第69話 反撃
木々のざわめきすらも止まったかのような静寂。雑木林の空気が、一瞬にして凍り付いたようだった。
篠原会長がさっと腰を落とし、身構えるのが視界の端に見えた。鋭い眼光で真藤先輩の隙を窺っているが、迂闊には動けない。
当たり前だ、鋭利な刃先が新井さんの細い首筋にぴたりと押し当てられているからね……!
「新井……」
「近づくんじゃないわよ!」
間門部長の声に、新井さんの首筋に鋏をつきつけた真藤先輩がじりじりと後じさる。
「なによ、こんなもの!」
十分距離をとった真藤先輩は血走った眼で叫ぶと、新井さんの手からICレコーダーを奪い取って地面に叩きつけた。さらにスニーカーの踵で、憎しみを込めるようにぐりぐりと踏みつける。
それにも飽きたのか、彼女は狂気を宿した瞳で柘榴塚さんを睨みつけた。
「あんたのいうことが確かだとして、なんだっていうの。あんたが解体癖持ちのサイコパスだって事実は変わらないでしょう? さっさとこの学校から消えなさいよ!」
罵倒と共に唾が飛ぶ。なりふり構わないその姿からは、市議の娘という優等生の仮面は完全に剥がれ落ちていた。
だが、柘榴塚さんは眉一つ動かさない。むしろ、憐れむような静かな眼差しで彼女を見返した。
「私がサイコパスなら、あなたも同類ですよ。花を整えるための大事な道具をそんなふうに使うんですから。サイコパス同士、仲良くしませんか?」
「……反吐が出るわ!」
真藤先輩が金切り声を上げ、ぐいっと鋏を新井さんの喉元に食い込ませる。
新井さんは悲鳴すら上げられず、恐怖で引きつった顔で硬直した。
真藤先輩はもう一度校長先生に命令する。
「校長先生! こいつらを退学させてください! 今すぐに!」
「えっ、し、しかし、それは……」
「あのことをバラすわよ!」
狼狽する校長先生に、真藤先輩が低い声で脅しをかける。
校長先生の額からは脂汗が滝のように流れ落ちていた。
「くぅっ……」
呻き声を上げ、苦渋の表情で押し黙る校長先生。
あのことをバラす――?
なんのことを言ってるのか分からないけど、真藤先輩はなにやら校長先生の弱みを握っているらしかった。
でも、その頼りの校長先生も頼りにならない、と。
これはまずい。
状況は最悪だ。
追い詰められた獣はなにをするか分からない。新井さんの命が、文字通り刃の上にある。下手に動けば刺激するだけだ。
僕の喉がカラカラに乾いた。心臓の音がうるさいくらいに耳元で鳴り響く。
どうする? どうすればいい?
僕は拳を握りしめ、ただ立ち尽くすことしかできなかっ――
その時だ。
柘榴塚さんが、すっと僕の方へ視線を流した。
丸っこい瞳が、強く、確信を持って僕に合図を送ってくる。
――今だ、と。
全身に電流が走ったような気がした。
まさか本当に、こんな漫画みたいな展開になるなんて思わなかった。
でも、彼女は信じている。僕がこの役割を完遂することを。
出番だ、水間直翔!
ただの助手じゃない、『スマホ係』の本領を見せようじゃないか!
僕は握りしめていたスマホにさっと親指を這わした。真藤先輩に気づかれないように、震える指先でアプリを切り替えて、ボタンを表示させる。
手汗でスマホを落とさないように注意しながら、画面上のボタンを親指の腹でタップした。
ウィィィィン……!
静まり返っていた雑木林の奥から、無機質なモーター音が鳴り響いた。枯れ葉を巻き上げて、音が近づいてくる。
「あ、フェレット!」
柘榴塚さんが、この場にそぐわないほど澄んだ、よく通る声で叫んだ。
彼女がビシッと指さしたのは、雑木林の茂みの奥だ。
ちょこまかとした素早い動きが、白い影を伴って木々の根元を走り回っている。
「え、え? こんな時に!?」
真藤先輩が反射的に、白い影の方へと顔を向けた。
鋏を持った手がわずかに泳ぎ、その目が逃走するペットへの執着と、現状への焦りで揺れ動いている。
柘榴塚さんが僕を見て、小さく、しかし力強く頷く。
次の合図だ!
僕は奥歯を噛みしめると、もう一つのボタンを――今度は力いっぱいタップした。
ジリリリリリリリリリリリリ!!!
鼓膜をつんざくような轟音が、雑木林全体に炸裂した。
それはまるで、火災報知器のベルを耳元で鳴らされたような、脳髄を直接揺さぶる爆音……!
「なっ、なに!?」
予期せぬ音の暴力に、真藤先輩が悲鳴を上げて身をすくめる。真藤先輩だけじゃない。間門部長が、校長先生さえもが耳を塞いでパニックに陥った。
「こんな時に火事だと!?」
「泣きっ面に蜂ね!」
誰もが状況を理解できず、思考が停止する。
その混乱の渦中で、柘榴塚さんは鋭く声を発した。
「会長!」
「ッ!」
呼びかけられるよりも早く、黒い影が疾風のように動いていた。篠原会長だ。
彼だけは、爆音の中でも冷静さを失っていなかった。それは、愛する人を人質に取られた武道家の本能だったのかもしれない。
一足。
たった一足で数メートルの距離を詰めると、会長は真藤先輩の懐に潜り込んでいた。
流れるような動作で彼女の両手首を掴み、背後へとねじり上げる。
「いった!!!」
抗えない力が加わり、真藤先輩の手から黒い鋏が落ちる。
鋏がとさりと湿った音を立てて地面に落ちた時には、すでに彼女は組み伏せられていた。篠原会長が全体重を乗せ、完全に制圧している。
あっという間の出来事だった。
まだ爆音ベルの音が、ジリリリリリ……とけたたましく鳴り響いている。
「もういいよ、水間くん。止めて」
柘榴塚さんが真藤先輩に近づいて地面に落ちた鋏を拾い上げながら、僕に声をかけた。
僕は慌ててスマホの停止ボタンを押す。
フッ。
唐突にベル音が消えた。残ったのは、ジージーという小さなモーター音と、それぞれの発する荒い呼吸音だけ。
白くひらひらした布をくくりつけた物体が、柘榴塚さんの足元にコツンと当たって止まった。
彼女はそれを拾い上げると、ひっくり返してスイッチを切る。
それは、白いハンカチを取り付けられた、一台の無骨なラジコンカーだった。
「よしよし。いい仕事だった」
そう。これが僕たちの仕掛けであり、スマホ係の真の姿だったというわけ。
パンクババアのときにもらった刺繍入りのハンカチ――を分解した『白いハンカチ』、ソース盗難事件の報酬として僕があげた『ラジコンカー』。
そしてあの爆音は、図書室の王子様事件のときに菜月から貰った『爆音目覚まし時計』である。
それらを、僕のスマホから遠隔操作できるように柘榴塚さんが改造しておいたのだ。
これまで僕たちが解決してきた事件の報酬が、犯人を追い詰める武器となったのである。
そして、その引き金を引く重要な役割を、彼女は僕に託してくれた。
前までなら「邪魔になるから下がってて」と言われていたかもしれない。
でも今は違う。
僕は彼女の助手であり、親友になった。だからこうして背中を預けてくれたんだ。
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