プロローグ 1
反響が大きかったので加筆修正。
他のプロローグも近日中に修正予定。
「うぁ、完全に二日酔いだこれ……」
ギンギンする頭を抑えながらのそのそとベッドから這うように起き上がる。ギシッと床が軋む音に違和感を覚える。まぁあれだ、きっと二日酔いだから敏感にそう感じるだけだと開き直ってそのまま水道の水で目覚めの一杯を飲む。
いや──飲む筈だった。
「…………あれ?」
ない。
あるべきところにある筈の水道が──ない。
いや、おかしいのはそれだけじゃない。
(ここ、何処?)
見慣れない部屋と間取り。ついさっきまで寝ていたベッドから椅子、テーブルですら木製だ。一本の丸太をそのままそれっぽい形に削ったような、粗末な代物に思わず目をぱちくりさせる。
(もしかして…………)
既に二日酔いから立ち直りつつある彼は恐る恐るといった仕草で木製の雨戸を開ける。
どうか見慣れた光景が広がっているようにと儚い願いを込めて開けられた雨戸の向こう側に広がる景色は、彼の切なる願いを容赦なく砕く光景が無情に広がっていた。
見渡す限り雲、雲、雲……。有り体に言えば雲の海。視線を遠くにやれば地平線ならぬ空平線が広がってる。時折、視界の端に見える小さな影はお伽噺に出てくるドラゴンのようにも見える。
あまりに非現実的な光景。外国を通り越して『ここって地球だよね?』と、軽い現実逃避をしたくなる。こんな世界にいきなり放り出された誰だって混乱するのはある意味当たり前だ。
朝起きたら見知らぬ部屋。窓を開けたらあり得ない景色。立て続けに起きた衝撃的な出来事のせいで一気に二日酔いから立ち直った大学生・柊弥生の頭が少しずつ正常に働いていく。
(てかこの景色、なんか見覚えあるんだけど……なんで?)
とある事件を切っ掛けにゲームから離れ、旅行やショッピングといったリア充的な趣味に走ってからは日本国内だけでなく海外旅行も数回ほど行ってきた。そうした過去の記憶を掘り返しても、このような光景は見たことがない。
(えっと、俺昨日までは確かにアパートに居たよな?)
状況を把握するべく、ここ最近の出来事を思い出すことにした。
一週間前はテレビで話題を呼んだ人気洋食店でのお昼ご飯と引き替えに友達のレポートを手伝った。ワープロは認めない、文法チェックが異常に厳しいことで有名な禿山教諭が思わず唸りをあげるほど完璧な出来映えに仕上げるべく、参考資料の中から大事な部分を教えて添削し、徹夜明けのまま友達がレポートを提出したのをばっちり見届けた。
その日の夜に足を運んだ洋食店でハンバーグ定食と牡蠣フライ定食を頼んで友達の財布に打撃を与えたことを記述しておく。
五日前は義理の母が尋ねてきた。もはや絶滅危惧種認定の大和撫子を体言化したその義理の母は実父の再婚相手で面倒見が良すぎるのが頭痛の種だった。どのぐらい面倒見が良いかと言えば実家に居た頃、クローゼットの中に隠してたエロ本とエロゲーをわざわざジャンル別に整理するぐらいだ。ショックのあまり一週間まともに顔を見ることができなかった。
その義理の母から『お見合いの話があるけどどう?』と、これまた余計なお節介から始まり『この娘なんてどう? 素直で気立てもいいし弥生さんにぴったりですよ』とか言いながらアルバム数冊を手土産として持ってきた挙げ句、窓の縁を指でなぞって『汚いわね……。折角だから掃除しましょう』と、昨日掃除したばかりの部屋をまた掃除してぐったりした。
三日前は深夜のアルバイトを終えた足で食料を買い求めてスーパーに寄った。開店時間まで暇を潰してから日持ちのいいインスタント食品と自炊用の材料をいくつか買い込んだその帰り、発売したばかりの最新VRゲームの広告が貼られたバスが前を過ぎって嫌な記憶が蘇り、それを振り切るように自宅へ急いだ。
そして昨日。友達が同じサークルの娘に勇気を出して告白して、玉砕した。慰安という名目で居酒屋を三軒くらい梯子して、店のトイレで傷心の淵にいる友人が吐いてお開き。かく言う弥生も結構ギリギリの状態だった。ふらふらしつつもリバースすることなく無事家に辿り着いた頃には着替える気力もなく、そのままベッドイン。
そして今日、二日酔いの彼の目が覚めると──
「こういう事態になってた、と。……うん、全然意味分からないね」
全く期待してなかったと言えば嘘になるが、やはりおかしい。寝て起きたら知らないところに居るなんて、どこぞのライトノベルにありがちな転生・異世界トリップみたいな展開だ。
可能性はあるかも知れないが、肯定するだけの根拠がない。寧ろ現状で一番あり得る可能性と言えば夢オチだ。ごく稀に、妙にリアルな夢を見ることがあるがそういう場合は大抵、自分が夢の中に居ると気付かないもの。
あぁ、こんなにもリアルな夢を見るのはもう二度とないだろうな──と、完全に他人事のようなことを考えながら部屋を出る。家具や床が木製で作られているなら当然、内装も木製だ。LED型の蛍光灯なんてものはなく、二メートル間隔で燭台が壁に取り付けられ、蝋燭の代わりに光を発する拳サイズの石が廊下を照らしてる。気分はさながらファンタジーの世界に迷い込んだ主人公だ。
ふらふらと、夢遊病患者のような足取りで遠くから聞こえる喧噪に惹かれるよう歩みを進める。ギシ、ギシ……と、目覚めた部屋の床以上に軋みをあげる階段を降りていくと大食堂のような場所に出た。
(ほぇー……なんかネトゲーの臨時広場みたいな賑わいだな)
カウンター席・テーブル席に座る者たちは屈強な男たちが多い。金属製の鎧を着込んだ戦士ような者から童話の登場する魔法使いがよく着ているローブに曲がりくねった杖を持つ者まで。中には肩とヘソが露出してる生地の薄い服を着た獣耳の女までいる。
こういう光景を見ると真っ先に思い浮かぶのは中学時代から高校時代にかけて散々遊び尽くしたネットゲームを思い出す。皆でわいわい遊ぶよりも一人で延々と遊んでることが多く、ギルド対抗戦も友人からのお誘いを受けるか傭兵募集の呼びかけに応じて参加する程度だった。決してコミュ障とかそんなのではなく、ある目的を達成する為に一人でレベリングをしていただけだと言っておく。
(折角の機会だから食文化にも触れたいとこだけど……)
階段の真ん中に立ち尽くしたまま、ぼんやりと入り浸っている客と店員の様子を観察する。陶製のジョッキを掲げてお代わりを注文してオレンジ色のウェイトレス服を着た年若い女の子を忙殺する場面もあれば、両手でお盆を持ってる娘を狙って尻を鷲掴みする剛胆なセクハラ親父の姿、果ては琥珀色の液体で満たされたジョッキを逆さにして泡まみれにして喧嘩を売る冒険者。
「…………外の空気吸うか」
三つ目の光景が決め手になったのは言うまでもない。基本、受け身体質の弥生がこの良くも悪くも活気溢れる食堂で食事をするほど図太い神経は持ちあわせていない。
なるべく人の邪魔にならないよう壁伝いを歩いて食堂を出ると、耳の尖った細身が歩いてくる姿が見えた。華奢な身体なのによくこんな店に入る気あるなーと関心してると、突然目の前の男が目を丸くして、早足で駆け寄って来た。
(やべ、ジロジロ見すぎたかも……)
好奇心からつい品定めするような視線で男を見ていた自分の失態に気付く。怒られる前に一言だけでも謝った方がいいと判断した弥生は口を開こうとするが、それは男によって遮られる結果となった。
「お前、もしかして人形遣いのエルフォードか?!」