第65話 抱擁
その夜、僕は眠れなかった。
木谷先輩から託された真実という名の重い武器。それをどう振るえば彼女を縛り付ける残酷な鎖を断ち切れるのだろうか。
だけど凡庸以下の僕の頭では、快刀乱麻の決定策なんて、どんなに寝返りを打っても浮かんでこなかった。それでもなんとかならないかと、頭を無理矢理回転させて……。
答えの出ない自問自答を繰り返しながら、気付けば窓の外は白々と明け始めていた。
* * * *
翌朝、誰よりも早く登校した僕は、無策のまま教室で彼女を待っていた。
カーテンの隙間から差し込む朝の光が、埃をキラキラと反射させている。それが、停滞する僕の頭に強制的に活力をねじ込んできていた。
柘榴塚くれろという少女がたった一人で背負ってきた重荷を思うと、吐きそうだった。
真実を暴いた代償として親友に裏切られ、さらに居場所を奪われるだなんて。たった4ヶ月前にあったことだ。その孤独を抱えたまま、彼女は南ヶ丘中学校に転校してきた……。
そんな彼女の事情も知らずに、『僕の名探偵さん』だなんて浮かれて、僕は助手として付きまとっていたのか。
しかも、知らなかったとはいえウサギのぬいぐるみを解体用にプレゼントしようとすらしたんだからな……!
やがて、教室の引き戸が乾いた音を立てて開いた。
柘榴塚さんが入ってくる。彼女は僕と目が合ったけど、すぐに視線を落として外した。
蒼白な顔。目の下に浮かぶ薄い影。眠れなかったのかな。ああ、ちくしょう。理屈なんかどうでもいい。僕の中で何かが弾けた。策なんか糞食らえだ。僕は。
僕は……!
「柘榴塚さん……っ!」
僕は席を蹴って彼女に駆け寄ると、驚きに目を見開く彼女を、衝動のままに強く抱きしめていた。制服越しの体温が胸に染みてくる。
「なっ、なに!?」
驚きに身をすくめる柘榴塚さん。
だけど僕は、腕に込めた力を緩めなかった。小柄な彼女は僕の腕の中で小さく身を固くしている。
鼻をくすぐる清潔なシャンプーのいい匂い……。
腕の中に収まる彼女は、驚くほどに軽くて、頼りなかった。
こんなにも華奢で折れそうな身体で、彼女はずっと一人で耐えてきたんだ。それを思うと、涙が出そうになった。
一人にさせて、ごめん。何も気づけなくて、本当にごめん。
ぎゅっと、更に腕に力を込める。
「水間くん、どうし……、はっ、離してくれる?」
「ごめん、柘榴塚さん! でも離さない!」
謝りながら、僕は彼女のぼさぼさショートヘアに顔を埋めた。腕の中から伝わってくる、微かな震えがあった。
彼女はずっと一人で耐えてきたんだ。あんな理不尽を押しつけられて。ずっと、ずっと……。
「今までなにも知らなくて……。ズケズケと無神経なことばかり言って、本当にごめん」
「……!」
僕の顎の下で、彼女が息を呑むのが分かった。
「柘榴塚さんは、なにも悪くないからね」
彼女の事情を知りもせずに僕はずいぶん好き勝手にいったものだと、今なら分かる。それを彼女がどんなに苦々しく思っていたかも。
パンクババア事件の時、柘榴塚さんはいったんだ。
『真実を白日の下にさらせば全てが丸く収まるなんて単純な正義は存在しないと知っているだけだよ』
あの時の、お経を唱えるみたいに一息でいった彼女の心境を、僕はようやく理解した。
彼女は正しさを貫いたのに、クラスから拒絶され、排除されてしまったんだ。そりゃあ脳天気な僕に苦言を呈したくもなるだろう。
「……あのこと、木谷先輩に聞いたの?」
彼女の声が、僕の胸元で掠れるように響いた。
さすが柘榴塚さんだ。誰になにを聞いたかすら、説明しなくても勘付いちゃうんだね。その鋭さが、今は切ない。
「そうだよ。……辛かったね。一番信じてた人に……」
「……まあ、そこまではよかったんだよ。いやよくはないけど。そこからが大変だった。クラス中が私の敵になって」
「それも聞いた。ごめんね、柘榴塚さん。僕がそのとき君のそばにいてあげられなくて、ごめんね」
僕の謝罪に、彼女はぐらりとたじろいだ。思わず強く抱きしめて、彼女を支える。
僕の腕の中で、小さなうめき声が聞こえる。
「い、いや。あなたはもう私の助手ではないんだから、私のことは放っておいてよ」
「そんなことできるわけないでしょ。助手じゃなくなっても、僕たちは友達なんだから!」
「……」
彼女は沈黙した。
そこに、僕はたたみかける。
「僕、もう柘榴塚さんから離れないよ。助手じゃなくなったって勝手に押しかける。柘榴塚さんのことはもう一人にしない。君になにがあろうと、絶対に守るから」
「……」
彼女はやっぱり押し黙っている。
けれどふっと肩の力が抜けて、僕のブレザーに指先が掛けられた。
柘榴塚さんは少しだけ身をかがめると、こつん、と僕の顎に額を押し当てた。
それはまるで、ようやく見つけた止まり木に縋るような、幼い仕草だった。
「……あなたは窓どころか、そこから射し込んでくる光そのものだね」
消え入りそうな呟きだった。
「見返りも求めず、ただ真っ直ぐに、ただ照らす。……その光を拒絶することなんて、私には所詮無理だったのかもしれない」
彼女は顔を上げた。
至近距離で目が合う。
柘榴塚さんの顔は耳の先まで真っ赤に染まり、その丸っこい瞳には、溢れそうな涙が溜まっていた。
「私が間違っていた。あなたは私の……親友だよ、水間くん」
浮かべた涙が絶望ではないのは分かった。――瞳の奥に、雲間から射し込む朝陽のような、澄んだ光が宿っていたから。
お読みいただきありがとうございます!
「続きが気になる」「面白そう!」と思った方、ぜひブックマークや↓の★★★★★評価をお願いします。星はいくつでも構いません。
作者のモチベーションがぐぐっと上がります! よろしくお願いします




