第二章~先輩後輩の禁書目録~ [g7] 出席番号 7番
『人生は退屈だ』
それは、私が12年間生きてきた教訓だった。
人生とは、個人が好きなように生きることを拒み、人それぞれにあった道筋を歩んでいくしかない。
才能が溢れる者には、『夢』を。
平凡な者には、『退屈』を。
この世界を創った神様は理不尽だ。自分の好き好みで、人に優劣をつくったのだから。
平凡で『退屈』を与えられた私__『天野 水希』は、今日も一日、勉強だけの毎日だった。
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「みーずき!」
机に片肘ついて窓の外を眺めていたら、友達.....といってもそこまで仲良くもないので、友人Aとでも言っておきましょうか。
「何みてんの?」
「んー? 別に、何も見てませんよ」
外の流れる雲が異様に早いことを、友人に伝える必要はないな、と判断して話を流す。
「ふーん...。 まぁいいや。ところでさ、今度の日曜日、空いてる?」
それほど興味がなかったのか、私の見ていた物をスルーして都合のいい日を聴いてくる友人A。 この前みたいに、カラオケでも行くのでしょうか?
「うん、今度の日曜日空いているよ」
勉強にうんざりしていた私は、少しでもストレス発散になればと、カラオケで歌いたかったのです。 できれば、ロックのようにヘッドバンギングしてみるのもいいかもしれません。
「よかった! それなら、野球の試合観に行こうね! 約束だよ!」
カラオケじゃありませんでした。 まさかの野球観戦とは、思いもしませんでしたよ。断ろうとしたら、嬉々として早々と帰っていく友人A。
私は開きかけている口をどうすることもできず、ただ友人Aの背中だけを眺めることしかできませんでした。
一度承諾したから、友人Aの付き合いをしようか。と考えた私は、観念して野球観戦に行くことにしたのです__この選択が、後に自分を変えるとは思いもせず。
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「もー! 遅いよ、みずき!」
試合当日、対して野球に興味がなかった私は少し寝坊してしまって、遅れて会場に足を運んだので、友人Aに怒られてしまいます。 地味にショックです。
しかも会場が、自分たちがいつも通っている進栄中学校のグランドなので、ダブルでショックです。もっと新鮮味のある場所がよかった......。
「ストライーク!!」
悲哀の表情を浮かべている私をお構いなしに、野球の審判をしている人が大声で叫びながらポーズを繰り広げていました。 左にいる人にボディブローをかますような激しいポーズです。
野球って格闘技でしたっけ? 確かに思い返してみれば、胸ぐらを掴んでいる人とか殴っている人いますもんね。 納得です。
「ねぇねぇ、あの人カッコよくない?」
私が審判の動きに注目していたら、隣で一緒に観戦していた友人Aが、進栄中学校の野球部で三塁と二塁(ところで一塁と三塁は一人で守っているのに、なぜ二塁だけ二人いるのでしょう?)の間に立っている黒縁眼鏡の男性を指差していました。
「うーん。 そうですね、カッコイイと思いますよ」
投げやりにそう答えると、友人Aの顔がやっぱり!という、テスト問題の答が合っていたかのように表情を浮かべるのです。
「だよね!? あの人と仲良くなりたいんだけど、どうすればいいかなー......」
どうやら黒縁眼鏡の男性は三年生らしく、友人Aは接点を作れないことにもどかしさを感じている模様です。 野球観戦の理由はそういう事でしたか。
「ストライック、ツー!!」
審判はボディビルダー達が広背筋を見せつける時にするような卍のポーズを取って、ストライクのコールをしていました。 なにあれ、かっこいい。
「............」
友人Aは沈んだ表情で、グランドを眺めており何度もため息をしています__そんなうつ気味な彼女の隣で、すっかりハマった野球観戦(ではなく審判観戦)をしたくなかった私は、一つの提案が浮かんだので彼女に薦めたのです。
「野球部のマネージャーになればいいんじゃないですか?」
三年生と一年生が接点を持つには、部活が一番だと思います。部活なら先輩後輩という厳しい縦社会がありますが、同じ空間にいれば自ずとチャンスもやってくるでしょう。 グッドアイディアです。
「マネー...ジャー。 __そっか、その手があったんだね! さすが、私の親友だよ!」
いつの間に私はそんなポジションにいたのでしょうか......。
「うん、決めた! 私、マネージャーやるよ! みずきと一緒なら、できそうな気がするよ!」
__えっ?
いつの間に私もやる流れになったのでしょうか? この子は、アホの子なのでしょうか?
「いやー、みずきに相談してよかったよ! ありがとね!」
桜満開の笑みを浮かべる友人Aには申し訳ないですが、将来、有望な職に就くためには日々の勉強が大切なのです。 部活で無駄な時間を費やすのは不効率なのです。
なので丁重に断りの申し出をしようとしたその時__。
「ストライ、ック! バッター、アウト!!」
審判は大声で叫びながら『ゲッツ!』の構えをしていました。誰に向けてやっているのか分かりません。
「ゲームセット!!」
その掛け声により、両校の部員達が審判の元へと駆け寄ります__一人を除いては。
「う...ぁ、ああぁ!」
グラウンドの真ん中に立ってピッチャーをしていた進栄中学校の先輩が、嗚咽を漏らしながら大粒の涙を流していたのです。
私には、彼の気持ちが分かりません。理解できません。
部活なんて、勉強の息抜きとして遊んでいたんじゃないんですか? なんでそんなに悔しがるのでしょうか......。
気づけば私は、その人から目を離すことができず、友人Aの申し出に断ることを忘れていました。
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「ダメだ」
試合が終わった直後に颯爽と帰った私は、部活に入ることを父親に許可してもらおうと話をしたら、速攻で拒否されたのです。
「なんで、ダメなんですか?」
「お前こそ、言ってる意味が分かっているのか? 野球部のマネージャーをしたとして何になる? 雑用をやらされて、無駄な時間を浪費するだけじゃないか。 そんな暇があったら、勉強でもしなさい。」
父親の言い分は尤もな意見でした。 お願いしている立場の私もそう思っています__けど、脳裏にはあの悲しそうに、悔しそうにしている先輩の姿がはっきりと浮かんでくるのです。
自分でも分かりません。 ただ話がしたいだけなのかもしれません。 野球の魅力が知りたいのかもしれません。 それとも私は__。
「いいじゃん、別にやらせてあげれば。 みずきがお願いしたのって、今回が初めてじゃん? 一回だけなら訊いてあげなよ」
私に賛同してくれたのは、私の姉でした。
姉は私と対極で派手目な女性です。短めのスカートに、上着のボタンは常に三つほど開けられていて、覗いた胸元に光るネックレス、明るめに脱色された茶髪__現在、大学一年生で随分オシャレな雰囲気を醸し出しています。
「......分かった。 一年だけ部活に入ることを認めてやる」
高校時代に姉が、好き放題に遊びながらも高難易度の大学に入学したことで頭が上がらない父親は、姉の言い分を受け入れてくれたのです。 ありがとう、お姉ちゃん!
「これぐらい当たり前よ。 てか、アンタが今まで反抗しなかったのが不思議だったわ」
父親から許可を貰った私は、二階にある姉の部屋に入って感謝のお礼を伝えるのでした。
「それにしてもアンタが野球部のマネージャーねぇ...。 もしかして、野球部員に好きな人がいるとか?」
「ふぇ?」
姉は、いまいましいまでに顔を笑いの形に歪めながら、訊いてきます。__好き......? 私があの先輩を?
もしそうだとすれば、今の行動に納得がいきます。
野球なんて好きでもない(ルールすら知らない)のに、野球部員のために率先して雑用をしたいわけがありません。
なら友人Aが誘ったから? 一度承諾したから断りづらい、という理由なら合点がいきそうです。 でも私は、面倒事が大の苦手で、学校の放課後にある掃除とかなくなればいいのに。と常日頃から思っています。
__ってことは。 私は、あの先輩に一目惚れしたのです。
その気持ちに気付いた私は、急に恥ずかしくなり、顔がゆでダコのように真っ赤に染まります。自分では見えないけど、そう比喩してしまうぐらい顔が熱いのです。
「あはは、ちゃんと青春してんじゃん! 安心したよ」
お姉ちゃんは、赤面した私の顔を見て満足げに微笑み、肩をポンポンと叩きました。
「~~~~~!!」
恥ずかしさと嬉しさが混ざり合って、私の口からは声にならない音が漏れ出てしまいます。
「__あの! お姉ちゃんに、お願いがあるの!」
私は決意したのです。 『退屈』な日々から抜け出すために、自分を変えようと__。
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「一年B組! 天野 水樹です! 好きな食べ物はシュークリームで、嫌いな食べ物はエビとか魚介類です! 特技は料理や裁縫で、苦手はことは暗算です。 スリーサイズは__」
「ちょ、ちょっと待て。 自己紹介でそこまで言わなくていい。 今度は、隣の子が自己紹介してくれるか?」
私は自分の事を知ってもらおうと、スリーサイズまで言いかけた時に野球部の監督さんから、ストップのコールをされて、開きかけた口を真一文字に閉じます。 __でも、部員達はガッカリしてたような...?
一緒にマネージャー希望の友人Aが自己紹介を終えると、監督は手をパンパンと叩いて、
「可愛い女子が入部したからって、気を緩めるなよー! じゃあ、早速練習の準備に取り掛かるように!」
解散という合図とともに、円になっていた部員たちはバラバラに走り去って、道具を持ち運んでいました。
「あの......、私たちは何をすればいいのでしょうか?」
右も左も分からない状態で野球部のマネージャーになった私と友人Aは、どんな仕事をすればいいのか監督さんに訊ねます。
「ん? あー、そうだな......。 じゃあ、この洗濯物を洗っといてもらえるか?」
そう言われて、大きな洗濯カゴを渡された私たちは驚愕しました。 泥や汗でドロドロに汚れている部活着を目の前にしたからです。 __これを洗うの......?
「えーと...、じゃあ洗濯機の場所教えてくれますか?」
友人Aは鼻をつまみながら(かなり失礼)、監督に質問します。 __返ってきた言葉は思わず耳を疑ってしまいました。
「洗濯機なんてもんはないぞ。 手洗いでなんとかしてくれ」
そう言った監督は、大きなタライと、ギザギザした木製の板、洗剤液だけを残していき、グラウンドの方へと去っていったのです。
「みずきー......」
既に不満でいっぱいな友人Aは、目元に涙を浮かべてました__まだ入部してから10分も経っていないですよ?
「__がんばりましょう」
私達は鼓舞して、目の前の難関を突破しようと努力するのでした。
「えーと、まずタライに水をいっぱい入れて......、それから、洗剤を加えて......」
私たちはグランドの端にある水道所に移動して大きなタライにいっぱいの水を入れます。昔おばあちゃんが手洗いでしていたのをうろ覚えでしたが、なんとか思い出して洗濯の準備を整えます。
「そして後は、汚れ物を入れて__踏みます」
大きなタライに女子中学生の生足が四本入水して、先輩たちが着ていた服をふみふみするのでした。 __なんか卑猥です。
洗剤の入った水を踏むことで、沢山のシャボン玉ができるのでなんだか楽しくなってきました。
「__そういえばさ、なんでみずきは髪切ったの?」
シャボン玉がパン! と弾けると同時に、友人Aが訊ねてきました。 __気付いていたの?
「そりゃ気づくよ! 腰まで長かった髪が、肩あたりまで短くなっているんだもん!」
「変......でしょうか?」
私は昨日、お姉ちゃんにお願いして散髪してもらい、ショートボブのヘアスタイルになったのですが、首がスースーしてなんだか変な感じがします。
「ううん、すっごい可愛いよ!」
友人Aにそんなことを言われて、思わず私は照れてしまいます。 __今までは勉強だけが全てで、ファッションに疎かった私は、『可愛い』とか『キレイ』とか言われたことがなかったのです。
「あはは、照れてる~!」
私がもじもじしていると、友人Aがからかってきます。 __やめて下さい、私のHPはもうゼロです。
「は、はやく、洗濯しますよ! サボらないで下さい!」
早く話を逸らしたい私は、仕事に専念します。 汚れ物を踏んで、踏んで、踏みまくります。 __別に怒ってないですよ?
洗剤から出来上がるシャボン玉の数は、先ほどの10倍ぐらい増殖されていき、あたり一面がシャボン玉だらけになります。
「こらぁー!! なにしとるんだ、お前らは!」
先程グラウンドに去っていった監督が轟々と怒りを燃え盛らせながら、私たちのところまでやってきました。
どうやらシャボン玉がグランドの方まで飛んでいき、選手がボールと間違えてグラブでキャッチしてしまったそうです。 __それは選手が悪いのでは......?
そんな言い分が通用するはずもなく、わずか入部1時間後に、説教される私たちなのでした__。
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「はぁー......」
怒られた私たちは、部活動の時間が終わったあと居残りをさせられ、罰として土や泥で汚れたボールを元の白色まで戻るように、布で磨く作業をしていました。
一回、二回こすれば落ちる汚れではなく、何度も布を上下にこすらないとキレイになりません。しかも、まだ100球ぐらい残っています。
「......もう、無理! 洗濯物の時から思ってたけど、マネージャーってしんどい! 汚いし、臭いし、怒られるし!」
溜まりに溜まった友人Aの不満が爆発して、磨いていた球を放り投げてカバンを手にとっていました。
「みずきも一緒に辞めよ? こんなのやっても何の得にならないし!」
確かに友人Aの言うとおりに、洗濯やランニングタイムの計測、ボール磨きをしても自分の為になりません。自分の為にならないことは、やる必要はない。 事実、私は今までそうしてきました。 __でも。
「__私はもうちょっとやってみるよ」
「......そっか。 がんばってね、みずき」
友人Aはそれ以上言ってこないで、部室から去っていきました。 私だけが、誰もいない狭い部室で黙々とボール磨きをするのでした。
「......残り10球」
友人Aが去ってから一時間が過ぎ、先程までボールが入った籠の底は視認できなかったのですが、今は両手の指で数えることができる量になりました。
「おー! がんばってるな!」
「っ!?」
私は突然後ろから聞こえてきた声に驚いて、金縛りにあったように固まってしまいます。
「えーと、天野だっけ? こんな時間までボール磨いてもらって、ありがとな」
なぜなら声を掛けてきたのは、私が野球部のマネージャーをするきっかけになった先輩だったからです。
「せ、せん......ぱい?」
動揺しまくりで声が裏返りながら、なぜ先輩がここにいるかを窺います。
「ん? あー、いつも俺が一番最後に帰るから、監督から鍵預かって部室の戸締りをしてんだよ」
監督、そういうことは早く伝えてください。 私の心臓がもちそうにないじゃありませんか。 __てか、監督はもう帰ってるんですね。
「せ、先輩は、この時間帯まで何を__」
その質問をしようとした時、先輩のボロボロになったユニフォームが目に入りました。 彼は、こんな遅くまで野球の練習をしていたのです。
「わりぃな。 俺らがボール汚してんのに、キレイにしてもらって」
そう言った彼は、私たちの苦労を労うように笑顔で感謝の言葉を伝えてくれたのです。 __私は今まで、他人の事よりも自分の有意義になることだけを考えてました。
けれど、今日マネージャーの仕事で、他人の為に汗水垂らしながら働いて、その人が笑ってくれたら私の苦労は報われた、と思ったのです。
だから私は、好きな人が笑ってくれたこの瞬間が__すごく幸せだと感じました。
「もしなんかして欲しいことがあったら、遠慮なく言ってくれ。 俺ができることなら、なんでもするからさ」
彼は屈託のない笑顔で、そう言ってくれたのです。
「............ぇ」
「え?」
私の声は、先輩の耳に届かなかったらしく、目を丸くして私をじっと見つめていました。
「__なまえ! 先輩の、お名前を教えてください!」
先輩の耳に届くように精一杯声を出して、懇願します。 私だけが名前を知らされてるなんて、不公平です!
「ぶはっ! そっか、そういや自己紹介したのはマネージャー達だけだったもんな」
彼は私のお願いに虚を衝かれたらしく、思いっきり吹き出して笑います。 別にウケを狙ったわけじゃないので、とても恥ずかしいです。
「石上 晴之。 よろしくな」
__私はこの名前を、一生忘れることはないでしょう。
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「えー、伊能忠敬は、日本地図を最初に作ったひとであって、えー、55歳から日本各地を自分の足で歩いて、正確な距離を測った人物と言われています。えー、次に__」
翌日。 いつもは、歴史の先生が話する内容をなんとなく聞いていたのですが、今日はどんどん耳に入ってきます。 相変わらず、えー、という口癖は億劫ですが。
『名前』って素晴らしいですね。 昨日までは、歴史なんて人名や年号とかを暗記するだけの教科、だと思っていたのですが、人に興味を持つだけで生い立ちや考え方などが気になります。
いつもは授業が終わるまで、時計の針が一周するのにすごく苛立っていましたが、今日は気づけば放課後になっていました。
さあ、部活にいくぞー! と張り切って、教室から出て角を曲がると、人にぶつかってしまいました。
「す、すみません!」
こちらの不注意でした、ということを真っ先に伝えて、部室へと足を進めようとした__瞬間。
「おいこら、まてよ」
私の左肩が思いっきり掴まれて、歩行を中止されます。
「イタっ...!」
「ああ? 姉さんの方がよっぽど痛かったての!」
「ですよね、姉さん?」
私が掴まれた肩を痛がっていると、ぶつかった相手である『姉さん』と呼ばれている人が左胸を抑えていました。 __姉さんってなんですか? 姐妹なんですか?
よく見ると私の前にいる三人組は、全員が全員、上着の丈は短く、スカートは地面に着きそうなぐらいロングでした。 __スケバンでした!
「__お前、ちょっと面かせや」
姉さん、と呼ばれてる人が眉根を寄せながら私にそう言ったのです。 __私は、今からカツアゲされるのでしょうか......?
面を貸せと言われて、しぶしぶスケバン三人組に同行した私は、人影が少ない校舎裏に連れてかれて、壁ドンされてました。 こんなときめかない壁ドンなんて、経験したくなかったです。
「てめぇよ__野球部のマネージャーになったらしいじゃねぇか?」
「は、はい!」
なんでそれを知っているのか疑問でしたが、相手の機嫌を損ねないためにも元気よく返事します。
「__石上に手を出すなよ。 痛い目にあうからな」
「!?」
そう言い残した彼女達は、去り際にファ○クのポーズをして私を鬼のような形相で睨んでいました。
「......石、上」
皮肉なことに彼女が言った『石上』は、野球部員の中では『石上晴之』以外、存在しませんでした__。
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「............の。 ......まの。」
私は、不良女子三人組に警告されながらも、部活に顔を出し、毎日雑用をこなしていました。 今日は、野球部の深刻な部費問題の解決する為に、グローブの補修や服の裁縫をしています。
「__おい、天野!」
「はい!」
突然、私の耳に大きな声が響いたので、目を丸くして背筋をピンと伸ばしました。
「すまん、さっきから呼んでいたんだが」
「あっ...、すいません先輩。 なんの用だったでしょうか?」
「いや、用っていうか......、手大丈夫か?」
「手?」
先輩が私の手を指差したので、そちらの方に視線を向けます。 すると、血だらけの手が眼に映し出されたのです。
「ひぇ......!」
ものすっごく痛いです。 どうやったら、こんな痛みに気付くことなく過ごせるのでしょうか...! てか、原因はいったい何なんですか!?
「いや、さっきから裁縫針で、ブスブスと手に刺していたんだが......」
先輩が憐れむような瞳で私を見てきます。 そんな目で私を見ないで下さい!
「ったく....。 ほら、手貸しな」
先輩は頭をがしがしと掻いてから短いため息をついて、そっと私の手をとりました。
「あっ......」
血が流れている部分をタオルで拭き取り、絆創膏で優しく包んでくれたのです。
「最近、ボーっとしているけど、なんかあったのか?」
先輩は、心配そうにこちらを見ています。
「__なんでもないですよ。 ちょっと徹夜で勉強したので、疲れちゃってるみたいですね」
私は、先輩に余計な心配をかけたくなくて、不良女性に絡まれたことを口に出しませんでした。 先輩は野球だけを考えていればいいんです。
「...そっか。 じゃあもう遅いし、一緒に帰るか」
先輩はそれ以上追求してこないで、一緒に帰ることを提案してきます。 __え、一緒に?
私が現状を把握することができなくて呆けていると、
「こんな夜遅くに、女の子を一人で帰しちゃ危ないだろ。 送ってくよ」
そう言って、さりげなく私のカバンを持ってくれた先輩は、同じ歩幅で隣を歩いてくれました。 __先輩、カッコよすぎです!
私はすっかり元気を取り戻して、これを機に先輩の事をもっと知りたいと思い、色んな質問をしました。
家族は何人いますか? ペットは飼っていますか? 好きな動物はなんでしょうか? 好きな女性のタイプは? 髪の短い女性って、どう思いますか?
さりげなく先輩の異性に対する好みを訊いてみたりもします。 私って、天才です! __まあ、先輩は困った表情を浮かべるだけで、質問に応えてくれませんでしたけれど......。 でも先輩と話しができるこの瞬間がとても幸せでした。
しかしこの時、有頂天になっていて気付きもしませんでした__私たちの後ろで、誰かが見ていたことに。
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__翌日。
昨日の幸せが収束するかのように、この日は、不幸の出来事が連続で起こったのです。
学校の登校時に、片方の上履きがない。
私が座る机だけが、向きが逆方向。
しかも椅子が、一つの脚だけ高さが合ってなくてガタガタする。
引き出しの中にはガムが捨てられていて、教科書がベッタリと張り付いていて取り出せない。
__いや、これは明らかに嫌がらせじゃないですか!?
不運だと納得するには、あまりにも奇妙です。
私は、犯人が誰なのか推測するために、女子トイレにこもり思案します。 教室だと、自分が座る椅子はガタガタするので、集中できませんからね。
さて__登校時から嫌がらせが続いてたとすると、昨日の内に策略は済んでいたということが判明します。 なにせ、私は部活動で誰よりも遅くに帰宅しています__その時には、上履きが両方あったのは確認済みですから。
では、一体だれが__
バシャーン!
「ッつめた!?」
私が犯人を特定しようと考えていたら、突如、上から大量の水が降ってきたのです。 ブラウスが濡れて、下に着ているピンクのブラジャーが透けて見えてしまいます......。
「ギャハハ! なんだ、今の間抜けな声!?」
個室トイレからの外から品のない声がしたので、この大量の水は人為的なものだと判断して、すぐ外に出ました。
すると、そこにはやはり、あの不良女性三人組が立っていたのです。
「なにするんですかっ!?」
私は篝火を強く焚き、轟々と怒りを燃え盛らせます。 __水で冷やされたからって、消え去ることはありません!
「アーシら、ちゃんと警告したよな? 石上に近づくな__って」
この不良女性三人組は、こともあろうに水をぶっかけた事を臆面もなく悔いておらず、私に非があるというのです。
「......なんで、晴之先輩と喋っちゃいけないんですか。 なんで一緒に居ることを許してくれないんですか。 __どうしてですか...? ちゃんと理由を述べてくださいよ!」
私は理不尽なこの状況に腹が立って、眉根を吊り上げて彼女の目的を追求しました。 __すると。
「__そ、それは......」
明らかに『姉さん』と呼ばれていた不良女性が、顔を朱に染めて動揺していました。 __あれ、その反応って。
「......アナタも晴之先輩が好き、なんですか?」
その言葉を告げると、先程まで獲物を狩ろうとしていた女豹の表情がみるみると緩んできいき、顔を真っ赤にしてました。 __スケバンでも女子ですからね。 恋する乙女だったわけですね......。
「だ、だったら、何だって言うの? あなたが、石上くんに近づかない、という決定事項は覆らないわよ」
図星を突かれた『姉さん』は、キャラが崩壊して素の自分が現れています。 名前をくん付けで呼んでますし。
__なるほど。 好きな人が、他の女子と仲良くしているところを見たくないから、近づくなってことだったんですね。
「私は、脅迫に屈して先輩から離れる__なんてゴメンです。 ......取られるのが嫌なら、アナタもマネージャーになればいいんじゃないですか?」
完璧な作戦です。 人手が足りないから万々歳ですし、それに、嫌がらせもやめてくれるでしょう。
「............」
私の提案に『姐さん』は、何故か悲哀な表情を浮かべるのでした。
「__私は駄目だ......。 いいか、また石上に近づいたら、今度はもっとひどい目にあわすからな」
吐き捨てるように言って、不良女性三人組は女子トイレから去っていくのでした。
__『無理』ではなく『駄目』と言った真意はなんでしょうか......?
『無理』だと、自分から諦めている意志が伝わりますが、『駄目』だと、自分で自分に制約をかけている節が感じ取れます......。
「どうすればいいんですかね......」
私は前途多難に苦悩して、やれやれといったポーズで首を横に振るのでした。
さて__この濡れた制服は、どうしましょう?
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翌日。 そのまた翌日も、私は不良女性三人組の嫌がらせをされながらも、野球部のマネージャーを辞めませんでした。
彼女達は先輩に危害を加えるわけではないので、私だけが我慢すれば、先輩との関係はこれからもずっと続いていくのだと思っていました。
__しかし、突然、終わりの予兆が起きるのです。
「次の試合に負けたら、野球部は廃部!?」
監督の話によると野球部はこの三年間、何一つ成果を残していないので、勉強を疎かにしながら結果を出せないのは、この学校の教育方針に背いている、との事で、校長が直談判したらしいです。
それに加えて__先輩はもう三年生なので、卒業が近づいてきています。
私にはもう、残された時間は少ないのです。 __しかし、野球部存続を賭けた次の試合に勝利するため、先輩は朝から晩まで野球尽くしな毎日です。
__そんな人に、『好きです』と伝えることができるはずもありません。
結局、私は何も行動を起こさないまま、試合当日を迎えたのでした__。
その日に、好きな人がこの世から消え去ると思いもせず。
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__どうして? なにが、起こったの......?
意味が分からない。 理解不能。 私は夢でも見ているの?
これが夢ならばどれだけ良かったか。
これが夢ならばこんなに胸が痛むこともないのに。
私は目の前で起こった現実を受け止めることができず、その場から逃げることしかできなかった。
認めたくなかった。 先輩__『石上晴之』が、消滅したことを。
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「どういうことだよ、てめぇ!」
私が逃げた先には不幸にも、不良女性三人組が立ちはだかっていました。
「なんで、逃げようとする!? __石上は......どうなったんだよ!?」
唾が無数に飛び交うほど大声でまくし立てて、私に状況を聞きだそうとしています__ですが、私には答える術がありません。
「__黙ってないで、なんか言えよ、てめぇ!!」
怒りが我慢の限界を超えて、私の胸ぐらを掴んで怒鳴り散らします__。
「__せん、ぱいは......きえ、ました」
私は認めたくなかった事実の現況を、彼女達に伝えました。 原因は不明だが、先輩が消滅したことを__。 その言葉を口から出した途端、私の目元に溜まっていた涙が頬を伝って、地面に落ちていきます。
「......はぁ? てめぇ、冗談言うのはやめろよ......。 石上くんが、急に消えるわけ、ないじゃん...」
彼女は、普段の男らしい口調がなくなり、失恋した乙女のような素顔になって、大粒の涙が頬を伝っていたのです。
「__冗談って、言えよ!!」
彼女の怒りと比例するかのように、私の体は宙にあがり、制服の首周りが頚椎に食い込んで、呼吸をするのが困難になってきます。
「くっ、くる...しい......!」
私の肺に酸素が供給されなくなり、みるみる顔が真っ青になっていくのが伝わってきます。
「なんで、......なんで、石上くんが消えなきゃなんないんだよ! おまえが......、おまえが__消えればよかったのに...!?」
__直後、私の首を絞めている力がだんだんと弱くなり、彼女の腕に黒い斑点模様が浮かび上がっていたのです。
「な、なんだよこれ...? く、くるしいぃぃい!!」
「い、いったい何が、起こってるんですか...?」
突如、苦しみだした不良女性の肌がどんどん黒色へと侵食され、それに比例するかのように彼女の叫び声が大きくなる。
「あ、ああぁぁあぁ!!」
全身の体が黒く侵食された瞬間__。
不良女性は『消えていた』。




