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生霊の唄  作者: 西内京介
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第一章

「まるで、スコールですね」

 榊徹は、窓の外に目をやり言った。

 スコール並みの豪雨になるということは、天気予報をチェックしていたので知っていた。少々覚悟はしていたが、地面を強く叩きつけるような雨を眺めていたらやはり憂鬱な気分に陥ってしまう。

「これじゃあ、しばらくはここから出られそうにないですね」

 すぐに興味をなくして徹は新聞に目を落とし、ソファーでいつも通り競馬中継でも聞いているのだろうと思われる暁天我に向けて言った。

 案の定、片耳にイヤホンをつけて、丸めた新聞を握りながら天我は額に汗を浮かばせていた。徹の声はまるで耳に入っていないようで、唇を強くかみ締めながら競馬中継を聞いている。

「よし……よし……よっしゃぁ!」

 新聞を上に放り投げ、勢いよく立ち上がって叫ぶ姿は、最早見慣れた光景だった。徹はため息をつき、再び新聞に集中する。

「なあ徹、今月の給料払えそうだぞ」

 さも当然なことを言われて、少し嬉しくなる自分がとても情けなく感じた。

 どうしてこんなことになったのか、徹は新聞から目を離し天井を仰ぎ見て、改めて思い返した。

 そう、確かあれは二年前の夏だった。

 徹は進路未定のまま、高校を卒業した。兄はそんな弟を心配し一緒に暮らすことを提案したが、徹は断った。自立する決意を固めていたからだ。

 徹の両親は他界し、唯一の肉親は警視庁捜査一課に所属している兄の大地だけだった。刑事の兄を尊敬するとともに、内心では鬱陶しがっている自分もいた。だから自立を考えたのかもしれないと、自覚しつつあった。

 夢も希望もなく、ただ漠然と自立という二文字を抱えているだけで街中をふらついていた。そんなある日、偶然丸比新聞社のビルを通りかかった際、ふと足を止めてビルの三階を見上げた。

 アカツキ探偵事務所という文字が、徹の目に飛び込んできた。

 何を思ったか、未だに自分でも不思議でしょうがないのだが、徹は三階のアカツキ探偵事務所に赴いた。

 ドアの前まで来て深呼吸をし、ノックしようと拳を作ると、見計らったかのようにドアが開き、男の顔が現れた。

「腹減ったぁ」

 男が、ドアを開きまず発した言葉だった。タオルを頭に巻き、火のついていないタバコを銜えていた。タンクトップに半ズボンという出で立ちだったが、不思議と不快感を抱かせない魅力があった。

「うん? 誰だい、あんた」

 火のついていないタバコを指の間に挟み口から離すと、男は言った。長身で、端正な顔立ちをしていた。

「いや、ちょっと……」

 歯切れの悪い答え方をすると、男は苛立ちを隠そうとせずに言った。

「なんだよ、冷やかしかよ」

 ドアを閉め、徹を押しのけて男は階段を下りようとした。

「待ってください」

 呼び止めなくてはいけないと、瞬時に判断し徹は男に手を伸ばした。男は立ち止まり振り返ったが、今にでもどこかへ行きそうな雰囲気を漂わせていた。

「あのう……」

「なんだよ、はっきりしろよ。こっちは、腹減っているだから」

 腹をさするジャスチャーを、男はして見せた。

「いや、だから」

「ったく」

 よほどイラついていたのか、巻いていたタオルを取り、男は頭をかきむしった。喉まで言葉は出掛かっているのだが、徹はなかなか吐き出すことが出来ないでいた。

「それじゃぁな」

 強引に立ち去ろうとする男の後姿を目にした時、徹はようやく覚悟を決めて言葉を発した。

「俺を、あなたの助手にしてください」

 これが、アカツキ探偵事務所所長、暁天我の助手になった瞬間だった。

「おい徹。今日は外に飯食いに行こう」

 天我の声は、はつらつとしていた。競馬で勝った日は大抵そうなので、徹もとくに気にしていない。

「いやですよ。それに、この雨の中じゃ外にも出歩けません」

 ため息混じりに言うと、天我は悪態をつきながらソファーに座り直した。

 今日で何回助手になったことを後悔しただろうかと、徹は頭の中で数えようと考えたが、あまりにもその回数が多かったことに気づき、途中で断念した。徹が天我に少なからず感謝していることは、生活費が一切かからないという点においてだけである。寝泊りはこの事務所で出来るし、食費や光熱費は天我が出してくれている。競馬だけで生計を立てているとは考えられないから、もしかしたら天我はお坊ちゃまなのかもしれないと、徹は想像していたが、面と向かって質問したことはない。質問をしたら、今の関係性が壊れてしまう気がしていた。

 光熱費や食費は払ってくれているのに、給料は、競馬で勝った月しか支払ってくれない。しかも、多い月もあれば少ない月もあるという、不安定なのが実状だ。一度給料を上げてくれと申し出た時があったが、給料がないとお前は死ぬのかと、意味が分からない返しをされた思い出がある。その瞬間、徹は助手を本気で辞めたいと思った。

 だが、やはり辞めることはできない。徹は天我の名ばかりの助手を続けている傍ら、しっかりと自立できるチャンスを窺っている。天我の立場を奪おうと考えているわけではない。天我には内緒にしているが、下の丸比新聞社のほうで欠員が出る日を待ち望んでいるのだ。とりあえず就職できればいいと、天我の助手になったことで徹は妥協することを覚えた。今よりもよくなれば、それでいいや、と。

「なあ徹、何か面白い事件でも転がっているか?」

 不意に天我は、不謹慎な問いを投げかけた。徹が新聞を読み終わると、天我はまるで世間話をするかのようなトーンで聞いてくるのだ。徹は数秒ほど頭の中で思い返した後、首を振って答えた。

「とくには。それに、転がっていたとしてどうするんですか?」

 いつも通り、徹は返す。

「そりゃあ、事件を解決しに行くんだよ」

「それは警察の仕事ですよ」

「じゃあ俺たちの存在意義は何だよ。探偵だぞ、俺は」

 名ばかりの探偵だよ、と徹は内心で毒づいた。天我は三年前に、高校を卒業して間もなく丸比新聞社の三階のテナントを借りて探偵事務所を開いたらしいのだが、今まで依頼に来た人物はいないという。それを聞かされたのは、徹が天我の助手になって半年が経ったぐらいだった。その頃はまだ、天我に対して尊敬の念を抱いていた。日中競馬をしているとんでもない男だが、自分が来る以前はきっと世の中にはびこる様々な事件を解決していたに違いないと、半ば言い聞かせる気持ちでいた。夕食時にその話を天我の口から聞かされて、その願望めいた気持ちは一気に崩されることになった。

「くっそぉ。実力はあるんだけどな」

 ソファーにもたれかかり背中を伸ばしてそう呟く姿は、酷く滑稽に映った。探偵事務所を設立した理由も、天我の口から聞かされていたからだ。

 天我は、単純に探偵小説が好きで探偵事務所を開いたらしかった。天我の部屋には、読書には全く興味のない徹でも知っているメジャーな探偵小説から、マイナーな探偵小説まで本棚にびっしりと敷き詰められていた。つまり天我は、探偵小説で得た知識を、現実の事件で生かせると本気で思い込んでいる、いたい男なのである。徹は、呆れを通り越して同情すら覚えた。

「まあ、いいや。ちょっと出かけてくる」

「どこ行くんですか?」

 自分の忠告を無視して出かけようとする所長に、徹は咎める口調で尋ねた。天我は振り返って微笑むと、足早にドアへと向かう。

「どうなっても知りませんよ」

 天我の後姿に喋りかけてから、徹は窓のほうに視線を向けた。雨脚は弱まるどころか、先ほどよりも勢いを増しているように見えた。

「うお」

 天我の驚いた声が聞こえたので振り返ると、雨に濡れた小さな子供がドアの前に顔を俯かせて立っていた。


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