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不思議な世界の日常的なお話

白の中、雪月の出会い

作者: nite

 いくら歩けど、目の前に広がるのはただ一色の白と先の見えない木々。

 どうやら俺は完全に遭難してしまったようだ。山登りが趣味だからと言って、真冬の山に挑戦するのは無謀だっただろうか。少なくとも、知り合いの登山家には全員からやめておけと言われた。

 冬の山は脅威だ。今のように吹雪に見舞われてしまえば、ほぼ確実に方向を見失う。今ある道しるべは手に持つ方位磁針だけだ。スマホなど、このような山奥では使うことなどできるはずもない。


「はぁ、はぁ…」


 腕に着けている心拍計に内蔵されている時計を見る限りでは、既に三十分以上はここで彷徨っていることになる。このまま彷徨い続ければ、そこにあるのは死のみ。山は油断した旅人を決して見逃しはしない。

 防寒着の下で少しずつ体が冷えていくのを感じる。体に血は廻っているはずなのに、その血すらも体を冷やしているかのようだ。

 息が上がり、体力は確実に奪われていく。体が冷え切るよりも先に、体力がなくなって力尽きる方が先かもしれない。

 非常食は持っているが、それで摂取できる栄養だけでは持って数日。この雪の中ならば一日でも限界かもしれない。俺の魂が少しずつ消えていくのを、なんとなく、ただ直感的に感じていた。


「はぁ…はぁ…あぁ…?」


 ふと、目の前に光が見えた。別の遭難者だろうか。それとも、俺のことを心配してきてくれた捜索隊だろうか。どちらにせよ希望が見える。例え別の遭難者だとしても、身を寄せ合うことで体温を上げることができるからだ。

 しかし、妙に光が柔らかいことに気が付いた。登山家の光にしては随分と淡い。

 俺は藁にも縋る思いで光へと歩いた。そこにあったのは小さな木造の小屋だ。いや、家とも言えるのかもしれない。窓からは暖かい光が漏れている。

 どちらにせよこの吹雪の中ではここにしばらく留めてもらうしか生きる術はない。


「誰か…誰か!いるのですか!」


 消え入りそうな声で、出来る限り大きな声を出す。扉の鍵が閉まっていたので、誰かいなければどのみちここで俺は消えゆくだけである。入れない家など、そこらの木々とさして変わらない。

 待つこと数秒。ガチャリと中から音が聞こえたかと思うと、扉がギィと開いた。


「まぁまぁ、こんな雪の中を」


 中から出てきたのは全身白装束の女性。家の中は暖かいようだけど…急激に俺は違和感に襲われた。というかそもそも違和感だらけだ。

 なんせこの山の中にこのような家があるなんて一度も聞いたことはない。吹雪の中で正確な場所は分からないにせよ、ここはそれなりに山奥なのは間違いないだろう。だというのにこんなところに家など…

 最初はただの小屋だと思った。しかし女性の後ろに見える空間は明らかに生活感溢れるものだ。見るからに住んでいると分かるような…


「俺の頭の中…か…」

「どうしました?」

「いやなんでもない。失礼させてもらっていいか?」

「ええ、どうぞ」


 きっと死ぬ間際の俺の空想なのだと決めつける。きっと実際には家なんてないのだろう。そもそも現実の俺は既に事切れて倒れているのかもしれない。これは夢みたいなものだ。

 この家の中で寝たら、そのまま覚めることもなく…なんてな。まあこの際どうだっていい。俺は家の中に入った。

 やはりそこは住んでいると言えるような空間だった。白装束に身を包んでいる割には、ソファやキッチンなど近代的な家具が置いてある。テレビはないようだ。


「この山に人が来ることが珍しくて…すぐに暖かいものをお作りしますね」

「ああ、恩に着る」


 俺は上着を脱いで壁にかけた。未だにここが夢なのか現実なのかは分からないが…ここは暖かかった。どうやらこの部屋の温度は暖炉によって保たれているようだ。木造の家で暖炉があることは違和感しかないが、まあ現実味がないのはこの家自体なのだから今更だと思いなおす。


「嫌いなものはないですか?」

「ああ、何でも大丈夫だ。むしろここで拒めるはずもない」


 実際に嫌いなものはないのだから問題ない。我儘を言えるような立場ではないのは自分でも重々承知である。

 しばらくすると女性が木の器を持ってきた。


「オニオンスープよ」

「ああ、ありがとう」


 …口の中に濃い味が染みわたる。非常食では決して得ることのできない温度を感じることができる。

 スープを飲むだけでこうも体が温まるものだろうか。体の芯から温まっていくのが分かる。


「そういえば自己紹介をしてなかったですね。私は雪女です」

「俺は多田そう…なんだって?」

「来る人には皆に驚かれるのよねぇ、私はあの雪女なんです」


 雪女。男に冷気を浴びせて殺したり、精を絞りとって殺したりするあの妖怪。いやいやまさか…しかし、確かに白装束なんてものをこんなところで着ているのは変だ。


「ほら、こうやって…」


 雪女が手を翳すと、その先の壁が凍り付いた。しばらくするとその氷は部屋の温度により溶かされてしまったが、むしろ氷が溶ける温度なのに凍り付かせたことに驚くべきだろう。

 となるとやはり彼女は雪女…そうか、結局俺はここで死ぬのか。雪山の中で死ぬよりはマシかもな…


「ちょ、ちょっと。そんな死を悟ったような表情しないでくださいよ」

「え、だって…」

「近頃の雪女は普通の食事をしますし、無暗に人を殺しませんって」


 このオニオンスープには温められたけど…山姥的なあれかと思ってしまうのもやむなしだろう。


「こういう雪の中でしか私たちの家って存在できないんですよ。なので申し訳ないけどここがどこの山で、麓がどっちかは分からないの。ごめんなさいね」

「ああいや、そんな…俺は多田総司です」

「総司さん、吹雪が止むまでここで休んでいってくださいね」


 そう言って雪女さんはキッチンへと向かった。どうやら本当に迎え入れてくれるらしい。

 まさか雪女に助けられるなんて…そういえば昔話にも、雪女に助けられる話があったような気がする。あまり内容は覚えていないけど、確か雪女のことは誰にも言っちゃいけないとかなんとか…


「あ、そうそう。私のことはできる限り他の人に言わないでくださいね」


 その俺の思考を読んだかのように丁度良くそのような声が聞こえた。やはり妖怪だから人に知られるとまずいとかあるのだろう…と思ったのだが、


「だって、今時雪女に会ったなんて言っても信じてもらえないですよ?」


 どうやら俺の問題らしい。詳しく聞いてみると、現代科学に負けるほど妖怪も廃れていない…らしい。今ではスノーモービルなんかもあるし、存在が知らればすぐに見つかってしまうように思えるが、何か策があるのだろう。


「そういえばさっき吹雪の中でしか存在できないって言ってましたよね?吹雪が止んだら俺も別のところに連れてかれるのでは…?」

「それは大丈夫ですよ。吹雪がいつ止むかは分かるから、その時になったら先に家の外に出てもらいます。少し寒いだろうけど、我慢してくださいね」


 否定しないってことは、多分家の中にいたら別のところに連れていかれてしまうのは事実なのだろう。話を聞く限り、多分別の吹雪いている山に。

 その後オードブルも頂いて時間を過ごした。興味がわいたので雪女さんのことも聞いてみた。過去に人を冷気で殺していたのも事実らしい。そうすることで妖怪は力を得るのだとか。

 じゃあ今はいいのかと思ったら、今は別に力が必要じゃないからとのこと。まあ平和主義なのはいいことだ。


「もしかして、過去に雪山で遭難して発見されなかった人は、雪女の家に入った可能性も?」

「そうですね。吹雪が止む前に家から出損ねて他のところに行ってしまったとか、家にいる間にとても仲良くなって恋人になったとかも聞きますね」

「こ、恋人…」


 この雪女さんはとても優しいしかわいらしい人だけど、それでも異種族である妖怪と恋仲になろうとする気概を尊敬する。恋人募集中の俺でも、流石に妖怪を恋人にはできそうにない。

 あとは、妖怪の楽園みたいなところもあるらしい。面白いと思いつつも、そんなところに行けば今度こそ妖怪に貪り食われることになりそうだ。実際に人間は食われるような場所だと笑いながら言っていた雪女さんの顔が妙に怖かった。


「雪女って種族ですよね?個別の名前はないんですか?」

「そもそも雪女同士はそうそう会わないですからね。それに、自己紹介するときに雪女だと言った方が手っ取り早いじゃないですか」


 雪女の家はある程度広い範囲に一個しか存在できないらしい。相当広い範囲で吹雪いていないともう一軒現れることはないらしい。もし、もう一軒現れたときは会いに行くくらいはするらしいけど。

 中々面白い種族だと思っていたら、雪女さんが閃いたかのような顔をした。


「総司さん、私に名前を付けてくれませんか?」

「え、俺が?」

「そうですそうです。まだ吹雪は続きそうですし…さっき言った番になった雪女は名前を貰ったらしいですよ」


 らしい、というのは、それも別の雪女に聞いたことだからだろう。

 それにしても…


「俺でいいんですか?」

「ええ、まあ。実は私、家に他の人を迎え入れるの、数年ぶりなんですよぉ」


 恥ずかしそうに言う雪女さん。どのあたりが恥ずかしいのかは分からないけど、それでなぜ俺なのかが分からない。


「ふふ、いいじゃないですか。細かいことなんて」

「ええ?だって名前ですよ?とっても大切なもので…」

「次に人に会えるのか分からないじゃないですか。今のうちに貰っておこうと思って」


 そんなに軽く決めれるようなことではないと思うのだが。

 とはいえ雪女さんは随分とその気になってしまっているようだし、ここで俺が断ってしまうのもそれはそれで失礼のような…しかしネーミングセンスなんて俺にはないんだけど…


「あまり出来は期待しないでくださいよ?」

「ええ、勿論です」


 その後は、しばらく雑談をした。名前を決めるにも、雪女さんの人柄…妖怪柄?を知るべきだと思ったからだ。

 細かいことは気にしないと言うけど、俺が付けた名前が残るとなるとちょっと深く考えてしまう。雪女さんも、変な名前を名乗りたくはないだろう。まあ気に入らなかったら、名乗らなければいいだけの話だけど。


「うーん、このままだと夜になっちゃいますね」

「それってまずいですか」

「泊めることは全然構わないんですけど…ほら、夜の間に吹雪が止むときは夜の雪山に出してしまうことになるじゃないですか」


 確かにそれはまずい。雪が降っていなくとも、夜の山は危険なのだ。夜の雪山は、地面の穴などに気付けずに転んでしまう可能性も高いので、上級の登山家も登ろうとはしない。

 ただ窓の外を見ても、未だに吹雪は続いている。この吹雪の中麓まで帰れるのかと言うと…正直自信はない。帰れるのなら既に帰っている。また死にかけるのが関の山だ。


「吹雪がいつ止むのかは分からないんですか?」

「もう少しで止みそうっていうのは分かるんですが…まだ止みそうにないですね」


 となると、やはりここで一晩明かした方が良いだろう。最悪この家と共に飛んだ先の山からここまで戻って来ればいい話だ。


「あ、この家って日本だけじゃなくて外国にも移動しますからね。むしろそっちの方が多いかと…」


 どうやら帰ってくるという手段はとれなくなる可能性がありそうだ。今は冬なので日本国内に移動する可能性もあるだろうけど、年中雪が降っている地域だってあるわけだし、そっちに移動することもあるだろう。

 というか先ほどから妙に心を読まれてるかのように質問する前に答えられているような気がする。これも妖怪パワーだろうか。心を読む妖怪って別にいるんじゃなかったっけ?


「夜中に吹雪が止まないように祈りながら眠ってください」

「雪女さんは寝ないんですか?」

「私は、妖怪なので」


 妖怪すごい。というか雪女さん単独ならこの吹雪の中も自由なんだろうな。他の雪女に会いに行くと言ってたし、吹雪の中でも方向を見失わずに歩けるのだろう。


「では、おやすみなさい」

「はい、暖かくして寝てくださいね」


 別室のベッドに案内されてから眠る。雪女に暖かくしてもらうなんてよく考えれば変な状況だけど、雪山で冷えてしまった心と体には染み渡る暖かさだった。

 その夜、夢を見た。猛吹雪の中、俺の少し前を歩く雪女さんが手招きをしている。その先には光が見えている。その雪女さんの姿がまるで…

 朝、普通に目が覚めた。どうやら夜中に起こされることはなかったようだ。窓の外を見ると、少しは弱まっているみたいだが、未だに吹雪いている。


「おはようございます」

「はい、おはようございます。よく眠れましたか?」

「ぐっすりでした」


 雪女さんは朝ごはんも用意してくれていた。本当にありがたい。

 夢で見た光景を思い出す。夢だから内容ははっきりとは覚えていなくとも、あの雪女さんの姿は忘れられない。となると、名前は…


「雪女さん」

「はい?」


 大きな机を挟んで座っている俺と雪女さん。食パンをモフモフ食べている。かわいい。


「名前なんですけど」

「あ、決めていただけました!?どうなりましたか?」


 身を乗り出してこちらに顔を出す雪女さん。よほど名前が嬉しいのだろう。


(ふき)っていうのはどうですか?」

「蕗ですか?」

「そうです。春の山菜に蕗の薹(ふき とう)というのがあるんですけど、それが雪解けと同じ時期に姿を見せるんです。雪女さんが、この寒い雪の中で温めてくれた存在だから、ぴったりかなって」


 説明する途中で恥ずかしくなって言葉が尻すぼみになってしまった。しかし俺の言いたいことは伝わっただろう。


「…」

「雪女さん?あ、えっと、気に入らなければ…」

「嬉しいです!!」

「うわっ」


 しばらく顔を伏せていた雪女さんが急に顔を上げたので、びっくりして後ろに倒れそうになってしまう。そんなに嬉しいのだろうか。


「いい名前をもらっちゃいました。総司さん、ちゃんと私のことを名前で呼んでくださいね」

「えっと…蕗、さん…」

「はい」


 女性の名前を呼ぶことが少ないから妙に恥ずかしい。俺が自分でつけた名前だと言うのに、変だ。

 蕗さんと一緒に朝ごはんを食べ終わる。食べ終わったタイミングで、蕗さんは外を見つめていた。


「吹雪、そろそろ止みそうです」

「え!?」


 となるとこの家とはお別れか。寂しさを覚えてしまうが、連れていかれるわけにもいかないので急いでウェアを着て準備をする。あまり物を外に出さなかったので、忘れものはないはずだ。

 準備を終えて入口まで戻ってくると、蕗さんが待ってくれていた。


「お別れですね。寂しいです」

「俺もです。本当にありがとうございました。蕗さんのおかげで無事に帰れそうです」


 沈黙。

 だがここで止まっているわけにはいかない。俺は扉に手をかけた。


「それでは、また機会はあれば」

「…はい。気を付けてくださいね」


 俺は外に出た。そこには周囲が見えやすくなった吹雪が渦舞いている。この様子ならあと数十分で止むだろう。

 家を出て、後ろをふと振り返ると、蕗さんが笑顔で手を振っていた。俺も手を振り返す。なんだか、ロッジや休憩所を出る気分だ。いや、実際にそうなのだろう。

 俺も手を振り返した。姿が見えなくなるまで、蕗さんは手を振り続けていた。

 その後俺は無事に帰還。登山仲間に驚かれながらも喜ばれた。どうやって生還したのか聞かれたときは、神の助けがあったとだけ答えた。蕗さんは神のようなものだったので、嘘は言っていない。

 蕗さんとの思い出は、これがすべてである。


……


 とある山奥、吹雪の中。ホワイトアウトした空間を、一人の男性が歩いていた。

 見るからに疲労困憊で、今にも倒れてしまいそうだ。その男性が前方に光を見つけた。光に向かって歩いていく。光の正体は、一つの小屋のような家だった。


「泊めてくれませんか…」


 中には聞こえないだろう声量で、助けを求める。

 声は聞こえていないはずなのに、扉が開いて一人の女性が姿を見せた。


「吹雪の中、お疲れ様です。私は蕗と言います。さあ、入ってください」

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