

 雫は坂爪の話を聴き、はりあいが無くなったのか脱力し、仰向けに倒れた。

「じゃ毎日来てよ、どうせ私も退屈だし、どうせこの先あんた以外話す相手もいないだろうし」

「まあ、俺の場合は相手に興味が無いからこそのそれだけどな。あのさ、俺もうちょっとここにいたほうがいろいろ疲れずに済むんだが、いいか?」

「別にいいけど、うるさくしないでよ」

 そうして雫は閉じていた読みかけの本を開き、坂爪は坂爪で通学用のカバンからハードカバーの小説を取り出して延々と読み続けた。


 二人が本を読み始めてから三時間ほどたった頃、雫が自分の本を読み終わる。彼女は自分の本を色んな面やページを適当に眺めながら坂爪に声をかけた。

「ねえ、もう外真っ暗だけど、いいの?」

 病室の窓の外にもう太陽の光は無かった。ただ通りの近くにあるスーパーやドラッグストアなどが明かりを外に漏らしている。時間はすでに午後七時を過ぎていた。

「ああ」

 坂爪は目を本から窓の外へと移し、椅子から腰を上げた。

「じゃあ、もうそろそろ帰る事にするわ、多分明日もここに来るだろうから、そのときはまたよろしく。それじゃな」

 坂爪はカバンに本を入れて肩に掛け、病院を出ていった。

 そのとき雫が、一人部屋でつぶやいた。

「また明日、来るんだ」

その言葉に、表情は無かった。

 次の日、坂爪は昼前に病院へ来ていた。今日は入学式、在校生は早く帰る事ができた、それが理由だ。看護婦は変わっていなかったのが幸いして、面会の話をするとすぐに通してくれた。今回は一人で病室へ向かっている。連れて行くと言われたが、一人のほうがなんとなく気が楽だった。

「よう」

「・・・うん」

 とりあえずの挨拶を交わしたが、雫は読書中のせいか坂爪には無関心でいる。坂爪も昨日の自分が座っていた椅子に座り、本を読み始める。ただ、坂爪には気になった事が一つあった。

 雫は昨日読み終わったはずの本を読み返していた。それ自体は不思議ではない、面白いものを読み返したり見直したりするのはごく自然なことだ。

 問題は、雫のめくるページの早さだった。数える限りでは大体十五秒にひとめくりするリズム。そしてそれを読んでいる彼女の顔は冷たい真顔で、目に光が無く、どう考えても楽しんで読んでいる様子は無い。坂爪は読んでいる本から見ている先を変えず、訊いた。

「なあ」

「何?」

「本のまわし読みとか、するか? お前その本すでに何回も読んでるだろ、ページめくる速度普通じゃないぞ」

雫は目を少し大きく開く。

「あんたに気付かれるほどになってたとはね」

 雫は本をベッドの隅に名残惜しそうに置き、窓の外を見た。

「どうせ一ヶ月はろくに歩けもしないんだろ? だったらこの場所借りてる事もあるし、学校から本借りてきてやるよ。同じ本読み返すよりは楽しいだろ?」

 坂爪からすれば、情が移ったとか雫がかわいそうに思えたからではなく、あまり多くの人に使われない図書館の本を消費してもらおうと思っていただけだった。しかし、雫はそのようには考えていなかった。至って純粋に、坂爪が自分に気を使っているのではないかと思っていた。

 雫は窓の外をぼんやり見つめ、

「じゃあ、よろしく」と一言。

 坂爪は本のページをめくりながら、

「わかった」と同じく一言。

 午後一時を過ぎた。雫は食堂へ行くためにベッドの横に座る形になり、松葉杖を自分の横に立てかけた。枕わきに置いてある財布を手にとると、坂爪も立ち上がり、

「お前、ここ出るんだったら俺もう帰るわ。もうそろそろ家帰って昼飯食わないといけないし」

「じゃあここで食べていってよ。私いつも一人だからたまには二人以上で食べたいし、本をこれからずっと持ってきてくれるっていうことなら、一つこっちからも貸しを作っておきたいし」

 坂爪は雫の話を聞くと、溜息まじりに部屋の外へ歩き出す。雫はに顔を伏せ、目から力を抜いていく。しかし坂爪の肩にカバンはかかっていないことに気がつく。

と同時に、声が聞こえた。

「それなら、さっさと食べに行くぞ、正直言ってさっきから腹が減りっぱなしなんだ」

 相変わらず面倒そうに見える無表情に、無言のまま松葉杖をつく音が近づいていき、二人は部屋を出て行った。


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