アリアドネの迷宮 5
アリアドネの迷宮1と2を大幅に改訂しました。具体的にはギルドの対応とか条件とか。
外での野営と違い、ダンジョンは楽でいい。
下層へ降りる階段の隣には魔物が入り込めない休憩室。ゲーム用語でいう安全地帯である。
「至れり尽くせりだな」
念のため、アルフォードに中の様子を確認してもらってから休憩室に入る。十畳ほどのスペースが広がっているだけの部屋。差し詰め、魔物からの脅威は払ってやるが必要なものは自前で用意しろといったところか。
弥生は慣れたに仮想ウィンドを操作して野営に必要なものをポンポンと出す。
人数分のシェラフ、魔導ランプ、街で買った携帯食料がたちまち放り出される。これを実際に一人で背負っていどうするとなればかなり重労働だ。自衛隊のフル装備でも三○キロは超える。
「まずまずのペースってとこか」
弥生よりも早くこの世界にやってきたアルフォードはどさっと座り、早速食料に手を付ける。オルフェウスで購入した長期保存の利く干し肉をもしゃもしゃと頬張る。後で知ったことだからほぼ無制限にアイテムを収納できる空間を持っているのは地球組だけらしい。ジェシカ達も同じことは出来るが自分の体重の二倍以上のアイテムを収納することは出来ないらしい上に放り込めるアイテムも一○種類までと制限されている。女には優しくない仕様だ。
「グラードワームはどうする? 流石に紗音さんたちには厳しいと思うが」
「俺らでやるのがいいだろ。良い装備付けてるって言っても直撃したらヤバいし」
事前情報によるとグラードワームの背中に生える上魔石は生きたまま採掘しなければ意味がないらしい。魔石鉱ならともかく、生きたままの状態で上魔石を採掘する。凡人ならそんな離れ業など出来る筈もないと思考停止するところだが、彼らは違う。
「拘束系のスキルで動きを封じる、或いは状態異常を使うかのどっちかだな」
「そうだ。ただの【バインド】でも五秒ほど拘束できるからその隙に【スリープミスト】決めれば後は簡単だ」
「楽な仕事と言えば楽だけど、問題はリポップ間隔だな。……話は変わるけど、ジェシカ達は今日一日戦ってみてどうだった?」
「あっ、そうですね。私今まで冒険者がどんなことをしてるか知らなかったんですけど──」
わいのわいのとジェシカたちを交えた雑談が始まる。最初はお互いの身の上話から始まり、彼女たちでも受け入れられるような下ネタで場を暖め、いつの間にかアルフォードが少女ら三人を口説き落とそうと奮闘していた。
(きっとお酒のせいだ。俺がこっちに来たのも二日酔いのせい。お酒は万国共通の最終兵器。うん、そういうことにしよう)
それ以上の考えは彼の脳内PCでは限界だった。
ふと、そこで紗音の姿が見えないことに気付く。今やこの階層の魔物が相手ならソロでも安全圏と言えるが、女の一人歩きとなれば話は別だ。
目の前で盛り上がる一同水を差さないようなるべく静かに立ち上がり、休憩室を出てすぐのところで紗音が自主練をしていた。
教わった型通りに剣を振り、仮想敵に向けてスキルを放つ。額に浮かぶ玉のような汗が松明の光を受けてキラキラと輝く。
動きに切れがない。ほぼ一日中、戦闘に費やしてきた彼女の身体に蓄積している疲労はかなりのものだ。にも関わらず、紗音は弱音一つ吐かずに疲れた身体に鞭を打つ。
「やぁっ!」
気合い裂帛、蹴り足で間合いを詰めると共に上段から剣を振り下ろす。限界が近づいているその身体を突き動かしているのは気力だけ。
そろそろオーバーワークで倒れてしまうのではないかと思い、声を掛けようとする。だがそうなる前に彼女は剣を鞘に収めて乱れた呼吸を整え始める。キチンと訓練内容は決めてるようだ。
「頑張ってるな」
「えっ?! ……あ、エルフォードさん!?」
「今は弥生でいいよ」
言いながら、仮想ウィンドから出した水筒を手渡す。紗音は少し戸惑ったが喉の渇きに勝てず、申し訳なさそうに飲み始める。
「ありがとう御座います。……でもエルフォードさんだったり弥生さんだったり、なんだかおかしな気分ですね」
「こっちの人と始めて会ったときに思い切りエルフォードって名乗ったからな。エルフォードっていう名前には個人的に思い入れがあるけどやっぱり同郷の人間には故郷の名前で呼ばれるのが嬉しいかな。……まぁその辺は紗音さんの好きにしていいよ」
「くすっ。では、今度からは弥生さんで通させてもらいますね」
上品な笑みを浮かべて、また一口水筒の水を飲む。
「最初に話したときも感じたことだけど、紗音さんって努力家だね」
「そんな……私なんてまだまだです。未だに弥生さんの影すら踏めていません」
「そりゃ比較対象の問題だって」
未転生者と限界突破。
そこには決して超えられない壁がある。明らかにゲーム慣れしてない彼女にその辺のことを話しても理解が追いつかないと思うので適当に『努力の結果だよ』と誤魔化しておく。嘘は言ってない。
壁に背を預けるようにぺたんと座り込む二人。微妙に空いた空間が互いの関係を示しているように弥生は思った。
少し腕を伸ばせば手を握れる距離。だけどその距離は親密とは言い難いもの。
「初めての実戦はどうだった?」
「大変なことばかりです。本当に」
空になった水筒を渡しながらぽつりと呟く。
「少しも気が抜けません。戦っている間も、移動している間もずっと考えてしまいます。どうすれば早く倒せるか、もっと上手い動き方はないか、弥生さんが教えてくれた『ふぇいたるぽいんと』へ攻撃を入れる瞬間、頭の中ではキチンとイメージできているのですが、なかなか思うようにはいきません」
「誰にだって始めてはあるさ。大事なのは技術を習得する過程を楽しむことだ。……まぁそれに関しては紗音さんは問題ないけどね」
「そう、でしょうか……。私はこの世界に馴染める気がしないのですが……」
「でも、辛いとか悲しいとか、そういう後ろ暗い気持ちにはなってないよね」
「…………」
指摘されて、気付いた。
自分を取り巻く環境は大変なものかも知れない。彼の言う通り、二度と元の生活には戻れないかも知れない。
それでも自分は前だけを見て、この世界で生きようという気持ちに突き動かされるように生きてる。地球に居た頃からすれば考えられない心境の変化だ。
「楽しめばいいと思う」
一拍間を置いて、言葉を続ける。
「殺し合いを楽しめって意味じゃない。俺たちとの旅路を、技を修めるその過程を、見たことない土地を訪れるワクワク感を楽しめばいい。道中は決して楽なものじゃないけど、その艱難辛苦を仲間達と乗り越えるってのはとても楽しいことだ。そしてそれを楽しむコツは自分を取り巻く環境──この場合はこの世界を構築する法則だな。それを知るところから始めればいい。その為なら俺も、勿論アルフォードもいくらでも協力するさ」
「……。弥生さんは、人生を楽しんでいるんですね」
「うん。こっちの世界に来る前は一人で旅行とかしてたし、英語力にも自信あったから海外も行ったね」
「差し支えなければ教えて頂けませんか?」
「アメリカ、カナダ、イギリス、イタリア、グァム、アイルランド、ドイツ……だったかな。家族旅行で行った国もあれば一人旅で行った国もある。紗音さんはあっちではどう過ごしていた?」
「私は──籠の鳥でした」
「うん」
深刻なリアクションを取ると話も重くなりそうだと踏み、軽く頷く。
「親の言う通りに育ち、親が決めた通りの人生を歩んでいました。今でもそれは間違いだとは思っておりません。私の両親はとても厳しい人ですが、尊敬できる人でもあります。心残りがあるとすれば、お見合いをする殿方と直接お会いできなかったことぐらいでしょうか」
「お見合い……」
そう言えば自分も義母にお見合いの話を持ちかけられたのを思い出す。朧気な記憶を頼りに写真に移った少女を思い出す。
確か黒髪で、胸が自分好みの大きさで──
「弥生さん? どうしました?」
「い、いや……別に」
思わず顔を背けて若干、赤くなった顔を隠す。
始めて彼女を見たとき、見覚えのある顔だと思った。それほど気になることでもなかったので今の今まで全く気に止めてなかったが──
(義母さん、紗音さん紹介するつもりだったのか……)
流石に名前までは覚えてなかったので気付けなかった。奇しくもお見合いする予定だった女の子を助けただけでなく、こうして隣に座ってお喋りを楽しむ。事実は小説より奇なりとはよく言ったものだ。
「そ、それより! 今日はもう遅いから寝た方がいい。あぁ勿論、俺とアルフォードは外で寝るから安心してくれ」
「えっ、皆で寝る方が修学旅行みたいで楽しいと思いませんか?」
「…………」
「………………」
「……紗音さん、もしかして危機感とかない?」
「いえ。ですが弥生さんもアルフォードさんも悪い人には見えないので大丈夫かと」
「そ、そうか……」
何だろう、この試合に勝って勝負に負けたような気持ちは。
そんな気持ちを抱きながら皆が待つ休憩室へと戻っていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
オルフェウスに向けて魔物の軍勢が進行中。
掲げられた旗はブラッティ・ファングのモノであると判明。
その数、推定一○万以上──
斥候から報告を受けたのは弥生たちが迷宮に入った直後のことだった。
推定一○万の軍勢。これは郊外町を合わせたオルフェウスの総人口に匹敵する。郊外町に限って言えば地球のように住民登録がなされている訳ではないので人口の増減は絶えないが、そんなことはどうでもいい。
エルメス以下、ギルド幹部の招集に応じた冒険者の数は総員八○○名。そこに下級区・中級区・上級区に駐屯する騎士が一五○○名。締めて二三○○名がオルフェウスの持つ戦力だ。アリアドネの迷宮に潜っている弥生たちはカウントしてない。
「状況は?」
「はっ! 最前列に三○体規模の小隊を編成。小隊のリーダーはオークにコボルトコマンダー、ゴブリンメイジに御座います。中程に控えているのはドレイクを隊長とした中隊規模の部隊。オークウォリアー、オークファイター、オークアーチャーがひしめき合っております」
部下の報告に思わず舌打ちをしそうになる。
戦で重要なのは兵隊の士気だ。士気の高さは時に数の不利を覆すことを歴史が証明している。その理屈で言えば彼我の戦力差はどうにかなるかも知れない。歴史を紐解けば過去の大戦では三○○人規模の兵士が百万の軍勢に打ち勝ったという逸話があるぐらいだ。
だがそんな奇跡を始めから宛にするほど彼女は非現実的な人間ではない。そもそもそんな人間が支部長に就く訳がない。
正直、冒険者と騎士団の仲は悪い。他国でも似たようなものだがオルフェウスは輪を掛けて酷い。貴族出身の騎士が新しく買った剣の試し切りをする為に郊外町の人間を切り捨てる事件は月に一度の頻度で起きる。
現状、郊外町の人間が下級区とは言えそこに住まう者を裁く権限はない。寧ろどのような理由があっても郊外町の者が上の者に手を出せばそれは犯罪として取り扱われる上に、種族によって罪の重さが異なる。そこには理不尽なまでの格差社会が存在した。
オルフェウス全体の危機とあっては流石に騎士団も動かない訳にはいかない。但し、連携など望むべくもない。
冒険者たちは真っ先に捨て石にされるだろう。それは冒険者たちも重々承知している。元よりそういう稼業だ。だが問題は生きている冒険者たちを巻き込む形で大魔法を撃ち込もうと企む貴族がいることだ。
冒険者たちを時間稼ぎの駒にして、時がくれば纏めて焼き払う。騎士たちとの連携など、所詮はその程度だ。
(気に入らん。これだから貴族連中は)
とは言え、目の前の危機を放置しておくという選択肢は始めから存在しない。
手持ちの斥候部隊の中で最も手練れの者を迷宮区に向かわせてアルフォード、ひいては弥生の協力を得る。
エルメスはギルドの屋上から集まった冒険者たちを見下ろす。彼らの実力ならオーク率いる小隊程度なら危なげなく対処できる。
だがここは戦場だ。不慮の事故でベテラン騎士がゴブリンに横から刺し殺されるなんて話はザラだ。
しかも後ろにはドレイク率いるオーク部隊が控えている。個別ならともかく、部隊規模のこれを相手にできる冒険者はそうはいない。
そして更に奥の後方。斥候が『これ以上は無理だった』と言って、調査を諦めた本命の部隊。風に乗って運ばれる魔力から察するにドレイクなど比較にならないような化け物がいることを、彼女は本能的に察知した。
皆は突然の事態に混乱して大事なことを見落としているが、エルメスは違った。
「妙だと思わないか?」
「魔物が徒党を組み、時には他種族と協力することはあっても、あのような混成部隊を編成するなどあり得ません」
「うむ。ドレイクが総大将でない点も気になる」
人間に自尊心があるように、魔物にもある。
特にドレイクのような高い知能を持った魔物が同族ならともかく、誰かの下に就くこと事態稀なのだ。
因みにこの軍勢の総大将が上位のドレイクであることはない。もし奴等が徒党を組むのならわざわざオーク小隊を編成したりなどせず、同族を隊長に抜擢して一番槍として突撃させるなり何なりする。
今、魔物たちは大きく散開している。力で弱者を蹂躙することを至高の喜びとする魔物とは思えない統率の取れた動きだ。
進軍の足並みから隊の編成に至るまで、大凡魔物らしからぬモノが感じ取れる。
(まさか、テイマーが?)
テイマー。
魔物を操り、使役する職業の総称。
自ら出した結論に対して、エルメス自身戸惑っている。彼女の常識では一人で使役できる魔物の最大数は一○匹。単純に考えるならこの軍勢は推定一万人以上のビーストテイマーが使役していることになる。
それだけのテイマーがブラッティ・ファングに居るとは思えない。恐らくは自分の想像の付かないような方法で魔物を使役しているのだろうと思い、エルメスは思考を中断する。
実のところ、エルメスが最初に出した結論こそが正解であった。
五○○年以上前の世界を知らない彼女が知らないのも無理はないが、上位のテイマーが本気を出せば、魔物の強さにもよるが一○万以上の魔物を使役することが可能なのだ。
因みにゲーム時代、それだけの魔物が使役されたという記録は一切ない。
理由は単純明快。ラグと鯖落ちの恐怖が付きまとうからである。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
弥生たちが駆けつけた斥候から報告を受けたのは野営陣で食事の後片付けをしていた時だった。
推定一○万以上の魔物の軍勢。確認できた最大障害となる魔物はドレイク。
弥生とアルフォードは瞬間的に主犯が【ゴットテイマー】か【マスターテイマー】であると悟った。一○万以上の魔物を使役できる職業ともなれば自然とこの二つに限られてくる。
「俺が行こう。この中で一番強いのは俺だからな」
アルフォードが名乗りをあげる前に弥生が名乗りを上げたことに、報告に来た斥候が驚いた。ギルドマスターと互角の勝負を演じたという話は聞いている。だがこの男にアルフォード以上の力があるとは思えなかった。
「いや、その……マジか?」
「マジも何も、お前一○万規模の魔物が相手じゃ隠蔽スキルをフル活用しても厳しいだろ?」
正論なだけに、アルフォードは言い返せなかった。
アルフォードは斥候職の中でも攻撃に特化したタイプのものだが、それでも集団戦には向いていない。対人、対少数、対ボス戦闘に置いては頭一つ抜けた火力を誇る彼だが、集団が相手だと分が悪い。
ゲーム時代でさえ、一度に三体以上の敵を抱えれば防御・回避ペナルティが発生する。勿論、アルフォードに限界ギリギリの動きを要求すれば魔物の群れは大分減らせるだろうが、その頃にはオルフェウスへの被害が甚大になるのは必須だ。
「弥生さん、本気ですか?」
「ん? 紗音さんが心配するのは分かるけど、まぁその辺は大丈夫だって。セリアとフローレンスがいないから火力と防御面に不安は残るけどバトルジャンキーの人形がいるし、アルフォードよりは殲滅は早いのは間違いない。……つー訳だからアルフォード、地上の魔物は俺に任せてそっちは紗音さん達の育成と上魔石の採掘に専念してくれ」
「一○万規模の魔物相手に平然と平気とか言うあたり、お前もバトルジャンキーじゃ……」
アルフォードの突っ込みを意図的に無視して、【エスケープ】を使って地上へ出る。迷宮の入り口は丁度進軍中の軍前の側面に位置するようだ。
「おぉ……なんかGvGみたいだな」
一二体の人形を従えてブイブイ言わせていた頃は一○万とはいかずとも数千人規模のプレイヤーを一度に相手取った経験がある。今の光景は丁度それに似ている。
スキルを利用して自慢の娘たちを喚ぶ。
リーラ、紫、歌音、シャルロットが召喚に応じて次々と呼び出されていく。
「魔物の軍勢の殲滅ですね?」
姉妹の中で最も聡明なリーラは瞬時に状況を理解する。
「うーん、ちょっと物足りない気もするけど暴れられるなら何でもいっか」
二振りの上級魔剣をやおら引き抜きながら、獰猛な笑みを浮かべる紫。
「えっと、私は制御役に徹すればいいんだよね?」
「ふ、ふんッ! ボクはマスターのことなんか何とも思ってないけど、アンタみたいな男でも死んだら歌音が悲しむからな。仕方ないから歌音のついでに守ってやるぞ」
おどおどしながらも自分の役目を全うしようと奮起する歌音と、何処か機嫌悪そうに答えるシャルロット。
ついでにジャネットとセーラも呼び出そうかと思ったが無駄にMP節約と言い聞かせて思いとどまる。
思考だけでメニューを開いて今ある対多数用の最強装備を身に付ける。全長二メートルは超えるほどの杖と漆黒の外套で武装した弥生は声高々に宣言する。
「手加減は要らない、速やかに殲滅するぞ!」
『了解!』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
前線に配備されたアマリリスとサイネリアは絶望的な戦力差に胃がきゅぅっと締め付けられるような気持ちになった。先の事件では運良く熟練の冒険者が助けに入ってくれたが、今度ばかりは本当におしまいだろう。
前衛部隊だけならともかく、そのすぐ後ろにはドレイク部隊が控えている。勿論、騎士や冒険者の中にもドレイクと切り結べる者はいるが、それはチームを前提にした話。ソロでドレイクと戦うとなると話は違ってくる。
「リア、挨拶は済んだの?」
「うん。リースはいいの?」
「未練は残したくないからね」
かつては従騎士だった二人だが、そうなった責任は貴様たちにあるという、実に身勝手な理由を付けられた挙げ句、冒険者共々最前列に配備される結果となった。
当然、部下はいない。馬はどさくさに紛れて拝借した。
「あの人も参加してるのかな?」
あの人が誰を指しているのか、アマリリスはすぐに察した。
「高価な武器を簡単に差し出すようなお人好しだもの。きっと参戦しているに違いないわ」
「うん。……でも、エルフォードさんにばかり頼ってもいられない。嫌なことの方が多いけど、ここは私たちの街だから」
顔を上げて、サイネリアは言った。そこには年相応の少女の影はなく、覚悟を決めた一人の騎士の姿があった。きっとこの戦いで死ぬかも知れない。だけど何もしない選択肢は存在しない。
例え勝ちの可能性が一パーセントでも残っているならば、その一パーセントを手繰り寄せる為に努力を惜しまない。
決死の覚悟を決めた二人は剣の代わりに槍を構え、チャージに備えて胸中でカウントダウンを始める。
(五、四、三、二……)
一、と数える前に異変が起きた。耳をつんざく轟音と真夜中の戦場を隅々まで照らす、煌々と燃え上がる煉獄の炎。そして風に乗って運ばれる死の香り。
図らずともそれが開戦の合図となり、転機となった。一瞬、呆気に取られた冒険者たちであったが、それは魔物たちも同じだ。そしてその隙を逃すまいと指揮官を務めるギルドナイトの号令が雷鳴のように届き、男たちを鼓舞する。
アマリリスとサイネリアに分かったのはそれだけだった。数秒遅れで、二人も思いがけない幸運に便乗する形で戦場へ向かうべく馬を走らせた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
開戦直後、真っ先に斬り込んだのはレイヴンブラントとストームブリンガーを手にした紫だ。たまたま目に飛び込んだオークの分厚い胸板を踏み台にして天高く跳ぶ。踏み台にされたオークの胸部は深く陥没し、骨折した肋骨が残らず肺に突き刺さり地面に転がりのたうち回る。
哀れなオークには一瞥もせず、紫は魔剣に備わったスキルを解放する。
「【ブラッティレイン】」
開戦の狼煙を上げたのは、鉄の雨。一瞬で彼女の周りに展開したのは柄のない、五○○ミリのペットボトルサイズの刃。但し、空中に展開されたその数は一○○○を超える。
レイヴンブランドを振り下ろし、スキルを発動させる。無慈悲に降り注ぐ刃の豪雨は額に、胸部に、太股に、深々と突き刺さる。
余談だが以前紫が廃病院で使ったのは【セイントセイバー】というスキル。不死族・悪魔族に対して絶大な効果を発揮する退魔スキルだ。
ぽっかりと空いた空間にストンと着地すると同時に、ストームブリンガーに込められたスキル名を声高々に宣言する。
「【ヘルプラネット】……ッ!」
解き放たれるは怨嗟の濁流。
数多の冒険者が魔剣を手にし、その力に魅入られ、人斬りに快楽を覚えさせる呪いに囚われるとも知らず、欲望のまま人を殺し、ついには魔剣そのものに呪い殺された使い手たちの怨念だ。まともな人間なら直接触れずとも長時間、剣から発せられる空気に当てられるだけで正気を失ってしまう。
だが紫はこの魔剣を完全に制御下に置き、自身の手足の如く支配してみせる。魔剣という檻から解放された怨嗟は波状に広がり、手当たり次第に魔物へ取り憑き、呪い殺す。
開戦からわずか五秒としないうちに生まれた空白地帯は瞬く間に黒い渦によって埋め尽くされ、更なる勢力拡大を図る。
少し離れた場所ではエクスカリバーを装備したリーラが獅子奮迅の勢いで魔物へ斬り掛かり、黙々と屍山血河を築く。
一番槍を果たした紫と比べればとても地味だ。向こうの方が与しやすいだろうと思い、殺到する魔物。だがそれは間違いだとすぐに気付く。
エクスカリバーが水平に横薙ぎに払われる。胴体を真っ二つにされたオークウォリアーが噴水のように血飛沫を吹き出す。
仲間を斬ったその一瞬の隙を突くように背後から迫る。右足を僅かに上げて地面を踏みしめて【震脚】を発動。忽ち周囲のオークたちはバランスを崩す。近くにいるオークから頭を割り、首を落とし、胴体を袈裟斬りにする。
遠距離から矢を放てくるオークアーチャーに対しては魔法で応戦。どのようにして放たれたのか、彼女が好んで使う【ライトニングボルト】は隙間を縫うように駆け抜け、正確に射手を焼き殺す。
圧倒的火力で敵を屠り、ひたすら敵を殺すころに腐心する紫の戦闘。
淡々と、決められた作業のように剣とスキルを操るリーラ。
両者の戦いに違いはあれど、一つだけ共通していることがあるとすれば絶対に勝てないということ。
だが相手は総大将から強力な支配を受けた魔物たち。勝てない相手が登場したからと言って矛を収めるような理性は残っていない。どころか、仲間を殺されたことによりその闘争心をますます燃え上がらせてきた。
(【盟友の義憤】でも覚えさせたのか? てかこっちだと魔物にも秘伝書のスキル覚えさせられたのか?)
鬼神の如き活躍劇を見せる二人から一歩下がる位置で戦場を観察している弥生は見覚えのあるスキルエフェクトに眉をひそめる。
【盟友の義憤】はパーティーメンバー一人の死亡につき一定時間、全てのステータスが五パーセント上昇するパッシブスキルだ。パーティープレイでは大変重宝されたスキルだが、魔物がこれを使うという話は聞いたことがない。
無難な線で行くならスクロールを使って魔物に習得させたか。如何にテイマーと言えども魔物にスキルを覚えさせることは制限されていた筈だが……そこまで考えて弥生は思考を打ち切った。
(まっ、パパッと雑魚掃除して大将の首でも取りますか)
手にした杖に魔力を込めて上級スキル【インフェルノ】を密集地帯目掛けてぶっ放す。本来、人形を維持しながら自身も戦う際にはMP消費の激しいスキルの使用は厳禁だ。
しかし今、彼の制御下にある人形は全部で四体。四人分のMPを維持しつつ自身も全力戦闘をこなせる程度には余裕がある。不遇職とはいえ、限界突破は伊達ではない。
(六体以降はリソース費やさなきゃ駄目だけどね!)
着弾した【インフェルノ】が直径五○メートルはあろう火柱を天まで届かんとばかりに立ち上り、夜の帳が落ちた一帯を煌々と照らす。自らが放った魔法スキルの結果を確認する間もなく、弥生は次の魔法スキルを撃つ準備に入っていた。
物理スキルと違い、魔法スキルのディレイ・クールタイムは長めに設定されてる。強力無比な魔法をバカスカ撃てるようではゲームバランス崩壊もいいとこだ。
しかしそれはあくまでソロ前提の話であり、パーティーメンバーの中に制御役が居ればその限りではない。
「~♪」
その制御役を担う歌音は戦場の阿鼻叫喚に掻き消されることを厭わず、歌い続ける。
【ミカエルの福音】──スキルディレイ・クールタイムをほぼゼロにする、魔法職を主力とするパーティーなら是非とも欲しいスキル。
但し、【ミカエルの福音】を始めとする祝詞・呪歌は一度発動すれば術者は完全に無防備となる。
その場から動くことも、スキルで応戦することも許されない。それは現実となった世界でも変わらない。
「歌音の歌はいつ聴いても素晴らしいなっ! もう歌だけで生活できるんじゃねって思うわ!」
「ふん、そんなの当たり前じゃないか。なんたって歌音の歌は世界一なんだから!」
因みにその世界一の歌声の元となった音源は作成当時、世界一美しいと称えられた海外出身のシンガーソングライターであることを知るのは制作者のみ。
ちらりと振り向くと、歌音がにこりと微笑みを向けて応える。支援は任せろ、といったところか。
「魔法使いってのは性に合わないけど適材適所だ。仕方ないな」
すぐに意識を切り替え、続け様に【インフェルノ】を後方へ撒き散らす。ゴブリンやコボルトで編成されてる最前列に向けて撃たないのは誤射を警戒してのこと。
新月の夜であるにも関わらず昼間と錯覚するほどの明るさと真夏を思わせる熱風に僅かに顔を歪めるのはシャルロット。
相変わらず加減を知らないバカだと、小声で痴を零しながらもしっかりと二人の警護を務める。
遠方から放たれたオークアーチャーの矢を素手で掴み、投げ槍の要領で投げ返す。何体ものオークの分厚い胸板を容易く貫通しながら射手へ届き、太股へ深々と突き刺さる。
正面から大剣と戦斧で武装したオークウォリアーが肉薄する。二振りの凶刃を紙一重で躱しながら懐へ飛び込み、容赦なく両者の金的を握りつぶす。
聞いただけで不快感を与える、醜い声が絶叫に変わる。不快感をあらわにしながら握ったモノを引きちぎり、追い抜き際に突き出した手刀で脇腹を突き刺す。鋼のような筋肉で出来た鎧を纏ったオークの身体は駆け出し冒険者が装備しているような廉価装備程度は傷一つ付けることすら出来ない。
シャルロットの腕はその廉価装備と比べてもずっと頼りなく、細い。だが現実として彼女の手はオークの脇腹に刺さっている。
「死んじゃえ、豚野郎」
肋骨といくつかの内臓を握りしめて突き出したときと同じ速さで引き抜き、両脇を引き抜く。ぽっかり空いた穴からドバドバと赤黒い液体と贓物をぶちまけ、絶命する。
握っていた汚物は迫ってきたオークの目つぶしに使う。視界を奪われたオークの両肩に両手を乗せて跳び蹴りを見舞う。ただの蹴りである筈が、ミチミチと不快な音を立てながら筋肉と皮膚を引きちぎり、あっという間の首なし胴体と成り下がった。
「なぁ、シャルロット。護衛してくれるのは非常にありがたいんだが、その……スプラッタっぽいのは勘弁してくれないか?」
「うっさい。マスターは男だからこのぐらい我慢しろ」
近くに歌音がいるぞ……と、突っ込もうかと思ったがその歌音は目を瞑り、祝詞の維持に集中している。すぐ近くで行われた惨劇など知る由もない。鈍感補正、恐るべし。
(奥で控えてる魔物、結構ヤバそうだな)
何らかのパッシブスキルの恩恵か、弥生は奥に控えている魔物がオルフェウスに駐屯している冒険者、ないし騎士では相手取ることができないという確信を持っていた。
そうなれば猫の手も借りたい状況に陥るのは必定。人形維持の為に回復源だけは用意しておきたい。
残っているMP回復剤を使用する手もあるがどれも高級品ばかりだ。ゲーム時代は赤字上等でリソースを注ぎ込んでいた彼だが雑魚軍勢相手に使うのは流石に躊躇われた。
「リーラはパーキングに切り替えて! 先輩、シャル、歌音は俺と来い! 大将の首を取るぞ!」
「半分ほど中隊が残っていますが」
「奥の奴等ぶっ飛ばせば問題あるまい」
テイマーがこの軍勢を支配しているなら頭を潰せば瓦解する。ならば総大将は早めに討ち取るべきだ。
とは言え、如何に三○○レベルの人間と人形が集まっているとはいえそこは数の暴力。無理に最短距離を走れば逆に時間が掛かる。薙ぎ払いつつ前進することを余儀なくされるのは割り切るしかない。
「【白亜の海嘯】」
気分転換と称して威力重視の魔法スキルから広範囲スキルに切り替える。
ざばぁっ! と、魔力から生まれた白波が軍勢の足を掬い、転倒させて押し流す。始めからこいつをこっちの方が良かったと内心反省しながら空いた穴を広げるように紫が特攻する。
……始めからこっち使えよと恨めしそうに睨むシャルロットの視線を無視しながら。
「【鮮血の顎門】……ッ!」
主人から受け取った魔力を使い、スキルを発動。赤いオーラを纏った二振りの魔剣を水平に払い、下段から掬い上げるように振り上げ、一瞬で逆手に持ち替えて渾身の力を込めて振り下ろす。
直下型地震でも起きたような振動が大地を揺るがし、振るわれた魔剣の刀身から衝撃波が生まれ、魔物を屠る。
紫の、周囲五○メートル内に存在した魔物が瞬きする間に血霧となり、直線距離にして一○○メートル圏内の魔物は車裂きとなる。
そこはまさに血の海だ。土色のキャンパスの上から強引に濃い絵の具で上塗りするかの如く、魔物の血で彩られた。
一歩進む度にぬちゃぬちゃと不快な音を立てる。泥水ならぬ泥血だ。地球ではまずお目にかかれない凄惨な光景だ。つくづく紗音たちを迷宮内に置いてきて良かったと思う。
一方で、パーキングを命じられたリーラは命令通り、極力魔物を殺さず、ヘイトを自分に向けるように立ち回っていた。聡明な彼女は主人がパーキングを命じた意味を正しく理解している。
人形遣いの宿命である膨大なMP消費。有事の際は装備効果で魔物を斬り殺してMP回復を図るつもりだろう。そのことをキチンと理解した彼女は敢えてオーク種ではなくゴブリンやコボルトと言った、確殺できる魔物を選別し、サークルトレインを駆使して魔物を蓄えつつ、弥生から付かず離れずの距離を維持する。
魔物の群れを掻き分けて奥へと進んでいく。本命部隊というだけあり、眼前に移った魔物はどれもレベル上げ時代に幾度もお目に掛かった魔物たちだ。
魔人の石像、ドレイクバロン、オーガレブナント、キングスケルトン、エトセトラ……。
いずれの魔物も一九○から二○○レベルに到達している猛者だ。転生者でさえ三○人程度しかいない今の世界では手に余るのは明白だが──
「おい、冗談だろ……」
堪らず、漏れる弱音。平均レベル二○○の軍勢など問題にならないような魔物が上空で待機している。
翡翠色の鱗に覆われた全長三○メートルの飛行物体。蜥蜴に羽根を生やしたシルエット。ドレイクさえも威圧する圧倒的存在感。
ファンタジーの世界ではもはや神格化されてる最強の生物──ドラゴン。
「へぇー。ここまで辿り付けるなんてアルフォードぐらいかと思ってたけど、意外とこの世界にもまともな実力者がいるんだ」
声はドラゴンから。勿論、ドラゴン自身が発したものではない。
自らが従えてる魔物に下降を命じる声の主。やがてその姿が露わになる。
見た目は一二歳弱のあどけなさが残る少年。人をバカにしたような笑みを浮かべた魔物の主は【魔操作】に高い補正が掛かる魔王鞭を腰に提げている。
「お兄ちゃん、あれって……」
「間違いない。バルバドスだ」
バルバドス。
かつてデスゲーム時代に攻略ギルドと対立したギルドのマスターであり、神の雫を独占しようと画策した張本人。
当然、ギルドマスターでもない弥生は直接言葉を交わしたことなどないが、交渉の際に護衛として付いていったことはあるので顔だけはばっちり覚えている。
彼の記憶が確かならバルバドスのレベルは二七○──つまり限界突破者だ。
(テイマーが相手なら勝てるか?)
冷静に彼我との戦力差を吟味してみる。
バルバドスは装備で巧妙に隠しているが種族は魔人。運営が用意した課金種族で一万円で買えるチート種族だ。
全ての能力に優れつつSTR・VIT・AGIに高い補正が掛かる上にデフォルトで【物理ダメージ半減】【闇属性吸収】【回復量二倍】【闇属性与ダメージ二倍】持ちということもあり、発表当時はかなりの苦情が殺到したとか。人形一筋の彼は別段、何とも思わなかった。
そもそも弥生の感覚からすれば課金は肯定的とも言える。ゲームを遊ぶ全ての人間が平等に時間を割ける訳ではない。特に少ない時間でゲームを遊ぶ人間だって無双をしたい気持ちはある。そうした欲望を満たす為にも課金はアリだと思うのが彼の持論だ。
こうして聞けば勝機は薄いように思えるが付け入る隙は充分にある。
バルバドスの職業、【ゴットテイマー】は大量の魔物を一度に使役できる反面、装備が限られている為、魔法職並みに接近戦棟に弱い。
対する人形遣いこと【パルフェドール】には装備の制限がない。重装備で固めようが軽装備で身軽になろうがそれは本人のプレイスタイル次第なのだ。運営側が不遇職に用意した数少ない救済措置と言える。
「先輩!」
アニメのように総大将と会話を楽しむ余裕はない。元より全力で相手にしなければならない。それがドラゴンを従えているというなら尚更だ。
ヴェルトオンラインに登場するドラゴンは、端的に言えば廃人プレイヤーに出し抜かれた運営の悪意の塊だ。
ドラゴンの各部位はそれぞれ独立したものとして数えられているので普通にHPが存在するし攻撃スキルも使ってくる。
ドラゴンの中では最弱とさえ言われているワイバーンでさえ両翼、頭部、胴体、尻尾の計五部位ある。
参考程度にバルバドスが従えているエメラルドドラゴンは両翼、両腕、両足、頭部、上半身、下半身、尻尾と合計一○部位も存在する。当然、それぞれの部位が独立した動きを見せる。こいつが配備された当初は『運営倒させる気ないだろ』とか『ゲームバランス考えろ!』とぶーたれた廃人が大量発生したのは今でも覚えている。
結局、廃人たちの弛まぬ努力と研鑽のお陰で五日で攻略法が確立された……が、二ヶ月後にエメラルドドラゴンが霞むような強さを誇る【エルダードラゴン】が配備されたときは過去最大のクレームが会社に届いたとか何とか。
「ジャネット! セーラ!」
少しの躊躇もなく、二○○レベルの人形を召喚する。一度に六体の人形を抱えることでMP消費は格段に跳ね上がるがそんなことを気にしている場合ではない。
(こいつが主犯なら、付け入る隙は今しかない!)
如何に限界突破が公式チートと揶揄される性能を誇るとはいえ、職業上の弱点は存在する。
テイマー系の職業は魔物を大量に使役できる代わり、従える魔物の数に応じて最大MPが減少する。テイマー系の職業に関しては情報サイトでチラ見した程度しか知らないが、これだけの数の魔物を使役しているのだ。最大<MPなどたかが知れている。
自身が人形遣いであるからこそ、大凡のMPを予測することが出来たというのも大きい。
「【ラブドール】、【リバース】……っ!」
短期決戦で決着を付けるなら出し惜しみする理由がない。
選んだスキルは一分間、術者自身に影響を与える全ての現象を逆転させるスキル。弥生が持つ切り札の一つだ。
ダメージを与える攻撃は回復となる。
回復効果のあるものはダメージとなる。
万能薬は万能薬で治癒できる全ての状態異常がその身に降り掛かる。
即死アイテムがエリクサーと同等の効果を発揮する。
短期決戦を強いられる状況なら絶大な効果を発揮するスキルだが、代償としてスキルディレイが一二時間と恐ろしく長い。これは【ミカエルの福音】であっても避けることのできないペナルティだ。
更に六時間の間は全てのステータスが半減状態となるので絶対に勝てるという確信がなければ到底使用に踏み切れない。
そんなハイリスクハイリターンのカードを、彼は躊躇なく切った。
真正面からエメラルドドラゴンがブレスを吐き出す。防御することなく堂々とブレスの猛威に身をさらしてショートカット機能で装備を変更。
途端、片手タイプの杖は粒子状の光に包まれ、代わりに巨大な大剣が現れる。
鈍色に輝く大剣は長さ二メートル、横幅六○センチ。刃の部分は龍の顎門をイメージして作られた牙が等間隔で飾られてる。長年使い込んだかのように刀身に付いた汚れその名はドラゴンスレイヤー。【ラブドール】の恩恵を受けた今なら重量ペナルティなしで扱える、超重量級の大剣。因みに重さは五○○キロある。
「【極大全力攻撃】……ッ!」
ドラゴンスレイヤーに封じ込められたスキルを発動。使用後、数秒間防御・回避ペナルティが入るが【リバース】が発動中ならばそんなのは関係ない。
杭打ちのようにドラゴンスレイヤーを振り下ろす。常温で溶け始めたバターにナイフを入れたような手応えと飛び散る血飛沫と体液。
驚くようなことではなかった。六倍レートに加えて種族特化武器を交えた火力特化スキルで頭を叩き割ったのだ。一撃でこうなるとは思わなかったが充分想定の範囲内だ。
頭部を半分も潰されたなら死んでもおかしくはない。だが竜族の中でも上位に君臨するエメラルドドラゴンはしぶとく生きていた。人間は勿論、ドレイクであってもここまで頭を潰されれば絶命してもおかしくない。全く以て理不尽が服を着たような存在だ。
グングンと吸い取られていく魔力を感じながらエメラルドドラゴンを足場にして駆け上がる。ドラゴンの背中には新たに召喚した護衛用の魔物を両脇に携えたバルバドス。
新たに召喚されたのは竜化したドレイクナイト。召喚直後、体内の発熱器官をフル稼働させて灼熱のブレスを吐き出す。ドラゴンスレイヤーをバットのように振り抜き、風圧のみでブレスを押し返す。そのまま失速せず最短距離を駆けて串刺しにする。
心臓を一突きされ、自分の身に何が起きたのか理解できないまま絶命したドレイクナイトを、まるで即席の飛び道具のように剣を振り抜き、その勢いを利用して少年に向けて吹き飛ばす。
がぁんっ! と、硬質な音が響き、ドレイクナイトの死体が強く叩き付けられる。新たに召喚したミスリルゴーレムだ。
「面倒くせぇ」
苛立ちを多分に含み、吐き捨てる。少しも迷わずドラゴンスレイヤーを投げつける。刀身の半分以上が脚部に突き刺さり、それを足場にミスリルゴーレムの頭上を取る。新たに装備したホーリーランスを全力で投擲。頭部を貫き、一気に股下まで貫通したそれは容易くミスリルゴーレムを車裂きにする。
「クソッ、何がどうなってんだよッ! 僕の魔物が一撃だなんてあり得ないだろ……ッ!」
「いや、お前バカだろ」
かなり本気で呆れの混ざった声が出る。
そもそも彼らが異常なまでに猛威を振るったのは仮想世界という、都合の良い世界だったからだ。
頭部に設定された部位のHPがゼロになってもゲームでは死ぬことはないが、現実は違う。
心臓を貫かれ、頭から胴体を真っ二つにされたのだ。レブナント化されていたならともかく、神の領域に片足を入れた上位の竜族や異常な再生能力を持つ吸血鬼を除けば頭を潰されても生き長らえている生物など存在しない。
護衛の魔物をけしかけるバルバドス。【リバース】の効果に甘えて躊躇なく正面突破。護衛の魔物を振り切り、少年の正面まで急接近する。
一呼吸で新たに装備したデモンスレイヤーを一閃させる。相手が例え年若い人間だろうが地球出身の同士だろうが容赦はしない。既に一度人を殺したことでタガが外れた今の弥生にとって、人殺しは忌避すべきものではなくなっている。
一呼吸で三度、剣閃が煌めく。だが突如、淡い光によってバルバドスの全身が包まれると何事もなかったかのように立ち尽くしていた。
「チッ、神の雫かよ」
「それを知ってるってことはお前、プレイヤーか!」
弥生は答えない。返事代わりに瞬間的に片手を離して【ファイアランス】を撃ち込む。既に【リバース】発動から三○秒が経過している上にMPも三割減っている。限界突破を相手に瀕死ペナルティを受けるのはかなりまずい。
「んー……お前なんかどっかで見たことあるぞ? ……まぁいいや。つーかさ、よく見ればお前【リバース】してるじゃん。ならここを凌ぎきれば僕の勝ちだね」
「なら、そうなる前にそっちのリソースをなくせばいいわ」
弥生の背後から二人分の影が躍り出る。
ジャネットとセーラだ。上級魔剣で武装した二人は両サイドからフェイントを織り交ぜつつ、武芸スキルを駆使しながら神の雫の枯渇を狙う。
一方で弥生の攻めは実にシンプル。ひたすら正面から小細工なしの真っ向勝負。無論、これには訳がある。
召喚した人形の数に応じて能力を倍増させる【ラブドール】は確かに強力だが、術者の五感までは強化されるものではない。
五感以外の能力が強化された状態を例えるなら免許を持たない学生がいきなりバイクに跨がって走行する車の中を逆走するようなものだ。能力強化は確かに魅力的だが、レートが上がるにつれて動きが単調になってしまうのは仕方のないこと。
「くそ、もう神の雫は作れないし……仕方ないから引き上げるか!」
「逃げられると思うな!」
魔法スキルを織り交ぜながらデモンスレイヤーを投擲する。墓標のように胸部へ深く突き刺さったそれを、バルバドスは悲鳴を上げながら引き抜く。
再び死の淵から蘇るバルバドス。蘇生するとはいえ、やはり痛みは堪えるらしく、怒りと共に激痛に耐えるかのように顔を歪ませている。その僅かな隙を突くようにジャネットとセーラが急接近。二人が持つ白と黒の剣が輝きを放つ。
『【ツイスター】……ッ!』
二人の声が重なり、真空の刃を纏った竜巻が一瞬で発動してバルバドスを飲み込む。
エクストラスキル【ツイスター】──二人同時にスキル宣誓して始めて発動する高威力スキル。プレイヤーが使用するとなかなかタイミングが合わず、失敗することが多々あるが、完全とは言わずとも主の制御下に置かれた人形ならばそれほど難しくはない。
やがて【ツイスター】が消えて、視界が晴れる。そこにバルバドスの姿はなかった。
「逃がしたか……」
仕留めきれなかったことの懺悔よりも、詰めの甘さに舌打ちする。
魔物たちを支配する【ゴットテイマー】が戦場から離脱した今、魔物たちの指揮系統は乱れるのは容易に想像できる。だがそれより深刻なのは【リバース】の反動による能力減少効果。既に四○秒が経過している今、一刻も早くこの場から離脱しなければ命の危機に関わる。
「迷宮へ戻りましょう。そこなら一息付くこともできます」
迷宮区が一息付けるなど冗談にすらならないが、彼らの場合は冗談ではないから怖い。
主を失ったエメラルドドラゴンだけはよほど強力な支配を受けていたのか、背中に乗っていた弥生たちを振り落とすと主がいる方向へ颯爽と飛び去っていく。
竜族は誇り高い生物であり、馴れ合いより孤高を好む反面、自分が認めた相手は忠義を尽くす。
自由落下する中でジャネットとセーラをアイテムストレージの中へしまい、【エアウォーク】で接近したリーラと紫が両脇から抱きかかえて着地する。両側から押し当てられる豊満な胸を思わず意識してしまったのはご愛敬というやつだ。
そして彼の僅かな変化に気付いた人形二体はそれぞれ異なる反応を示してくる。
「お兄ちゃん……やっぱり胸の大きい方がいいの?」
「歌音の何が不満だって言うんだ! やっぱり男はみんなおっぱいしか見てないのか!? それでもボク達を作ったマスターなのか、ボクは恥ずかしいぞ!」
「あーいや、これは……」
「御主人様、男性が胸を意識するのは種としての本能です。何も恥ずべきことでは御座いません」
「そうそう。ほら、エル君昔はよく言ってたじゃない。おっぱいは正義だーって」
明らかに火に油を注いでいるとしか思えない発言。そしてタイミング良く訪れる【リバース】のペナルティ。ずしりと身体が鉛のように重くなったそれはまさに自分の心境を現しているかのようだ。
次回で迷宮編は終わらせたいです。
そして上手く主人公無双が出来たかどうか……。