10
翌日、フレデリカが目覚めると、既に夕暮れに近い時間だった。
寝ぼけ眼で辺りを見回し、そこが自分の部屋だと気付いてほっとしたのもつかの間、草でぐるぐる巻きにしたままほったらかしにしていた連中のことを思い出して慌てて部屋を出ると、居間にジョシュアがいて剣の手入れをしていた。ちょっと前まで呪われていた剣だ。
「もう起きても大丈夫か?」
「え、…ええ。昨日の連中は? 草でぐるぐるに巻いた…」
「隣のじいさんが連れてった」
「そう」
隣のおじいさんなら任せておけばうまくやってくれるだろう。
フレデリカは安心して居間にある椅子に腰掛けた。
鳥の鳴く声がして、小さな陰が窓を横切った。
何て普通なんだろう。昨日のことなど夢だったとしか思えない。
ジョシュアは穏やかな表情を見せている。剣から瘴気は消え、呪いを超克したことで格が上がったのか輝いて見える。元々かなり上等な剣だ。手入れのし甲斐もあるだろう。
剣を壁に立てかけたジョシュアは二人分のコーヒーを手に戻ってくると、フレデリカの向かいに座った。
ジョシュアの耳には無理矢理イヤーカフを取った傷があり、転送するまでに急いで外すためとは言え無茶をしてしまったことを申し訳なく思った。
「耳、痛い?」
「スライムにかみつかれたからな」
歯形はないが、やったことはかみついたのと同じだ。すまなそうな顔をしたフレデリカにジョシュアはすました顔で答えた。
「嘘だ。大して痛まない。このくらい放っときゃ治る」
フレデリカはとっておきの薬草を棚から取り出すと、ジョシュアの耳に塗った。ジョシュアはされるがままにしていたが、治療を終えて手を引こうとするフレデリカの手首をつかんだ。
「聞きたいことがある。…とりあえず二つだ」
真剣な顔で問いかけるジョシュアに、フレデリカはこくりと頷いた。
「おまえは、スライムで軍隊でも作るつもりだったのか?」
「軍隊??」
想定外の質問に、フレデリカは思わずぷっと吹き出した。
「あのスライム達は水田の草抜き要員よ。以前、何とかいう鳥を使って田の雑草や虫を食べさせて稲の生育を促す方法があると聞いたことがあったの。でも鳥なんてどう飼えばいいかわからないし、スライムなら私でもうまくしつけられるんじゃないかと思って」
ジョシュアはそもそも鳥の代わりにスライムを使おうと考える方がおかしいのではないかと思ったが、あえて言葉にしなかった。
「ずいぶん命令に忠実だったな」
「厳しくしないと全然言うこと聞かないのよ。稲を食べちゃうし、田を掘って穴をあけちゃうし、溶解液をあちこちにぶちまけるし。…結構大変だったのよ、あそこまで育てるの」
愚痴りながらも、実験の成果を語るフレデリカはずいぶん楽しそうだ。
「小屋の裏にあった小さな田はスライムの訓練用か」
「そうよ。本物の田で訓練する訳にはいかないもの。整列ができるようになってからは早かったわ。ビシバシしつけた甲斐があって、統制が取れてバッチリ働いてくれるようになって。稲を見分けて傷つけることもなく、草を取り逃さず、害虫を見極めて、水中をすいすい泳いでいい感じに水をかき混ぜてくれるの。どこの田でも大活躍! 順調に増えてきたしこれから夏に向けて本格的に働かせようと思ってたら、指示一つで魔法陣に乗ったり、城内にちらばっていろんな情報を集めたり、魔法攻撃にもひるむことなく壁になって守ってくれるなんて感動モノだったわ。…確かに軍隊みたいだったわね。でも一緒に戻ったのが三分の一っていうのは、私の人望のなさかしら」
「人望…」
「自由が欲しいって。…ちょっと厳しくしすぎたかも」
逃げたスライムを容赦なく雷魔法でジュッと消すあのやり方では、確かにあまあまに甘やかされ、最後は傷薬にされたスライムほど懐かれることはないだろう。それでも充分統率力はあり、オレンジ色のスライムはあのスライム達のリーダーだった。
「おまえの体がここに残ったのも、スライムと関係があるのか?」
「魔法陣を踏まないようにとっさにスライムの上に乗ったのよ。発動も遅かったから自分一人かわすには充分だったんだけど、あなたが連れて行かれるのを止める余裕はなくて…」
「それでスライムに乗り移ったのか」
「弟子が連れ去られるのをほっとけないでしょ?」
ごく当たり前のように言うフレデリカ。フレデリカにとってジョシュアはいつまで経っても弟子なのだ。




