アリアドネの迷宮 4
更新できるうちに更新しようってことで更新。
……本編、長い方がいいでしょうか? それともこのぐらいがいいですか?
スルガ商会オルフェウス支部。
その店の奥まったところにある質素な部屋で黙々と作業を続ける少女がいる。見た目一二歳程度の少女に見えるが侮るなかれ。彼女はこれでもスルガ商会の元締めにしてアデルフィアシリーズ十二女、いわゆる末娘に当たる作品。名を駿河紫苑と言う。
もっとも、支部の視察をするにはこの姿の方が好都合ということで彼女が元締めであることを知るのはごく一部の人間しか知らない。
例えば、ケンタロス一同と弥生たちが護衛したダニエルとか。
「営業成績に関する報告は以上で御座います」
ダニエルの報告に対し、終始言葉を発することなく机の上に広げた書類を事務的に始末する見た目一二歳の少女。
腰まで伸びた銀色の髪に緋色の瞳。何十年経っても決して変わることのない神聖すら纏った類い希な美貌の持ち主はダニエルの言葉に小さく頷く以外、これといった反応を示さない。
彼が紫苑の片腕として仕えるようになって早一○年。最初はこんな小さな子供が……と思ったが、今ではその経営手腕に疑いを持つことはない。容姿に全く変化のない神秘性には常々疑問を抱くが考えたら負けだと最近は自分に言い聞かせている。
実際のところ、紫苑の経営手腕は並みを少し上回る程度だ。にも関わらず、スルガ商会を大きくした理由は神懸かった先見の明を持っているから。
エクストラスキル【神託宣言】によって得た神託により、彼女には分かってしまう。どの時期にどんな商品が売れるか。どの程度生産し、どのような人間を雇用すれば商会にとって利益に繋がるか。
時には無謀とも思える人選もあった。こんな商品が売れるものかと異議を唱える者もいた。
しかし、最後はいつも彼女が正しかった。常に揚げ足を取るのもおこがましいほどの、完璧な結果を出し続けてきた結果、彼女の決定に異を唱える幹部は一人もいなくなった。
勿論、【神託宣言】にも限界はあるのでこうして幹部を通じた報告は受ける必要はある。
いつも通りの報告。それを聞いた後、必要なことだけを伝える。
それで報告は終わる筈だった。ダニエルの一言がなければ。
「それと、ここに来る途中で面白い人に出会いました。人形遣いという、極めて珍しい職業に就いているのですが、いやはや……これがまたお強い人でしたよ」
ピタリと、ペンを動かす手が止まる。ついでに人形とまで揶揄された彼女の顔が驚きに染まる。
「……今、何て言った?」
ダニエルは己の主人が感情らしい感情を見せたことにも驚いたが、それ以上に紫苑が喋ったことに激しく驚いた。
「人形遣い、と仰いましたが『その人の名前は分かる?』」
ダニエルの言葉に被せるよう、質問を重ねる。一体何が、彼女の興味をここまでそそったのか、彼は純粋な好奇心を持った。
「確か……エルフォードと名乗ってましたね。スルガ様のお知り合いですか?」
「私の主人」
主人──言葉だけ聞くと彼女の夫と解釈できる。しかしここ数十年を遡っても紫苑が誰かと結婚したという話は愚か、お見合いをしたという話すら出てこない。
何処かの訳あり貴族と非公式に逢い引きでもしたのだろうか?
(……いえ、スルガ様に限って言えばそれはないでしょう)
無愛想ではあるが、社会人の鉄則とも言えるほうれんそうを欠かさない彼女は些細なことであっても必ず部下に話を通す。何より彼女が一人で出歩く姿を見たことがない。
とはいえ、彼女は生粋の商人だから護衛を付けるのは当然だ。護衛もなしに歩くのは冒険者だけで充分だ──そう思うのも無理はないが、実のところ生産に特化したステ振りの彼女ですらこの辺の敵に苦戦することの方が難しかったりする。
例えば身に付けている服や腰に提げた剣は式典などで用いられる見た目重視の派手な装備に見えるが、蓋を開けてみれば何てことはない。ただの壊れ性能を誇る課金装備だ。装備者のステータスがあまりにアレなのであまり強い感じがしないのは彼女自身、気にしていることなので言ってはいけない。
如何に人形に情熱を注いできた弥生とて、流石に一二体目ともなれば息切れもする。生産特化に仕上げたのなら尚更だ。
因みに課金装備は総額五万円は下らない。そしてこれよりもっと酷い性能を持つ課金装備がかつてのヴェルトオンラインでは出回っていた。金額が金額なので金持ちしか所持してなかったけれど。
「下がって」
「はっ? しかし……いえ、失礼しました」
食い下がろうとするダニエルを視線だけで制して、部屋から追い出す。
書類仕事が一段落したところでペンを置き、背中を背もたれに預けて天井を仰ぐ。
「……お兄様、生きてた」
人形遣いという職業。
エルフォードという名前。
直接会った訳でもないのに紫苑は確信を抱いた。彼こそ、かつて世界を襲った災厄を退けた英傑の一人にして、最愛の人であると。
何故、今頃になって現れたのか。
あれほど切望していたリアルという世界へ帰ったのではないのか。
疑問はあるが、そんなことがどうでもよくなるくらい、紫苑の心は歓喜に震え上がった。それこそ、今すぐにでも仕事を放り出して飛び出したいぐらいに。
「でも、まずは警備体制から」
彼女が抱える腕利きの斥候の報告によれば、近年勢力を拡大してきたブラッティ・ファングがオルフェウスを攻撃目標に定めているとのこと。
正直、人族差別の激しいオルフェウスはどうでもいいがローウェンの一族にはオルフェウスで商売をする上で世話になった。その義理立てはしてやろう、ぐらいの気持ちはある。
ただ、現状の勢力では専守防衛に専念しても互角の状況に持ち込めるかどうか。市場に流通している薬品を大量に与えたところで勝率は微々たるもの。
五○○年以上前の世界にあったポーションは即効性を持っていた。飲もうが傷口にかけようがその効果は一瞬で発揮する。そんな代物が雑貨用品の如く出回っていた。
残念なことに現在出回っているポーション──いや、もどきを付けるべきか──にそんな効果はない。一番早く効果が現れる手段は飲むことだが、それでも徐々に回復する程度だ。
落とし子事件によるスキル失伝の損害は五○○年経った今でも甚大な被害を与えている。主に当事者限定で。
(私が作るのが確実……)
体内に備蓄してる魔力を消費するのは不本意だが、放置しておく訳にもいかない。
そう言えば最後に自分の工房に立ち入ったのは何百年振りだろうか。
しばしの間、感傷に浸るもすぐに目的を思い出した紫苑は一瞬で工房のある空間へ繋がる魔法の鍵を使い、本来の仕事場へ足を踏み入れた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
フリージア達と潜ったダンジョンをカビ臭い遺跡と評するなら、アリアドネの迷宮は手入れが行き届いた地下室だ。
某ゲームのように魔物死体は一定時間が経過すると自然に消滅するから肉片は落ちてない。入る度に地形が変わるということで探索中の冒険者と鉢合わせることは滅多にない。
全くないと言えないのはパターンが限られているから。ギルドの調査では一階層毎に一○種類の地形パターンが用意されているとか何とか。
もし迷宮内で探索中の冒険者と鉢合わせしたらなるべく互いの邪魔にならないように行動するのがマナー。これはゲーム時代にもあったことだ。
「あの……」
「どしたの紗音ちゃん? トイレか?」
「ち、違いますッ!」
アルフォードのボケに思い切り顔を赤らめる。こんなことで真っ赤になるなんてうぶも良いところだと誰かが密かに思う。
「その、私達地下へ降りたんですよね?」
「まぁあれだ。こういうのは深く考えたら負けだから気にしない方がいい」
と、それっぽい言葉で説得してみたものの、彼女の気持ちは良く分かる。
煉瓦を敷き詰めた地面。等間隔で並ぶ燃え尽きることのない、青い炎を燃やす松明。コンパスで正確に計ってくりぬいたような丸い横穴。
どう見ても自然の地形ではない。いや、そもそもダンジョンを自然と呼んで良いものなのか。
ファンタジーやVR世界とは無縁の生活を送ってきた紗音に対して、三人の少女たちは緊張しているせいか、驚く余裕がない。
身に付けているのは紗音と同じ、この世界の冒険者にとっては垂涎物。今回は生存優先ということで全員に片手剣と盾を持たせてる。勿論、全て限界までエンチャント済みだ。
「さて。まずはこの階層から順次攻略していく訳だ。行動は昨日話した通り、紗音さがリーダでキミ達はその補助。俺は後ろからヒール掛けてアルフォードが間引き。いいね?」
『はいっ』
事前に必要なスキルは秘伝書を作成してパワーレベリングの要領で習得させているとはいえ、本人たちの経験値はゼロ。
今回のダンジョンアタック、弥生はなるべく手出しをしない方針を打ち出した。勿論、何かあったときの為にいつでもリーラ達を召喚できるようにスタンバイさせてある。
加えて、今は斥候専門のアルフォードがいる。限界突破者でないとは言え、本職の索敵・探知スキルはダンジョンアタックをする上では欠かせない。
(ギルドの資料見た限り低層は初心者でも倒せる魔物しかいないから大丈夫だよな)
改めて今回の主役達を眺める。
パーティーリーダーの紗音。夜漬けで適当なエンチャント付与した片手剣に盾、軽鎧で身を固めた彼女の最終目標は豊富な防御スキルが揃った【クルセイダー】に転職させるつもりだ。【騎士】の能力に【プリースト】の一部スキルを受け継いだそれは立派な上位職でもあり、装備が揃えばまさに鉄壁の守りを誇るそれはゲーム時代でもタンクの花形だった。
アルフォードの訓練時に槍を使ったのは複雑な操作を必要としない武器で戦いというものに慣れてもらうという弥生なりの考えがあったからだ。攻撃は二の次、まずは防御から着手するのが彼のやり方だ。
買い取った奴隷少女たち。自己紹介のときにはそれぞれジェシカ、ルーナ、ミアと名乗った。
職位は順番に【プリースト】【アルケミスト】【ブラックスミス】を予定してる。この中で一番苦労しそうなのは【アルケミスト】に転職予定のルーナか。
「んじゃ、始めてくれ」
如何にも初心者ダンジョンらしい、ただ広いだけの部屋にいる魔物たちを強制的にアクティブ化させ、通路に引っ込む。
現れたのは魔法生物のゼリーが二匹と一角兎が三匹。この中で初心者が手こずるのは魔法生物に分類されるゼリーだ。何故なら奴等は物理攻撃限定で【ダメージ九割軽減】なる魔物専用のスキルを所持している。
奴等を倒す手段は二つ。魔法系スキルで攻撃するか属性エンチャントした武器で殴るか。後者の場合であっても【ダメージ半減】が発動してしまうがボス属性のない魔法生物ならその程度は問題にならない。元々HPが低いからだ。
「行きますッ!」
気合い一閃。盾で身体を隠しながら紗音が突貫する。一角兎の角攻撃を盾で受けて横へ流し隙だらけとなった脇へ向けて剣を振り下ろす。
一撃で胴体を両断された一角兎に苦痛の表情はない。弥生には見えない角度で苦虫を噛んだような表情を浮かべる紗音。
魔物を──いや、生き物を殺した。それは確かな手応えとして自分の手に残った。
罪悪感はある。愛玩動物として飼われる兎を殺したのだ。
だが後悔はしない。これは自分で選んだ道だ。これから先も、命の奪い合いに慣れることはないが、足を止めることだけはしたくない。彼女を突き動かしているのは生き抜くという決意と戦う覚悟。
だからこそ、感傷に浸る間もなく身体は次の攻撃に備えていた。
後方に控えているゼリーが【ファイア】を撃つべく詠唱に入る。ボス属性のない魔物なら詠唱中はフェイタルポイントとなる。そこに強打を入れれば体勢を崩せるだけでなく、三秒間防御力が低下する。
「【真空斬】……っ!」
咄嗟の判断で出したのは風の刃を飛ばす魔剣スキル。燃費が良くディレイも短い、射程が長くヘイト上昇値も高いと三拍子揃ったお得なスキルだ。
【挑発攻撃】と比べればヘイト上昇値は低いものの、ダメージが狙える上に射程も長いので人によってはこっちを使うプレイヤーも居た。
詠唱が中断されたのを確認する間もなく、紗音は二匹目の一角兎の対応に追われる。彼女の役目は防衛役だ。可能な限り敵のヘイトを集めて味方への被害を減らす。タンクの基本的な立ち回りだ。
(普通、説明しただけでどうこうできるものじゃないと思うんだが……)
紗音の立ち回りを見守りながら、弥生は内心で感心していた。
彼とて【パルフェドール】一筋だった訳ではない。気分転換を兼ねて別のアバターで攻撃役の【アサシンストライカー】や防衛役の【クルセイダー】で遊んだことだってある。それでも彼女のような教科書通りの動きを実行するには何時間という反復練習を必要とした。
人によっては何週間・何ヶ月という時間を費やすことを考えれば彼もそれなりの素質はあると言えるが、紗音はそれ以上だ。勿論、だからと言って嫉妬するほど女々しい人間ではないけれど。
一方で、前衛を張る紗音は歯痒い思いをしていた。理想的な戦略はある。それを実行するにはどうすればいいのかも理解している。
しかし身体がそれに追いつかない。彼の要望に完全に応えることが出来てないという現実。事実、彼女は一角兎を一匹、後ろへ流してしまった。
魔法詠唱をキッチリ止めた上に二匹の魔物を抱えての戦闘。初陣にしては充分と言える働きをしているにも関わらず、彼女の胸中に渦巻く感情は悔しさで溢れかえっている。
ステップが遅い。
攻撃に移るまでもたつく。
あの場面は盾で受け止めるべきだった。
攻撃の角度が甘い。
店売りしている貧弱な装備なら死んでたかも知れない。
パッと思いつくだけで反省点はこんなにもある。だが後悔している暇はない。反省会は夜にでもすればいい。今はただ、彼の期待に応えるべく一心不乱に剣を振るう。
頭の中で彼の教えを反芻しながら、淡々と自分に出来る最善の手を打つ。
紗音は気付いていない。
この時既に、彼女はこの世界を楽しんでいるというその事実に。