プロローグ 2
「お前、もしかして人形遣いのエルフォードか?!」
目の前の男に耳長男という、勝手な仮名を付けた弥生は思わず眉を潜める。
人形遣い。
エルフォード。
この二つの言葉に全く心当たりがない訳ではない。かつて日本中のゲーマーを巻き込んだVRMMOの世界に置いて、確かに彼は人形遣いであり、メインで使ってたアバターの名前はエルフォードだった。ゲームで遊ばなくなって久しいが、毎日のようにログインして遊んだゲームのことは今でも覚えている。
何故今になってその言葉が出てくるかはさておき、目の前の男はどうも自分のことを知っているようだ。懸命に記憶の糸を手繰り寄せて思い出そうとするも、心当たりどころか微かな記憶に掠りもしない。
「……えっと、どちら様?」
「俺だよ、俺! ほら、昔お前に散々デュエル申し込んだアルフォード!」
「アルフォード、デュエル……」
そう言われると確かに昔、嫉妬の炎を燃やしたプレイヤーに事ある毎にデュエルを申し込まれてたような気がする。ただ、それはあくまで仮想空間でのことであって、現実世界での出来事ではない。
「……あのさ、一つ聞いていい?」
「なんだ? 人形を連れてない今のお前なら俺でも余裕で──」
「いやそうじゃなくてさ。アルフォードさんは一体何の話をしてるの? あと、ここって何処?」
「何処って……あぁー、もしかしてお前こっちに来たばっかりか」
こっちに来たばかり? 一体何を言っているのだ?
「そういうことならここじゃない方がいいな。付いて来いよ」
一人で納得して、勝手に行動を起こすアルフォード。ホイホイ付いて行って良いものか迷ったが、どうせ宛もないし何か分かるかも知れないということで付いて行くことにした。
「足下には気をつけろよ。落ちたら助からないから」
注意されて、ようやく自分の立ち位置を思い出し、周囲に目を配る余裕が生まれる。
開放感のある空間なんてものじゃない。樹木の上にあるのは一つの町……いや、規模を考えれば村と呼ぶべきか。腰くらいの高さしかない柵の向こう側は雲の海。足場は狭く、道行く人々も接触事故を起こさないように大きく避けて歩いてる。
なるべく柵に近寄らないよう、おっかなびっくり歩く自分とは対照的に、アルフォードは歩き慣れた様子ですいすい進む。高所恐怖症という訳ではないが、どうしたらそんなに堂々としていられるか聞きたくなるくらい慣れてる。
吊り橋を二度渡り、大樹の裏側に回ると小屋を一回り大きくしたような、ぶっとい幹の中に埋め込まれた平屋が現れた。
「汚いとこだけど、まぁ上がれよ」
社交辞令かと思い、諭されるまま家に上がると本当に汚い空間が広がっていた。床に転がり落ちてるワインの瓶とゴミ。テーブルの上に積み重ねられた食器の山。壁に掛けられた、コレクションと思われる華美な装飾が施された西洋剣。思わず『食器ぐらい片付けろ』と言いたくなるがグッと堪える。
「まずは確認だ」
何の確認だと、抗議の声を上げるよりも早くアルフォードが人差し指を縦に軽く振る。すると低い音と共に何もない空間に半透明のウィンドが出現する。
「……っ!」
思わず息を呑み、手を口に当てる。その現象は良く知っている。仮想空間を冒険するVRMMORPGではキーボードを操作したりせず、仮想ウィンドを出してタッチ操作を行うのが常だ。
驚きのあまり声が出ない弥生を見て、意味ありげな笑みを浮かべながら頷くと、慣れた手つきで仮想ウィンドを操作する。数秒と待たず、キラキラ光るエフェクトと共にファンタジーの世界ではオーソドックスな形をした片手剣が彼の手元に出て来た。
「今のを見て何か思い当たることはないか?」
「思い当たるも何も……VRゲームじゃ当たり前の現象だよな?」
「そうだ。……で、ダラダラ長い説明するの嫌いだから結論だけ言うとな、ここ昔流行ったヴェルト・オンラインの世界だ」
「………………」
「…………」
「……なん、だって?」
「ヴェルト・オンラインの世界」
「………………」
平然とした口調で、とんでもないゲームタイトルが出て来たことに再度驚く。
ヴェルト・オンライン。かつて自分が嫌というほど遊び尽くしたオンラインゲームでもあり、ある時を境にその場にログインしてたプレイヤー全員を巻き込んでデスゲームを始めた、良くも悪くも有名なゲームタイトルでもあり、ゲームを離れる切っ掛けとなった作品でもある。
と言うのも、かつて弥生はこのデスゲームに巻き込まれ、現実世界への帰還を目指す攻略組のトッププレイヤーとして活躍してた時期があった。脱出するまでに掛かった時間は三年。ゲームの最終ボスであるツァトゥグアの落とし子との戦闘では多くの仲間の死を目の当たりにし、多大な犠牲と引き替えにゲームはクリアされ、同時にこの事件を切っ掛けにVRゲーム物は一切やらなくなった。
「ほれ、お前もやってみろ」
「…………」
目の前で仮想ウィンドを出されたにも関わらず、未だに半信半疑な彼は恐る恐る……といった動作で人差し指をたてて指を軽く振る。アルフォードと同様に、自分の目の前に仮想ウィンドが現れた。
なるほど。確かにここはオンラインゲームの世界なのかも知れない。
だが──
「ここがヴェルトの世界だっていう根拠は?」
最後のあがきとばかりに、反論を試みる。但し、アルフォードの顔を見る限り彼の望む答えが返ってくるとは思えない。
「町の住人に大陸の首都は何処ですかって聞いてみな。全員が口を揃えてアルフヘイムって答えるぜ」
アルフヘイム……確かにヴェルト・オンラインの世界の首都名はアルフヘイムだった。もう随分前に遊んだのに意外と覚えてるものだなと呆れたりもしたが。
「…………そうか。ヴェルトの世界か……」
「そうだ。……あぁ、一つだけ嬉しい知らせがある。どうも俺たちプレイヤーの強さは最後にログインした状態だ。つまり、元・廃人のお前は滅多なことじゃ死なないってことだ」
「……なんか作為的なものを感じるな」
過去の記憶を頼りに開きっぱなしの仮想ウィンドからステータス画面を開いて確認してみる。
レベルは最大上限の三○○。カンストしてるステータスあり。所持金は五Mゼニーちょっと。装備はなし。
アイテムストレージを開くと装備から収集品に至るまで無秩序にずらーっと文字の羅列が浮かび上がる。明らかな重量オーバーであるが、重量オーバーを知らせるアイコンが見当たらない。
「やっぱ気付いたか。なんかゲームと違って重量制限と倉庫サービスがなくなってるから倉庫に突っ込んでたアイテムは全部所持品扱いになってるぞ」
「あぁ……。道理で明らかに不要なドロップアイテムまである訳だ……」
この調子だと持ち物全てを把握するだけで丸一日費やしてしまうかも知れない。最後にスキルウィンドを開けば苦労して習得したスキルが並んでる。こっちはアイテムと違い、パッシブとアクティブに別れた上で五十音順に並んでる。
……と、ここまで確認してから一番重要なモノが抜け落ちてることに気付く。
「メインで使ってた人形がないな」
「はぁ? 人形遣いが使う人形もアイテム化して突っ込める筈だろう?」
「いや……狩り場に特化した奴と趣味で作った人形はある。ないのはメインで使ってた奴だけだ」
まさか愛情を込めて作り上げた一二体の人形だけは削除対象にされたのではないか? それならそれで悲しいものがある。
どうしたものかと考え込む弥生。が、数秒ほどで分からないものを考えても仕方ないと開き直り、ウィンドを閉じる。
「ま、そのうちアパートに戻ってるだろう」
「うむ。俺と同じことを考えてるなお前。だがここは紛れもなく現実だ」
腕を組み、うんうんと力強く頷くアルフォード。一度は現実じゃないかと信じかけてた弥生だが、仮想ウィンドの登場で一つの可能性を検討していた。
(電脳ジャックでもされたんだろうな、俺)
電脳ジャック。分かり易く言えば人間の精神を乗っ取る凶悪極まりない犯罪だ。
現代においてパソコンと言えば体内に埋め込むタイプのもの──ナノマシンを指す。そのナノマシンを足掛かりにして、最終的には人間の思考に都合の良い考えを植え付けたりもできる。
尤も、この手の犯罪はナノマシンが登場した当初から想定されていたのでよほどのマシンパワーとハッキング技術がない限りプロテクトを破ることができない。
……何故自分が電脳ジャックされたのかについてはこの際考えないでおく。
「でだ、最後に一つだけ言っとくとこの世界、どうもデスゲーム時代から五○○年経ってる上に転生職すら珍しいって状況だ。今のところ俺は誰かの為に動いたりとかそういうのはしねぇが、目立ちたくないなら気をつけた方がいい」
「そうか。……ありがとな」
軽く会釈をして御礼の言葉を述べてから部屋から出て行く。行き先は自分が目覚めた宿屋。目的は二度寝。もう一度寝て起きれば平穏な毎日に戻ってこれるだろう──と、このときの弥生はそう考えていた。
それは一つ目の吊り橋を渡り終えたところで目撃した。
「なんだあの人集り?」
冒険者に混じって住人たちが輪になって集まっている。見世物でもしているのかと思い、ついでだし野次馬に混ざろうかなと思ったとき、男の悲鳴が上から聞こえてきた。釣られるように見上げると空から重装備で身を固めた冒険者が降ってくるのが目に飛び込んだ。
「うわっ!」
周りの冒険者がササッと避ける中で、反射的に両腕を出すも、『なんで手出した、腕折れるだろ!?』と、明らかな失態に舌打ちをする。が、腕を引くよりも早く飛んできた男は差し出した弥生の両腕に不時着する。ずっしりとした重量感が伝わるものの、バランスを崩したり受け止めた腕が折れるといった事故が起こらなかったことに驚愕する。アルフォードから事前にヴェルトの世界だと言われているが、空から降ってきた男をこうも綺麗にキャッチするなど非常識もいいとこだ。
「うぅ、なんだ、あの……人っ形…………」
「人形? おい、何があったんだ?」
意味深な言葉を残して、気を失う見知らぬ冒険者。ざっと見渡した限りは怪我らしい怪我が見当たらないので地面に寝かせて、適当な野次馬を捕まえる。
「何が起きたんですか?」
「いや……。柄の悪い冒険者が人形と名乗ったメイド服の女にちょっかい出したらぴょーんって投げ飛ばされて……」
「投げ飛ばされた? どうして人形がそんな──」
「そのお声は……御主人様ですか!?」
二人の会話をばっさり断ち切るように、突如割り込んでくる声。聞く者に胸の高鳴りを感じさせる声音はまさにアイリッシュハープのような清涼さを持つ。
そんな音楽的美声に弾かれるように奥の者から順番に道を開けるそれはモーゼの海割りを彷彿とさせる。一拍遅れて、声の主と思われる人形なる者が周りの視線などお構いなしとばかりに駆けてくるのが見えた。
欧州系の古典的な美人を意識した顔立ち。薄い茶色の瞳に整った鼻梁に真っ白な肌。そして極めつけは帯剣してる聖剣エクスカリバーにメイド服に見せかけた妖精王の加護を身に付けた女性……いや、人形が弥生の姿を確認すると同時に速度をあげる。
「………………」
サァーっと血の気が引くのを感じた。そして思い出した。いや、思い出してしまったと言うべきか。
あの人形を作ったのはいつだ? 厨二病最盛期だ。
後先考える年頃か? デスゲーム開始まで永遠のソロだった自分が後先考えて控えめな設定を作るわけがない。
彼女は何体目の人形か? 忘れられるものなら忘れたい処女作だ。
そっくりさんかも知れない? 理性で否定しても、感情が彼女は本物だと告げている。
「ま──」
「御主人様……っ!」
想い人との再会に感極まって思わず全力で抱きつく三○○レベルの人形と、穴に入って顔を枕に埋めてジタバタもがいて叫びたい気持ちの弥生。
アデルフィアシリーズ長女・リーラ。
最強の人形と言えば聞こえは良いがその事実は若きリビトーを詰め込んだだけの黒歴史の結晶体である。
また、騒ぎを聞きつけてやって来たアルフォードはリーラの姿を見て『忘れもしねぇ……あいつは俺を毎回秒殺した人形だ……ッ!』と、血相を変えて方向転換。世界樹の町ではかなりの知名度を誇るアルバートさえ恐れる相手と知った住人と冒険者の反応は正直で、蜘蛛の子を散らすように逃げていった。