アリアドネの迷宮 1
2013/7/15
本分を大幅に加筆修正。
郊外町に着いたときにはすっかり夜の帳が降りていた。外壁に作られた町と聞いたとき、弥生たちは漠然と殺伐としたスラム街を思い浮かべていたが、いざ町へ入ってみればそれはただの偏見だとすぐに分かった。
(思ってたよりまともじゃん)
電柱の代わりに町を照らすのは等間隔で設置された魔法の松明。魔力を注ぎ込むことで【ライト】と同じ効果を発揮する魔法具だ。その灯りに照らされながら表通りを歩いているのは自慢の武器や防具で武装した冒険者たち。一人で歩いている者は少数で、多くの人は三人から五人の団体で行動している。
建物に目を向けてみれば木造家屋が殆どだった。それも江戸時代に見られるような、簡単に取り壊せるような建物が多い。欲を言えば埃っぽい空気とあちこちに転がってるゴミの存在をどうにかして欲しいと思うのは先進国出身の人間ならではの贅沢か。
「皆さん、お仕事ご苦労様です。ここから先は通行証がない者は入れない区域なのでここまでで結構です」
下級区と郊外町を隔てる外壁の一部に設けられた通行所を前にして、良く通る声でダニエルは言った。約束通りの報酬を貰い、依頼人が無事下級区へ入って行くところを見届ける。下級区に宿舎があるという二人の従騎士もダニエルの後に続くように門を潜り、下級区の奥へと消えていく。
その姿が見えなくなったところで弥生は緊張の糸が切れたように盛大に息を吐く。無意識のうちに気を張っていたらしい。こういうのは自分のキャラじゃないと思いながら紗音以下、三人の奴隷と二体の人形を見渡す。ついこの間まではリーラと二人きりだったのにたった数日で同行者が六人も増えるとは。人生、何が起こるか分からないものだ。
「さて、これから宿を取らなきゃならない訳だが……こんな時間に空いてるのか?」
ゲームで遊んでいるときは全く気にとめなかったが、冷静に考えると宿屋が二四時間営業である筈がない。経営者だって立派な人間だし、そもそもこの世界に夜間営業という概念があるのかすら怪しい。
因みにゲーム時代、彼を始め多くのプレイヤーが宿屋を利用したことは一度もなかった。HP・MPの回復なんてものはお座りしているだけで充分間に合うし、わざわざ高い金を払ってまで一瞬で回復しなければならない理由を見出せないのが一番の理由だった。家庭用RPGなら必須施設だと言うのに……。
「それについては問題ありません。深夜にダンジョンから帰還してくる冒険者のことを考慮して全ての宿屋は昼夜を問わず営業してます。ただ……」
「ただ……なんだ?」
「簡易ベッドに小さなテーブルセットがあるだけの部屋が圧倒的に多いです。風呂付きの宿は、下級区へ行かなければなりません」
年頃の女の子にとっては残酷とも言える事実に紗音が肩を落とした。三人の奴隷は元々平民なので彼女の様子を見て『貴族のお嬢様ではないか?』と首を傾げていた。
「風呂なしかぁ……。湯浴みとかできないのか?」
「湯浴みセットを借りて中庭でしている冒険者様を何度か見たことがあります。ただ、やはり女性の方は高いお金を払ってでも風呂付きの宿屋を取る傾向が強いです」
「なんという格差社会……」
思わず天を仰ぎ、心中を吐露する。いや、当面のことを考えれば宿代はできるだけ節約するに超したことはない。だがしかし、いくら彼が男とはいえ、やはり数日に渡る行軍で汚れた身体をすっきり洗い落としたいという欲求はある。
「まぁまぁエル君、落ち込むにはまだ早いよ。もしかしら郊外町にも風呂付きの宿屋があるかも知れないって。取り敢えず食事がてらギルド行って聞いてみよう」
「…………それもそうだな」
紫に諭され、気持ちを切り替える。冒険者ギルドの場所は道中で確認済みなので迷うことなく辿り着くことができた。
木造家屋が建ち並ぶ郊外町の中で一際目立つ存在。木造ではなく石造りの建物。扉のすぐ横の石壁には荒削りで『礫の揺り籠』と書かれている。
ギィっと、扉を軋ませながら中へ入る。一度に一○○人以上は収容できそうな大衆食堂のような空間を行き交う地元住民に冒険者とウェイトレス。
世界樹の町で見た酒場の印象が猥雑な空間であったのに対し、『礫の揺り籠』は酒臭いに尽きる。特に彼の記憶に印象強く残ったのは人が五人ぐらいは入りそうな大樽を豪快に持ち上げてダイレクトにがぶ飲みする大男──いや、巨人と言うべきか。
「……すごく、大きいです」
「そうだな」
一瞬、卑猥な意味に聞こえてしまったのはお約束。
「人里でギガント族を見るのは珍しいですね」
呆気に取られる紗音とは別に、冷静にコメントしたのはリーラ。弥生は弥生で『相変わらずでっかい種族だよなー』などと呑気に構えていた。
ギガント族。混じり気のない、純粋な強さを求めるプレイヤーに好まれた戦闘特化の種族。平均身長二七○センチという体躯によって生まれるアドバンテージは語るべくもない。
巨躯に恥じぬ破壊力と耐久力を備えたギガント族は単発攻撃なら全種族最強とまで言われたほど。但し、その圧倒的なパワーを得られる代償としてどのような手段を用いてもMPはゼロのまま。使用できるスキルも圧倒的に少なく、中の人の体術に大きく依存するところがある。それでも攻撃役・防御役としては極めて優秀な種族なのでそこそこ人気があったし、何より装備の差を純粋な力で埋められるという点も多くのプレイヤーを魅了した。
弥生はそんなギガント族に魅了された人間というよりは駆逐された側の人間だった。PvPで当時最強だったのギガント族相手に娘達をフル稼働させ、リソースも惜しむことなくぶつかった結果──HPバーを六割削ったところで敗北した。それでも当時最強候補だったギガント族のプレイヤー相手に半分以上削ったのはゲーム内でもそこそこ話題になった。彼が挑んだその翌日に撃破したプレイヤーが現れたのですぐ忘れられてしまったが。
「あぁ、こっちの世界来たときのこと思い出すな……」
「エルフォードさんはどのような経緯でこの世界に迷い込んだのですか?」
「大学の友達と飲み会してさ、朝起きたら案の定酔いつぶれた。で、朝起きたらこっちに来てた」
簡単に事情を話しながらギルドカウンターへと向かう。受付に座っているのはゲームではお約束の見目麗しい受付嬢──などではなく、白髪で染まりきった髪に顎髭をたっぷり伸ばし、それを手で弄んでいるおっさんドワーフ。公式設定ではドワーフの寿命が二○○年前後であることを考えればこのおっさんドワーフは推定一五○年以上は生きてることになる。……多分。
「冒険者ギルドへようこそ。宿を探しておるのか?」
渋い声が来るかと思いきや、しゃがれた声だった。周りの喧噪に掻き消されそうではあったが、どういう訳か弥生はその声をハッキリと聞き取ることができた。
「えっと、金に糸目は付けないので郊外町限定で風呂付きの宿ってありますか?」
「郊外町にそんな洒落た宿屋はねぇぞ、小僧」
至極まともなことを言われて、身を縮こまらせる。とは言えこの辺は想定内なのですぐに次善策に出る。
「衛生管理がしっかりしているところは?」
「そりゃウチのギルドが経営してる宿だが……お前さん、ギルドカードは持ってるか?」
「いいえ」
「ギルドカードを発行すればギルド経営の宿は誰でも利用できる。地域によってはお前さんの言う風呂付きもある。つっても俺はただのクエスト受付だからカードの発行まではやっとらんがな」
「そのことなんですが、ギルドカードを持つことで得られるメリット・デメリットについて教えて頂けますか?」
彼の言葉を受けて、さも面倒臭そうな表情を浮かべた壮年のドワーフは引き出しから一枚の羊皮紙を取り出し、ぶっきらぼうに突き付ける。
「自分で読みな。……で、お前さん達、冷やかしにでも来たのか?」
「あー、はい。ちゃんと食事取りますよ、えぇ」
ではまた……と、愛想笑いを浮かべながら空きテーブルに着く。夕食のメニューは紗音たちに完全に丸投げして会則に目を通しておく。
(えっと、冒険者ギルドに登録した冒険者は規定のランクに満たない場合に限り、定期的に依頼をこなす義務を背負う。また、ギルドからの招集には必ず応じなければならない。これを反故した場合はペナルティが付く。それでも無視した場合は内容次第で指名手配される可能性アリ、と。他には……)
法治国家のような細かな決まり事はないが、見えてきたものもある。
冒険者ギルドは地球で言うところの警察だ。如何なる国家にも属さず、常に中立を維持する立場である。また、冒険者というのはそれだけで立派な身分証明の手段ともなるので仕事という名目さえ得られれば国境を越えることも許されると言う。
ランクは大別して上級、中級、下級の三段階に分けられる。最高ランクをA-3と定め、最低ランクをC-1としている。例外を除けばCクラスの冒険者がBクラスの冒険者グループに入ることは出来ても一緒にクエストをこなすことは許されない。寄生による育成を警戒してるのかも知れないと、それとなく思った。ネトゲー廃人たちからすればギルドの規模を問わず寄生育成は常套手段だが。
(んー、最低限とはいえ身分が保証されるってのは魅力的だけど、うーん……)
冒険者にならないと言った手前、いきなり決意が揺らぐ。仕事を斡旋するだけで何の保証も特典もなければ一考の余地もなく一蹴していたが……。
(こうなるんならローウェンさんとフレンド登録しとけば良かった)
少し話しただけの間柄だが、自分が感じた印象はお人好しなエルフ、というのが正直な気持ちである。身分証明書と引き替えに使わないレア武器を譲渡、或いはルーン金貨という最終手段を使って購入(?)する。
(アリッサさん経由で交渉できないかな?)
料理スキルの一件で彼女と親しい間柄となり、互いにフレンド登録をしている。夜分に失礼かなと思ったが周りの冒険者を見る限り深夜とは程遠い時間かも知れないと思い直して連絡しようとしたところで、ウェイトレスが料理を運んできた。
「……ま、いっか」
「エルフォードさん? どうなさいました?」
「こっちの話。……いただきます」
律儀に両手を合わせて食前の挨拶をする。紗音たちも続くように挨拶をして運ばれてきた料理を口にする。
「美味しいです」
「私達の村ではこんな美味しいもの食べられませんでした……」
(うぅ、この娘たち今更だけど大変な目に遭ってたんだよな。そにれ比べて俺は……)
運ばれてきたパンを口にした瞬間、欧州で出回っているパン独特のパサパサした味が口に広がる。欧州の名誉の為に言っておくと日本人がそう感じるのは唾液の量が違うから。少しパサパサしているぐらいが、彼等には丁度いいのだ。
「ところで御主人様、今後の予定はどうなさいますか?」
「はいはーい! 私はやっぱりダンジョンアタックがいいと思います!」
「狩り場荒らしになるから止めとけ」
いかにMMOの世界がリアルより緩い世界とはいえ、上級者が我が物顔で狩り場で遊ぶのは一種の非マナー行為とされていた。自分がチマチマ殴っている隣で大ダメージを与えてサクサク狩りをしているところをこれ見よがしに見せつければ誰だってテンションが落ちる。それがゲーム経験の浅い初心者なら尚更だ。
「これは確認を兼ねた質問だけど……」
千切ったパンをシチューに浸しながら紗音の方を見る。
「紗音さんとしては現状に甘えるつもりはないんだよね?」
「はい」
「俺もこっちに来て日が浅いけど、ここでは堅気の仕事に就くのは並大抵のことじゃない。商人になるには弟子入りする必要があるし、店の従業員だって充分に足りている。例外があるとするならギルドのウェイトレスだと思うけど……」
「金策の為、三ヶ月ほど働かせて頂いたことがありますが真面目な話、紗音様の体力では厳しいお仕事です。重労働に見合わず大した給金も支払われない上に休みは二週間に一度。そのようなところで働くぐらいでしたら御主人様に弟子入りして冒険者となるのが一番ではないでしょうか?」
「冒険者、ですか……」
「うんうん、私もそれに賛成かな。冒険者って言っても生涯この仕事をする人は稀だし、冒険者を下積み時代にして必要な資金が貯まったら自分の店を開くとか、【アルケミスト】やってる人はそういう傾向があるみたいよ」
エル君もそうすればいいのに──と、視線で訴える紫。まぁこっちは単純に暴れ回る為の補給源が欲しいというのが本音なのだが。
「まぁ俺自身の問題は置いとくとして、問題は紗音さんのやる気だな」
隣で『逃げたわね……』と、ジト目で睨みながら突っ込まれるが無視する。
「やると決めた以上はキミを何処に出しても恥ずかしくない立派な冒険者にするつもりだし、生産系の仕事に就きたいなら先行投資という形で必要な資金も提供する。ただ、冒険者っていう仕事は身体を張った仕事だから生半可な気持ちじゃ勤まらない。……どうする?」
「………………」
彼の言葉を受けて、浅く目を閉じ、両手を胸に当てて黙考する。
本当に賢い娘だ。この質問の意味をキチンと理解しているからこそ早急に結論を出さず、よく考えた上で答えを出す。少なくとも本能のままに生きている自分なんかとは比べものにならないくらい立派な人間だ。いや、自分なんかと比べては彼女に失礼だろう。
「……私は、冒険者になります」
「…………」
「私にでも出来る、普通の仕事があるならばそれに超したことはありません。ですが、この世界には私達の住んでいた国と違い、人を襲う恐ろしい動物が居る。そのことを考えるのであれば、まずは私自身、この世界で生き抜くという気持ちがなければなりません」
(いや、そこまで深刻に考えなくても……)
「ですから、どうかお願いします」
きっと椅子に座っていなければ彼女は三つ指を揃えて、それは見事な土下座をしていただろう。何となくだが、弥生はそう確信した。
「私、厳島紗音を、貴方の弟子にして下さい」
「あー……」
予想の斜め上を行く低姿勢に思わず視線を泳がせる。彼女を冒険者にして投資した資金(廃人の感覚かすれば二束三文の価値しかない装備を提供しただけだが彼女はそう思ってない)を回収するのこと自体、問題ない。
ないのだが、こんなに純粋な──それこそ大袈裟かも知れないが聖女のような彼女を冒険者などという血生臭い仕事をやらせていいのか迷う。正直なところ、【アルケミスト】にでも転職させて生産重視のステ振りにして戦いから遠ざけた方が彼女の為ではないか?
(いや、きっと紗音さんはそんなんじゃ満足しないだろう……)
彼女を見ていると、かつての戦友だったラトリエを思い出す。彼が聞いた限りの話によればリアルの彼女は複雑な家庭環境で育った……らしい。ロールプレイをするような娘ではなかったので内気な性格と言動はリアルのままだと言われてたが、一度スイッチが入ればそこは熟練プレイヤーの技が冴え渡り、幾度となく仲間の窮地を救ってきた。
弥生は戦闘スタイルの関係であまり仲間たちと行動をすることはなかったが、ラトリエに関しては別だった。寧ろ彼女の方から積極的に関わってきた。ゲーム内で料理を作ったり、一人じゃ出来ないクエストを一緒に攻略したり、危険なダンジョンにソロで挑んだときは死ぬほど説教したり。
(……うん、やっぱりラトリエに似てる。性格とか外見はあまり似てないけど、現状に甘えない、前へ前へ進もうとする姿勢は似ている)
きっと彼女は自分と違って地球へ帰る手段を欲している。であるなら、世界中を渡り歩けるだけの能力が求められる。転生を視野に入れずとも、最低限の安全を確保するなら未転生の上限、つまり二○○は欲しい。
一番の安全は街の中から一歩も外に出ないまま生計を立てられる手段を確保することだが……。
「分かっ『ハッ、お前みてぇなヒューマンが冒険者たぁ笑わせるなぁ、えぇ!?』」
「……っ」
その、あまりの声量に彼女たちは元より、周りで談笑していた人たちも一斉に声の発生源に目を向ける。
大樽をジョッキ代わりにして酒をラッパ飲みしてたギガント族だ。お酒の効果もあるかも知れないが、それを差し引いても随分と乱暴な物言いだと感じたのは育ちの良さ故か。
「冒険者ってのはなぁ、遊びじゃねぇんだよ! テメェみてぇな乳臭いガキは帰れ、帰れ。なぁ、オメェらもそう思うだろ?!」
声を張り上げ、賛同を求めるギガント族の男。次いで沸き起こる賛同と嘲笑の嵐。
そうだ、そいつの言う通りだ──
女のヒューマンが冒険者なんざ笑かしてくれるぜ──
ガキはガキらしくママゴトでもしてりゃいーんだよ──
「……っ」
紗音にしてみれば折角の決意を全力で否定された気分だ。世間知らずとは言え、これまでの出来事から冒険者が生半可なことでは勤まらないことぐらい承知しているし、決していい加減な気持ちで言った台詞でもない。身を立てる手段がこれしかないというのであればどんな苦境にも立ち向かおうと思うぐらいには。
実際には娼婦になるという選択肢もないこともない。それとなく言ってみたものの『あれはサービス業の中でも最高レベルだから止めとけ。給金も安いしそうでなくても紗音さんには向いてない』と、弥生に一蹴させた。
(あぁ、やっぱ冒険者ってこういうのが多いんだ)
一方で、彼は何処までも冷静だった。自分に矛先が向いていないというのも理由の一つだがこうしたお約束はよく冒険者役を務めていたNPCがノリノリで演じていた。とは言え、いじられ属性のない相手を放置しておく趣味はないので早々に助け船を出してギガント族を追い払おうと席を立つ。
「その辺にしておけ」
「あぁ? やんのかテメェ?」
「そっちにやる気があるならどうぞ」
「上等だおらぁっ!」
瞬間、豪腕が唸りを上げて振り下ろされる。見え見えの大振りなのでギリギリまで引き付けて躱し、紗音を庇うように立ち回る。
武器は使わない。元より冒険者とは血気盛んな無法者の集まりなのだ。礼儀だの何だのそういうのは始めから欠片も期待してない。
「よし、先に手を上げたのはそっちだからな。正当防衛だ」
言い終える前に武芸スキル【遠当て】を発動。風圧を飛ばすことで相手をノックバックさせるだけのスキル。間合いの外から風圧を顔面に受けて思わず目を閉じるギガント族の男。視界が奪われている間に一気に間合いを詰めて、渾身の力を込めた【リッパーキック】を打ち込む。
ところで、平均身長二七○センチを誇るギガント族の懐に入った状態で蹴り技を出したとき、何処へ蹴りを入れるのが最も効果的か?
臑を狙うのも確かに有効だ。上手くいけば骨折を狙える。
だが男たちは知っている。女にはない、男だけが持つ限定機に自慢の武器ともなり、同時に最大級の弱点とも言える場所──金的が如何に反則的な攻撃であるかを。
「■■■■■■~ッ!?」
声にならにあ悲鳴を上げ、両手を股間に当てて膝を付くように倒れる。そのギガント族の男にトドメとばかりに頭部を両手で固定しながら膝蹴りを見舞う。相乗効果で破壊力を増した膝の一撃は男の脳を激しく揺さぶり、ついで金的のダメージと相まって薄汚れたフロアへ倒れ込んだ。
「……弱っ」
嘘偽りのない本音が漏れる。確かにゲーム時代、金的や首折りといったリアルで絶大な効果を発揮する技は全く意味のないものだった。現実に成り下がったからと言っても相手はギガント族のタフネスさには幾度となく辛酸を嘗めさせられた。
一方で、見物を決め込んでいた野次馬たちも開いた口が塞がらなかった。どう見ても貧弱なヒューマンがたったの二撃で屈強なギガント族を素手で屠るなど誰が想像できようか。
彼らの中ではせいぜい、男が頑張って勇戦するも、最後には圧倒的な力の前に為す術もなくボロ雑巾のようにされて、馬糞の山へ突っ込まれて女を奪われる展開を想像していた。
「帰ろっか」
「えっ? あ、はい……分かりました」
呆気に取られる紗音たちに声を掛けて、酒場から出て行く。これ以上、ここに居ても居心地が悪いだけだ。
弥生が先頭を歩くと近くで見物していた冒険者たちはサッと道を譲る。気分はさながらモーゼだ。
それにしても、と弥生は思う。すぐに暴力に頼って事件を解決するなんてことは日本に居た頃は考えられないほどの凶行だ。良くも悪くも自分がこの世界に馴染み始めた兆候かも知れないが、あんな惨劇を見せつけられれば女子たちは──
「あ、あのっ! エルフォードさんってとっても強いんですね!」
「強いだけじゃなくて女性にも優しいなんて……」
「エルフォードさんの奴隷になら、安心してなれるかなぁ~……」
──意外と好意的な態度だった。
もっとも、同郷の人間たる紗音の引き攣った笑みがやけに印象に残ったのは言うまでもない。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
礫の揺り籠の一角に設けられている宿泊地区。ギルドに登録してない人間でも利用できる大部屋を取り、早速部屋へと入る。女性陣のことを思うなら別々に部屋を借りるのが理想的だが生憎と個室は全て貸し切り状態だったので余分に金を払い、大部屋を丸々一つ借りて貸し切り状態にすることにした。
「せめて掃除ぐらいしろよ……」
部屋に入ったとき、弥生の口から出たのがそれだった。
ゴミと埃だらけの石畳に汗臭くて見るからに汚いベッド。おまけに鍵は内側からしか掛けられない。盗難を始めとするトラブルは自己責任。サービスされるのが当たり前だと思ってる日本人にはキツい環境だと思ったのはここだけの話。
「さて……」
仮想ウィンドを操作して分厚い本を出して紗音に手渡す。焦げ茶色のハードカバーに包まれたその本の表紙にはチュートリアルブックと書かれている。
「暇があるときでいいからその本、目を通しておいて。で、早速本題に入るけど紗音さんは冒険者になる。これで間違いはないね?」
「はい」
自分の意志を伝えるように、真っ直ぐ弥生を見つめて返答する。その視線を正面から受けきった彼は軽く頷くと再度仮想ウィンドを操作して武器を床に放り出す。
短剣、片手剣、銃器、杖、槍、盾……いずれも非力な紗音を考慮して最低ランクの武器を選んでいるが侮るなかれ。見た目こそ大量生産されてる武器に見えるがその実、限界値まで鍛え上げ、特殊効果を付与するエンチャントをこれでもかというほど付与した一品ばかりだ。最も、いくら強化したところで所詮は底辺の武器。性能だけ見れば中級クラスの武器と同等でしかない。まぁこれは主にSTRが足りてないときに使ったりパワーレベリングのときに用いる為に常備している訳だが。
「好きな物を手にとって色々試してみてくれ。で、自分の手に一番馴染む武器を主軸に紗音さんを鍛える」
「分かりました」
そう言って彼女が真っ先に手に取ったのは杖だった。名前もロッドとベタな名前だ。魔法攻撃力を少し上昇させる本来の効果に加えてエンチャント効果により魔法攻撃力の威力を底上げしつつ詠唱時間の短縮効果。そして緊急時の武器として機能するように無駄に物理攻撃力もあげている。本当に無駄でしかない。
いくつか武器を試してみた結果、使い勝手と汎用性を取って片手剣と盾を選ぶ紗音。てっきり杖を選ぶとばかり思っていただけに意外な結果だった。
「自分の身を守る為ならば攻撃と防御が両立できるものがいいと思いました」
理由を尋ねてみたらとても合理的な答えが返ってきた。盾装備の利点は単なる防御力上昇だけでなく、HP増加効果がデフォルトで付いているものが多い。それに加えて盾には狭い範囲ながらダメージ無効化エリアという場所が存在する。敵の攻撃に対してピンポイントでその領域でガードすればダメージを完全に無効化できる。ボス狩りをする上では必須とされるプレイヤースキルだが残念なことにこれを自在に使えたプレイヤーは一○人程度しかいなかった。当然、人形遣いなんて地雷職で遊んでいた弥生がそんな廃人スキルを使える筈もない。
「剣と盾を活かすなら防御ステータスはVITがいいな。ただ、片手剣だとリーチに苦しめられる場面も出てくるから片手で扱える槍の熟練度も上げた方がいいだろう。あと、転職は【クルセイダー】を見据えて──」
その後、細かいところを紗音と一緒に詰めていき、きりが良いところで終わらせてそのまま就寝。勿論、あの汚いベッドではなくアイテムストレージの中にあった寝袋を人数分出して使ったことを追記しておく。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆
翌朝。日が昇りきってから起床した一同は軽く朝食を取った後、ギルド登録をすべく受付のドワーフ……ではなく登録担当の受付嬢の元へ向かい、冒険者登録をする。
「エルフォードさんは登録されないのですか?」
「うん。普通に狩りするだけでも生活できるから」
納得しきれてない様子の紗音をせかすように登録を催促する。彼女に言った言葉に嘘はないが、一番の理由はそこではない。
(入会時にステータスも一緒に登録とか冗談じゃないぞ)
個人情報の管理云々よりも、自分の正体が露見するのが一番の問題だ。冒険者ギルドが真に信用できる組織であれば登録するのも吝かではないが、現時点ではそこまで信用できないというのが弥生の見解だ。流石に五○○年以上も前の人間が今日まで生き長らえてるとは思わないだろうが、用心するこ越したことはない。
登録手続きをする紗音の後ろ姿をぼんやり眺めつつ、昨夜アリッサを経由してローウェンに連絡しようとしたのを思い出し、フレンド登録を経由して【チャット】で呼び出す。
数回のコール音の後、どたどたと慌ただしい音が聞こえる。
一瞬の沈黙の後、慌てたようにアリッサが【チャット】に応じる。
「もしもしエルフォードさんですが本日は大変お日柄もよくご機嫌麗しゅう御座いますが──」
「アリッサ、何言ってるか分からないぞ」
取り敢えず突っ込みだけはしっかり入れておく。
弥生に指摘され、その場でスーハースーハーと深呼吸する彼女の姿が目に浮かぶ。実に分かり易い性格をしている。
「はぁ、落ち着きました。……で、エルフォードさんどうしたんですか? もしかして新しいレシピでも見つけたんですか?」
「残念ながら俺は料理スキルに関してはさほど熱心じゃない。ちょっとこの世界の身分に付いてローウェンさんに聞いておこうと思ったんだけどあの人とはフレンド登録してないからアリッサさん経由で話そうと思って」
「あぁ、そうでしたか。なんて言いますか、タイミング悪かったですね。ローウェン様は今、王女様をおもてなししてますのでお話できるのは当分先になりますが……私で宜しければお話しましょうか?」
「え、いいの?」
「はい。この時間でしたらお嬢様は家庭教師のウェールズ様と勉強中ですので。……で、聞きたいことって何ですか?」
「えっと、結構大雑把な説明になるんだけどこの世界である程度の身分が保証される立場に付くのってどうすればいい?」
【チャット】の向こうでアリッサが少し困ったような声をあげる。やはりもう少し自分で調べてから尋ねるべきだったかと思い直そうとした矢先に、返事が返ってくる。
「そう、ですね。まず百姓や村民は例外なく力を持たない立場です。エルフォードさんは男ですから貴族様の執事にでもなれば多少は違ってきますが、それはあくまで主人を補佐する為に与えられた権限に過ぎません。ある程度の自由を持った状態で権力を発揮できるとすればやはり上位の冒険者や名の売れた商人に限られます。ただ、冒険者として名を上げた場合はあくまで国から生活面で好待遇を受けられる、交渉時のちょっとしたカード程度の効力しか持てません」
「あくまで仮の話だけど、俺がローウェンさんの専属冒険者みたいな立場になった場合はどうなる? 例えば優先的に依頼を受ける代わりに一部の権限を譲渡して貰えるとか」
「まぁ、そういう話も聞かないことはありませんね。私もエルフォードさんのことはローウェンさんから少し聞きましたが、エルフォードさんなら引く手甘手じゃないですか?」
「生憎、権力者なら誰でも仕えて良いって言うほど自分を安売りしたくないんでね」
この辺の感性はアリッサには理解できないのか、『そうですか……』と、素っ気ない返事をするだけに留まる。
「お話は以上ですか?」
「あぁ。貴重な時間を割いて悪かったな。……あぁそうだ。時間があるときで良いからローウェンさんに伝えといてくれないか? 魔武器の数に余裕があるから必要なときはいつでも声掛けてくれって」
「は、はぁ……分かりました」
多分に呆れを交えた声を上げるのを聞き届けながら【チャット】は終了する。と、そこへ今まで出るタイミングを図っていた一人の人間(?)が一歩前へ踏み出る。
「エルフォードさんですね?」
声を掛けてきたのは女性だ。ギルド職員ともなれば戦闘技能は必須なのか、腰にはダマスカス製の剣が提げられている。
「ご用命は何ですか?」
「過日、エルフォード様が討伐したゾンビマスターの報奨金の受け渡しです。ここでは目立ちますので別の部屋でお渡しする手筈です」
間髪入れず間に入ったリーラに動揺することなく、事務的な物言いで説明する職員の物言いに、眉を潜める。
ダニエルの話ではユニークモンスター級の魔物を討伐した際は換金に幾ばくかの時間を要する。それが側近でポンと支払われるということは珍しいことに違いない。
ギルドの立場で考えてみれば呼び出した人間は討伐した人間に対して疑惑を抱いているのだろう。ローウェンのような認められた実力者ならともかく、ポッと出の人間がゾンビマスターを倒したと言ったところでそれを鵜呑みにするような大人がいるとは思えない。
勿論、断るという選択肢も彼の中ではキチンと存在する。その気になれば国家権力を相手にしても逃亡生活を続けられる自信がある。現実的な案ではないのでやる意味ないのは言うまでもない。
「失礼を承知で発言させて頂きますがエルフォードさんは今、経済面で苦しんでおられるように見られますが?」
半ば確信を突いた発言に思わず言葉を詰まらせる。
究極を言えばお金に困ることはない。ルーン金貨を換金する方法を見つけるなり手持ちの武器や霊薬を売り払えば充分だからだ。
しかしそれをすれば必然的に不要な注目を浴びるのは明白。それにどうせお金を手に入れるなら自分の力で稼いだお金の方がいい。
「因みに、断った場合はどうなりますか?」
「是が非でも、エルフォードさんをお連れするようにとギルドマスターから御諚を賜っております。ですからどうか、ここは私の顔を立てるつもりでお願いします」
右手を肩に当てながら深々と頭を下げる。
縁もゆかりもない他人ではあるが、美人にここまで真っ直ぐ懇願されては悪い気はしない。ついでに言えばギルドマスターがどの程度の強さを持つ人間なのか個人的な興味もあった。
「分かった、案内してくれ。……ということだから行くぞ」
主の命に従い、追随するリーラと紫。尚、受付嬢の話に終始耳を傾けていた紗音が一連のやり取りに気付くことはなかった。
今更ですがヒューマンは差別用語ってことにしといて下さい。