Chapter8『ルカ・トール』
ようやく……『恋愛物語』の当事者たちが出会う章……
とてもそうは見えませんが。
Chapter8『ルカ・トール』
風が出てきたね。
ひとけのない建物を彷徨いながら、ルカは思った。
まさに、彷徨っている、という表現がしっくりくる。
いったい自分が城のどこにいるのか、分からない。
ただ闇雲に下の階へ向かう階段を探しているに過ぎない。
「やっぱり、嘘ついてでも、誰かに案内してもらうべきだったかねえ」
ルカはとうとう床にへたりこんで溜息を吐いた。
公爵が「まずはリナとだけ会いたい」ということで、ルカは妹と別れた。
そして、ふたりのために用意された寝台のある客室を誰にも内緒で抜け出してきたのは、もしかすると一刻以上も前になるかもしれない。
真珠のついた髪留めをふんだんに使って結い上げた髪は、髪留めをすべてはずして、元のように垂らしてある。
衣装は着替えとして買って、鞄に詰めていたものに替えた。
うんざりするほどの時間をかけて設えたすべてを、公爵に会いもせずに無下にしてしまうのは、ルカとて残念に思わないではなかったが。
この城でもらったものはみな、部屋に置き去ってきた。
置いてゆけないのは、目の覚めるような紅に染められた爪くらいのもの。
金目のものは鞄のなかの金貨だけ。
あとは城から出てゆけばいいはずだったのだが。
「ま、すこしは下に降りられてるみたいだから……いつかは、なんとかなるんだろうけど。早くしないと、いつリナが戻ってくるか」
城の中でもふだんは使っていない区画に迷い込んだものか、座り込んだ床にはうっすらと埃が積もっている。
はじめのうちは城の使用人たちと何度もすれ違い、そのたびにびくびくしていたものだが、いまは、ひとの気配はまったくなかった。
窓のそとを見上げると、青の月がまともに目に入り込んでくる。
客室のように窓硝子は入っていない。
ただ岩壁を刳り貫いただけの、窓だ。
目に映るのは、やや上のほうが欠けて見える、下弦の月。
ルカに、満月のころのような体力はない。
「もうちょっと行ってみようか。こんなとこにへたりこんでても、仕方ないし」
ルカはかけ声とともに立ち上がり、ふたたび歩き出した。
*
廊下の突き当たりの扉を開くと、渡り廊下になっていた。
右手の方は、石壁。
左手の方は……森、に見えた。
さまざまな種類の木々が、間近に迫っている。
城の中庭だった。
寝台つきの客室に通されるとき、一度通っている。
「下まで降りたら……なんとかなるかねえ」
夕方通った中庭は、鬱蒼として前後の見えない迷路のようだったが。
侍女たちは、危なげなくその中庭を通ってルカたちを部屋に案内していた。
当然といえば当然だが。
「あたしにゃ、分からないなんか目印でもあるんだろうけど」
目印があったとしても、ルカに分からなければ、ルカにとって中庭は迷路だ。
もっとも……迷路なのは建物のなかも変わらない。
まだ中庭の方が上下がないだけ、ましかもしれない。
お誂え向けに、跳び移れそうなところに、木がある。
渡り廊下は身体半分ほどの壁と手摺りがついているだけ。
手摺りに登って跳んでも、背中を天井の縁にぶつけたりはしないはずだった。
「歩くのは、もううんざりだね」
ルカはそう、ひとりごちて靴を脱ぎ、手摺りの向こうへ落とした。
靴が落ちるくらいのじゅうぶんな間、耳を澄ましたが、堅い音はしない。
ルカの靴は木靴だから、真下が石畳にでもなっていれば堅い音が跳ね返ってくるはずだ。
ここでもらった布の靴は、もちろん部屋に置いてきている。
「ま、最悪、落っこちても死にゃしないね」
言いながら鞄を放り投げる。
衣装の裾を腰のあたりまでまくり上げて、きつく結ぶ。
「こんなの、ガキのころ以来だけど」
光砂による採光の関係で、街中にも木はたくさん植えられている。
場所をとって、たくさん木を植え、街の者の憩いの場となっているようなところもおおく、ルカもよくそこで遊んだものだったが。
「あたしも、けっこう重くなってるから」
息を溜めて、一気に跳んだ。
幹に抱きつき、枝に足をかける。
「なんとか、なるもんだね」
ルカがほっと息をついたそのときだった。
足下で、ばきり、と嫌な音がした。
とっさに腕にちからを込めるが、間に合わない。
浮揚感。
「ひっ」
引きつるような悲鳴とともに、ルカの身体は木を離れ、地に落ちた。
*
一瞬の意識の空白。
不思議なことに身体は痛くない。
いくら柔らかい土のうえでも、そんなはずはない。
「お嬢さん、ずいぶんとおかしな現れ方をするのだね」
ひとの声がした。
おそるおそる瞼を開けると、若い男の顔が間近にあった。
漆黒の瞳。
艶やかな黒髪に、青の月明かりがたゆたう。
「うわっ」
ルカは、吃驚して思わず跳び退こうとした。
「暴れると危ないよ。君は頭から地面に落ちてみたいかい? この高さなら落ちても瘤を作るくらいで済むだろうけれど、結構、痛いよ」
「び、びっくりするじゃないか。突然、目の前に顔があったら」
背と膝裏に青年の腕のちからを感じる。
慌てていて分からなかったが、どうやら青年に抱きかかえられているらしい。
「あたし、もしかして……落ちてきた?」
「まあ、あの状況はほかに形容しようがないだろうね。散策していて、靴が落ちてきて、鞄が落ちてきて、次になにが落ちてくるのだろうと見ていたら、おおきな音がして君が落ちてきた」
「落ちてきたとこ、受け止めてくれたんだね。誰だかしらないけど、恩にきとくよ」
そう言って、ほっと息をついたルカを、青年は不思議そうに見つめていた。
「な、なんかあたしの顔についてるかい? そりゃ、もしかすると酷いありさまかもしれないけど」
「そんなことはないよ。綺麗な青い瞳と、愛らしい鼻と唇と、思わずくちづけたくなる頬がついているだけ」
花のように笑う青年を、こんどはルカが不思議そうに眺める。
「……そんな物言い、真顔でする奴、初めて見たよ」
呆れた顔をして、ルカは青年の首に手を廻し、
「あたしは、ルカっていうんだ。次の公爵の候補で、リナってのが、たぶんいま公爵さまに会ってると思うんだけど、あたしは、その双子の姉のほう。つっても、リナみたく、なんかできるわけじゃないけど」
そう言った。
青年はルカを足のほうからそっと地面に立たせ、
「わたしは、シオン。よろしく」
そう、名乗った。
「どっかで……聞いたような名前だね」
きつく結んだ衣装の裾をほどいて皺を延ばしながら、ルカは首を捻る。
「ありふれた名前だ」
と、シオン。
「ま、そうかもね。じゃあ、シオン、助けてくれて、ほんとにありがと。見たとこ、ずいぶん細い腕だけど、あんたは大丈夫かい? 痣とか打ち身になんかなってないだろうね?」
心配そうにルカはシオンを見上げた。
夏だというのに上等そうな上着まで着込んでいている。
月明かりだけで、満月を過ぎて視力も森の民なみに戻ったルカには、よく見えないが、どうやら痛そうなところはないように見える。
「大丈夫だよ。わたしは見かけよりはずいぶん力もあるし、丈夫なんだ」
シオンが微笑した。
無邪気に見えて、どことなく、なにか探られているような。
暗くてよくは分からないが、ルカは相手の雰囲気を読むのは得意だった。
雰囲気を読んで、ヤバそうなら、膝蹴りの一撃、先制して逃げる。
街娼を襲って、金を払わず済ませようというケチな輩もおおい。
そのくらい出来なければ、自分の身は守れない。
そういう雰囲気が読めなかった頃、痛い目に遭っている。
ルカは眉根に皺を寄せた。
シオンの微笑に、なんとなく不愉快になる。
「恩人にこう言っちゃなんだけどさ、男なら、もうちょっと、すかっとした笑い方しないかい? そんな気持ち悪い笑い方、女に嫌われちまうよ?」
「そうだね」
シオンはそう言って、こんどはルカの言うとおり、明るい声で笑い出した。
*
「医務室に案内しよう」
靴を履き、鞄を肩にかけたルカに、シオンは声をかけた。
そう言われて自分の身体を見回すと、両腕の内側に擦り傷があり、血が滲んでいる。
とくに右腕が酷い。
慌てて木にしがみつこうとして、ついたものだろう。
いまがいままで気が付かないルカもルカだが、一旦、気になりだすと、たしかに痛い。
足や腿にも、ひりひりする場所がある。
「い、いいよ。こんなの舐めとけばなおるし。それより……」
言いかけたルカの言葉は、喉の奥で凍りついた。
いつのまにか、シオンはルカの真後ろに立っていた。
ルカの右手に、シオンの右手が重なっている。
まるで気配がなかった?
ルカの手に絡められたシオンの指先は、すこし冷たく、そして本人の言ったとおり、見かけ以上の力があった。
本能的にふりほどこうとして、できない。
シオンの唇が傷口に触れた。
ゆっくりと、味わうように傷口から零れた血を舐めとり、
「舐めておけば、なおるんだろう?」
そう、ルカの耳元に囁く。
「い、あ、そう、だけど……。あ、あんた、他人の血なんて、気持ち悪くないかい?」
呆然とシオンを振り仰ぎ、ルカが言った。
「そう思ったことはないけれど。でも、ルカ。わたしはどうしても君を医務室へ連れてゆきたいね。思ったより、酷いよ。跡が残ると大変だから」
そう答えたシオンの表情は、花の綻んだような微笑。
『へんな奴……』
心底、そう思う。
この世界にはたくさんの種族があり、なかには生肉や虫、泥など、ルカからすればちょっとぞっとしないものを好む種族もいる。
だが、他人の血を嬉しそうに舐める種族など、ルカの見知っている範囲にはいない。
もっとも、お伽話に聞いたようななかには、確かにいるが。
祈族。
王様や王子様や……ともかく、この世界で偉いひとたち。
祈りに依って世界を調停し、見目麗しく、気品に溢れ、そして、ひとの血を飲んで生きている種族。
伝説でも空想物語でもなく、たしかに居ることぐらいルカも知っているが、お伽話ってことにしておいたほうがいいほど、普通なら会えないひとびとだ。
とくに、ルカのような下層の者が会うことなどない。
ルカは、いま自分がその祈族の公爵が住んでいる城に来ているという事実と、目の前にいる青年の正体を関係させて考察してみようとは、つゆとも思わない。
祈族の城とはいえ、住んでいたり、働いていたりする者は、圧倒的に祈族以外の者がおおいのだ。
それが証拠に、ここにきて、ルカは一度も祈族には会っていない。
『ちょっと、おかしな感じだけど……このお城の奴なんだろうし。助けてもらったのは間違いないし』
などと考えながら、どうやら本気で心配してくれているらしい青年に対して、自分の素朴な感想は口にするまい、というルカにしては精一杯の気を利かせて、黙っている。
「わたしに治癒術が使えればいいのだけれど。魔法は得意なほうだけれど、どうもあれだけは相性が悪くてね」
シオンはルカのいらえを待たず、ルカの手を曳いて歩き出そうとした。
「あの、さ。シオン?」
ルカが、シオンを呼び止めた。
シオンが振り向く。
「あたし……。ちょっと、このお城、出ていきたいんだけど」
「何故?」
と、シオン。
しごく当然な反応だろう。
まだ早いとはいえ、もう光砂は完全に光を失ってしまっている。
青月の刻。
この世界の、夜。
「え、あ……ちょっと、買いたいものがあってさ。すぐ戻ってくるし。門の前まで連れてってくれるだけでいいんだけど」
「買い物? 確かに、夜を好む種族もおおいから、夜でもたくさんの店が開いているだろうけれど。大通りの店は閉まっているはずだし、残念なことに君みたいな可憐なお嬢さんが、ひとりで気安く歩けるほど安全でもないよ」
「い、いいじゃないか、なんだって! ハルセリじゃ、そういうとこ、ずっとうろついてたんだから」
むきになって、ルカ。
「よくはないさ。君はリナ、つまり、公爵継嗣、公女の実の姉なんだよ? 可愛い妹のためにも、危ないことをしてはいけないよ」
公女、という言葉が、ルカの耳を撃った。
あのこはもう、あたしとは違うんだ。
もう、ハルセリの、占い師のリナじゃない。
あたしの、妹じゃ、ない。
「だから、あたしは! あたしなんか、もうあのこのそばに居ちゃ、いけないんだよ! 分かるだろ?」
言ってしまって、ルカは両手で口を塞いだ。
でも、でも、それはほんとうのことだ。
そう、こころのなかで叫ぶ。
「すこし、話が聞きたいのだけれど。ルカ?」
静かな声で、シオンが言った。
「……分かった」
目を閉じて、歯を食いしばって、ルカは答えた。
どうせ、ひとりで城門まで行きつけそうにない。
「でも、リナには内緒だよ?」
ルカはシオンが頷くのを見て、それから、自分のやろうとしたことの理由を、話し始めた。
*
ルカとシオンは中庭の敷石の縁に並べられた煉瓦に、ふたりして腰をおろしている。
シオンは片膝を立てて、そこに肘を置き、片手をおとがいに当ててルカのほうを見つめている。
ルカは両膝を立て、両手を臑の前で組んで、膝の上に顎を載せて、地に視線を落としている。
夏の夜の庭。
ときおり木々のあいだを駆け抜けてゆく風が、心地よい。
「あたしさ、身体を売って、お金稼いできたんだ。そうしなきゃ、食べられなかったし、べつに……どうでもいいんだけど。でも、ほら、こういう偉いとこの奴って、気にする奴おおいだろ? よくよくわけも知らないくせして、陰口ばっか叩いてるような奴。……ここで出会ったひとは……いまのとこ、いいひとたちばっかりだったし、公爵さまは、わざわざあたしらのなかからお世継ぎを選ぼうってくらいだから、大丈夫だろうけど。世の中、そんな奴ばかりじゃ、ないしね」
ルカは膝に顔を埋めて、溜息をついた。
「いまからリナはいいとこのお嬢さんになれるかもしれないのに。姉の商売がそんなだって知れたら、リナは気持ちの優しい子だから、言い返すのもできないで、いっぱいつらい思いをするよ。だから、リナにはそんな姉なんかもう、居ちゃいけないんだ。それで、最初からいないことにしちまえば……てね。あたしは、どんなことしたってひとりでやっていけるし」
「だから、ひとりで出ていこうとしたんだね? リナには内緒で」
シオンの言葉に、ルカはこくりと頷いた。
「君は『公爵』という地位が、どんなものか考えたことはあるかい?」
シオンの言葉に、ルカは顔をあげた。
「偉い……んだろ?」
「もちろんだよ。公爵に面と向かって何かを指図できるのは、この世には、国王陛下、ひとりしかいない。家格から言えばカーチェスト大公爵や、ウィンチェスター公爵が同格とはいえ、王族だってエルザスの名には敬意を払ってくれる。そして、公爵の地位を保障しているのは、生まれや育ちではなくてね、リナ自身のちからなんだ。このエルザス領を護っていくことになる、彼女自身の祈りなんだ」
シオンはそう言って、ルカの頭に手を置いた。
「そんな彼女を、生まれがどうの、その姉がどうのと言って非難する者はいないよ。もしいたとしても、そんな者と彼女が付き合う必要を、わたしは覚えないけれど」
「でも、あたしには、なんのちからもないんだ。花だって咲かなかったし、魔法だって使えないし、なんにも、できない」
「君はいままで、リナを護ってきたんだろう?」
「いままではいままでさ。もう……リナを護ってくれる奴は、いくらでもいるさ」
「わたしは、そうは思えない」
シオンは、ルカの腕を取って、ルカを振り向かせた。
心細く惑う幼子の表情を隠そうともせず、ルカはシオンを見つめる。
「リナは公爵になるために、自分で決断できる意志を持とうと努力している。精一杯胸を張って、姉の背中に隠れていたいままでの自分を、叱咤している。でも、ほんとうは恐いんだ。君の言葉が欲しいんだよ、ルカ。いつもそばにいて、『大丈夫だ』と、言って欲しいんだ。公爵になれば、陰口など叩かれなくても、つらいことはたくさんある。ときには、身を引き裂かれるような決断をしなければならないこともある。そんなときに、君は妹のそばに居てあげないつもりなのかい? リナの命を守ることは、ほかの誰かにもできることかもしれないけれど、彼女のこころを護れるのは、いまのところ君しかいないんだよ」
ルカは、いまにも泣き出しそうな顔で、シオンの腕に縋った。
自分だって、そう思っていた。
そう思いたいと思っていた。
でも、城が近づくにつれ、リナがいままでの生活から抜け出せるかもしれないと思うにつれ、だんだん、自信がなくなって。
自分ではもう、どうしようもなくなって。
誰かに、言って欲しかったのだ。
リナのそばに、いてもいいのだ、と。
リナには、自分がいないと駄目なのだ、と。
哀しかった。
自分の気持ちも、リナの気持ちも、自分たちの過去も、これからの未来も。
なにもかもが哀しくて。
そして、なんて胸が熱いんだろう。
「リナは、君とふたりで幸せになる方法を探すために、公爵になる決意をした。君が護って、育てた優しいひとだ」
シオンはルカの肩を抱いて、穏やかな声で、そう言った。
「あたりまえじゃないか」
ルカはシオンの手をほどいて、立ち上がる。
おおきく息をして、シオンを振り返る。
シオンは笑っていた。
「あのこは、あたしの自慢の妹なんだよ」
ルカは微笑むシオンに、そう言った。
そう言って、ふと思う。
どうして、シオンはリナのことをよく知っているんだろう。
公爵に決まったことも、公爵になると決めた、リナの気持ちも。
まるで、その場に居合わせたみたいに。
あたしたちのことも、なにも言わなくてもよく知ってるみたいだ。
なぜ?
「ルカ。いまから医務室に連れていってあげる。いい魔法使いが詰めているから、そのくらいの傷、すぐに治してくれる。そして部屋に戻ったら、もうリナは戻っているはずだから、勝手に出ていこうとしたことを、きちんと謝っておくんだよ」
ルカの疑問をよそに、シオンも道の端から立ち上がって、ルカに言った。
「な、内緒ってことにしてくれないのかい?」
素っ頓狂な声をあげて、ルカは呻いた。
このことがばれたら、リナは泣き叫ぶくらいでは済まないだろう。
泣くのはもちろん、三日くらい拗ねているのは間違いない。
三日で済めばいいけど。
「わたしから告げ口したりはしないよ。でも、自分から謝るんだ。君は謝らなければならないようなことをしたんだから。いいね?」
シオンの言うことは正しかった。
荷物を持ってきてしまっているので、部屋に戻ったリナは、当然、気づいているはずだった。
いまごろもう、どこかで騒いでいるかもしれない。
「そうだね。あたしが悪かったんだもんね。そこはきちんとしなきゃ、いけないね」
深い溜息をついて、視線を落としていたルカはシオンを振り仰いだ。
と、同時に、なにかが地に落ちる音がした。
あるいは、ひとが倒れるような。
「シオン?」
石畳のうえに、シオンが倒れていた。
慌てて助け起こそうとして、彼の身体がとても冷たいことに気づいた。
息も、浅い。
何度も名を呼んでみるが、いらえはなかった。
閉ざされた瞼は、微動だにしない。
「誰か! 誰か来ておくれよ! たいへんなんだよ!」
ルカは闇の彼方に向かって、声の限りに叫んだ。
月明かりの闇に、風が吹き渡る。
「誰か!」
やはり捕食対象者は美味しそうでなくては。
この章は、まあ、そういう話です。
姉妹の絆、為政者の孤独……いろいろテーマはあるんですが、次の章でこの話、一気に恋愛ものらしくなります。
こ……請うご期待?