序章
三ヶ月ぶりに投稿させていただきます、西内京介です!
この小説は、ラストまで一応まとまっているのですが、まだ本当に序盤しか書いていなくて、なかなか更新できないかもしれません(大学一年なもので、勉強に追われる日々も続くだろうと予想されます)
ですけど、一人でも多くの方が読んでくだされば、これ以上嬉しいことはありません! 読んでいただいて、面白いと感じてくれれば、本当に嬉しいです!! こまめに感想もいただけたら、非常に嬉しいです! それを糧に頑張っていこうという気になれます!
不定期更新ですが、これからよろしくお願いいたします!!!
午後三時十分。
西本卓也は放課後になると、急いで教科書をランドセルにしまい、友達の自分を呼ぶ声を無視して足早に教室を後にした。
卓也には、一日の中で唯一楽しみにしている日課があった。
それは、五十嵐家を訪れ縁側に座り、歌を聴くことである。
小学三年生の卓也には、その歌の歌詞や意味を理解することができないが、聞いているだけで心地よかった。その時間だけは、嫌なことを忘れることが出来たのだ。
五十嵐家が卓也の家の近所に越してきたのは、丁度一年前だった。当初、卓也はとくに興味を持たず、新しい人がやってきたのか、と思うぐらいだった。
周囲の婦人たちの、五十嵐家に対する反応も冷ややかだった。五十嵐家は、外に出て近所の人に挨拶することもなく、外との関わりを完全に遮断しているからであった。五十嵐家が何人家族で、どんな人が住んでいるのかも、近所の人間は把握していない。
そのため、根も葉もない噂が流れる結果となった。五十嵐家の人間は、全員顔に酷い傷を負っているとか、障害者たちの集まりだとか。近所の婦人たちは、面白がって言い合った。その噂が、卓也の母まで届くのであった。
そんな中、何故卓也が五十嵐家に通うことになったのかというと、先ほども述べた通り、聞こえてくる歌にあった。
ある日、卓也がいつも通り帰り道を歩いていると、かすかに心地よい唄声が聞こえてくるのであった。
その響きに惹かれ、卓也は周囲を見渡すと、ある一軒家に目が留まった。五十嵐家である。
小さな歌声だったが、卓也の耳にはしっかりと届いていた。釣られるように、卓也は門を開け躊躇うことなく五十嵐家へと無断で足を踏み入れた。
ドアの前で足を止め、インタフォンのボタンに人差し指を向けた。しかし、直前で思いとどまった。直に聞くのではなく、ひっそりと耳を傾けていたい、そのような願望があったからだった。
そこで卓也が思いついた案は、歌が一番聞こえてくるところでばれないように、耳を傾けていようというものだった。満足したら、帰ればいい。
卓也は探した。歌が一番聞こえる場所を。
耳を頼りに、卓也は庭へと進んだ。おそらく居間で歌っていると、卓也は予想していた。
その予想は的中し、居間に面している庭が、一番歌の聞こえる絶好の場所だった。残念ながら、カーテンがひかれていて居間の中をこっそり覗くことはできなかった。
卓也は、久しぶりに満面の笑みを浮かべた。背負っているランドセルを静かに置いて、芝生に腰を下ろし、リラックスした状態で歌を聴いていた。普段、音楽の授業では不真面目な卓也でも、聞こえてくる唄声とは真剣に向き合っていた。
いつの間にか空がオレンジ色に染まり、そろそろ帰ろうかなと思い至って立ち上がると、居間から女性の声が聞こえてきた。
「誰?」
卓也は肩をびくつかせ、急いでこの場を去ろうと、走る体勢をとった矢先に、女性が急いだ様子で言った。
「待って」
その言葉に、卓也は若干の安堵感を覚えるとともに、不思議な感覚に陥った。その感覚を、当時小学二年生だった卓也が自覚することはできなかった。今でもだが。
「そこで、何していたの?」
女性の声は、うきうきしているように感じられた。久々に他人と会話しているからだろうか。卓也は、母親の言葉を思い出して納得がいった。
五十嵐家は、私たちとの付き合いを遮断しているのよ――。
毎晩、とまではいかないが、夕食の時間に、よく頬を上気させて母親は言っていた。卓也にとってはどうでもよくて、適当に相槌を打ちながらご飯を口に運んでいた。
唐突に母親の愚痴を思い出し、女性の話し相手になってあげようという気持ちが、この時卓也に芽生えていた。同情ではなく、小学三年生の純粋な優しさからだった。それに卓也も、学校の人間や両親以外の話し相手が欲しかったのだ。
「お姉さんの歌を、聴いていました」
カーテン越しに、女性が嬉しそうに微笑んでいる姿が、想像できた。卓也もなんだか嬉しい気分になった。
「これはね、生霊の唄、って言うの」
「せいれいのうた?」
当然、言葉の理解ができるはずもなく、卓也は首を傾げ聞き返した。噛み砕いて説明されても、夕食時に聞かされる母親の愚痴を聞き流す時みたいに、分かったふりをして適当に相槌を打つしかないのだが。
「そう。歌うことによって、お腹の中に命を吹き込んでいるの」
「ふーん」
興味なさそうに返す卓也に、女性は気分を害した様子なく続けた。
「この唄を歌い続けることが、あたしの仕事でもあり、楽しみでもあるの」
「お姉さんは毎日、歌っているの?」
「そう、毎日」
「じゃあ、僕も毎日お姉さんの唄を聞きにきていい?」
一瞬の間があった。女性は、なかなか返答をしてくれない。
小学三年生の卓也は間というものに慣れておらず、この間も何かしておきたいという衝動に駆られ、つい窓のほうへ手が伸びてしまった。
女性の顔を一目見たいという、純粋な気持ちから、卓也は窓を開こうとした。窓を開けて、カーテンを開こうとした。
窓に手をかけた瞬間、女性の声が矢のように飛んできた。
「止めて!」
心に響く、声だった。卓也は今でもその時の女性の声を、鮮明に思い出すことが出来る。相手を突き放すような、冷たく、そして怒りを帯びた声。卓也の心は、傷を負った。
「あ、ごめんなさい」
すぐさま、女性は謝った。そのおかげで、卓也のショックは軽くすんだものの、先ほどの女性の声はいつまでも頭の中を駆け巡っていた。
「ごめんね、私ひどいこと言っちゃった。けど、本当に駄目なの。この顔、人に見られたくなくて……」
泣き出すのではないかというほど、女性の口調は落ち込んでいた。卓也も詮索はせず、女性が何か言い出すまで口を開かなかった。
「なんか、ごめんね。空気、重くなっちゃったね。お詫びに、歌ってあげるから」
「うん」
元気よく頷くと、縁側に腰を下ろして女性の唄声に耳を傾けた。心は穏やかになり、まるでこの空間だけ別世界のように感じられた。女性の唄声は、卓也に多大な影響を与えていた。
「私の唄、気に入った」
「うん。毎日、聞きたいぐらい」
素直に出た言葉だった。卓也の気持ちが伝わったのか、女性は愉快そうに答えた。
「いつでもおいで。毎日、この時間帯に歌っているから」
それから、卓也は、女性の唄声を聞きに五十嵐家の庭を訪れるようになった。学校がある日は毎日、決まった時間に五十嵐家の庭を訪れ、縁側に座り、カーテン越しに聞こえてくる歌に耳を傾けている。女性と会った日から、卓也は毎日が楽しくて仕方なかった。あまり好きじゃない音楽の授業も、以前より楽しく感じられるのは、女性のおかげに他ならない。
卓也は、女性の唄声を聞くだけで満足していた。二人は特に会話せず、女性は唄うことに徹し、卓也は聞くことに徹している。その関係だけで、満足なのだ。女性のことを知りたいという気持ちは未だあるが、あの日、顔を見ようと窓に手をかけ怒られたことを思い出すと、不意に恐怖を感じ、その考えを振り払う。
僕は、今のままでいいんだ――。
純粋な気持ちで、卓也は思った。女性にだって色々とあるはず。だから、あの時間帯に居間でずっと歌っているのだと、卓也は解釈していた。
一秒でも早く女性の唄声を聞きたい卓也は、いつも駆け足で五十嵐家に向かう。五十嵐家へ着く頃には息が切れ、へとへとな状態なのだが、その状態で唄を聴くと体全体に染み渡る感覚を味わえることを、つい最近卓也は発見した。
いつも通り息を切らした状態で、卓也は五十嵐家の門を潜り庭へと急いだ。
ランドルセルを肩から外しながら縁側に腰を下ろし、隣にランドセルを置く。そして、深呼吸をして目を瞑り、耳に全身系を集中させる。
徐々に、女性の唄声が聞こえてきた。胸が高鳴ってくる。
女性の唄声は、まるで自分を包み込んでくれているようだった。それが、心地よかった。
唄は終盤に差し掛かると、卓也の動悸は次第に治まりを見せ始める。目を開けて、ランドセルを背負った。
「うーん、気持ちよかった」
背伸びをしてこの台詞を言うのも、最早卓也の中で決まっていた。
これで今日も、心地よく眠れる――。
卓也は胸中で呟いて芝生に足を降ろすと、カーテンで仕切られている居間に一瞥をくれ帰路についた。