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BLACK BOARD  作者: 尾十神誠
7/7

最終章~王様のおわり~ [e8] 出席番号5番


__22時間。


それは悠久である時の流れから限られた時間__俺が幼馴染と居られるタイムリミットだった。


『傍観者』と名乗る悪魔に騙され欺けられた俺は、禍々しいまでに真っ黒なチェス盤から離れて、彼女__鈴音響子の元へと走っていた。


(響子...、響子、響子...!!)


胸が張り裂けそうな想いで走りながら、彼女のいる場所__病院へと向かう。 だが。


「どうなっているんだ、これは!?」


学校から出ようとするが、廊下には沢山の人が行き交い雑踏していた。


「お前ら、どけよ! 通れないだろ!」

「そういうあんたが、道をあけなさいよ!」

「ちょっ、後ろから押すなよ!」


学校が集団パニックに陥っていた。


互いが互いに押し合い、はやる気持ちを抑えることができず、前に進もうとするが人が立ち塞がり、文字通り八方塞がりの状態だった。


「これは、一体...?」


困惑した生徒達を眺めることしかできない、生徒会長の加藤秀司は原因が分からず対処に困っていた。 一刻も早く、響子の元へと行きたい秀司の心も焦るばかりだった。


「__会長! ここにいたんですね!」


廊下で聴こえてくる喧騒な声音ではなく、透き通るような声色が秀司の鼓膜を刺激した。 声のする方へ体を向けると、そこには副会長の柊がいた。


「柊! この状況は一体、何事なんだ!?」


「はい...先程、私たちのクラスに起きる謎の現象が全校生徒に知れ渡り、今の状況になっています」


柊副会長は、不安と期待の表情を浮かべながら、生徒会長である加藤秀司を見据えていた。 __この状況を俺が処理しろって言うのか...?


普段通りなら、学校のために校則や身だしなみをキチンとさせたり、風紀を乱さないように見張っているが、今はそれどころではなかった。


秀司の心には、幼馴染である響子の姿だけしかなかった。


「__すまない、俺にはどうしても行かなければならない所があるんだ...」


そう告げた秀司は、生徒会長としての責務を放棄して、雑踏している廊下ではなく、窓の外へと足を踏み出していた。


「会長!? どうする気ですか!?」


期待を裏切られ奇怪な行動を起こす秀司に、怒気を含んだ声で問いかける副会長。


「__廊下が渡れないなら、窓の外から出るしかないだろう」


「でも、ここは二階ですよ!?」


淡々と窓の淵に足をかける秀司を見て、ついに会長も気が狂ったのかと思った副会長は、廊下で聴こえてくる喧騒な声よりも一際大きな声を出していた。


副会長の問いかけに返答がないまま、秀司は窓から飛び立って姿を消した。 慌てて、秀司の無事を確認しようと窓から身を乗り出すと、秀司は屋上から校庭へと繋がっている排水管に手をかけながら、落下の速度を遅くして降りていた。


彼の無事を確認できた副会長はホッと息をついたが、今の行動を真似する生徒が現れないように窓に鍵をかけて、秀司の背中を見送った。


**********


(響子……! 響子、響子…!)


秀司は、生徒会長の責務を放棄して、全速力で◯◯病院へと向かう。 呼吸は乱れて、空気を求めて喘ぐたびに胸が激しく痛みながらも。


歩道を友達と一緒に歩いている人達が遮っていたら、二人の間を縫うように割り込みながら前へと進み、横断歩道では赤信号で車が行き交う僅かな隙を見つけて白線を渡りきる。


今の秀司には、規則を守るよりも大切なことがある。


自身にそう言い聞かせて、各所の関節が軋みながらも必死に手足を動かして前へと進んでいた。


学校を出てから15分ぐらい走り続けてようやく◯◯病院の建物が視界に入ってきた。 建物は三階建てで、一階が受付や診査室、待合室などが設備されていて、二階からは入院する患者のための病室が用意されている。 三階は屋上だった。


秀司は、幼馴染の響子がいる病室へと向かうために、二階に上がる階段へと足を掛ける。 本来ならば、受付の人に見舞いへの手続きを済ませてから入室するのが規則だが、一刻も早く彼女に会いたい秀司は扉に手を掛けて、横にスライドさせていた。


「あれ…? ヒデくんが来るなんて、珍しいね」


柔らかい笑顔を作りながら心地よさを与える響きの声音で喋る響子。 それを目の前にした秀司は、ほっと胸を撫で下ろす。


先程の緊迫した空気とは一変して、一気に弛緩した空気が流れ始める。


「__久しぶりだな、響子」


「ね。 ……前に約束した時以来だね」


__約束。 忘れるはずもない。


響子のパーキンソン病が明らかになって、手足が動かなくなることを医者に告げられた彼女は生きることに絶望していた。


大好きだったピアノが弾けない__そんな彼女は、生きる術をなくして秀司に縋った。 これから私はどうすればいいのか、と。


そして秀司は誓った。


医者の息子である俺が、パーキンソン病を完治させるための医療技術を発展させると。


「……たまに、でいいからさ。 病院に遊びに来てよ__ヒデくんの顔が見たいな」


「__顔だけかよ」


他にも見るべきところや、話したい事があるとかじゃないのかよ、という思いで思わずツッコんでしまった秀司の言葉を聞いた響子はにっと白い歯を覗かせて笑った。


「冗談だよ。 ……で、なんで今まで来なかったの? ヒデくんの面白い顔が見れなかったから、退屈してたんだよ」


「俺は芸人かよ」


響子は冗談交じりの軽口で皮肉を言ってきたので、何故今まで病院に来なかったか、理由を伝える必要があった。


「__俺、野球部辞めたんだ」


「えっ?」


突然何を言いだすんだろうと、怪訝そうな表情を浮かべる響子。 俺は言葉を続ける。


「野球部辞めて、生徒会長に就いたんだ。 __有名な大学に進学するために…、医者になるために」


そのために、不安で退屈している響子と会うための時間を割いてでも、医学の勉強を費やしたのだ__楽しかった野球部を退部して。


「__だから、響子に会えなかった」


見舞いに来れなかった理由を伝えると、響子は目を丸くして秀司をじっと見つめる。 見舞いに来なかったのは、響子に愛想が尽きたのではなく__彼女のためだったから。


秀司は誰よりも、彼女のことを考えていた。


「__ごめん…、ごめんね」


響子は不安に押しつぶされそうになりながら、ずっと考えていた。 __秀司は、私のことを忘れているのではないか。


そう思うと胸が締め付けられるような疎外感を覚えて、嗚咽を漏れそうになるのを必死で抑えていた。 けど、誰よりも響子のことを想ってくれていた。


そのことを知った彼女は、嬉しさと悲しさが入り混じった悲惨なため息をこぼした。


彼のことを信じられなかった自身が情けなかった__それと同時に、秀司に大切にされていることが何よりも嬉しかった。


「__いや、俺の方こそすまない」


秀司は響子をなだめるように謝る__だが、彼の心中は自身の非力さと愚行に後悔していた。


『傍観者』のこと。


理不尽に人の命を賭けている勝負のこと。 __それに響子を巻き込んでいることを。


「…ヒデくんは何も悪くないよ。 私のために頑張ってくれて、ありがとね」


「__ああ」


秀司は力強い返事をする。 彼の瞳には、なんとしてでも彼女__鈴音響子の存在を消さないために全力を尽くすという想いが秘められていた。


「……すまん、まだやるべきことがあるから」


「__」


秀司は面を伏せ、悲しそうに唇をゆがめながらそう言い残して、病室から出ようとする。


彼女の沈んだ表情を見た彼は、後ろ髪を引かれる思いで病院を後にする。


__病室には彼女だけが一人取り残されている。


「……どこにも行かないで」


彼に伝えたかった言葉を、誰も居ない病室で呟く__頑張っている彼に、これ以上迷惑をかけたくなかった。


だから、彼女は一緒に居たいという気持ちを伝えることをしなかった__。


**********


「ケッケッケ。 随分と遅い帰りじゃねえか」


学校に帰還して校長室へと再び足を踏み入れた秀司の眼前には、忌々しいまでに唇を歪めた『傍観者』が居た。


その姿を見ると、先程までの幼馴染との時間が夢のようで、現実に引き戻された感覚に陥っていた。 __罪人は犯した罪から逃れることはできない。


秀司の持ち時間__残り16時間。


「__黙れ。 すぐに対局するぞ」


『傍観者』の口ぶりがいちいち癪に触るので、一刻も早く対局を自身側が優勢になるようにして黙らせようと試みる秀司。


秀司は自身の駒である黒の駒を動かす__左側にあるナイトを[g8]から[f6]に移動させ、真ん中に位置するポーンを守るかのように配置させる。


「ケッケッケ。 __急に指し手が変わったじゃねえか」


「うるさい、早く指せ」


秀司は自分の思惑が相手に悟られないよう、早く相手に駒を動かさせようとする__だが。


「__そんなに幼馴染が大切かい?」


「ッ!?」


何故それを? という思いが相手に伝わったのか、『傍観者』は口の端を歪めていた。


「ケッケッ、ケッケッケ!!」


今までより以上に笑い声が室内に響き渡り、『傍観者』の不気味さがより一層増した。 __俺はこいつの手の平で踊らさているのか…?


「__もっと、もっともっと! お前の、絶望していく顔を俺様に見せてくれ…!!」


『傍観者』はそう言うと、[b1]にあるナイトを[c3]に移動させる。 __この駒の動かし方...、こいつ狙ってやがる!


2手先で[e7]に配置されている黒のポーン(幼馴染)を奪取しようとしている『傍観者』の思惑がひしひしと伝わってきた。


「...ぐっ!」


敵の思惑通りにさせないために、[e7]にあるポーンを[e6]へと一歩前進させる。 幼馴染の駒近くには、前方にポーンが二つ、左にナイトが配置されており、守りは完璧と思われた。 __だが。


「ケッケッケ!! お姫様はちゃんと守れよ、騎士さまよぉ!」


『傍観者』は、[f1]のビショップを[c4]へと動かしてた。


バキッ。


現状の盤面を見た秀司は、全ての希望が打ち砕かれたような音が聞こえてきた。


(逃げ場が、ない...!)


周りに駒を固めたのが裏目となり、幼馴染のポーンが逃げ場を失っている。 __俺は馬鹿か...!? 奴のプレッシャーに圧されて、先の先を読まなかったなんて!


だが、一つだけ幼馴染を救う手段が残されていた。 それは、[f6]にある『ナイト』を[d5]に移動させること。


しかし、ポーンを守るために『ナイト』を失うというのは、明らかに駒損であり、その選択をすれば『劣勢』を意味する。


__秀司は究極の選択を迫られていた。


幼馴染を見捨てるか、大勢の生徒を投げ捨てて彼女を助けるか。


「__あっ…、あぁ……!!」


選べるはずもない。 どちらを選択しても地獄を見ることになるのだから。


「……この悪魔め…!!」


人質をとるように、勝利を優勢へと運びだそうとする『傍観者』の性根に腹が立って、篝火を強く焚き、轟々と怒りを燃え盛らせる。


「おいおい…。 何俺様のせいみたいに言ってんだぁ? __全部、お前が悪いんだろうが」


『傍観者』は眉根を寄せて秀司を睨む。


__何でも願いが一つ叶うという甘い餌に釣られて、勝負を引き受けたこと。


「……!!」


騙す奴より騙される方が悪い。


社会はいつだってそうだ。


弱い奴は自身を守る術を知らない。 それを狙う輩が弱者に目をつけて、詐欺や悪事を働くのだった。 __そのことを秀司は誰よりも分かっているはずだった。


__父がそれを行い金儲けをしていたことを想起する。


秀司の父は、患者の必要治療費を平均の金額より高く請求して金儲けしていた。


それを知らなかった秀司は、父を尊敬する人物として慕っていた。 __だから、子供の頃は立派な医者になるために日々勉強に明け暮れていた。


しかしある日、父の行いに幻滅した秀司は、医者になることを捨てたのだ。


父の悪事を暴いて問い詰めたら、彼の言った言葉はこうだった。 『弱者が強者に貢ぐことのどこが悪いんだ?』__と。


騙される方が悪いという言い分だった。 父の悪事を知った秀司は、彼のような弱者を食い物とする輩を憎み、将来弱者を救う強者となろうと心に誓っていた。


それが__今は自身が『弱者』と扱われて手の平で踊らされている。


「…………!!」


現状を受け入れがたい秀司は腹わたが煮えくりそうな想いだった。 それを見た『傍観者』が、好物を目にしたように忌々しいまでに口を歪める。


「__あぁあああぁあああ!!」


呻き声のような叫び声をあげて、自身の駒である黒のナイトを動かす__。


「……ほう?」


秀司は、敵のビショップに黒のポーン(幼馴染)が取られないように、[f6]にあるナイトを[d5]へと動かしたのだ__それはつまり、大勢の生徒の命より、幼馴染の存在を優先したということ。


「__生徒会長という者が、生徒の存在を守らなくていいってかい…? ケッケッケ! こりゃ、とんだお笑い草だぜ…!」


「黙れ…、黙れ黙れぇ!」


激昂しながら動かした黒のナイトを右拳で強く握り締める__自身の選択が間違いではないと、後悔しなように。


「これだから、人間ってのはおもしれぇ! __損得ではなく、感情を優先する…! 傑作だぜ!」


人間が水族館や動物園で生物が面白い動きをしたら嘲笑うかのように、『傍観者』は秀司を見ながら嗤っていた。


そして『傍観者』は、秀司の悪足掻きがどこまで続けるのか見届けるために、必死に守られている黒のポーンを追い詰めるように白のビショップを動かし、[d5]にある黒のナイトを盤から除外させた。


「…くそ、くそくそぉ…!」


秀司の選択は勿論__幼馴染を救うことしか選ばない。


[d8]にある黒のクイーンを[d5]に移動させて、『傍観者』のビショップを奪取する。


「ケッケッケ!! __そこまで幼馴染ちゃんが大事かい…? だが、それは愚考で愚行だったな」


「…なに?」


『傍観者』の意味深な言葉に耳を傾けると、自身の愚かさに気づいた__黒のクイーンが取られていることに。


「あぁ……!!」


[d5]に置かれた白のビショップを、[d8]にある黒のクイーンで奪取した秀司の選択は大きな過ちであり、[c3]にある白のナイトが[d5]に移動して、黒のクイーンが盤から除外されていた。


あまりにも幼馴染の駒だけを優先した結果が事態を悪化させる__クイーンを取られたということは、戦車に、短刀で挑むようなものだった。


「…………」


秀司は悲惨な状況に項垂れてしまう__このままいけば、生徒の命と幼馴染どちらも失うことになるのだから。


「__脆い。 人間は脆すぎる。 なぜお前らは感情で行動する?」


「………………」


秀司は『傍観者』の質問に応えない。 答えられない。


「…まぁ、お前らが突飛な行動をするとおもしれぇから別にいいけどな。 __持ち時間が残り10時間を切った。 最後に後悔しないように、別れの挨拶でもしとくんだな」


その警告を聞いてハッとした秀司は、『傍観者』に促された通りにおぼつかない足取りで『ある場所』へと出向く__。


**********


「あれ…? 一日に、2回も来るなんて珍しいね」


秀司の足は再び、幼馴染のいる病室へと訪れていた。 響子は目を丸くして秀司をじっと見つめる。


「__ちょっと、忘れ物…」


そう告げた秀司は、病室内を探す訳でもなく響子が横になっているベッドに腰掛けていた。


「……?」


忘れ物を探す素ぶりすら見せない秀司の行動に疑問を持った響子だが、彼が喋り出すのを待ち続ける__室内はしんと静まり返り、ひんやりとした空気が流れていた。


「え、えーと……。ヒデくん、音楽でも聴く?」


恐る恐る喋り出す響子は、先程まで自身が身につけていたイヤホンを片耳だけ秀司に手渡す__それを秀司は力無い手で受け取る。 イヤホンの長さは短いので、自然と響子と隣り合わせになる。


「__ふん、ふっふ、ふふーん♪ 」


響子は聴いている音楽のリズムに合わせながら鼻歌で歌い、口元に柔らかい笑みを浮かべていた。 __自分の命に危機が迫っているとは思いもせず。


「楽しそうだな...」


秀司は覇気のない声で、響子に問いかける。 すると彼女は、こう応えた。


「うん! だって、ヒデくんが二回も私に会いに来てくれたんだもん!」


彼女はニッコリと桜満開の笑みを浮かべる。 秀司はその笑顔に見惚れるが、この顔もいずれ散ってしまうものだと思うと気が重くなり、悲しくなってしまう。


「............響子、大事な話が__」


秀司は自身が置かれている悲惨な状況を伝えようとすると、響子に右手をギュッと強く握られて言葉を遮られる。


「__ヒデくん。 私、夢が見つかったんだ」


「......?」


唐突に響子が切り出した言葉の意味が一瞬理解できなかったが、『ピアニストになりたい』という夢のことだろうと推測する。 __だから、響子の言葉の続きを聞いた時は驚愕した。


「私ね、歌手になりたいの」


「__え?」


ピアニストではなく? という、秀司の頭に疑問符が浮かび上がる。 困惑している秀司を見た響子は、何故そんな結論に至ったかを告げる。


「__実はね、この前自殺しようとする子に出会ったの」


自殺__決して聞きなれない単語ではなく、その言葉は常に社会の闇の中で隠れ潜んでいる。 だから、秀司はその言葉を聴いた瞬間身構えてしまう。


「たまたま、病院の屋上から飛び降りようとするその子を見かけた私が自殺を止めさせたんだけど、その子はずっと鬱気味な表情を浮かべていた」


秀司は考えてしまう。 生きるのが辛くて死のうとする想いと、辛いけど懸命に生きていこうという想い__どちらが正しいのだろう。


「だから、その子に元気を出して欲しくて私は__歌を歌ったの」


腕が上がらない彼女は、その子の為に何かしたくて『歌声』というエールを贈ったという。


「私が歌ったのは、辛くても悲しみを忘れてしまうぐらい陽気で明るい曲を歌ったの__そしたらその子、赤ちゃんのように人目を憚らずに泣き叫んだの! おかしいよね? 笑顔になって欲しくて歌ったのに...」


プクっと頬を膨らませて不満をあらわにする響子。 その子のために歌ってあげた響子の慌てふためく姿が、秀司の脳裏に浮かんでいた。


「でね、なんで泣くの? って、その子に聞いたら__『嬉しいから』だって」


その子が泣いた理由は、自分には生きる価値がない、人に迷惑をかけるだけだ、生きてたって楽しいことはない__そう思っていた。


だが響子の歌を聴いたら、元気が出て、勇気が湧いてきて、なにより彼女の素晴しい歌を聴きたいという生きる希望を貰った。


__その子はそう告げたらしい。


「だから私ね、『歌手』になろうと思ったの__だから...、だからヒデくんは私の為にもう頑張る必要はないんだよ?」


そう言われた秀司は破顔した。


自分が響子と生徒の命を天秤にかけていることを彼女は知らないはずなのに、響子は私のために頑張る必要はないと告げた。 そのことがとても悲しかった。


そしてなにより__新たに『夢』を見つけた彼女を救うことができない無力な自分が情けなかった。


「__ごめん、ごめん...、ごめん......」


泣いて謝ることしかできない秀司は、彼女の存在を胸に強く刻み付けるかのように手を強く握る。


「...ヒデくんが謝る必要はないよ。 私が無理言って、ヒデくんの人生をかき乱したようなもんだよ__だから、謝るのは私の方」


悲哀の表情を浮かべて『ごめんね』と告げる彼女。


「だからね、ヒデくんはこれから自分の好きな道を選んで欲しいの! 後悔しないような明るくて素敵な道を進んで欲しいな」


「......好きな、道?」


「うん!」


秀司はこれからどうしたいのか思案する。


響子を守ろうとして、他の大勢の命を犠牲にして勝利を得るか。 または、響子を犠牲にして被害を最小限にして勝利を得るか。


そして__『奇跡』が起こることを信じて皆を救うか。


「...その道を選んだら、友達や家族が死ぬとしてもか...?」


秀司の脳裏には、激流の川を渡るための橋が壊れていて、向こう岸に行くための手段が見つからない絶望的な状況が浮かんでいた。


「大丈夫だよ! ヒデくんはメガネをかけているから、きっと誰も思いつかないような方法で乗り切ってしまうと思うな」


桜満開の笑みで、誰よりも、自分よりも『加藤秀司』という人間を信じている響子の言葉を聴いて、勇気を貰った秀司は決心して、瞳が揺るぐことなく前を見ていた。


「メガネは関係ないだろ...でも、ありがとう」


昔テレビでやっていた、『好きな人に信じてもらうことが何よりも力になる』という言葉を思い出し、秀司はまったくその通りだよな、と共感しながら、病室のベッドから降りて地に足をつける。


「...ごめん、また用事ができたから俺行くよ」


「__どんな用事か聞いてもいい?」


秀司は応える。 響子と同じ桜満開の笑みを浮かべながら。


「皆を救うための活動だ」


**********


「ケッケッケ。 随分と遅い帰りじゃねえか」


三度目の訪れた校長室。 依然として、上座に座る『傍観者』。


__残り時間2時間。


24時間制のチェスクロックが、10時の所で短針が止まっていた。 このチェスクロックは特別制で、始まりは長針が一周し、二週目からは短針が動き出す仕組みになっている。


短針と長針が12時の所で交差すると持ち時間がゼロになり__敗北が確定する。


加藤秀司の持ち時間が2時間に対して、『傍観者』は23時間09分も持ち合わせていた__何故なら奴は、駒を動かすのに時間を浪費せず、学校の生徒の命ともいえる駒が失おうが何の痛手にもならない。


はっきり言って、この勝負を受けた時点で『加藤秀司』の敗北は確定していた。


そのはずだった。


「__ここからは、本当のチェスというものを見せてやる」


秀司は、幼馴染である黒のポーンを[e6]から[d5]に動かして、敵の白ナイトを盤から除外させる。 その後に、チェスクロックの上部にあるボタンを押し込んだ。


「ケッケッケ! その駒を動かしていいのかい...? 大切な幼馴染とやらが、無防備だぜぇ?」


顔を歪めながら笑みを浮かべる『傍観者』は意気揚々と白の駒を動かして、秀司の真ん中に位置する黒のポーンを奪取しようとする。 こうすれば、大切な人質を守るために加藤秀司は愚策をとると、そう思っていた。


「......一応、警告しておく。 __このポーンを取れば、貴様の『敗北』が確定する」


「はぁ?」


秀司の警告を鼻で笑う。 自身の幼馴染が失われないように、苦しみ紛れの妄言をする秀司に付き合う暇はないと判断した『傍観者』は、白の駒を動かして黒のポーンを盤から除外させた。


「ケッケッケ!! どうだ、今の気分は...? 最愛の人を失った気持ちは__!?」


秀司の悲しそうな顔が拝めると思っていた『傍観者』は、目の前の光景に唖然としていた。 __何故なら、幼馴染が消滅したというのに、秀司の眉は微塵も動いていなかった。


「な、なぜだ...!? なぜ、悲しまない!?」


「やはり、単細胞だな...。 __言っただろ、貴様の敗北が確定すると」


ハッタリに決まっている! と心の中で叫ぶ『傍観者』だが、それを嘲笑うかのように秀司は逡巡する素振りすら見せず、黒の駒を動かしていた。


まるで、あらかじめ予定されていた事柄に沿うように。


(ハッタリだ...! 嘘に決まっている__!)


秀司の行動は全て虚構だ、見栄を張っているだけで、こちらのミスを待っているだけに違いないと思い込み、『傍観者』は震える手で白の駒を動かす。


そして動かしたと同時に__秀司は瞬時に黒の駒を動かしていた。


「き、貴様...! 俺様の行動が読めているとでも言うつもりかっ...!?」


「__ああ。 貴様の敗北は、残り23手で決定している」


(ふざけるな、ふざけるな、ふざけるな、ふざけるなぁ...!!)


完全に人間に舐められていると悟った『傍観者』は、篝火を強く焚き、轟々と怒りを燃え盛らせる。


「__これでどうだぁ...!!」


『傍観者』は白のビショップを動かす__まるで秀司にプレゼントするかのように。 その行動を目撃した秀司の肩がピクリと動いた


「ケッケッケ! お前も気付いただろう!? __このビショップは、お前を慕っている副会長様の『柊凛』だってことをなぁ...!!」


秀司は恥ずかしさと悲しさが入り混じったなんとも悲惨なため息を吐いた。


「...これは、予想できなかったな」


非力さを恥じるような影が額に浮いている。 それを見た『傍観者』は、唇を歪めて高らかに笑う。


「ケッケッケ!! 俺様を馬鹿にするからこうなるんだぜぇ?」


「ああ、予想外だった。 __まさか、貴様の愚行で詰みまで残り8手になるとはな...」


貴様は馬鹿ではなく、『大馬鹿』だったと認識を間違えていたと謝罪する秀司。 それを聞いた『傍観者』は、頭からブチリという音が聞こえた気がした。


「テメェ...! 虚勢を張るのも、いい加減にしやがれ...!」


人の命が懸かっているこのデスゲームで、冷静に、淡泊でいられる人間などいないと『傍観者』は思っていた__加藤秀司に出会うまでは。


「な...なにぃ!? 『柊凛』の駒を蹂躙して、俺様の陣地に攻め込んできやがっただと...!?」


秀司にとって身近な存在であり、互いに助力し合っていた副会長がまるで眼中にないような素振りを見せていたことに『傍観者』は驚愕する。


(お、おかしい...! ゲームを始めた頃とは、全くの別人じゃねぇか...!)


人が消滅するたび、泣き叫び、慟哭し、現実逃避していた秀司の顔が、今となっては見る影もない事に違和感を覚える『傍観者』。


(なぜだ...! なにを企んでやがる...!)


秀司の意図が分からない『傍観者』は、初めてここで長考に入る。 先程までの余裕綽々だった態度とは一変して、歯ぎしりしながら秀司を見据えていた。


「__なぁ...。 まさかとは思うが、お前__勝利した願いで消滅した人間が蘇る...とか思ってねぇだろうな?」


「ッ!?」


『傍観者』の質問で、今まで泰然自若だった秀司の表情が歪んでいた。


「ケッケッケ!! やはりそうか...! これまでの、お前の余裕ぶりを見て確信したぜ!」


「だから、どうした...? 俺がやることは、変わらない」


勝利をすれば皆を救えると希望を信じた瞳で『傍観者』を見据える秀司。 そして、それを絶望に変換するために『傍観者』は口を紡ぐ。


「ケッケッケッケ...!! 傑作だぜ! 残念だったなぁ、加藤秀司__消滅した人間は蘇らない。 それが決して、勝者にはどんな願いでも叶うものだとしてもなぁ...!」


「......なんでも叶うんじゃなかったのか?」


そのことを勝負を始める前に『傍観者』が言わなかったことに対して腹が立った秀司は眉根を寄せながら睨んでいた。


「それ以外はな...! だが、消滅した人間は無理だ...奴らの魂は__この黒い盤が喰ってんだからよぉ...!」


ケケケ! と不気味に笑う『傍観者』は、黒い盤の側面を手で撫でて、食した人間の魂を満悦していたことを告げる__。 どうやら、この黒い盤が願いごとを叶えるためには、人間の魂が必要らしい。


「貴様...!!」


「おー? やっと、余裕がなくなったみたいだなぁ...ケッケッケ!!」


勝負には負けて、悪事には成功したと言わんばかりに高らかに勝者の笑みを浮かべる『傍観者』。 __その笑みは吐き気がするほど見飽きている。


「笑うなッ!!」


秀司は鬼気迫る顔で、『傍観者』のキングにチェックをかけていた。


「貴様は、人間が懸命に生きていることを嘲笑い、努力を無に帰すような邪魔立てをしてくる__そんな生き方をする奴は、俺が許さんッ!」


「ほー? それじゃ、これから俺様をどうするつもりだい?」


自身のキングにチェックをかけられた『傍観者』は、黒の駒__秀司から逃げる。


「言っただろう__貴様は残り7手で敗北する」


逃れようのない運命から脱却することは不可能だと言わんばかりに、『傍観者』の逃げたキングを秀司の駒が追い詰める。


「「............」」


互いに沈黙し、コトリ、コトリという駒を動かす音だけが室内に響く。 二人はただ黒い盤のみを視界に捉えていた。


そして、秀司が予告した残り1手となり__。


「チェックメイト」


「__ケッ。 テメェの勝ちだ」


宣言通り、秀司の最後の1手により、『傍観者』のキングは行き場を失っていた。


「...まぁ、俺様は沢山の人間の死に顔が見れたから、良しとするか。 __さあ、お前の願いを叶えてやる」


『消滅した人間を蘇らせる』以外でな、と告げた『傍観者』は唇を歪めて笑っていた。 その事実を受け入れたくない秀司は、自身の裾を握りしめていた。


「......ない」


「あぁ? なんて、言ったんだ?」


言葉が聞こえなかった『傍観者』は、右耳に手を添えて秀司の傍に近づく__。


「__まだ、終わっていない」


そう告げた秀司は、『傍観者』のキングを取ろうとする。


「は...? もう勝負は終わったじゃねぇか、何してやがるテメェ...!」


「俺はチェックメイト__としか言っていない、貴様がリザイン(投了)というまでは勝負が決していない...!」


「や、やめろテメェ...!!」


秀司はずっと疑問に思っていた。 席順が駒の配置となっているなら、相手のキングは誰なのだろうか、と。 黒のキングは秀司であるのは、間違いない。 じゃあ、白のキングもクラスの誰かなのか? __否。 賭け事には必ずメリットとデメリットが存在する。


キングは、プレイヤーのみしか受け付けない。 __そう推測した秀司は、『参った』と言っていない敵に追い討ちをかける。


「リザ__」


「遅いッ!!」


『傍観者』がリザインを告げる前に白のキングを盤から除外させた秀司。 __すると、眼前に座っていた忌々しい『傍観者』が消えていた。


ハァ、ハァと息を荒げている秀司は、ようやく危機を乗り切ったことに安堵して心を落ち着かせる。 彼以外、誰もいないこの部屋はシンと静まり返る。


「......」


まるで今までの出来事が夢だったのではないかと錯覚してしまいそうだが、それを否定するものがある__なぜなら、禍々しい『黒い盤』が残っているからだ。


秀司は、その黒い盤に手を添えて告げる。


「__頼む...! 何でも叶える願いの権利は要らない...。 だから、どうか皆の魂を解放してくれないか...!?」


この理不尽なゲームで失った代償を取り返したい。


__毎日遅刻してきたり、校則を守らないギャルの生徒。


__野球部の副主将で、廃部にならないように実績を残そうとしている生徒。


__恋を知らない小説家で図書委員の生徒。


そして__病気で学校に通うことができない生徒。


秀司にとって何よりも大切な存在。


それを取り返せるのならば、自身がどうしても叶えたかった願いは諦めてもいい。 __なぜなら叶えたかった願いは、彼女の強い意志により必要がなくなったのだから。


秀司は、一縷の希望に懸けて黒い盤に懇願する__すると、黒い盤がまばゆいほどに白く輝く。


「__これは...!?」



次々と黒い盤から白い光が抜けていき、幾つもの光が宙へと舞っていく。 __飛んでいった光の数は、消えた生徒の数と同じだった。



**********


「__おはよう」


「おはようございます」「おはようです」「おはよーさん」「うす」「おはよっす」


人間とは不思議なもので、挨拶一つで返ってくる言葉に個性が表れる。 中には、声をかけられて何を喋ればいいのか慌てふためく輩もいた。


「ちわーす」


そしてこんな挨拶の仕方をする生徒は、一人しかいなかった。


「__今日は、規則正しい服装をしているんだな」


「へっへー。 あーし、マジえらいでしょ?」


彼女は以前、服の第二ボタンまで開けていて、スカートは短すぎて下着が見えそうなぐらい露出が多かったが、今は規則正しい服装をしていた。


「__ああ、本当によかった」


秀司は彼女の頭部に手をのせて、頭を撫でる。 忌々しいゲームで失ったはずの者を取り返すことができた喜びをあらわにしていた。


「ちょっ、やめろしっ! せっかく、セットした髪がくずれるから!」


彼女は照れ隠しに顔を赤くして、校門からすぐさま立ち去っていき、自分の教室へと向かっていった。 __現在の時間は、8時25分。


「じゃあ、俺も教室に__」


生徒会長の義務として朝の挨拶をしているが、授業の開始時間に遅れをとらないように切り上げようとすると__。


「__久しぶりだね」


後ろの方から鈴の音のような声が聞こえたので、秀司は慌てて振り返る。


「おはよう、ヒデくん」


そんな挨拶をする人は一人しかいない。 人の名前を間違えて憶えて、あだ名のように秀司を『ヒデくん』と呼ぶ彼女は、車椅子に乗って登校していた。


「__おはよう」


秀司は微笑みながら、彼女の車椅子を押して教室へと向かっていった__。



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