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魔法陣の転送先、帝国の皇城にある塔の地下にはジョシュアとフレデリカを見張っていた三人の兵とジョシュア、ジョシュアの剣も送られてきたが、フレデリカの姿はなかった。
「月隠の魔女がいない? …手応えはあったのだが」
黒いローブをまとった帝国の筆頭魔術師、ディクトン・シュナイダーは魔法陣が消えるのとほぼ同時にフレデリカ相当の質量が崩れ、床に散り、消えていったのを感じていた。
「魔法陣の上にありながら逃れるとは」
フレデリカが帝国を去るまでディクトンは筆頭魔法使いの座を手に入れることはできなかった。常に自分より評価されてきた月隠の魔女。しかしフレデリカに実戦を任せていたおかげで自分は城にある塔から出ることなく魔法の研究に打ち込めていたのも事実だ。
帝国を出奔して三年。逃亡罪を理由に拘束し、洗脳して再び帝国の魔術師として皇帝に仕えさせる計画だったのだが、変わらず手強い相手だ。
ディクトンは共に送られてきた剣を魔法で宙に浮かせ、用意していた魔封箱に術式を書いた紙を敷き、その上に剣を載せて封印をした。これで剣の呪いは当面発動しない。月隠の魔女がついていながら剣を封じもせず、呪いを放置していたことが蒼月の騎士を誘惑したという噂により真実味を持たせていた。呪いで脅迫したか、呪いを利用して手なずけたか。いずれにせよあの美丈夫が月隠の魔女につきまとうなどという奇怪な行動はこれでなくなるに違いない。皇妹殿下もさぞお喜びのことだろう。
ディクトンは皮肉を込めた笑みを浮かべた。
無理に呪いの剣を手放させたせいか、ジョシュアは気を失っていた。
騎士としての腕だけでなく端麗な容姿でこの帝国でもてはやされ、月隠の魔女に連れ去られた後は多くの貴婦人達が嘆いていた。…こんな男ごときのために魔法陣を使わされようとは。
ディクトンはジョシュアを足で蹴って仰向かせ、両手首に鎖でつながった手枷をつけた。手枷には体の力を奪う魔法がついていた。
「蒼月の騎士を皇妹殿下の元へ連れて行け」
部屋にいた騎士と侍女が一礼し、騎士はジョシュアを担ぎ上げて塔の外へと連れて行った。
ジョシュアは手首の痛みで目覚めた。
自分の両手首は天井と鎖でつながっていたが、鎖には体を横にできるほどの長さはなく、自分の体の重みで鉄の手枷が手首に食い込んでいた。手枷同士も太い鎖でつながっていてその重みもある。うまく体に力が入らず、それがただの手枷ではないことはすぐにわかった。
「よく眠れたかしら?」
ソファでくつろぎながらジョシュアを見ていた女が、気取った美しい笑顔を投げかけてきた。その顔を見て自分が皇城にいることを知った。
すぐに気を失う前の記憶が戻ってきた。
自分がいたのは帝国から遙か離れた国。フレデリカを誰かがつけ狙い、フレデリカを守るために呪いの剣を抜き…
あれが帝国の手の者、それも皇帝の妹アゼリアの配下だったとは。呪いが勢いづこうがとっとと殺しておけば良かったとジョシュアは舌打ちをした。
アゼリアはソファから立ち上がると、ジョシュアの元に行き、扇で顎をあげて自分に視線を向けさせた。
「ようやく戻ってきたのね。帝国から逃れられると本気で思っていたの?」
剣の呪いは絶たれていたが、呪われていた時と変わらないどんよりとした瞳はアゼリアに少しも興味を示していなかった。それが面白くなかったアゼリアはジョシュアの耳を扇で叩き、再度顔を自分に向けさせると笑顔を見せた。
「あなたは私がもらうことになったの。私と共にグレーデン王国に行くのよ。私専属の騎士としてね」
グレーデン王国はフレデリカが足を向けなかった国だ。帝国とは同盟国という立ち位置で、表向きには友好関係を保っており、アゼリアはグレーデン王クロードとの婚姻が決まっている。その輿入れの道具の一つとしてジョシュアを連れて行きたいらしい。
アゼリアは昔から「顔の良い」騎士が好きだった。腕が良ければもっといいが、一番は顔だ。ジョシュアだけでなく数人の騎士に自分の専属騎士になるよう命じ、断った者には罪をなすりつけて降格させたり、辺境地や魔物討伐部隊に送り込むこともあった。ジョシュアもまた言うことを聞かない騎士の一人だったが、帝国最強の騎士を一皇族の護衛に据えることは先の皇帝が許さなかった。強引に引き込むことも追いやることもできないまま、ようやく先の皇帝が引退することになったが、時を置かずジョシュアは帝国を離れてしまった。あの月隠の魔女にさらわれて…。
「あなたを連れて行くことはお兄様にもクロード様にもお許しをいただいているから安心して。すっかり平民じみてしまったけれど、少し磨けば何とかなるでしょ」
平民の服を着崩したジョシュアの姿はアゼリアの好みではなかった。貴族然とした身なりで着飾らせれば自分の隣に置いても様になるだろう。かつてのような軍服もよし。空想にふふっと笑い声を漏らしたアゼリアに対し、大きな溜息と共に口を開いたジョシュアが発した言葉は一言だけだった。
「…断る」
蒼月の騎士の声は帝国にいた頃と変わらずよく通り、声だけでもときめきを覚えるほどだが、感情がなく冷やかだった。拒否を口にし睨みつけてくる目に、アゼリアは扇をふりかざずと顔を避け側頭を何度か殴りつけた。気が済むと再び愛らしい笑顔を見せて
「あなたに選択権はないのよ」
と言った。そして護衛に顔を押さえさせ、ジョシュアの耳に自分の紋章の入ったイヤーカフをつけさせた。自分の所有物の印だ。
「すぐに慣れるわ。…すぐにね」
アゼリアは護衛を連れて部屋を出て行った。