第一章 奔走する者たち
――今日は我がラグナート王国の姫君、クリスティア王女の十七歳の誕生日である。
ラグナート王国騎士団隊長、カインは思い悩んでいた。
今日は王女の誕生日。城の中には忙しなく走り回る者達が大勢いる。パーティの用意で忙しいコックや召使い達、城の警備を行う騎士見習い達。誰もが激務に追われながら、しかし表情はとても明るく、今日と言うめでたい一日を祝いたい一心で仕事に励んでいた。
そんな様子を見守りながら、先ほどまで指揮を執っていたはずの隊長、カインは、そんな彼らとはまるで違う、真逆の表情を浮かべていた。どこか憂鬱で、思い悩んだ表情だ。
「どうしたのです、カイン。仕事を放ってこんな場所で」
そんなカインの隣に立って声を掛けたのは、カインと同じく騎士団の隊長を務めている女性、ミランダだ。
栗色の長く綺麗な髪、騎士団の正装である白銀のラグナート式甲冑に身を纏いながら、すらりと伸びた高い背丈と豊満な胸、鍛え抜かれた無駄のない肉付きをした腕と脚は細く、それでいて力強さを感じさせる。
カインが男の騎士を集めた隊の長だとすれば、彼女は女の騎士を集めた隊の長といったところだ。
ラグナート王国において男女差別というものは存在しない。しかし性別と言うものは人々の意識に存在する一つの差別、言うなれば境界線と呼ぶべきものである。それを深く重んじた初代ラグナート王が、国を興した時に設けた一つの決め事が存在する。
それが、『男女相容れず常に競い合うべし』というものだ。
よって、男の騎士団と女の騎士団、二つの騎士団が存在しているのである。その他にも男女で分かれたものは多い。それらがこの国の特徴だと言えるだろう。差別はしないが、優劣は付ける――それがこの国、ラグナートの教義なのである。
つまるところ、カインとミランダは競い合う者同士の立場、言うなればライバルだ。このように普段から気軽に話し合えるような間柄ではなく、こうしてミランダがカインに話し掛けるというのも珍しい事なのである。
そんな経緯から、カインはミランダに話しかけられた事に驚きを隠せないでいた。それはミランダ自身も理解しているのだろう、カインが戸惑っていると気が付いて、返事も聞かぬまま言葉を続ける。
「それに何ですか、その顔は。今日が一体どういった日なのか忘れたとは言わせませんよ。一年に一度しかない姫さまの誕生日なのですからね。騎士団の隊長ともあろう貴方がそんな陰鬱な表情をして立っていては、部下である騎士達に示しが付かないと言うものです」
捲くし立てるように、どこか嫌味を含めるような口調で言い放つミランダだったが、それを受けてもまだ呆然と暗い顔をしたままのカイン。明らかに様子がおかしい事に気が付いたミランダは、今まであまり気にもしなかったカインの顔を覗き込むように凝視した。
(な、何ですか、この顔は。私が話し掛けて少し驚いたかと思えば、既に私の事など気にも留めていないような……。何かに悩んでいるようにも取れますが、いつも大声を張り上げて騎士達を叱咤しているカインの顔とは思えません!)
カインはミランダに凝視されている事に気付いていないのか、はたまた無視しているだけなのか、それは定かではないものの、その視線は常に忙しなく作業に勤しむ者達へと向けられていた。目蓋は半開きで、口は少し開いたまま、まるでこの世の終わりでも見たかのような表情を浮かべている。
ミランダは今まで見た事のないライバルの顔を眺めて、何故だか解らないが、心のどこかがズキリと痛むような感覚を得た。騎士団の質もそれらの扱いも全て上回っている自信があるミランダからすれば、カインという男は自分の背中を追いかけているただ一人の騎士に過ぎない。それ以上でも以下でもないはずだ。だからこそ自分より劣っている者であるカインの事など興味はない――はずなのだが、何故だか今日のカインはいつもと違っている気がして無関心ではいられなかった。
「ちょっと、聞いているのですかカイン。この私がこうして問い質しているのですよ、返事ぐらいしてはどうですか。……ああもう、いい加減に――」
「……さまが」
もう我慢の限界だとばかりにミランダが怒声をあげようとした瞬間、唐突にカインが口を動かした。ぼそっと何かを呟いて、ミランダの方へとゆっくり振り向く。
「姫さまが、おかしいんだ」
今にも泣き出しそうな顔を浮かべ、カインは一言、そう言った。
「姫さまがおかしい……?」
ミランダは戸惑いながら、カインの言葉を復唱しつつ、
「おかしいのは貴方でしょう、カイン。私も先ほど姫さまとお会いしましたが、別段どこもおかしい様子なんてありませんでしたよ?」
「いや、間違いなくおかしかった。今日の朝食だって半分以上残してたし、いつもなら朝の挨拶を交わして下さるのに今日は無言だった。ずっと俯いていて、せっかくの誕生日だっていうのに何の楽しみも感じていらっしゃらないような……」
「はあ……まさか、そんな事でずっと悩んでいたのですか?」
「そんな事だって!? 今日は大事な大事な姫さまの誕生日なんだぞ!? そんな日に姫さまがあんな様子だなんて、絶対に何かおかしいじゃないか!! これが心配せずにいられるかって言うんだ!!」
先ほどまでの陰鬱な様子からはうって変わり、急に声を張り上げるカイン。ミランダからすれば、これがいつも通りのカインなので別段驚く事はないのだが――それにしても彼がこうまで言うのだから、本当に姫さまの様子がおかしいのかもしれない、とミランダは思う。
「解りました、貴方がそうまで言うなら私も気に留めておきます。しかしながら、それはそれとして、貴方にもまだ仕事が残っているでしょう。こんな場所で考え込む暇があったら、さっさと自分のすべき事をまっとうされては如何です?」
「あ……ああ、そうだな……すまない。俺とした事が取り乱した」
「解れば良いのです。では、私は私の仕事がありますので、失礼」
なんとかいつも通りのカインに戻ったようで一安心したミランダは、それだけ言って踵を返す。その背中を追うように、カインはミランダに走り寄った。
「あ、おい、ちょっと待てよミランダ」
カインがふと手を伸ばして肩に触れかけたが、さすがにそれは躊躇って寸止めする。ミランダは歩みを止めて、首だけを回してカインへと視線を向けた。
「なんでしょう」
「いや、その……お前から話し掛けてくるのって珍しいだろ。さっきは変な態度取って悪かった。俺自身、自分でもどうしたらいいのか解らなくてさ……正直、話を聞いてくれて助かったよ。心配してくれてありがとな、ミランダ」
右手で頭を掻きながら、照れたような口調で言うカイン。
ミランダはそんなカインの言葉に驚いて、ボッと顔を赤らめた。
「ば、バカな事を言わないで下さい。誰が貴方の心配などしたと言うのです。いい加減、仕事もしないで立ち竦んでいるだけの貴方の姿が気に入らなかった、それだけですからね。勘違いされては困ります!!」
「か、勘違いって……酷いなあ」
「良いですか。貴方と私は常に立場を競い合う、言わばライバルなのですよ。普通ならこうして会話を交わすなんて事も遠慮したいところなのですからね。貴方には、もう少し自分の立場と言うものを弁えて欲しいものです」
「解ってるよ。『男女相容れず常に競い合うべし』、だろ?」
「そうです。我がラグナート王国の臣民である以上、貴方もその教訓をもっと重んじるべきです。先月の模擬演習での結果だって私の隊の圧勝だったのですから、もっとしっかりして戴かないと張り合いがありません」
「いやあ、俺も皆と頑張ってるつもりなんだけどね。大陸一の剣豪と謳われた女騎士、ミランダ率いる騎士団にそうそう敵うとは思っていないよ」
カインのその一言に、ミランダはムッと眉を顰める。
「……正直、胸糞悪いですね。剣の腕前だけなら、貴方だって私に退けは取らないでしょうに」
「おいおい、女の子が胸糞悪いとか汚い言葉使うなよ。それに、剣の腕だってまだまだ追いついたとは思っていない。タイマン張って勝負した事はないにしても、周りの評判見てりゃ誰だって一目瞭然だと思うけどな」
「お、女の子とか言わないで下さい!! 一体、誰に向かってどの口がそのような言葉を吐くのですか!!」
「ご、ごめんごめん、悪かったよ。そんなに怒るなってば」
「っ……、まあいいでしょう。とにかく、これ以上は時間の無駄です。私はこれで失礼します」
「ああ、引き止めて悪かった。じゃあな」
今度こそミランダはカインに背を向けてその場を去っていく。カインはそんな彼女の背中を眺めながら、先ほどまでの陰鬱な表情など忘れたかのように薄っすらと微笑んでいた。
(……、さて。言われた通り、俺も俺の仕事をしなくちゃな)
◆◆◆
ラグナート王国は、大陸の三大国の中で最も平和かつ豊かな国だと言える。
他の国――セレニスタ帝国、ユグスティア公国との決定的な違いは、『騎士制度』における国全体の身分の平均化、そして統率力にある。初代ラグナート王が設立した『騎士制度』とは、簡単に言えばラグナート国に属する民、その全てが城に仕え、王の下で働く事が出来る権限を持つ、といったものだ。
その権限を持った民は、個人の自由意志によって王宮に仕える『騎士』となる事ができる。当然、資格試験などを受けて十分な結果を出し、申請が通らなければ騎士になる事はできないが、どんなに貧しく身分の低い位の人間でも、試験に望む権利を持っているのだ。
これは他国では考えられない制度であり、ラグナート王国の特徴の一つであると言える。
騎士にも階級が存在し、一番下から見習い騎士、下級騎士、中級騎士、上級騎士、そして騎士団隊長、トップに騎士団長となる。現在、ラグナート王国には二つの騎士団が存在し、それぞれカインの率いる男騎士団、ミランダの率いる女騎士団がある。その二つの騎士団を総括し、纏めているのが騎士団長であるファルガスという男だ。
ファルガスは騎士団長室――そのまま彼の私室にもなっている――にある机にどっさりと乗った書類の山と睨み合いながら、数刻に一度の溜め息を繰り返していた。
「ふう……。これだけの書類、今夜のパーティまでに処理し切れるといいが……」
慣れた手つきで書類に印を押し、眉間に皺を寄せながら、無茶な案件にはしっかりと×印を付けていく。騎士団の長である彼の仕事は基本的にこういった事務が主で、騎士団の事については大体カイン、そしてミランダの隊長二人に任せきりだった。
それも彼らを信頼しての事なのだが、今日はやけに気がかりで仕方がなかった。山となって立ち塞がる書類を捌く手つきが若干ブレているのもその為だ。
その理由は、つい先刻にあったミランダの報告でカインの様子がおかしいと言う話を聞いた所為だ。カインを隊長に推薦し、任命したのは他ならぬ騎士団長のファルガスであり、ファルガスはカインをいたく気に入っていた。カインが隊長に就任した直後は何かと色々言われたものだが、決して身内贔屓のような感情があったわけではない。
カインという青年は、いつでも自分に厳しく、そして誰よりも仲間を思いやり、大切にする男だった。カインが上級騎士だった頃、ファルガスはとある任務で彼と行動を共にした事があるのだが、その時、ファルガスは自分にはない特別な何かをカインから感じ取っていた。
この男になら、いずれ自分の座を明け渡しても良いかも知れない――ファルガスにそう思わせてしまうほどの『何か』をカインは持っていた。そう感じたファルガスは、カインを騎士団隊長へと推薦し、王の許可を得て任命したのだ。
そのカインの様子がおかしいと言うミランダの報告は、ファルガスの精神を揺さぶる原因として十分な要素になっていた。出来る事なら直接会って詳しい話を聞いておきたいところなのだが、互いにこなさなければならない仕事がある以上、そのような事に時間を割いている余裕はなかった。ましてや、今日はクリス王女の誕生記念パーティが行われるのだから、早い内に仕事を済ませてしまわなければならない。
「ふう……」
もう何度目か解らない溜め息を吐いて、まだ半分も済んでいない書類の山へと目を向けるファルガス。
王が二年前に死去した現在、この国を支えるのは残ったプレナ女王のみ。女王を支えるのも騎士団長である自分の役目だと、こうして本来なら自分に関係のない仕事も喜んで引き受けているファルガスである。辛いと感じた事はないし、これが今の自分の有り様なのだと納得もしている。だからこそ今、ファルガスは自分の心の中で焦りのような感情が渦巻いている事にもどかしさを感じずにはいられなかった。
ふと、ファルガスは窓の外へと視線を向けた。
空には澄み渡るような青一色が広がっている。机に座っていて良く見えないが、恐らく城下町も大勢の民草、他国からやってきた貴族達で賑わい、溢れかえっているだろう。友好国であるユグスティア公国の貴族達が、クリス王女の誕生記念パーティ目当てで来訪する事は珍しくない。ましてや、今日は同国からとある劇団が船に乗ってやってくると言う話だ。何でもかなり有名な劇団らしく、それを楽しみにしている国民達もいるだろう。
暗い話題など何一つなさそうな一日だ。誰しもがクリス王女の誕生日を祝い、平和への祈りを捧げ、劇や宴に集い、そうして大いに騒ぐ。今日はそれだけ、ただそれだけの明るい一日に過ぎない。
だと言うのに、あの青年は一体何を考えているのだろうか?
時折、ファルガスにも理解し難い思考で行動を起こす青年である事は承知している。カインという青年はある意味規格外だ。正直な話、隊長という座に相応しい器だとはあまり思えないが、今となっては彼以外に騎士団を任せる気にもなれない。騎士団の騎士達は誰よりもカインの事を慕っているし、それはカインとて同じである。
言うなれば、カインは『信頼』というものを根底に置いている感がある。仲間への信頼、自らの力に対する信頼――その形は様々だが、そういったものが彼の奥底に存在しているとファルガスは考えている。それ故に人を疑う事を知らず、騙されやすい為に痛い思いを何度も味わっているだろう。そういった部分に若干の懸念があるものの、それを踏まえた上で、ファルガスはカインを『隊長』としたのである。それはまさしく、ファルガスにとっての彼への『信頼』なのだろう。
カインのそんな姿に騎士達はきっと共感し、尊敬したのだと思う。彼の人望こそが、彼を隊長の位に留まらせている一番の所以だろうと思う。そう思うからこそ、ファルガスはただ心配だった。カインの変化が、騎士団に悪影響を及ぼしてしまわないかと言う不安が生まれ、それは次第に恐怖へと姿形を変えていく。
――団長である自分がこんな事ではいけない。自分は、誰よりもカインを信じなければならない立場であるのだから。
ファルガスは何度も己にそう言い聞かせ、ただ黙々と作業を続けるしかなかった。
◆◆◆
純白のドレスに身を纏った少女――クリスティアは、自室で読書に耽っていた。
すぐ傍にある窓から入り込む風に長く美しい黒髪を靡かせて、精巧な人形を髣髴とさせる白く細い指で本のページをめくる音だけが静かな部屋の中に響く。本のタイトルは『月に願いを』。身分を越えた男女の恋愛物語である。
ラグナート王国の王女であるクリスティアは、今日で十七歳の誕生日を迎えていた。今頃、城の中ではパーティの準備であらゆる者達が尽力し、城下町では数多くの民草、貴族達が王女の為の宴を楽しみにしている事だろう。
誰もが浮かれ、誰もが楽しみ、誰もが喜ぶ、ただそれだけの一日――。
それは、クリスティアにとっても例外ではないはずだった。
だというのに、彼女の顔にそれらの喜々とした感情は見えない。ただ暗く、何かを思い悩むような表情だけを浮かべている。
「失礼します、姫さま」
コンコン、と扉を叩くノックの音が聴こえる。クリスティアはハッとして本を閉じ、机の上に置いて立ち上がった。そのまま扉の前まで歩み寄ると、ノックの音と共に聴こえてくる声の主へと静かに問うた。
「……カイン、ですか? 今は少し、気分が優れないのです。用があるのでしたら、ここで聞きます」
「すみません、今日は姫さまのご様子が気に掛かりまして、こうして馳せ参じたのですが、もし本当にご気分が優れないようでしたら、専属の医師を……」
カインという青年は、騎士団の隊長の一人である。同じく騎士団隊長のミランダとは違い、やけにクリスティアの事を気に掛けているように感じる。それは騎士としての王女への忠義の心からだろうが、クリスティアには彼のその態度が少しばかり気に入らないところがあった。
こうして自分の事を気に掛けてくれる事は素直に嬉しいと思うクリスティアだったが、それにしてもカインはクリスティアに対して『度が過ぎている』と思うのだった。それは一介の騎士が国の王女に対する態度ではなく、一人の男性が一人の女性に対する態度のような――クリスティアはそういった風に感じてしまっていた。それが自分の考え過ぎなのだとしても、彼からすれば忠誠を誓う姫君への接し方に過ぎないのだとしても、クリスティアにはそう思う事ができなかった。
だから、こうして彼が自室へとやってきては世話を焼きたがる度に、クリスティアは苛立ちにも似た感情を得てしまう。どうしてそんな気持ちになるのかは解らないけれど、不愉快、というよりは、ただもどかしいといった気持ちに苛まれてしまうのだ。
「必要ありません。今、わたくしは読書の途中なのです。用件はそれだけなのですか?」
――だから、ついこうやって冷たい態度を取ってしまう。
解っているのに、これだけはどうしても直せなかった。
「す、すみません。お邪魔してしまって……ですが、本当に何ともありませんか。今日は朝からご様子がおかしいようにお見受けしました。朝食もいつもの半分以上残されて、顔色も悪くて……俺、あ、いえ、自分は、恐れながら心配しております」
たどたどしい口調で未だ退こうとしないカイン。遠慮というものを知らないのだろうか、とクリスティアは思いつつ、しかしこうして言われてみて初めて気付く事もあるものだ。
「……今日は、その。昨日、少し夜更かしをしてしまったのです。どうしても続きが気になる本があって。ですから、朝は少し寝不足で……それだけなのです」
どうしても無下に出来ず、中途半端な嘘で誤魔化そうとするクリスティア。この程度の嘘、カインと同じ隊長であるミランダなら即見破ってしまうのだが、
「そうでしたか! それは気付けませんでした。でしたら、本当にお邪魔をしてしまっただけですね……お時間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」
「え、ええ。気に掛けてくれた事には感謝します」
「はっ、ありがたきお言葉。では姫さま、失礼致します」
扉の前から足音と共にカインが去って行くのを確認し、ふう、と息を吐くクリス。
まさか、あの程度の嘘を信じてしまうなんて――クリスティアは無駄な不安を感じながらも、自分の胸に手を当ててみる。
(……そう。カインにはお見通しだったのね。ミランダにでさえ気付かれなかったのに)
クリスティアの様子がおかしい事、それは事実であった。そして、それにはまごうことなき理由がある。しかし、それは彼女の心の奥底で秘めておかなければならない事。彼女の背負うもの、背負うべき使命とも呼ぶべきものの所為であった。
(今日、全てが始まる。そう……これは、わたくしにしか出来ない事なのだから)
◆◆◆
カインは、視察がてらに城下町へとやってきていた。
ラグナートは水に囲まれた国で、街のあちこちに水路が存在している。その水路を小さな船で移動したり、水路の傍にある街道を歩いたり、はたまた馬車を利用したりなど、街の中での移動方法は様々だ。
カインは城から専用の小船で城下町まで移動して、そこからは徒歩で街を見回しながら歩いていた。いつもの倍以上の活気を見せている街中では、普段見ないような豪奢な格好をした者達をいくつも見受けられる――いわゆる『貴族』である。
貴族とは、主にユグスティア公国における階級制度の一環で、身分の高い者達を現すものだ。向こうの国からしてみれば、ラグナート王国における『貴族』は、『騎士』やそれに属する者達を指すと言われている。
つまり、カイン自身も彼らからして見れば貴族なのだが――どうしてか、カインは彼らをあまり好ましい目で見る事が出来なかった。彼ら、というよりは、貴族という制度そのものを毛嫌いしている感がある。
元々、身分による差別をしないのがラグナート流なので、ラグナートで暮らしてきたカインには貴族という制度にどうしても抵抗があった。彼らが裕福な暮らしをしている下では、それに反して貧しい暮らしを強いられている者達がいるはずだ。その事実がある限り、カインにとって貴族とは相容れないものだった。
観光気分――いや、実際観光なのだろう。そういった雰囲気を持った者達と幾度となく擦れ違いながら、カインは次第に気分が悪くなってきた。自分の気に入らないものはどうしようもないのだが、これではまともに警邏さえ出来ない始末である。
そんな気分で歩いていたカインだったが、ふと気付くと目の前で誰かが倒れている事に気が付く。
(おいおい、大変だ!)
急いで駆け寄って身体を抱きかかえると、それは小さな少年だった。十代前半くらいの少年は黒い短髪で、とても綺麗とは言えない繋ぎ目だらけのボロボロな洋服を纏っている。ある程度の差があるとは言え、基本的にどの民草もそれなりに裕福な生活が送れているこの街の人間とは思えない格好だ。恐らく外から来たのであろう、とカインは考える。
「君、大丈夫か!? まだ意識があるなら返事をするんだ!!」
身体を軽く揺さぶり、意識の覚醒を促す。すると、閉じられていた目蓋が薄っすらと開いて、少年の瞳がカインの顔を捉えた。
「あ……ごめんなさい。ボク……お腹、減ってて……」
辛そうに言葉を紡ぐ少年の顔は、どこか衰弱しているように見えた。カインはあまり詳しい事は解らないが、この衰弱具合から見て恐らく数日の間何も食べていないのだろう。開きかけた目蓋はピクピクと痙攣していて、抱きかかえた身体もどこか冷たい。このままでは命に関わってしまうかもしれない。
「解った、今すぐ何か食べさせてやる。この近くに俺の行きつけの酒場があるんだ、そこでおやっさんにスープでも作って貰おう」
「ほ……んと?」
「ああ、嘘はつかない。ほら、背中に乗れるか?」
「う、うん……」
少年はふらつきながらも、カインの背中に抱きつくようにして乗りかかった。そんな少年の身体をしっかりと支えながら、カインは立ち上がる。
「すぐに着くからな。しっかり意識を保つんだぞ」
カインの言葉を聞いて、少年は無言で頷く。
それを横目で確認しながら、カインは街中にある酒場へと向かう事にした。
◆◆◆
酒場に着いたカインは、背中におぶさっていた少年を優しく下ろすと、一番隅っこにあるテーブルの椅子にちょこんと座らせた。少年は今にも倒れそうな顔色だったが、水を飲ませてやると少しばかりまともな表情を作った。
本当に何も飲まず食わずだったのだろう、カインは行きつけの酒場のマスターであるブリガンという男、通称『おやっさん』に急ぎ食事の準備を頼むと、状況を判断してくれたのか、ブリガンはそそくさと厨房へと向かっていった。
それを確認して一安心したカインが少年の待つテーブルへと戻ると、そこにはカインをじっと見つめる少年の姿があった。何とか安心させようと、カインは少年の下へと駆け寄る。
「お待たせ。今おやっさんに頼んできたから、すぐに食べられるものが来るよ」
「あ、あの……ありがとう、お兄さん」
どこか萎縮した態度で少年は礼を告げる。
カインはむず痒い気持ちを感じながら、少年の手をそっと優しく握った。
「俺の名前はカインだ。君は?」
「ボクは……ニコル、です」
「そうか、ニコルか。それじゃあ、これからは俺の事をカインって呼んでくれ。お兄さんとか呼ばれると困るというか、正直照れちまう」
「あ……は、はい。ごめんなさい……」
急に謝りだした少年を見て、カインはどこかいたたまれない気持ちになる。
きっとこの子は貧民で、今まで周りの目をずっと気にして、ひたすら頭を下げて、言いなりになって――そういった生活を続けてきたのだろう、とカインは思う。少年の態度を見ればすぐにでも察してしまえる事だ。
「おいおい、別に俺は怒っちゃいないよ。君、見たところこの国の出身じゃないみたいだけど、一体どこから来たんだい?」
「えっと、ユグスティア……です」
やっぱりか、とカインは思う。
ユグスティアは、貴族制度のせいで裕福な者と貧困な者の差が歴然としている国だ。今、街中を観光気分でうろついている貴族達とは正反対に、この少年のような貧民が数多く存在している。カインはその事がとても気に入らないし、そのせいでユグスティア公国という国の事を内心嫌っている。
「あの、カイン……さん。ボク、何か悪い事……」
何か怖いものでも見るかのような怯えた瞳を向けてくるニコルを見て、カインはハッとする。気付かない内に怖がらせてしまうような顔付きになってしまっていたらしい。
「ああ、すまない。気にしないでくれ。ニコルは何も悪くないよ。ただ、ニコルをそうさせた奴等が悪いだけだ……」
「えっと……その……」
「おっと。そんな事より、ユグスティアから来たんだろう? どうしてまた?」
気まずい空気になる前に、カインは咄嗟に話題転換を試みる。
ユグスティア公国からこのラグナート王国まではそれなりの距離がある。とてもではないが、人間一人が歩いて来れるような距離ではない。船でも使わなければ到底不可能だ。つまり、この少年――ニコルは船で来たという事になる。だが、いくらなんでも貧しい者がユグスティアからラグナートへの船に乗れるとは思えない。
カインは、目の前にいる少年がどのようにしてこの国へとやってきたのか、純粋に興味があった。
「劇が……あるから……」
「劇、って……ああ、確か今日、余興の一つとして有名な劇団が来るって話だったっけ」
「はい、その劇を見に……」
「それだけの為にラグナートへ? 交通手段は?」
「あの、怒らないで……聞いてくれますか?」
「気にするな。ここなら俺以外、誰にも聴こえやしないって」
カインにはニコルがどうやってこの国にやってきたのかそれなりに予想がついた。そして、その手段はあまりにも褒められた手段ではない。だが、この少年が国境を越えようとするならば、その手以外にどうしようもない事もまた事実なのだから、頭ごなしに叱ってやるわけにもいかないだろう。
だからこそここは一国の騎士としてではなく、一人の男としてこの少年の話を聞いてやるべきだ。
「……歩いてきました」
「馬鹿だろ!!」
――思わずツッコミを入れてしまった。
「えっ、あ……その、ごめんなさ……」
カインはニコルの言葉が信じられなかった。
――歩いてきた?
ユグスティアとラグナートの国境を徒歩で越えようと思ったら、どう頑張っても十日は掛かる。ましてや子供の体力ではその倍は見積もっていいだろう。それを、この少年は達成したとでも言うのだろうか。
「いや、すまん……。っていうか、それ本当なのか?」
「それ、って……?」
「ほらその、歩いてきた……って」
「あ、はい。本当です」
カインはニコルの言葉がまだ信じられなかった。
――だってお前、普通に考えたら船に忍び込んで密入国とかだろう?
それはれっきとした犯罪なのだが、まともな思考ならまずはそこに行き着くはずだった。そうでなくても劇団の船に一時的な雑用として乗り込むとか、他にも楽な手段はいくらでも思いつく。その上で徒歩を選択したというのなら、この少年は本当に馬鹿だとしか言いようがない。
「なんていうか、よく死なずに来れたもんだ……」
「えっと……あはは……」
もはや驚きを通り越して呆れた声しか出ないカインの様子に気が付いたのか、ニコルはただ苦笑いを浮かべるしかなかった。
◆◆◆
酒場での食事を済ませたカインとニコルは、再び城下町へと繰り出していた。
元々カインは仕事で来ていたのだから、早いうちに済ませる事は済ませてしまわなければならない。かといって拾った少年をそのまま放置してしまうのも後味が悪い。よって、カインはこうしてニコルと共に城下町を歩いて回る事にした。
はたから見れば騎士団の隊長がボロボロの服を来た少年を連れている、なんていかにも怪しい絵面である。歩くたびにそこかしこの人々から不審げな視線を浴びせられた。
「……なんていうか、目立つな」
特に誰に言うでもなく、独り言のように呟くカイン。
だがそれはニコルの耳にしっかりと届いたようで、途端にニコルは俯いてしまう。
「ああ、悪い。ニコルは気にしなくてもいい……って言っても、まあ、気になるよなあ」
カインが初めてニコルと出会った時も、その服装からこの国の民ではないと判断できた。つまり、そのぐらいにはニコルの格好は浮いてしまっていると言っていい。どうにかならないものか、とカインは考える。
「うーん……。せめて服だけでも着替えられたらいいんだが」
「ボ、ボク……お洋服を買うお金なんて、ないよ……」
「だよなあ」
二人で並んで歩きながらそんな会話を続けていると、ラグナート城行きの船着場へと辿り着く。カインはここをスタート地点として城下町を一周し、同じくこの場所をゴール地点としている。つまり、この場所に辿り着いたという事は、今日の警邏の仕事は終了、という事になる。
さすがに城内へ無関係な人間を連れ込んでしまう訳にはいかない。少年、ニコルとはここで別れなければならなかった。
「ああ、もう着いちまったのか……」
名残惜しい、というよりは、中途半端な後味の悪さを感じるカイン。道端で倒れている少年を拾い、酒場で食事を与えて命を助ける事はできた。だが、これからこの少年はどうするのだろうか。今は騎士であるカインが身近に居るから良いものの、一人でこの街に放り出された少年は、一体これからどうすればいいのだろう。
劇を見に来た、とニコルは言った。劇は夜に公演される。それまでの間、ニコルはただ街中を彷徨い続けるだけしかないのか。目立つボロ服に身を纏い、街の住民や貴族達に蔑むような目で見られ続けるしかないのか?
差別という概念が存在しないこの国でも、この少年は嫌でも目立つだろう。そして、中には嫌悪感を抱いたりする人間だって少なくはないはずだ。酒場からここまで二人で歩いてきて、それを痛いほど感じる事が出来たのだから間違いない。
それだけは嫌だ、とカインは思う。
どうして差別などされなければならないのか。ユグスティアという国で充分なほどに差別を受けてきた少年が、どうして差別のないはずの国でさえそういった目で見られなければならないのか。カインの愛するラグナートという国は、決してそのような事があってはならない国ではないのか。
船着場へ辿り着くまでの間、カインは必死にそれだけの事を考え続けていた。隣を歩くニコルは、そんな彼の複雑な想いまでは知り得ないものの、どこか思い悩んでいるのだろうと言う事だけは理解できた。そして、それが自分の事だと薄々感付いては、今まで感じた事のないような気持ちになった。
◆◆◆
そうして、二人は船着場の前まで辿り着いた。
まだ城行きの船は到着していない。到着するまでの間、少しだけ時間はあった。
カインは隣の少年の顔を見る。少年、ニコルはそれに気付いて顔を上げると、精一杯の笑顔を作ってこう言った。
「大丈夫です、カインさん。ボク、ここまで一人で来たんですよ。ここからだって、一人で行けるに決まってるじゃないですか」
ニコルは、勘違いでなければきっとカインは自分の事を心配してくれているのだ、と思った。だからこそ命の恩人であり、こんな自分に優しく接してくれた人にこれ以上心配をかけたくないと思った。せめて最後くらいは笑顔で気持ちよく別れたいと、ニコルはただそれだけの気持ちを込めてそう言った。
だが、カインの反応はニコルにとって予想外のものだと言えた。
今まで見たこともないぐらいに怖い顔をして、まるでそんなニコルの事を怒っているとさえ思える表情で、カインは甲冑に包まれた右手をニコルの肩へそっと置いた。
「辛いなら辛いって、言っていいんだ」
優しく、諭すような口調で言い放つカイン。
ニコルはそれでも笑みを浮かべたまま、肩に置かれたカインの手を両手で握る。
「……辛いのは、慣れてますから」
そっとカインの手を離し、ニコルは一歩、一歩と後ずさる。これ以上迷惑はかけられない。他人を困らせるような人間にはなりたくない、とニコルは思う。だからこそ、カインとはここで別れるべきなのだ。この出会いがニコルにとっては奇跡でも、カインにとっては他愛のない日常そのものなのだろうから。
「ありがとうございました、カインさん。ボクはもう……大丈夫です」
「ニコル……」
ふと船着場へ目をやると、城行きの船がゆっくりと近付いてきている事が解った。もう時間はない。ここに留まっていては、カインの邪魔をしてしまうだけだ――ニコルはそう考えて、くるりと踵を返した。
「ニコル!」
カインが背中越しに名前を呼ぶ。その声色には躊躇いのようなものを感じられたが、ニコルはこれでいいんだと自分に言い聞かせる。今日出会ったばかりの相手だというのにここまで名残惜しいのは、自分が今まで人の優しさというものに触れてこなかったからなのかな、とニコルは思う。
けれど、それだけではないのだ。カインという青年は人を惹きつける『何か』を持っていると感じた。運命、という言葉を軽々しく使うのは良くないかもしれないが、ニコルはまさに今、カインとの出会いにそういったものを感じていた。
「……さようなら、カインさん。少しの間でしたけど、とても楽しかったです」
それだけを言って、ニコルは城下町へ向かって歩き出す。
これからどうすればいいのかなんて解らない。だけど、今までだってずっとそうだった。貴族に蔑まれ、同じ貧民の中でも底辺で暮らしてきたニコルにとって、それは苦痛でもなんでもない。慣れ親しんだ、いつも通りの光景だ。
(ボクは、ボクがするべき事をするんだ。この国へ来た本当の目的を果たす。それがどれだけ罪な事だとしても、ボクは絶対にそれを成し遂げなきゃいけないんだ)
決意を胸に秘め、一人の少年は自らの足で再び歩き出した。
◆◆◆
――こうして、クリスティア王女の誕生記念パーティが開催された。
カインは当然のごとく王女の護衛を勤める――はずだったのだが、気がつけばミランダにその席を奪われ、パーティに出席もせず、すっかり薄暗くなった空を眺めながら城外の警備に勤しんでいた。
共にいるのは同じ騎士団の部下である青年二人、マルコとディアスだ。マルコは隊の中でも有数の槍使いで、階級は上級騎士。ディアスはカインと同じく長剣を扱う中級騎士だ。
三人一組となり、カインが指揮を執る形で城外の水辺周辺を見回る中、カインは未だに昼間出会った少年の事で頭がいっぱいだった。
ここまで他人の事を気に掛けるのはカインの良い部分でもあり悪い部分でもあるのだが、今回は特に酷いものだった。ユグスティアの民――それも貧民である故の同情心が彼をそうさせているのだろうか。
カイン自身、どうして自分がここまで気に掛けるのかは解らない。だが、どうしても他人事とは思えなかった。出会いは偶然だったが、偶然も言い換えれば必然である。あの少年、ニコルと出会った事には何か意味があったのではないかとカインは考える。
「隊長、さっきから黙り込んでますけど、何かあったんスか?」
気楽な口調でそう話しかけて来たのは、上級騎士であるマルコだ。
「ああ……悪い、少し考え事をしていた」
「考え事、ですか? 隊長らしくもありませんね。熱でもあるのでは?」
と、丁寧口調の割りに皮肉交じりな台詞を吐くのは、中級騎士のディアス。
「おいおい、よしてくれ。俺が何か考え事をしていたらおかしいってか?」
「おかしいっスよ」
「おかしいですね」
部下二人に一蹴され、苦笑いを浮かべるカイン。
――確かに、自分でもおかしいと思うのだからどうしようもない。今日の自分はどこかいつもと違うような気がする。
「解った解った、もう考え込むのはやめにしよう。まったくお前らの言うとおり、俺らしくないってもんだ」
「……隊長、本当に悩みがあるなら聞きますぜ?」
「そうです。我らが隊長がそのような調子では、隊の士気に関わると言うものです」
ディアスの言葉に少しの既視感を得つつ、カインは気を取り直して周囲を見回した。
城下町と城の間にある広い水辺に、一隻の船が停泊している。今日やってきたとある有名劇団の船とはあれの事だ。今頃ニコルは劇を楽しんでいるのだろうか――とカインは考えて、また少年の事を考えているという事実に慌てて首を左右に振った。
劇団は今日の深夜にはラグナート王国を出て、ユグスティア公国へと帰還する。一番大変なのはその時で、劇団の船に紛れ込もうとする密入国者達は珍しくない。本番はその時だ。今は騒ぎも起きにくい時間帯だし、軽く警邏を済ませてすぐにでも城に戻り、パーティに参加したいところだとカインは思う。
「さて、あと一周したら戻るぞ。周辺の警戒を怠るなよ」
「あ、誤魔化したっス」
「誤魔化しましたね」
「お前らなあ……」
部下達との他愛もないやり取りに居心地の良さを感じつつ、カインは再び歩き出した。
◆◆◆
ミランダとクリスティアは、パーティ会場を王座から見下ろしていた。
ラグナート王国の主、プレナ女王はすっかりパーティに夢中の様子で、娘であるクリスティアの誕生日でありながら本人よりもこの宴を楽しんでいるようだった。元より催しごとを心から好む女性なのである。国民からもそういった親しみやすい人柄が気に入られているようだ。
パーティの主役、当の本人であるクリスティアはあまり乗り気ではないのか、椅子に座ってただそんな光景を眺めていた。隣には護衛としてミランダが立っている。
クリスティアとミランダは旧知の間柄であり、現在の騎士団員の中では最も古くからの付き合いだ。歳月にしておよそ十年になる。今日はクリスティアの十七歳の誕生日なので、つまるところ、クリスティアが七歳の頃から騎士として傍に仕えている事になる。
その為か、こうして護衛の役目を担うのは大抵ミランダであった。
「姫さま、少し宜しいでしょうか?」
ふと、ミランダがクリスティアに声を掛ける。
それ自体は特に珍しい事でもなく、クリスティアはいつも通りに応えた。
「何かしら、ミランダ」
「いえ……先刻、カインが少々おかしな事を申しまして」
「おかしな事?」
「はい。その、姫さまのご様子がおかしいだとか、何とか。最初はカインの勘違いだろうと思いましたが、あまりに真剣に思い悩んでいたようでしたので」
「そう、カインが……」
ミランダと同じく、騎士団を受け持つ隊長の一人であるカイン。彼はまだ隊長に任命されてから二年程度しか経っていない。だと言うのに、彼は今ではミランダ以上にクリスの事を気にかけている。それはクリスティア自身も気付いているし、ミランダもその忠誠心だけは何よりも認めている。だからこそ、ミランダはこうしてクリスティアに問い質しているのだ。
そして、クリスティアは自分の様子がおかしいと言われる理由に心当たりがある。少なくとも、今日は朝からずっと気分が優れなかった。それはこれから起こる出来事への不安から来るものだ。その不安を抑えられるのは自分だけ。だからこそミランダやカインには隠し通さなければならない。
「カインにも言いましたが、本当に何でもありません。少しばかり夜更かしをしてしまっただけの事です」
「夜更かし、ですか? ふふ。それはまた珍しいですね、姫さま」
ミランダはそれが嘘だと言う事に気が付いているのだろう。その上で敢えて気付かないフリをしてくれているのだから、ここは彼女に感謝しなければならない――とクリスティアは思う。
「しかし姫さま、一つだけ宜しいですか?」
「何かしら?」
「私……いいえ、私だけではありません。カインも他の騎士達も、皆が姫さまの味方でございます。ですから、もし重荷に耐え切れなくなった時は……迷わず、私達を頼って戴けませんか?」
「ミランダ……」
「今、姫さまがどのような悩みを抱え、どのような決意を抱かれているのかは、私のような一介の騎士ごときには理解などできません。ですが、姫さまが私の力を必要として下さるのであれば……その時は全身全霊を持って、私は姫さまの剣となる覚悟でございます」
傅き、忠誠の姿勢を取るミランダの姿を見て、クリスティアは頼もしさと共に、ミランダの忠誠心の深さを強く感じ取った。
――わたくしは、独りではないのですね。
長きに渡って忠誠を誓い続けてきたミランダの言葉にクリスティアは安堵する。そんな彼女達を大切に思うからこそ、クリスティアは彼女達を絶対に巻き込まないと心の底で誓うのであった。
◆◆◆
――クリスティア王女誕生記念パーティも終盤を迎えていた。
あれだけ騒いでいた貴族達も今では大人しく談話に勤しんだり、残り物の食事や酒を物静かに愉しんでいる。騎士団も今ではそのほとんどの者達がパーティ会場で一息吐いていた。
プレナ女王の姿は今はもうなく、クリスティア王女もその場にはいない。完全に主賓を失ったただの宴と化してしまっていた。
その方が気が楽だ、と思うのは騎士団隊長のカイン、その人である。
「あと少しで劇も終演、劇団の船が出港するまでもう間もないな。せっかくの豪華な食事なんだから、今の内に堪能しておけよ」
その場にいる部下達にそれだけ言い放つと、カインは席を立つ。
そんな隊長の様子に真っ先に気が付いたディアスは、食事の手を止めてカインの方へと歩み寄った。
「隊長、お散歩ですか? 付き合いますよ」
「おいおいディアス、俺だって子供じゃない。それにな、こう見えて一人になりたい時ってのが俺にもあるんだよ」
「はあ、そうですか。なにやら今日は様子が変でしたので、僭越ながら相談に乗れたらなどと思ったのですが」
「お前のそういう気が利くところは評価してる。けど今日は遠慮だ。悪いな、ディアス」
カインはそう言って席から離れた。ディアスや二人のやり取りを眺めていた他の部下達はその後ろ姿をしばし眺めていたが、これもいつもの隊長の気まぐれだろう、とそれぞれ納得したような面向きでテーブルの上の食事に再び夢中になった。
カインはとある場所へと向かっていた。今日一日ずっと気になっていた事があったのだ。それを解消しなくては、今夜はきっと眠れないに違いない。カインはそう自分に言い聞かせ、城の外へと飛び出した。
辺りの水辺を見回して、一隻の船の姿を確認する。
ユグスティアの有名な劇団の船、あそこで今まさに劇も終演を迎えようとしているところだろう。カインは迷いなく船のある方向へと足を運んでいく。
――昼間に出会った少年、ニコルはあの船にいるのだろうか?
どうしても忘れられなくて、カインはあの少年にもう一度会おうと考えた。ニコルがちゃんと劇を見れたのか、そして元の家に帰る事ができるのか。これも何かの縁だとカインは開き直り、せっかくなら最後まで面倒を見てやろうと思ったのだ。
(これだけ気になるんなら、服ぐらい買ってやればよかったな……)
あのボロボロの布切れ一枚の服装では目立って仕方ないだろう。最悪のパターンなど想定したくはないが、せめて無事に観劇できている事を願うカインは、劇団の船の前まで辿り着いた。
劇団の船の入口には、ミランダ率いる女騎士団の見習い騎士達が警備を勤めている。面倒だな、と思いつつも、カインは何食わぬ顔で彼女達の元へと近付いた。
「よお、お勤めご苦労さん。ちょっとここ通っても良いかい?」
急に声を掛けられて驚いたのか、二人の女騎士はカインの顔を見ると、二人して顔を見合わせた。
「俺もちょっと劇に興味があってさ。せっかくだから見ていこうと思ってね。ああ、ミランダ隊長にはしっかり許可を取ってあるから安心してくれ」
もちろんれっきとした嘘なのだが、これぐらいならあの女隊長も許してくれるだろう、とカインは考える。
顔を見合わせていた二人の女騎士は、そんなカインの言葉を信じたのか、黙って頷くと入口への道を明け渡してくれた。カインは軽く会釈して、そのまま船の中へと入っていく。
船の中は薄暗く、ところどころに演劇で使用するような小道具や洋服等が散らばっていた。舞台裏なんてのはこんなもんなんだろうな、とカインはどうでもよさそうに考えながら、歩きなれない船の中をひたすら散策する。
基本的に真っ直ぐ行けば観客席へと辿り着けるはずなので、カインはただ道なりに歩を進め続けた。すると、次第に歓声のようなものが聞こえてくる。それは段々と大きくなって、やがて目の前に大きな扉が現れた。その扉の向こう側からは、観客達の騒ぐ声が伝わってきた。
カインは扉をゆっくり開いて、その先にある光景へと視線を向けた。
「……なんだ、これ?」
そこで繰り広げられていたのは、劇団員達の演じる演劇などではなく、
「早く逃げろ!! 盗賊だ!! 盗賊が忍び込んでいやがった!!」
慌てふためく観客達、舞台の上で怯え竦む劇団員、そしてその中心で一人の少女を人質に取るようにして、複数のガラの悪い男達がその場を支配している――まさに、一大事と呼ぶべき事態であった。
「こっちだ!! こっちの入口が開いたぞ、逃げろ!!」
多くの観客達が一斉にカインの下へと駆け寄った。否、正確にはカインの背後にある出入り口である扉へと駆け寄ったのだ。
「なんだ、何が起きてる!?」
カインは突然の出来事に驚き、慌てつつも冷静に状況を判断しようと心を落ち着ける。
先ほど、観客の誰かが言っていた言葉を思い出す。
――盗賊。
舞台の上で一人の少女を人質に、劇団員達に剣や銃を向けている者達。
カインは状況を即座に把握して、腰に下げた剣を抜く。長く煌びやかなその剣は騎士団隊長にのみ与えられし宝剣――フランベルジュである。
「皆、落ち着いて行動するんだ!! 安心してくれ!! ラグナート王国騎士団隊長、カインがこの場を引き受ける!!」
全速力で観客席を駆け抜けて、カインは舞台の袖へと飛び降りる。
急な乱入者に驚きを隠せないのか、盗賊達は慌てふためいて、舞台の裏へと逃げ込んだ。
「待て、盗賊ども!!」
カインが再び駆け出すと、ゴウン!! と船全体が揺らいだ。何が起きているのかカインには到底見当も付かないが、今はそれどころではない。観客達はすぐに外の騎士団達が気付いて逃がしてくれるはずだ。今は人質に取られた少女の救出を急がなければならない。
今ここにいるのはカイン一人。頼れるのは己の腕と剣だけだ。
(やってみせるさ。俺はラグナート王国騎士団隊長、カインなのだから)
盗賊達を追うように、カインは舞台裏へと駆け込む。その手に握り締めたフランベルジュが熱く感じる。こうして戦いの為に剣を握ったのは久方ぶりではあるが、相棒であるこの剣はしっかりとカインに応えてくれているようだ。それを感じ取ったカインは、ただ成すべき事を成す、それだけの為に駆け続ける。
舞台裏は船の入口と同じように薄暗く、小さなランプが所々に設置されているだけで、その灯の火も弱い為か視界も満足ではない。そんな中、盗賊達が逃げ込んだであろう道をカインはただひたすらに走り抜ける。
しばらく走っていると、どこからか物音が聴こえてきた。すぐ近くなのだろう、話し声のようなものも聴こえる。何を話しているのかまでは聞き取れないものの、恐らく盗賊達がこの近くにいるのだろう。カインは手当たり次第に辺りを調べていく。
(……ここか!?)
扉と思われる場所を蹴り破ると、見事その先に一つの部屋が出現した。部屋の中心には蝋燭が一つ立てられているだけで、灯は他にない。相変わらず薄暗い場所にうんざりしながらも、カインは部屋の中を歩き回る。
ふと気付くと、部屋の隅に大きな穴が空いてある事に気付く。ひとつ間違えれば落ちていただろう、カインはホッと安堵していると、その穴から下へと吊るされたロープのようなものに気が付いた。
(ここから下に降りたのか? しっかし、人質を連れながらよくこんなところ……)
心の中で毒づきながら、カインはロープを伝って穴の下へと降りていく。
案外高くはないようで、この程度の高さなら飛び降りてしまっても問題はなさそうだった。手間を取らされた事に軽く舌打ちしつつ、カインは探索を再開する。
道なりに進んでいくと周囲は次第に明るくなり、そして大きな照明の付いた部屋へと辿り着く。
そこには、先ほど舞台の上で見た盗賊達の姿があった。
「しつこいな、こいつ……。おい、どうする?」
盗賊の一人であろう眼帯を着けた男が言う。
「お前らは姫を連れて奥へ行ってくれ。ここまで来られちゃもう追い出すのも難しい。倒しちまって、ロープで縛り付けてやるしかなさそうだ」
金髪の男がそう言うと、眼帯の男は無言で頷いて部屋の奥へと消えていった。人質である少女も一緒のようだ。カインは目の前にいる金髪の男と睨み合い、静かに剣を構える。
「……お前ら、一体何のつもりだ?」
「そいつは言えないね。残念だけど、あんたにゃ関係のないこった」
この男も盗賊の一員なのだろう。短い刀を握り、カインと向かい合っている。恐らくやりあうつもりなのだ。
見くびられたものだ、とカインは思う。これでもカインは騎士団隊長にまで昇り詰めた男だ。その剣の腕には相当の自信がある。それをこのような盗賊風情に食い止められると思われているとは――カインは侮辱を受けた気分になりながら、目の前の敵へと剣を向ける。
「俺には関係のない事、か。確かにそうだな。だったら――力ずくでも吐かせてやる!!」
「おおっと、見た目に寄らず血気盛んな騎士サマだなっ!!」
二人はそれぞれの獲物を構え、相手を睨み付ける。
カインが狙うは一撃必殺。一太刀に全てを込めて相手を切り伏せる。鎧の防御を利用して、捨て身に近い突進による勢いを利用した一刀両断こそ、カインの得意とする剣術の一つだ。
対する金髪の男はひょろひょろとしていて掴み所がない。さすが盗賊と言ったところだろう。自らの手の内を見せず、隠し通す事で相手に動きを読ませない。その手に握った短い刀でさえ本当の獲物なのかどうか怪しいものである。
足の先だけを利用して、体制を崩さないままこまめに間合いを調整するカインと、軽快なフットワークで身体を跳ねさせながら踊るように構える金髪の男。
二人はまるで真逆――正反対の戦闘スタイルを持った、決して相容れない者同士だった。
(この男、ちょこまかと……まるで動きが読めない。一見隙だらけに見えるが、こちらの攻撃を誘い込んでいるようにも見える。向こうから攻めてこないところから見て……完全にカウンター狙いか?)
「おいおい騎士サマ、威勢が良かったのは最初だけかい? そっちからこないなら、こっちからいかせて貰う……ぜっ!!」
「なっ!?」
まさに一瞬の出来事だった。金髪の男が姿勢を低くしたかと思えば、途端にその姿を消したのだ。いや、実際に姿を消すなどという芸当は不可能なのだから、厳密に言えば、カインの視界から消えた、というのが正しい。
カインは咄嗟に身を固め、剣で防御の姿勢を取る。
ガギン!! という音が響いたと思えば、カインの全身に強烈な振動が伝わった。
「くっ、こいつ……!!」
今の一瞬、三秒と経たない内に、金髪の男はカインに一撃を食らわせた。
幸い、カインの纏う甲冑がその身を守ってくれたのだが、甲冑ごしに伝わる一撃の振動は、カインの脳まで響いて目眩を引き起こした。
その場で倒れかけつつも、剣を地面に付きたてて体勢を維持するカイン。それを眺めながら、いつの間にか元の位置に戻っている金髪の男は、笑いながら言葉を紡いだ。
「へえ、結構硬いんだなあ。今の一撃でも傷を付けるので精一杯かよ」
(この男、見かけに寄らず……やる!!)
正直なところ、盗賊だというだけでカインはどこか目の前の男の事を見下していた。それ故に、今のような一撃を許してしまう程の油断が生まれてしまった。カインは自分で自分を心の中で叱咤して、再び剣を構える。
「騎士サマもやるじゃねえか。結構、ココにきてるハズなんだけどなあ」
自らの頭を指しながら、金髪の男は言う。
「生憎、オレも暇じゃないんだ。あんたの相手をしている時間も惜しいんでね。悪いけど次の一撃で決めさせて貰うぜ」
不敵な笑みを浮かべていた金髪の男は、それだけ言い放つとその表情を変化させた。今の奴からはこれまでのへらへらとした雰囲気は感じられない。本気、という事なのだろう。
カインはそれを見て、自分も本気を出さなければマズい、と感じた。
この男は、今まで対峙してきたどの賊とも騎士とも違う――何か、芯に強いものを秘めているような、そんな印象を受ける。
――何故このような男が盗賊なのか解らない。もし騎士だったならば、間違いなく誰しもが敬い、賛美するような素晴らしい騎士に成り得ただろうに。
そう感じたカインは、先ほどまでの感情を一切捨て去った。ただ目の前に立つ男の強さへの敬意、そして、それを越えなければならない闘いへの決意を胸に、剣を握る手により力を込めて、ただ精神を集中し研ぎ澄ませていく。
「……何だよ、騎士サマ。今更本気モード、ってか?」
「ああ、悪いが俺にだって成すべき事がある。もう油断はしないし侮蔑もしない。俺の力、その全てを持ってお前を倒し、この先へ進ませて貰う」
「面白ェじゃんか。まったく、こういう状況じゃなきゃ本当に面白かったんだろうな」
「同感だ。貴様のその腕……もし盗賊でなければ、間違いなく騎士団に勧誘しているところだ」
「そいつは光栄だね。だけど、オレの居場所はオレが決める。生憎、あんた達みたいな騎士にオレは似合わない」
「それも……同感だ!!」
第二撃――金髪の男が姿勢を低くしたその瞬間、カインは得意の足捌きで目の前の敵へと一気に間合いを近づける。剣を上段に構え、押し寄せるように突進しながら剣を振り下ろすその技こそ、カインの得意とする一撃必殺の奥義――スタンピード・スラッシュだ。
この技を受けて立ち上がった者はいない。模擬演習でさえも、甲冑の相手に一撃でノックアウトを叩き出した、まさに一撃必殺の名に相応しい奥義。
だからこそ、カインは信じられなかった。
長剣による上段構えからの一刀両断、しかも突進による慣性付きのこの一撃を――避けられる人間が、まさかこの世に存在しているなんて。
「な……っ」
手応えはなく、ただ剣を振り下ろして何もない空間に佇んでいるカインの姿がそこにあった。
――何が起きたのか、まったく理解できない。
時間にして二秒も経っていないはずだった。ほんの数刻、刹那の出来事だ。野生の勘が鋭い獣でもない限り今の一撃をかわす事は不可能なはずなのに、それでも手応えはまったく感じられない。
カインは、自分の対峙している相手が本当に人間なのか、理解できなかった。
「すげえや、こいつは見えねえな。だけど――だからこそ、読める」
ガゴン!! という強烈な打撃音と共に、カインの視界は唐突にブラックアウトする。
「悪いな騎士サマ。なんていうかさ、あんたはただ……素直過ぎたんだよ」
――最後に聞いたのは、人の言葉を話す獣の声だった。
◆◆◆
金髪の男――リオンは、甲冑を纏った名も知らぬ騎士をロープで柱に縛り付けると、そそくさとその場から立ち去った。
彼の所属するギルド『アライアンス』のメンバー達は姫を無事回収し、船を出港させているはずだ。ぐらぐらと揺れる船は既にラグナート王国を出て、ユグスティア公国との間にある海域を進んでいると考えて良さそうだ。
――それにしても強い騎士だった。大陸一と謳われたラグナートの剣士は、確か女性だと聞いていたのだが。
リオンは未だ身震いが止まらないまま、暗い船内を歩み進んでいく。
正直な話をすると、あの騎士の一撃を避けられたのは単なる偶然の一致によるものに過ぎなかった。偶然というよりは一発勝負の賭けに勝ったというべきか。あまりに愚直で素直な性格だったのだろう。もしあの騎士の心がどこか少しでも歪んでいたら、もしかすれば倒れていたのは自分の方だったかもしれない――とリオンは考える。
普段から本気の勝負なんて滅多にしないリオンからすれば、あの騎士は久しぶりに本気を出させてくれた貴重な存在であった。そう考えてみると、あの騎士にも多少の興味が沸いてくるというものだ。無事仕事を終えたら、一度あの騎士と言葉を交わしてみるのも悪くないかもしれない。歩きながら、リオンはそんな事を考えていた。
しばらく船の中を歩いていると、合流地点である船長室へと辿り着く。
そこにはギルド『アライアンス』のメンバー全員が、リオンの帰還を待ち構えていた。
「遅かったじゃねえか、リオン。そんなにあの騎士が強かったのか?」
真っ先に声を掛けてきたのは、ギルド仲間であり、リオンの幼馴染でもある青年、バングだ。左目に黒い眼帯をつけており、ボサボサとした赤い短髪がトレードマークな男である。
「ああ、強かったよあの騎士。下手すりゃ死んでたところさ」
「ちょっ……リオン、大丈夫なの!?」
冗談交じりに――実際、冗談ではないのだが――リオンがそう言うと、驚いたように声を張り上げて駆け寄ってくる一人の少女の姿がある。
「大丈夫だって、ほら。何ともないだろ?」
「怪我とかしてない? 痛いところは? ねえ、本当に大丈夫なの……?」
やけに心配性なこの少女もまたギルド仲間の一人であるフィアだ。緑色の長い髪、白のレース服に身を包んだその姿は、とても争いに赴くような少女の格好ではない。ギルド内では『癒し系』担当として日々尽力しているのがフィアという少女である。その名の通り、基本的にはギルドメンバーの救護を主に請け負っている。
「こら、そんなにベタベタ触るなよフィア。大丈夫だって言ってるだろ?」
「う、うん……」
「おいリオン。あんまりフィアを泣かせるんじゃねえぞ」
「わ、解ってるよ……ボス」
そして、ギルド『アライアンス』のボスと呼ぶべき存在――ヴァリアス。身長は二メートルをゆうに超える巨漢であり、肉体の限界を極めんとするその筋肉美は、誰から見ても尊敬に値する身体であろう。
「ならいいがな。さて……早速だが、お姫様から有り難いお言葉があるそうだぜ」
リオン、バング、フィア、ヴァリアス。この四人がギルド『アライアンス』の主なメンバーである。他にもあと二人居る事は居るのだが、今この場には居合わせていない。
そして――この四人の誰とも違う、それでいてある意味で一番浮いている少女の姿があった。
それは、彼らギルド『アライアンス』が引き受けた依頼のターゲットであり、そして同時に依頼主でもある少女。白いドレスに身を纏い、枝毛一つない流麗な長い黒髪を靡かせたその少女は、彼らを見回してただ一言。
「――さあ、始めましょう。全てはここから始まるのです」
◆◆◆
一方――ラグナート王国は、立て続けに起こった事件のせいで、未だに混乱を収め切れないでいた。
劇団公演の最中に突然、盗賊団が乱入。一人の少女を人質に取り、そのまま船は出航。同時に、クリスティア王女の誕生記念パーティ会場では謎の爆発が起こり、多数の貴族や騎士達が重症を負うという事態が起きていた。さらにその主賓であるクリスティア王女は行方不明。プレナ女王はヒステリックを起こして部屋に篭ってしまい、命令のない騎士団は動くに動けないという状況であった。
この事態を一刻も早く収拾すべく、騎士団長ファルガスは女王の代わりに指揮系統へと立ち上がった。同時に騎士団隊長二名を招集するも、隊長一人が行方不明。ミランダ率いる女騎士団が総力を挙げて事態の収拾を行う事となった。
一体何が起こっているのだ――と、ファルガスは焦りにも似た苛立ちを感じていた。
今日という一日は、ただ明るい一日であるはずだった。王女の誕生日を祝う、ただそれだけの平和なひとときで終わるべき一日のはずだ。それがどうしてこんな事になるのか、ファルガスには理解できなかった。
クリスティア王女の失踪、騎士団隊長カインも同じく行方を眩ませている。まさかとは思うものの、カインの様子がおかしかったという報告が否応なく無き事実を想像させてしまう。
これだけの出来事が立て続けに起きているせいで、物事に対する判断能力が低下しているのだろう――ファルガスは自分の精神状態を客観的に俯瞰した上で、嫌な想像を振り払うかのように首を左右に強く振った。
――ただ、今は自分の選んだ男の事を信じるしかない。
ファルガスはただ一人の男を思い抱く。誰よりも優しく、誰よりも強いあの青年の姿を。
「大変です、ファルガス様!!」
ノックもなしに、勢い良く騎士団長室の扉が開かれる。
その先に居たのは騎士団隊長の一人、ミランダだ。
彼女らしからぬ慌てた表情を浮かべている事から、それが一大事である事が伺えた。
「落ち着きたまえミランダ君。用件を手短に、速やかに報告するんだ」
「はっ。城下町から民や貴族達が一同に城へと集まり、暴動が起きています!!」
「……最悪の状況だな。騎士団での対応は?」
「我が隊だけではどう足掻いても数が不足していましたので、カインの隊を一時的に借りて民や貴族達の鎮圧に向かわせています。ですが、数の差は歴然です。あと一時間もしない内に、城内への侵入を許してしまうでしょう」
「原因はやはり、パーティ会場での爆発の件か?」
「はい。正体不明の爆発によって負傷した貴族達は数知れず、会場から爆発によって飛散したガラス等が近くの城下町まで被害を及ぼしています。それらが主な原因かとは思われますが……」
「それだけではないのだろうな。恐らく女王が閉じこもってしまった事も原因の一端だろう。クリスティア王女が行方不明となっている今、民草を押さえつけられるほどの余裕は我らにない」
ファルガスは考える。
どうすればこの事態を上手く纏める事ができるのか。一介の騎士団長風情では、女王の言葉の代弁など出来ようもない。今、国民が求めているのは国の主であるプレナ女王の言葉そのものだ。彼らは納得ができないまま、ただ納得のいく言葉を聴きたい一心で、こうして暴動を起こしてしまっているだけに過ぎない。
なればこそ、今すべき事はプレナ女王の説得だ。しかし、一度ヒステリックを起こしてしまった女王を宥めるのは至難の業である。行方不明となったクリスティア王女を連れ戻しさえすればそれも簡単かも知れないが、消息のわからない人間を見つけ出す事ほど難しい事はないものである。もしかすれば爆発に巻き込まれてしまったのかもしれないし、盗賊団が人質に取った少女というのがクリスティア王女本人なのかもしれない。
何にせよ、今の段階では情報が少なすぎる。これでは何も出来ないまま、指をくわえて眺めている事しかできないだろう。
「……ミランダ君。爆発を起こした犯人の目星は付いているのか?」
「いえ、全く……何せ突然の事でしたから。パーティ会場はパニックに陥っていましたし、私もその場に居合わせた訳ではありませんので……」
「そうか……困ったな。これでは八方塞がりだ」
「とにかく、今は姫さまの行方を確かめる事が何よりも先決だと思うのですが……」
「ああ、そうだな。君の隊は事件のあった場所にいた人物に接触し情報収集を。カインの隊はそのまま暴動の鎮圧に向かわせてくれ」
「――御意」
ミランダが部屋を後にすると、再び部屋の中には静かな沈黙が訪れる。
自分も何かせねばなるまい――そうただ決意し、ファルガスは拳を握り締め立ち上がった。




