Chapter10『恋』
一夜明けて……ふつうに恋する乙女と、なんとなく妙な具合に張り切る公爵。
あと、この物語最後の主要登場人物(とはいえ、ここしか登場しない)が登場。
ただ座って話してるだけですが、なぜにこんなにラスボス感漂うんでしょう……いちおう、いい王さまなんですけど。
Chapter10『恋』
意識のかたすみで、ルカは物音を聞いている。
遅れて、美味しそうな食べ物の匂い。
焼きたての麺麭と、たっぷり乾酪の載ったふわふわの卵。
鶏がらのスープ。
それから……
「もうそろそろ、起きて欲しいところだけれどね? お嬢さん」
聞いたことのある声に、ルカは目を覚ました。
ティータが腕組みをして、ルカの顔を覗き込んでいる。
「ティータ? どうして、こんなとこに……」
ルカは言いかけて、ふと、思う。
こんなとこって……何処だっけ?
頭が重く、身体が妙に怠い。
「どうしてこんなとこって……それを聞きたいのは、わたしのほうだけど」
そう答える、困った顔半分、笑った顔半分のティータを眺めながら、ルカはゆっくりした動作で寝台に身を起こした。
ひどい眩暈がする。
「さっさと服を着て、顔でも洗って。せっかくの昼食が冷めてしまう」
ティータがそう言って、ルカに服を押しつけた。
言われて初めて、ルカは自分が掛布のほか、なにひとつ身にまとっていない事実に気がついた。
なぜ?
そう疑問に思いかけて、だんだん、昨夜のことが思い出されてくる。
なぜ、じゃない。
なぜ、じゃなくて……。
「ティ、ティータ?」
いまやルカは完全に目を覚ましていた。
慌てて服に袖を通そうとして、目を回す。
頭から血がひいてゆく。
ようするに、貧血だった。
ルカはあまり経験したことはなかったが、そのくらい分かる。
症状などともかく、こころあたりがある。
首筋に、鈍い痛みがある。
シオンが……きのうの夜、最後にくちづけてくれたところ。
鏡を見てみないとどんなになっているか分からないが、傷になっているのは確かだ。
眩暈を誘う、甘い痛み。
「わたしは、どうしてお嬢さんが、よりにもよって公爵閣下の寝台で目を回しているのか、さっきから気になってしようがないんだけど?」
ティータは衛士の制服の皺を気にしながら、寝台のそばの椅子に腰掛けた。
昨夜、ルカが座っていた椅子だ。
「そりゃ……いろいろと……。その場のなりゆき……」
しゃべっていて、心臓がどきどきしてくる。
シオンと一緒だった、きのうの夜のことを思うと、頼みもしないのに頭に血が昇ってくる。
くらくらする。
ただでさえ、血が足りないのに。
「まあね。そんなところだろうね」
ティータは小さく溜息をついた。
べつにルカを責めているわけではないことは、その表情から見て取れる。
「それより、わが君の手がこんなにも早かったっていう事実のほうが、わたしにすれば、どちらかというとよりおおきな驚き……かしらね」
ティータはそう言うと、もういちど溜息をつき、肩を竦めた。
*
服を着て、怠い身体を押して食事を摂ると、ルカもようやくひとごこちついてきた。
ティータのおしゃべりは相変わらずで、ルカはなにも質問しなくても、いろいろなことを知ることができた。
まずはじめに、これがなによりルカにとって頭の痛いことであったが、ティータより一足さきにこの部屋を片付けに訪れた侍女たちによって、いま、厨房と洗い場が公爵とルカの仲についての話題でもちきりであること。
王都からの招請を受け、リナとライラが今朝早く転移魔法で王都へ向かったこと。
それはおそらく、リナの公爵継嗣内定の国王謁見を取り急ぎおこなうためであろう、ということ。
その王都行きには、当初は病の関係で、エルザス公爵みずからは加わっていなかったが、急遽、公爵自身もおもむくことになったこと。
今朝方、ティータがちらりと見かけた領宰閣下は、まるでこのひとつき満足に眠っていないかのように疲れ果て、沈痛な面持ちで回廊を急いでいたこと。
その逆に公爵閣下は、なんだか妙なぐあいにうきうきしていたようにしか、ティータには見えなかったこと。
「今朝方ね、貴女のことを言付けに、早番で衛士の当直室にいたわたしのところへ、わざわざ公爵閣下がお越しくださったのには驚いたわ」
ティータがくちもとを食事用の白布で拭いながら、言った。
「あたしのこと、言付けるって、なんて?」
と、ルカ。
「貴女があんまり退屈なのも可哀想だから、閣下が出かけていらっしゃらないあいだ、面識のあるわたしが話し相手をするように、との仰せ。ただし、たぶん昼までは目を覚まさないし、場所も、貴女の部屋じゃなくて、閣下のお部屋だって。ご丁寧に今日と明日のわたしの勤務日程をすべてはずしてくださったうえで。しかも……閣下は……なんだか妙だったわね」
「み、みょうって?」
シオンが妙って、どんなだろう?
と、ルカは思った。
あたしには、いつも妙に思えて仕方ないけど。
とくに、あのしゃべりかたとか。
「なにが妙なのか、わたしもはっきり言えない。……あえて言うなら、なにか突拍子もないことを企んで、うきうきなさっているような。ほら、よく男の子が悪戯を思いついたときみたいな……。おかげで、半日のあいだ、わたしがどれだけ想像をたくましくしてしまったか……」
ふう、とティータは息をついた。
陶器の茶器にお茶を注いで、恨めしそうに続ける。
「じぶんではこれでも良識のあるおとなになったと自負していたのよ? そりゃ、若い頃はずいぶん無茶したものだけれど。かりにもふたりの子供を育て上げたんだから。……でも、今回、悪友たちの火遊びにきゃあきゃあ言って聞き耳を立ててた昔と、自分の中身がぜんっぜん変わってなかったってことに気づいて、衝撃だったわ」
分かるような分からないような理由で憂鬱そうにしているティータに、どう声をかけていいのか分からず、ルカは控えめに口を挟んだ。
「じゃ、ティータは……あたしのこと、怒ってないんだね?」
「怒るって?」
「シオ……公爵さまと、あたしのこと」
「なにをどう怒ればいいのか分からない。公爵閣下は、あれで城の者にも領民にも、敬愛も信頼もされていらっしゃるし、わたしも信頼してる。閣下が貴女をお望みで、貴女もそれでいいなら、なにも問題はないんじゃない?」
ルカは言葉に詰まった。
たしかに、そう言われてみれば、そうかもしれない。
「ま、そうだね……。こいびとなんかほかにたくさんいるもんね。ここのお城には、いないかもしれないけど。ほかのどこかに、何人も」
ティータが考え込むような顔つきをした。
ややあって、首を捻りながら、ティータはルカに言った。
「いろいろ……思い出してみたんだけれど。公爵閣下は特定の愛人はお持ちではないと思うよ。とくに最近は、いない」
ルカが目を丸くした。
「でも、ティータが知らないだけってことも」
「それはそうだけれどね。けど、衛士っていうのはいちばんそういうことに詳しくなれるんだよ。なにしろ、閣下がお忍びになるにしろ、向こうから閣下を訪れるにせよ、衛士のひとりにも会わずにっていうのは難しいからね。ふつうは先手を打って、衛士には話を通しておくよ」
ティータの言葉に、ルカは一言もない。
「まるで女っ気がなかったっていうわけじゃないよ。二十年で数えるほどしか覚えがないけれど……。でも、その公爵閣下のお相手って、下心があって商人なんかから献上されてきた遊妓とか娘さんたちとか。なんていうか、玄人といえばいいのか、後腐れがないひとたちっていうのか……。それだって、いまは、いらっしゃらないと思う」
「玄人っていうと、いちおう、あたしもそうなんだけど」
ルカはそわそわしながら、ティータに言った。
「あたしもきっと、すぐに捨てられるんだろうね」
そう、自分で言ってしまって、なんとなく、悲しくなってくる。
そんなの、あたりまえのことなんだけど。
シオンみたいなひとに、ずっと大事にしてもらえるだなんて、考えちゃ、バカだよね。
「感傷に浸ってるところ、申し訳ないんだけどね。お嬢さん」
呆れかえった顔で、ティータが言った。
「貴女の妹さんは、次期公爵となられると、わたしは伺ったのだけれど?」
こくり、と、ルカは頷いた。
「その姉を、閣下がお戯れの相手にして、すぐに捨てたりしたら……大問題になりそうな気がしてならないんだけれどもね。いろいろと」
たしかに……そうかも。
でも。
ひとりで青くなったり赤くなったりしているルカを、ティータはさも馬鹿らしいといった面持ちで眺めている。
食べ残して冷えてしまった昼食の残りのうえに視線を彷徨わせるルカの金髪を、手でくしゃりとかき混ぜて、
「しっかりおしよ」
そう言った。
「なんにせよ一筋縄ではいかないかもね。でも、閣下はわたしの見るところ、誠実な方だし、ずいぶん、貴女のことをお気に召されたようだし。恋する乙女としては、ここが頑張りどころじゃないか」
「こ、恋って……そんな、ティータ、それは、か、考え違い……」
考え違いでも、なんでもない。
ルカは、頬を染めて、そう思う。
たしかに、あたしは、恋をしてる。
こんなの、初めてだ。
シオンのことを考えるだけで、胸が痛くなったり、熱くなったりする。
どうしたら……いいんだろう?
「色恋なんて、なんのかのと言いながら、はたの者は高見の見物してるしかないんだけれどね。まあ、わたしみたいな年増女の景気づけよりは、リナさんの恋占いのほうが役に立ちそうだね」
ティータはルカの言葉など耳に入らないのか、聞かない振りをしているのか、勝手に話を進めていた。
ルカは、『リナ』の名を聞いて、急になにか大切なことを思い出しそうになった。
大切なことだが、思い出さない方が、いいこと。
そう、あたし……
「ティータ!」
突然、名を叫ばれて、ティータは跳び上がった。
「どうかした?」
「リ、リナは、あたしとシオンのこと、知らないんだ! おとといからケンカしてて、口もきいてくれなくて……どうしよう。帰ってきて、お城の誰かから聞いたら、卒倒しちまうかも!」
ティータは、無言。
帰ってこなくても、もう、卒倒するものならしているかもしれない……という思いつきは、敢えて口に出さない。
なにしろ、リナは公爵閣下と王都に行っているのだ。
「こんな可愛い娘をほっておいて、いまごろなにしていらっしゃるのだか。わが君は」
相変わらずひとりで青くなったり赤くなったりしている、ルカの背を撫でてやりながら、ティータは、軽い溜息とともに、呟いた。
*
王都アルジェス近郊、王城内第二庭園『薫る風の庭』にて、エルザス公爵は国王に拝謁を許された。
国王に拝謁願うためには、事前に用件を伝えておく必要がある。
エルザス公爵であろうと、その規則は曲げられるものではない。
もちろん、規則に従い、事前の打診はなされている。
ただし、『ごく私的なことで、陛下の内諾を得たいことが』などという、曖昧きわまりない打診である。
公爵位にある者でなかったら、国王は一顧だにしなかったであろう。
また、そんな適当な打診で拝謁が叶うと確信している公爵は、いまのところ、この世にエルザス公爵ひとりしかいまい。
ウィンチェスター公爵、カーチェスト大公爵はともに、まだ爵位を継いで日が浅い。
拝謁の時刻は銀月の刻八節より。
リナの公爵継嗣内定の国王謁見式が執り行われた日の、昼下がりのことである。
*
「このたびは陛下みずから、わが娘の爵位継承をお認めくださり、感謝いたします」
エルザス公爵はそう言って、恭しく眼前の主に頭を下げた。
クアス・セトゥス・クレスエンド・レスアルジェノン
神の血をひき、神の名を持つ、祈りの祭主。
その髪も瞳も、公爵のそれとは比べものにならぬほどの昏さを帯びた漆黒。
蒼白な肌は、磨かれた大理石のよう。
威厳に満ちた容姿は、譬えるならば、青月に輝く銀の剣とでもいうべきだろうか。
その美しさは容易にひとを狂わせ、そして、その切っ先は音もなくひとを切り裂く。
外見的な年齢は、三十になるかならずかといったところ。
エルザス公爵よりやや年輩には見えるが、それとて、むろんのこと、この美貌の王の正しい齢を示してはいない。
かの王の治世は、すでに千年を越えている。
「突然のことではあったがな。この件は、かねてよりの懸案であった。わたしも、そなたの領民が領主不在の混乱に巻き込まれることは好まぬ。感謝するには及ばぬよ」
現アルジェス国王クアスはそう言い、エルザス公爵に席を勧めた。
公爵はもういちど軽い礼を執って、勧められた椅子に腰掛けた。
庭園の四阿には、夏の風にのって涼しい薔薇の香りが薫っている。
庭園内には、ふたりのほか、ひとけはない。
「こちらの思惑は、見事に踏みにじってくれたようだが。おおくは言うまいよ」
暗に王子キリエの降家の目論見が、水泡に帰したことを仄めかす。
しかしその件はそれだけに止めて、国王は薄い微笑を唇に、椅子の肘掛けに肘を置き、胸のあたりで血の気のない皓い指を組んだ。
「それにしても怖ろしい逸材ではあるな。初代ウィンチェスター公爵以来ではないかね? 異族の者が、祈族の血を享けて公爵になろうというのは。男爵領や、子爵領の護りならばありふれたことではあるが」
公爵は首肯した。
「そのちからに、本人すら気づいてはおりませんでしたが」
この言葉には、国王もすくなからず驚いたようだった。
漆黒の夜の瞳に、わずかに興味の色が過ぎる。
「では、そなたがひとをして探し出したのかね?」
「いえ。そのような浪費は我が親愛なる領宰どのの許すところではありません。向こうから我が城を訪れてくれたのですよ。……聞くところによると、占いの啓示を受けたのだとか」
「ほう。では、未来のエルザス公爵は、未来読みのちからも持っている、か」
「いかほどのものかは、わたしもまだ測ってはおりませんが」
「これはますますそなたの僥倖を羨まねばなるまいね。あのように輝くばかりの美貌であるばかりか、我が魔法院でも希少なちからにも恵まれているとは」
エルザス公爵は、王の言葉に微笑。
「羨みのついでに、もうひとつお耳に入れておきたき儀がございます」
「それが、そなたの『ごく私的なこと』と、いうわけかな?」
「ご明察にございます。わが君」
「我が宮廷随一の策士たるそなたに、『わが君』などと改まって呼ばれるのは、少々、気味が悪いが。聴こう」
国王は組んでいた指を解き、頬杖をついた。
「近々、わたしは結婚を考えております」
公爵が言った。
「それは初耳だが」
と、王。
「お耳に入れたのは陛下が初めてでございます。実のところ、まだ想いびとの承諾も得ておりません」
国王が笑った。
僅かに、冷笑の含みがある。
「それはそれは。ならば、そなたの恋の成就を祈らねばなるまいよ。末永く……とは、いかぬであろうが」
王の冷笑は深くなった。
王は、公爵の命が長くないことを知っている。
「だが、そのようなことを何故、我が耳に入れようとする? 王は臣下の婚姻には口を挟まぬ。我が娘のひとりでも想いびとにしているのならべつだが。いま、王家に娘はおらぬ」
公爵が居住まいを正した。
その姿に、王は微笑を消した。
無表情に公爵を見つめる。
公爵が立ち上がり、片膝をついた。
公爵位にある者が王に執るべき礼のうち、最高のものだ。
「我が恋の成就したあかつきには、我が想いびとが望みましたなら、是非、わが君の血族に、かの者をお加えくださいますよう、お願い申し上げます」
国王が、絶句した……かのように見えた。
表情には表れない。
幽かに、瞳に宿る光が険しさを増しただけ。
「妻に、と望むならば、なにも我が血族でなくてもよいのではないかね? そなたの血でなければよい。わたしは、そなたがウィンチェスター前公爵カレルと懇意であったと記憶するが? 彼の血統も、そう悪くはなかろう」
国王は公爵に跪拝を解くよう命じてから、気のないふうに言った。
「陛下には申し訳なくも、その件はすでに考慮いたしました」
椅子に座り直しながら、公爵。
「なにか不都合でも?」
「転化の儀式には最低……ひとつきはかかります」
「たしかに」
『転化の儀式』とは、異族を祈族の血統に加えるための儀式である。
祈族になるということは、外見的にはほとんど変わらないものの、生まれもっての身体のありようを変えてしまう。
歳月をその身に刻むことなく、ひとの血を飲んで生きる者へ。
一気に変化させてしまうのは、肉体の苦痛も心的な影響もおおきく、あまりに危険なため、できるかぎり緩やかな変化が求められる。
公爵の言った、ひとつき、とは、その最低限を指していた。
「ウィンチェスター領は、いささか遠いように思われまして。転移魔法を設えることにして十八名の魔導士を動員せねばなりません」
「エルザス公爵ともあろう者が、それしきの人材に苦慮しているとは思えぬのだがね」
「苦慮することになるのですよ、わが君。王都へならば六名。そのくらいの数なら、わたしも領宰に内緒で魔導士に都合をつけ、足を運ぶこともできますが、十八名となると……そうそう会いにゆくというわけにもゆきません。こいびとに会うこともままならぬひとつきなど、考えたくもないのですが。なにぶんにも、さほど長い命でもございませんゆえ」
国王の顔が、あからさまに嘲笑を刻んだ。
「なかなか……公爵にしては気の利いた冗談ではあるな。わたしのほうで付け加えるなら、どうせ祈族の血を享けるならば、公爵よりは国王のほうが見栄えがして、想いびとも喜ぶであろう……そういったところだろうか」
「我が想いびとは、あまりそういったことには関心がないようなのですが。しかし、そういうことにしておいていただきましても、差し支えないかと」
花のような微笑を頬に、公爵は言った。
「差し支えるね」
国王はうんざりしたようすを隠そうともせずに、公爵を睨め付けた。
「で、公爵。この馬鹿げた茶番にわたしを招いた理由を、そろそろ聞かせてもらいたいものだが。我が忍耐の代償には、さぞ素晴らしい貢物が用意されているものと推測するが?」
「たいしたものではございません」
公爵が、ゆっくりと首を横に振った。
「わが君に捧げ奉るのとおなじ忠誠を、カナン王子にも捧げるよう、誓約いたしたく思うばかりです」
国王の表情から、嘲りが消えた。
「それは、我が臣下たる公爵としては、当然であろう」
そのように言い、態度もさして気乗りするようではない。
しかし、貴族間の内紛を避け、平穏のうちにカナン王子の立太子を望む国王がいま、もっともエルザス公爵に求めているものは、その誓約であった。
エルザス公爵とは、クアス国王の即位以来の確執がある。
現在、力量の面からも資質の面からも、カナン王子の立太子には、おおきな異論は起こりようがないようにみえるが、これまでクアス国王の執ってきた手段は強引そのものだった。
そこを衝いての波乱は、じゅうぶんに考え得る。
また、ほかの者ならばともかく、エルザス公爵がその波乱を引き起こした場合、その規模がどれほどのものになるか。
国王でさえ読み切れず、それゆえ危惧している状況であった。
「むろん、そのとおりにございます」
公爵はさきと変わらぬ微笑を浮かべたまま、王に同意した。
「ですが陛下は常々、わたしにそれをお求めかと推察しておりましたのですが」
「まあ、よい」
王はみずからの意向を、事実上、認めた。
エルザス公爵シオン、宮廷にあって常にクアスにおもねることなく孤高を保ち、クアスをしてついにその権威失墜の糸口をもつかませなかった策士を、王は侮っていない。
「で、それを仮に認めたとして……永き歳月に渡る、そなたの反骨をいまになって改めようとする理由はなにかね? まさか、老いて心細くなった、などとは言うまい?」
「稚い娘に、ずいぶんと昔の黴の生えたような諍いをもちだして、つらい思いをさせることもないと思いましてね。このあたりが潮時かと。むろん、カナン王子の英邁な資質あってこその決断ではございますが」
公爵の言葉に、国王は破顔。
「で、そなたの舅になる権利を、わたしにまわそうというわけかね? ご丁寧なことだな。エルザス公爵がそこまで気の利く男だったとは、寡聞にして知らなかったが」
「王も、仲直りになにか名目があったほうが、いろいろと都合がよくていらっしゃるかと」
王がもういちど、笑った。
だが、その笑いは、これまでの遊戯の延長にある笑いとは、明らかに異質だった。
冷酷でありながらも美しく、残酷な華やかさに彩られた、支配者の微笑。
「よかろう。すべてそなたの望み通りにしてくれよう。そなたの想いびとは我が血族、我が娘として、そなたに嫁すことになる。気が向けば、婚姻の祝いに贈物のひとつもくれてやらぬでもない。顔も見ぬそなたの想いびとが、我が血族として鑑賞に耐えうるか、不安ではあるがな」
公爵は立ち上がり、椅子より一歩退いて礼を執った。
「容姿につきましては、陛下もすでに御覧になっておられます」
礼を解いて、公爵。
「我が想いびとは、本日、謁見の栄誉に浴しました、我が娘、リナのふたごの姉にございます。口を開かずにいれば、うりふたつかと」
「それは趣深いことだな、公爵。そなたもなかなか、良い趣味をしている……。せいぜい袖にされぬよう努めるがよい」
国王が立ち上がった。
それ以上なにも言わず、踵を返す。
会見は終わったのだ。
公爵に背を向け、庭園より立ち去る国王を、公爵は、ふたたび跪拝をもって見送った。
と、言う次第で話はどんどんまとまってゆきます。
公爵閣下が政治家として、それはそれなりに有能である……という点をPRする回です。需要があるのかどうかは不明ですが。
余談ですが、この世界には王族の他に公爵家が3つあります。
現カーチェスト大公爵の母親(前大公爵)は、国王の愛人で、現大公爵は、公認されていませんが国王の実子。
前ウィンチェスター公爵は、前国王(現国王クアスに殺された王)の末の息子で、現国王クアスの権力掌握後、ウィンチェスター家に養子に出されています。
また、本当に好きな相手と結婚せずに政略結婚したクアスの娘との間にできた息子にウィンチェスター家を相続させたため、現ウィンチェスター公爵は現国王の孫。
(なのでクアスには頭が上がりませんが、実は心情的には複雑なものがあるため、エルザス公爵と仲が良い)
という設定があります。
現国王が着々と自分の勢力を拡大するなか、唯一、国王と血縁の薄いエルザス公爵は、国王の反対勢力として宮廷内でちからを維持し続けていた……わけですが、この話で、その反目はいったん、収束を見ます。
ただし、エルザス家本体に国王の血縁を入れたわけではないところがミソ。
エルザス家はよほどのことが無い限り、リナの子孫が継ぐことになりますから。
おそらく、すべての公爵家が完全に現国王クアスの血統支配をうけることにより宮廷が現王勢力一色になり、反対勢力の鬱憤が地下に潜ることで将来起こりうる危険を回避するためだと思われます。
今書いている話にはなんの関係もありませんが。




