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生霊の唄  作者: 西内京介
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第七章

 徹はゆっくりと息を吐き出し、天我のほうへ一瞥をくれた。天我は無表情だった。徹はこの言葉で、天我が事件の捜査を諦めてくれることを願った。

「優が千葉に戻ってきたのは、金曜日の夜だった。午後七時。裏も取れている。その後、自宅には戻らずビジネスホテルにチェックインしたそうだ。そのことも、すでに確認済みだ。彼は彼女の亡くなった日、家には戻っていないんだよ」

「妹の明菜は? 彼女にも、少なからずメリットはあると思うけど」

 なおも食い下がる天我に、徹は呆れの表情を向けていた。いい加減、逸子の死は自殺だということを認めてほしかった。

「その通りかもしれないが、なかったんだよ。明菜との関わりを示すものが、何も」

「何?」

「テレビや新聞で取り上げているのに、明菜からの連絡も一切ない。優の話によると、明菜が生きているかどうかさえも分からないんだってさ」

 大地の話を聞けば聞くほど、他殺の線は薄くなっていく。容疑者と思われる夫には鉄壁のアリバイがあり、妹の明菜に至っては生きているかどうかさえもはっきりしないのだ。

 これだけはっきりしているのに、天我が他殺だと思う根拠は果たして一体なんなのだろうか。徹は天我の横顔から考えを見抜こうとしたが、やはり無理だった。

「まあ、結論を言うと逸子は自殺だったんだよ。自分で青酸カリを飲んだんだ。彼女の死体のそばに置いてあった水の入っているコップから、青酸カリが発見されたし、青酸カリが入っていたと思われるビンも置いてあった。間違いなく、自殺だ」

「身内以外の人間は? どうしても近所の人間の犯行とは、考えられないか?」

「それは難しいぜ。動機が見当たらないというのもあるし、仮に動機があって犯行を企てても、死亡推定時刻の時間帯に彼女の家を出入りした人間が目撃されていないんだ。まあ、小学生が入っていくのを見たっていう主婦がいたけど、小学生の犯行とは考えられないなぁ。窓にも、ドアにも鍵がかかっていたから」

 徹と天我は、同時に肩をびくつかせた。明らかに動揺を見せた二人に、訝しげな視線を送りつつも、大地は続けた。

「まあ一応、刑事としては調べなくちゃいけないから、訊いたんだ。その小学生の名前は分かるかって? 近所に住んでいるんだってさ。名前を聞き出して、目撃された小学生の家を訪ねたんだよ」

「ちなみに、小学生の名前は?」

「それは、いくら徹でも教えるわけにはいかないぜ」

 答えてもらわなくとも、徹たちはすでに分かっていた。間違いなく卓也だ。

 事件のあったあの日、卓也は五十嵐家を訪れた。時刻は、三時頃。逸子の唄声を聞くためだった。その時間帯に、庭で卓也はいつもどおり歌声を聞いたというが、警察の調べによると彼女はすでに死んでいた。なぜ卓也は、彼女が死んでいたのに、歌声を聞くことができたのだ。

 徹はいまだ卓也の証言を疑っているが、本気で信じ込んでいる天我を見ている内に、考えを改めようとしている自分もいた。小学生でも、事務所を訪れた時点で立派な依頼人だ。依頼人の証言を信じるのが、探偵という職業だ。

 それに卓也の目は、純粋な輝きを放っていた。少なくとも、嘘をついている風には見えなかった。だから徹は、逸子が自殺したのを信じたくなくて無意識の内に卓也が妄想を作り上げたのだと、思ったのだ。

 しかし天我は、妄想だとも思っていない。本気で、卓也の証言を信じている。そんな天我に、徹は好感が持てた。

 横目で、なにやら思案顔の天我を盗み見ると、不意にこちらを振り向いた。

「どうした?」

「いえ、べつに」

 少し首を傾げる天我だったが、一度頷くと再び思考モードに入った。

「それでさ、小学生の話がちょっと面白くてな」

 と、大地は顔に笑みを広げて、持ちネタを披露するような口調で言った。

「その小学生、彼女の死亡推定時刻かそれ以後に、彼女の歌声を耳にしたって言うんだ」

 一応二人は驚いた顔を作って見せたが、心の中では動揺していた。

「けど、そんなのありえないじゃんか。彼女は、その時間帯には死んでいたはずだった。鑑識が言うんだから、間違いない。その話は、一応俺と先輩の間で秘密、ってことになっているんだけどな。だって、捜査をかく乱させたくないしな」

 あまりやる気のなさそうな顔で言うと、大地はコーヒーカップを手にし、一気に飲み干した。

「その小学生の話は、現実ではありえない」

 大地も、徹と同じ考えだった。いや、むしろ天我のような者のほうが圧倒的に少数派のはずだった。

 捜査一課の刑事である大地に否定されても、天我の表情を見る限りではまだ諦めていないことが窺えた。何が彼を突き動かしているのだろうか。ただ単純に、面白いからなのか、それとも卓也を救いたいからなのか。相変わらず、天我の考えは読めなかった。

「ま、仮にその時間帯、実は彼女は死んでいなくて歌っていたのだとしても、自殺ということには変わりないけどな」

 確かにその通りだった。彼女の死亡推定時刻に歌声が聞こえたからといっても、だから何なのだ。

仮に卓也の証言を信じるとして、徹の中で次のような推理が組み立てられた。その時間帯に彼女はまだ死んでいなくて、歌い終えてから自殺した、というものだった。しかし鑑識が誤っていないのだとしたら、その推理は崩されることになる。鑑識が出した死亡推定時刻は昨日の午後一時から三時の間で、卓也が歌声を聞いたというのは三時二十分ごろだ。鑑識も人間であるから、多少の前後は生じると思うが、それでも二十分の誤差はないような気がした。

 もう一つの可能性としては、卓也が勘違いしていたというものである。聞いたのは三時二十分ではなくて、三時以前だったとしたらどうだ。たとえば、二時四十分とか、五十分とか。

 いや、と徹はすぐにその考えを払った。卓也が言っていたからだ。二時五十分に学校が終わって、急いで五十嵐家に向かった、と。

 五十嵐家がどこにあるのか分からないが、おそらくどんなに急いでも数分はかかるだろう。下手したら十分以上。つまり、彼女の死亡推定時刻をどうしても上回ることになる。

 卓也の話を鵜呑みにすればするほど、徹の頭は混乱を極めた。果たしてどちらを信じればいいのか。もちろん、卓也の証言を妄想で片付けられれば簡単なのだが、ここにきて徹の考えは揺らぎつつあった。

「近所に、彼女を恨んでいる人間は今のところ見つかっていない。唯一の容疑者と思われる夫にも、鉄壁のアリバイがある、か」

 独り言のように呟いたあと、天我はみ腰を沈めて唸った。天我の思考は、行き詰っているように見えた。

「どうやらお前は、自殺とは考えていないみたいだな」

 言って、大地は天我を指差した。

「けど、これは自殺だ。彼女の自宅からは、他人との関わりを示すものは何も見つかっていない。いくつか、逸子以外の指紋も採取されたが、おそらく昔住んでいた住人のものだと考えて相違ない。借家だからな。今度、その住人に会いに行って確かめるんだけど、やるだけ無駄のような気がするんだよなぁ」

 一切迷いを見せずに言い切った後、大地は腕時計に目を落とし、顔をしかめた。

「悪い、俺そろそろ行くわ」

 言われて、徹も時刻を確認した。話し始めてからすでに三十分以上経過している。仕事を抜け出してきている大地としては、もっと早く切り上げるべきだったのだろうが、会話が弾んでしまったばかりについ長居してしまったということか。

「さすがに怪しまれるな」

 腰を浮かして、大地は言った。

「ここの会計は、俺がしておくから」

 大地が伝票を手に取ろうとすると、それよりも早く天我が手を伸ばし、伝票を取った。

「いやいや、俺が払うよ」

 少なくとも親切心でいっていないということが、徹にはなんとなくわかった。おそらく何か企てているだろうという予感がしていた。

「そうか」

 まんざらでもない感じで言うと、大地は一応食い下がるそぶりを見せた。

「けどいいよ。徹に会わせてくれたし」

「大丈夫だって。大地に頼みたいことがあるからさ」

「頼みたいこと?」

 早速切り出した天我を尻目に、徹は重いため息をついた。

「ああ。大地にしか頼めないことだよ」

「俺にしか頼めないこと?」

 頷くと、天我はついに言った。

「五十嵐家に、俺たちを連れて行ってくれないか?」


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