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段々と大きくなっていく紫色の旗に、息を吐いて唇を横に引き伸ばす。
「賢者様」
不意にカトゥッロの腰に腕を回した、小さな影の頭を、カトゥッロは優しく撫でた。
「あの軍勢、『狂信者』?」
「違うよ、エリオ」
隣を歩く、これも小さな影の質問に、首を横に振る。
目の前の紫色の旗に描かれているのは、翼を持つ馬。紫地に翼だけが描かれた狂信者の旗ではない。風に翻る紫色を何度も確かめる。カトゥッロが『賢者』として暮らす、春陽との国境線に近い夏炉の村の外れに現れた軍は、夏炉の正規軍の旗。大丈夫。カトゥッロの腰を抱き締めて震えている小さな教え子ダリオと、その横でカトゥッロを見上げ、唇を横に引き結んでいる教え子のエリオに頷くと、カトゥッロはダリオの腕を自分の腰から優しく引き剥がし、震える小さな身体をエリオに渡した。
「あなたが、この村の『賢者』ですか」
冷静な声に、顔を上げる。
カトゥッロが気付かないうちに、豪奢な衣装をまとった影が一つ、カトゥッロ達の前に佇んでいた。
「自分の家に戻ってなさい」
不意の来客に不審な目を向ける二人の教え子に、村に帰るよう促す。何度もカトゥッロの方を振り向きながら来た道を戻る小さな影が自分達から十分遠ざかったことを確かめてから、カトゥッロはおもむろに、豪奢な衣装をまとった細身の影の方へと身体を向けた。
「何も、しませんよ」
カトゥッロの警戒に、細身の影が肩を竦める。
「私は、夏炉の貴族クラウディオ。『狂信者』達がこの辺りを彷徨いていると聞いて、成敗しに来たのです」
握手を求めるクラウディオの、手袋を嵌めていても分かる武骨さに少しだけ、警戒心を緩める。この軍は、……村を襲うようなマネはしないだろう。クラウディオの後ろに佇む兵士達のこざっぱりとした格好を確かめ、カトゥッロは静かに、クラウディオの手を握り返した。
「一つだけ、お聞きしたいことがあるのですが」
この辺りのことに詳しい『賢者』を村の入り口に呼び出した理由を、カトゥッロから手を離したクラウディオがおもむろに口にする。
「この辺りに、古代の遺跡はありませんか?」
「遺跡?」
異なことを尋ねる。クラウディオの言葉に拍子抜けする。しかしすぐに、『狂信者』という単語が、カトゥッロの脳裏を過った。
「『狂信者』達は、古の神殿を探していると聞きます」
カトゥッロの思考と同じ言葉を、クラウディオが呟く。
「『狂信者』がこの辺りを彷徨いている理由は」
「村の裏山に、小さな祠のような物がある」
そのクラウディオの言葉を遮り、カトゥッロは言葉を紡いだ。
「まさか、あんな小さな」
「小さいからといって、『狂信者』が見逃すとは限りませんよ」
あくまで冷静なクラウディオの言葉に、思わず頷く。確かに、古代の神々を信奉する奴らなら、今でも残っている古代の遺跡を見逃すはずはない。
「案内してください」
「分かった」
裏山に案内するくらいなら、朝飯前。厄介なことは、何も無い。兵士達にこの場で休憩するよう命じるクラウディオの、感情が見えない声に、カトゥッロは小さく微笑んだ。
今、ここにある、自分の幸せを、奪われるわけにはいかない。