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虚空の航路

作者: 耕路
掲載日:2026/05/17

 惑星エランの中央都市の中心の宇宙港には、大型宇宙船を係留する、高くそびえるトラス構造のタワーがあった。タワーはエレベーターシャフトを内部につつんでいる。

 搭乗者はタワーのエレベーターを使って宇宙船に乗り降りする。宇宙船は青空を背景に乳白色の巨大な船体を浮かべていた。反重力装置によって空中に静止する宇宙船は、数日間係留されると、あらたな乗客を乗せ、また地球を目指して飛び立っていく。それがいつもの日常だった。

 わたしは、部屋の窓からその様子を眺めながら、ウイスキーの小瓶をあおっていた。喉に焼けるような刺激を与える飴色の液体は私の身体の隅々に染み込み、どうにか私の思考の歯車を回していた。いまは、その決まりきった日常から離れるために、この酒だけが、唯一の私のとるべき方策だった。

「あなた、お酒を少し控えたら」

 ベッド脇の椅子に掛けていたアンナが言った。彼女の優しい表情はいつもと変わらず私の心をつつみこむ。

 私は返答した。

「わかっている……気づかってくれるのは、嬉しいよ」


 そのとき、ドアがノックされた。私は卓上のマインドビューのコントローラーに手を伸ばし、スイッチを切ると、額に装着したパッドを外した。アンナの姿はぷつりと消えた。そしてウイスキーの小瓶を手にしたまま、ドアに向かって言った。

「開いてるよ」

 ドアを開けて、スペースライン社の青い制服を着た若い女性があらわれた。制服が身体にフィットしているために均整のとれた若い肢体が殺風景な室内のなかで眩しい魅力を発散していた。

「エイモス船長。航宙士のリンです」

 相手は私の名を呼んだ。

「私はもう船長ではない。退職届けは会社に送信した」

「それは受理されてはいません。出発時刻が迫っています」

 私は言った。

「あの船はよくできている。離発着の短時間だけ、計器に注意をくばれば、星間飛行は自動操縦だ。船のAIは操縦士の思考パターン、クセを読み取ってくれる。その離発着の操作は君でもできる」

「…エイモス船長、船の操作は船長のライセンスを持っていなければできません。」

 私は彼女の目を見た。

「なぁ、お嬢さん、亡くなった妻は私の希望だった。しばらく一人にしてほしい」

 相手は毅然として話した。

「二週間待ちました。奥様のことは残念でしたが、今は仕事に復帰すべきときです」

 結局、私は若い航宙士のリンの説得に負けた。彼女を待たせ、シャワーを浴びると、バッグのなかに手荷物とともにマインドビューを詰めて宇宙船の係留されているタワーに急いだ。 

 船に乗り込むと、クルーたちに笑顔で声をかけられた。

「エイモス船長お帰りなさい!」

 客室では乗客たちが、出発前の時間にくつろいで、座席に備え付けのイヤホンで音楽を聴いていた。ふと座席の配列のなかに、アンナの姿を認めた。

 マインドビューの残像が機械を使っていないのに私の精神領域に作用したのか。マインドビューは脳の記憶領域のドーパミンの生成に強固に作用し、非常に鮮明な、イメージを見せる。そのために残像があとに残ることがあった。

 単なるイメージだ。私は座席のアンナの姿を短い時間に記憶に収めると、自分の気持ちを現実に向き合わせた。

 操縦室に入った。シートに座ると、私の意識は明瞭になり、コクピットの計器パネルの点滅は次に何をすべきかを即座に思い起こさせる。

 私はメインエンジンを始動させ、モニターを見ながら、船をタワーから離した。

「エネルギー投射、十秒前」

 脇の副操縦士がいう。

「よし、カウント」

 私が指示をだす。

「八……七……六……、」

「オーケー、エンジン全開」

 リンがエネルギー表示を確認する。

「エネルギー潤滑剤、正常数値」

 船は宇宙港を眼下に見ながら、惑星エランの大気層を突き抜ける。

それから、しばらくの時間経過のあと、前方に薄くガスの散った星雲が見えてきた。星の誕生する領域だった。核融合反応の起こる前の原始星の赤い光が認められる。

 そのうち、客室が騒がしくなった。リンがシートから立ち上げると、後方の客室へ行き、出来事を私に報告した。騒いでいたのは年配の夫婦で、男性のほうが、亡くなった娘が見える、と客室乗務員に訴え、また別の中年の男性は亡くなった母親が通路にいると、困惑して説明したという。座席のほうぼうで、乗客たちが現れた幻影に当惑し、パニックになっているのだ。

「船長! 客室は混乱しています。指示をお願いいたします」

 様子を見に行ったリンが操縦席の私に報告した。乗客たちはマインドビューを使っていないのに幻影を見たのだと、瞬時に私はさとった。考えられる理由はひとつだった。乗客たちは座席のイヤホンで音楽を聴いていた。イヤホンを通して識閾下のメッセージを船のAIが送ったのだ。そのAIは私の思考を読み取っている。マインドビューに記録された幻視の生成プロセスに干渉したのに違いない。

 私は混乱が強い乗客には睡眠をとらせるように客室乗務員に指示した。地球までは、まだしばらくかかる。

 そう思ったときだった。

「船長、あれは!」

 横のリンが窓の外を指差した。

 そこには青く美しい地球が明るい光をうけて、船の進路の延長線上に浮かんでいた。

 だが実際には地球はまだ数十光年先の距離なのだ。それは私の思考を完璧にトレースしたAIが、乗客たちが共有する悲哀の感情に寄り添うために、悲しみに暮れる私たちに用意した、あまりにも優しく、ノスタルジックな巧妙な幻視だった。 

 船は幻の地球に向けて静かに推進していった。

読んでいただき、ありがとうございました!

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