アリアドネの迷宮 3
六月の忙しさが異常過ぎた。orz
正攻法という言葉がある。
説明するまでもなく、文字通り『正』しく『攻』める方『法』を意味する。この場合、正しく攻めるという意味は運営側が用意した手段でアバターを育てることを指す。
地道にお金を稼ぎ、壁を一つずつ乗り越える。その姿勢はまさに古き良きゲーマーの姿そのもの。だが昨今のゲーム、特にレベル制MMO全般に言えることだが真っ当な手段でレベル上げをするプレイヤーはもはや絶滅危惧種とまで言われる。
ヴェルトオンラインに置ける経験値獲得方法は既存のゲームと少し異なる。Aという敵が一○の経験値を持っている場合、単独で倒せば経験値は総取り。多人数なら端数は切り捨てて当分に配分しつつ、最も高いダメージを出したプレイヤーにボーナスが入る、という仕組みだ。
倒す敵のレベルも関係してくる。同レベル帯の魔物はともかく、格下相手にレベル上げをすれば獲得できる経験値が減少し、逆に自身より高いレベルの敵を倒せば獲得経験値が上乗せされる。
このシステムを利用しつつ、高級装備で身を固めてキャラクターを育成する手段をパワーレベリングとMMOプレイヤーは呼ぶ。寄生とも呼ばれているがこちらの場合、始めから相手プレイヤーに頼って育成をするゆとりプレイヤーを揶揄するときに使われる。
閑話休題。
依頼を受けたその日の午後、弥生はアルフォードという強力な同行者を連れて郊外のダンジョンではなく、その裏側にある草原に来ていた。上魔石は五日以内に上納すればいいし、最悪自分たちだけでダンジョンアタックをすればいい。とはいえ、紗音さん自身の安全を高める為にも初日は基本的な育成から始めることにした。
「紗音さん、武器は持ったね?」
「はい」
紗音は今、かつて弥生が使っていた中古装備を身に纏っているが、到底これから魔物を倒す装備には見えない。手にしてる武器は木製で出来た槍だし、防具は軽鎧ではなく、シーフ系が好んで使う衣服系の装備だ。勿論、これよりグレードの高い装備はあるが、生憎と今の彼女の体力・筋力ではこの辺が限界だ。
因みに槍を選んだ理由は基本動作が少なく、初心者でも簡単に使える上にリーチがあるからだ。ゲーム時代にも『VR慣れしてない初心者は槍持って【スピア】連打するだけでいい』という金言があるぐらい、槍という武器は優れている。実際、単純なルーチンしか組み込まれてない敵を相手にするなら【スピア】連打の方が効率がいい。
「まずはスキル習得も兼ねた戦闘訓練だ。その槍でアルフォードに攻撃すればいい」
「えっと、その……本当に大丈夫ですか? もしアルフォードさんに当たったりしたら怪我では済まないと思うのですが……」
「はははっ、心配してくれるのはありがたいけどね紗音ちゃん。心配いらないと。今の紗音ちゃんが相手なら自分から当たりに行かない限り絶対当たらないから!」
「そ、そうですか……」
納得しきれてない様子で槍を構える。アルフォードが訓練役に選ばれたのは単純にこの中で一番回避力が高いから。ステータスを訊いてみたところ『AGIカンストさせてる』という素晴らしい答えが返ってきた。弥生も限界突破の特権を活かしてAGIはカンストさせているが回避をアシストするスキルの差で本職より一歩劣る。その分、VITにもパラメーターを振っているので結果的には全く問題ないが、念には念を入れて……ということで彼が選ばれた。
「いつでもどーぞ」
「では、参ります」
一礼して、地を蹴る。不慣れながらも賢明に槍を操り、当てようと奮闘する紗音に対して、アルフォードは訓練用に装備変更した手甲で弾くだけ。
「しっかり脇を締めて」
少し離れた場所で見守る弥生が指摘する。
「蹴り足と同時に自分の体重を槍に乗せるように穿つ。最初は小刻みでいいから突く直前まで穂先は動かす。自分が出した攻撃に対して相手がどう動くのかしっかり覚える。あとアルフォード相手に遠慮しない」
「最後の一言は要らないよな?」
途中休憩を挟みながら延々と基礎訓練を重ねていく。殆ど初期値に近いステータスしかない紗音の体力ではすぐにスタミナ切れを起こしてしまうが彼女は気力を振り絞り、見事に訓練に耐えてきている。
根が素直なんだな……と、ひたむきに訓練する紗音を見て二人は思った。言われたことを素直に受け止めて、単純作業を黙々とこなす。無意味に槍を振るうのではなく、頭の中で自分が出来る最高の一撃を常にイメージして、そこに少しでも近づけるようにイメージに重ねるように穿つ。
初日の訓練は素振りと基礎知識の講義だけで終わりを告げた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「紗音ちゃん見てるとさ、初めてVRゲームやった頃思い出さないか?」
とっぷり日が暮れた夜の草原。リーラに紗音を背負わせて郊外町の宿屋へ向かう途中、アルフォードがそんなことを言ってきた。
「初期のVRゲームってさ、仮想世界の中なのにわざわざリアルでも出来るようなことをして遊んだよな」
「分かる分かる。ダンクシュート決めたときは感動したな」
アルフォードの言葉に同意し、昔を思い出す。
彼等の祖父母が学生だった頃、VRゲームは数ある創作ジャンルの一つであり、架空の科学技術でしかなかった。しかし急激な技術進歩により三○年前、ついに世界は完全な仮想空間を生み出すことが出来た。
仮想空間の売り言葉の一つに『一度やってみたい○○××』というのがある。○○はスポーツで××はリアルの技。
例えばバスケの花形とも呼べるダンクシュート。身体能力と高身長があって初めて実現できるそれは選手・観客問わず多くの人を魅了した。出来ないと分かっているからこそ、人は憧れを抱くものだが、それは仮想世界の登場により一変、選ばれた人だけが出来ることが誰でも出来るものへと成り下がった瞬間でもあった。
因みにエルフォードのアバターと同等の性能を持った今の弥生なら一○○メートルを数秒で踏破したりスキルに頼らずとも短距離ながら壁走りができるだけでなく、二○メートルの高さから自由落下しても無傷でいられる。
「初期のVRゲームから遊んでいた身としてはさ、ただの作業もなんか凄い新鮮だった。クリックするだけの簡単なお仕事から肉体労働に変わっただけなのは分かっててもさ、自分で剣を振って敵を倒して喜びを直に味わう。これがどれだけ感動的だったことか……」
「まぁ俺は人形作ってイチャイチャしたかったってのが理由だけど」
「あー、確かにお前みたいなプレイヤーも昔はいたなー。……イチャついてたプレイヤーは大体PK対象にされてたけど」
リアルで恋ができないなら仮想空間に住むNPCたちと恋をしたい。こういう考えを持つ人間は何も弥生だけではなかった。お陰で一時期は結婚氷河期なんて呼ばれた時代もあったとかなかったとか。
「でも、今はもう仮想空間のときとは訳が違う」
「…………」
「言ってしまえば俺たちはチートで強くなったようなもんだ。例え死んでもデスペナルティと引き替えにセーブポイントで復帰する。死亡前提のレベル上げで得た強さだ」
「そんなの、お前に言われなくても理解してるさ」
アルフォードの言わんとすることを察した彼は、堂々とした態度で言った。
「紗音さんは絶対死なせないし、危ない橋も渡らせない。けど、魔物の脅威があるこの世界で生きるなら本人が強くなる必要がある。これは絶対条件だ。だから今やってることは無駄なんかじゃない」
「ま、確かに強くなるってのはある意味安全を享受する手段の一つだよな」
俺はザードさんの庇護下に入ったけどなーと、呑気に口走るアルフォード。正直、何処かの組織に身を寄せることも考えてなかった訳じゃない。自分の力を冷静に分析した結果、これだけの力を持っているにも関わらず何もさせない、しないという選択肢が選べないというのを理解しているからこそ、極力組織からは身を遠ざけている。
「正直、紗音さんのことは決めかねている。彼女は現状に甘えることを良しとしない人だから、その気持ちを汲み取ってあげたいと思う反面、危険なことはさせたくないって気持ちもある」
「だから余分に安全マージンを取っているって訳か。まるで娘を独り立ちさせたくない過保護な親父だな」
「流石にそこまで過保護はしてないけど……」
「お言葉ですが御主人様、いつでも即座に回復できるように杖装備をして待機していたように見えたのは私の錯覚ですか?」
「錯覚だ。間違いない」
シラを切ってみたものの、面と向かって言わなかったせいで少しも効果はなかった。
「まっ、いざというときの為にも何処かで神の雫は作っておきたいな。今ある在庫だけじゃ心許ないし」
「あぁ……あの争いの火種になった問題のアイテムか。……てかお前持ってるのかよ?!」
「一応、攻略ギルドに居たからな。決戦前日に専属の生産担当に渡された。使ってないのが五個ある」
神の雫。それはデスゲーム時代に多くの死者を生み出したあまりにも有名なアイテム。その効果はHP・MPを瞬時に全回復しつつ常備しているだけでHPがゼロになった瞬間、自動的に死をリセットするというデスゲームにおける救済措置だった。
不死鳥の魂という素材アイテムさえあれば作ることが出来たし、素材アイテムを落とすモンスターも然るべき対策を取れば四人一組編成でも倒せる強さだった。
が、その手軽さが逆に争いの火種を生む結果となった。
とある大手ギルドはこの不死鳥の魂を独占しようと画策し、ドロップするモンスターがポップする場所にキャンプを張り、徹底的に他プレイヤーを近づけさせなかった。場合によってはPKすらも辞さない強固な姿勢を取ったそのギルドはリアルへの帰還を否定し、この作られた世界こそを自分たちの世界だと主張して生まれたギルドだった。
当時、攻略ギルドは既にツァトゥグアの落とし子についてある程度の情報を持っていた。
出現条件、攻撃パターン、弱体化、エトセトラ……。
必要なのは強さと頭数、そして大量の神の雫だった。これを入手するべく、攻略ギルドは破格とも言える条件を提示して神の雫の入手を図った。しかし相手は決して首を縦に振らず、寧ろ攻略ギルドを敵対視するようになり、ついにはGvGにまで発展した。
「それには俺も参加したな。んで、五人ぐらいPKしたな」
苦い記憶を思い出したのか、ガリガリと頭を掻きむしりながら語る。弥生もそのGvGには参加していたが、直接手を下したのは彼ではなく娘達なのでPKをしたという認識は他のプレイヤーよりも薄い。
「俺もそれなりにPKはしたけど、結局あのギルドは壊滅させるまでには至らなかったな」
「あー、ギルマスと数人の幹部が捕まらなかったんだっけ? でもあの事件以来、戦力が激減したから目立った動きとかなかっただろ?」
「だと良いんだけど……」
ふいに、思い出したのはこの世界で初めて殺した男の存在。
あれがプレイヤーだとは思えないが、今にして思うとあの男の背後にはプレイヤーが居たのではないか?
ドレイク一匹でも狩ればその報奨金で数ヶ月は何もしなくても生活できるという話はローウェンから聞いているが、同時にドレイクに会う為には人里離れた山奥か魔物の領域へ足を運ばなければならない。あの男がそれだけの度量を持っていたとは思えない。ならあのドレイクは第三者から提供されたと考えるのが自然だ。
(まぁ、確かにあのギルドのマスターは【ゴットテイマー】だったけど……いや、流石に考えすぎ……か?)
そんなことを考えているうちにいつの間にかオルフェウスへ戻った弥生たち。昼夜を問わず冒険者で溢れかえっている郊外町に夜はない。
目を肥やして見れば娼館の姉ちゃんがわざわざ路上まで出向いて自分を売り込んだり、或いは呼び込みをしている人の姿も見られる他、あぶく銭で懐が潤った冒険者を対象にした美人局による被害が散発していると衛兵に注意を促された。
取り敢えず娼館のお誘いだけは丁寧に断って宿へ向かうことにする。女を連れているのに声を掛けるそのプロ根性にそっと敬服したのはここだけの話だ。
「ん?」
ギルドへ戻り、取ってある部屋へ戻ろうとしたとき、ふと視界の隅に俯き加減で座っている女が目にとまった。
ゲームの名残りか、その人物を注視すると頭上にカーソルが出現するのは今でも慣れないが、これのお陰でプレイヤーとNPCの区別ができるのはとてもありがたい。
表示された逆三角形のカーソルは青。これはNPCを現す色だ。
表示されたネームプレートは和泉歌音。何度見ても、表示されてる名前は和泉歌音。
「…………歌音?」
堪らず、名前を呼ぶ。本人は呟いたつもりだ。事実、その呟きは喧噪で掻き消されてもおかしくないほどの声量。
しかし、彼女の卓越した聴力は確かにその呟きを聞き取った。
「えっ? ……おにい、ちゃん?」
「やっぱり歌音『お兄ちゃんっ!』て、のわぁ!?」
紗音を背負った状態で、遠慮なく全力で抱きついてくる歌音。ついでに真横から何やら良からぬ気配を感じ取った弥生は反射的に【チェンジドール】でリーラと位置を入れ替わる。横から迫ってきた気配は全力で蹴りを放つも、高ステータスを誇るリーラのエルボーガードによって簡単に阻まれた。
「久方ぶりの再会であるにも関わらず御主人様に手を上げるとは、見下げた根性ですねシャルロット」
「う、うるさいっ! マスターはボクの歌音を泣かしたんだ! なのにコイツは──」
「御主人様に対する不敬は許しませんよ?」
言いながら、足を掴んだ手の握力を少しずつ強めていく。メキメキと、嫌な音がするが決して肉が握りつぶされる音ではない。素材が過負荷に耐えてる音だ。
「なぁエルフォード……そいつら二人は俺でも見覚えあるんだけど、もしかして……」
「うむ。察しの通り俺の人形だ」
流石に二人同時に再会するとは思わなかったけど──
そんなことを呟く彼の姿にそっと溜め息を吐くアルフォードは思った。
(厄介毎が増えただけじゃねーか)
と。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
ゆっくり話したいところだが、シャルロットの攻撃的な姿勢に萎縮した男組は大人しく引き下がることにする。しかもエーテルがないから魔力寄越せとちゃっかり強請って来たりもした。
知らないと突っぱねる訳にもいかず、途切れていた魔力供給ラインを再構築して、念のためにハイエーテルをいくつか渡しておく。
「明日からのダンジョンアタックだけど……」
机の上にバラバラと資料を広げたアルフォードが話を切り出す。
「ギルドからの情報からして魔物の属性は土がメイン。グラードワームでさえ七○レベルの雑魚だからよほど油断でもしない限りは平気だぜ」
「状態異常持ちの魔物の心配はしなくていいのかよ?」
普通のMMORPGと違い、ヴェルトオンラインでは状態異常が猛威を振るう。
ただの【毒】でさえ三秒毎に一パーセントのHPダメージを受ける。何もしなければ五分で死ぬ計算だ。
上位となる【猛毒】に至っては一秒で一割というぶっ飛んだダメージ仕様。しっかりと対策を取らなければ簡単に死んでしまう。
「そっちに付いても抜かりはない。毒攻撃を仕掛けてくるのはロックスパイダーの【毒粘液】だけだ。と言っても紗音ちゃんはVIT低いからアクセで耐性高めるしかないけどさ」
「トラップの類はどうなんだ? ダンジョンがローグライク仕様なら入る度に罠が復活するだろ」
「レッグホールドと泥穴の二種類。どっちも探知スキルで発見できる。てかマジでダンジョンアタックしながらレベリングするのか? 流石に早すぎると思うぞ?」
「紗音さんは飲み込みが早いからな。駆け足で育成するぐらいが丁度いい」
今日一日、訓練して分かったことだが彼女は賢く、目も良い。一度聞いたことをしっかりと自分の知識の糧とし、こちらの動きをつぶさに観察する。
運動はできなくとも、身体の使い方は知っている。そんな印象を受けた。
「あの……」
と、ここで会話に参加することなく沈黙を保ってた少女が思いきって声を掛けてきた。弥生が買い取った奴隷である。そう言えば名前すら聞いてなかったなと今更思い出す。
「どうした? 湯浴みなら少し待ってくれるとありがたいが──」
「いえ、そういうことではなくて、その……私達にも何かできることはありませんか?」
「何かって言われても……」
正直なところ、彼女たちの扱いは本当に困っていた。同人ネタで良くある『お楽しみ』をしようとは思わないが、堅気の仕事に就かせるまでは面倒を見る、ぐらいの気持ちはある。
「私達はエルフォード様に買われた身です。ですからどんなことでも致します」
彼女なりの矜恃なんだろう。別段、何かをやらせようという気はないが、さりとてその気持ちを無駄にしようとも思わない。
少し考える素振りをしてから、出した結論は生産職として育成するというもの。紗音のように冒険者として活躍させるのも悪くないが、長期的に見れば生産の方が生計を立てやすい。
……単純に自分が生産スキルでアイテム作るのが面倒だからという理由も関係してるがそこはご愛敬という奴だ。
結局、明日のダンジョンアタックは同行者を更に増やす形で行われることになった。