第62話 木谷とコンタクトをとる
1時間目の休み時間を告げるチャイムが鳴り響くやいなや、僕は席を蹴るようにして立ち上がった。
目指すは2年1組の教室。元カノである菜月の元だ。
廊下を行き交う生徒たちの笑い声の全員が全員、柘榴塚さんのことを笑っているような気がした。そんな被害妄想を感じながら目的地に到着すると――。
「菜月!」
教室の入り口から声をかけると、友達と談笑していた菜月がこちらを向いて、表情を強張らせた。
彼女も知っているのだ。あの掲示板のことを。
「……直翔、どういうことなの?」
廊下の隅に菜月を連れ出すと、彼女は声を潜めて問うてきた。いつもの軽口はそこにはない。
「本当なの? くーちゃんがウサギを……」
「僕にも分からない。だから確かめなきゃいけないんだ」
僕は拳を握りしめ、祈るように彼女を見た。
「お願いがある。木谷先輩に取り次いでほしい。あの人は、柘榴塚さんの過去を知ってるから」
菜月の瞳が揺れる。木谷先輩の名前が出るとは思っていなかったのだろう。
「でもなんで木谷先輩が……」
「青蘭常磐のことは青蘭常磐に聞け、だよ」
そう答えると、彼女はふぅっと息をつき、「分かった」と大きく頷いた。
「……それもそうだね。木谷先輩に頼んでみる。あたしだってくーちゃんには恩があるもん。友達が酷い目に遭ってるの、見てらんないよ」
「ありがとう、菜月」
「その代わり、絶対くーちゃんを守ってあげてよ。あの子の噂、ウチのクラスにまで来てるんだからね」
それから4時間、スマホを握りしめて菜月からの朗報を待った。
昼休みにようやく届いた『会うって!』の通知に、僕は弁当を食べながらガッツポーズしていた。
『いつにする?』
そう訪ねられて、
『できるだけ早く。今日の放課後とか』
そう頼む。
『今日の放課後、会えるって!』という返信が来た瞬間、全身の力が抜けそうになったが、すぐに気を引き締めた。
ここからが本番だ。
教室の前の方を見ると、一人で弁当を食べている彼女がいた。
相変わらず奥野くんが目を光らせているから、誰も彼女に話しかけようとしない。
待っていてね、柘榴塚さん。武器を手に入れてくるからね。
* * * *
指定された場所は、大型ショッピングモール内にあるファミレスだった。例の、ソース事件のときにオフ会をしたあのファミレスだ。
学校から直に来た放課後の店内は、制服姿の学生や主婦たちの話し声で満ちており、食器がぶつかるカチャカチャという音がBGMと混じって軽やかに響いていた。
その喧騒から切り離されたようなボックス席に、彼はいた。
木谷孝太郎先輩。
青蘭常磐高等部の青っぽいブレザーを着崩すことなく身に纏い、文庫本を読んでいる。斜めに縞が入ったモスグリーンのネクタイが、なんだかお洒落だった。
「木谷先輩、お待たせしてしまってすみません」
席に着きながら頭を下げると、彼は読んでいた文庫本に栞を挟み、穏やかに微笑んだ。
「いや、構わないよ。柘榴塚さんが大変なことになってるって藤元さんから聞いたしね」
その声は落ち着いているが、瞳の奥には冷徹な理知の光がある。
僕は渇いた喉を潤すためにも手早くドリンクバーを頼んで、それからアイス烏龍茶をとってきた。それを一口飲んで唇を湿らせてから、彼を見つめる。ちゃんと高校の制服を着た木谷先輩は、やっぱりというか、僕より数段大人っぽい。菜月が参っちゃうわけだ。
「単刀直入に伺います。柘榴塚さんの過去を……青蘭常磐で何があったのかを、教えてください」
僕の真剣な眼差しを受け止め、木谷先輩はゆっくりとコーヒーを一口飲んだ。
カップをソーサーに戻す音が、やけに大きく響く。
「過去、か」
彼は窓の外、夕暮れに染まり始めた街並みに視線を逃がし、それからふぅっと息を吐いた。
そして、僕を真っ直ぐに見据えて告げた。
「ここまで来といて悪いけど、君には教えたくないな」
木谷先輩の口から紡がれたのは、意外なほどあっさりとした拒絶の言葉だった。
ファミレスの喧騒が、僕たちのテーブルの周りだけスッと引いていくような感覚に陥る。
僕は眼を見開いて、木谷先輩を見つめた。
「え……。どうしてですか。緊急事態なんです、柘榴塚さんが……」
「知っているよ。だからこそ、だ」
木谷先輩の瞳は、冷ややかな、品定めするような光を宿している。
「いま話してしまえば、君はぴったりと彼女に寄り添うだろう。君はそういう光を持っているからね。それは君たちの絆をよりいっそう深めることになる――」
先輩は、薄く笑って付け加えた。
「それじゃあ俺が付けいる隙がなくなるだろ? わざわざライバルを利することはないよな」
ライバル? 助手の座を巡る争いってこと? 木谷先輩、まだ諦めてなかったんだ。
「彼女が孤立している今は、俺がナイトになれるチャンスともいえるからな」
僕の胸の奥で、どす黒い悔しさが渦を巻いた。
彼女を守る武器を持っているのは木谷先輩なんだ。僕は何も知らない。だから、この人を頼ろうと思っていたのに。それを拒否されたら、僕は……。
悔しいけど、僕はなにもできない。
でももし、木谷先輩が彼女を救えるというのなら。
僕と違って、青蘭常磐高等部に行けるくらい頭も家柄もよくて、しかもイケメンな彼が、彼女の隣に助手として立ちたいというのなら。
僕はアイス烏龍茶のコップをテーブルに置くと、膝の上で拳をぎゅっと握りしめた。握り込んだ拳の熱が、僕の心を定めていく。
「……僕、助手をクビになりました」
「助手? クビ?」
「だから……あの。あなたが柘榴塚さんを助けてくれるというのなら、それでいいです。助手の座を譲ります。だから、助けてあげてください」
そうだよ。僕は友達として、彼女が助かればそれでいいんだ。戦ってるのは一人じゃないんだって彼女に思ってもらえたら。それで、脅迫犯と戦う力を、彼女が取り戻してくれたら……。
助手の座は……残念だけど、そんなに欲しいんなら、木谷先輩に譲るよ。
僕は深々と木谷先輩に頭を下げた。
テーブルに額がごつんとぶつかりそうになるくらい、深く。
「お願いします、木谷先輩」
僕のちっぽけなプライドなんてどうでもいい。
あの小柄な名探偵さんが、教室の前のほうで一人で本を読んでいる姿を思い出すだけで、胸が張り裂けそうになるんだ。
「誰が助けるかなんて、どうでもいいんです。僕に彼女のことを教えるのが嫌なら、どうか木谷先輩が……あなたが柘榴塚さんを絶望から救い出してあげてください。一人じゃないんだって、寄り添ってあげてください」
視界が滲む。
情けない。悔しい。でも、これが僕の精一杯の誠意だ。
しばらく、重苦しい沈黙が続いた。
聞こえるのは、遠くの席の誰かの笑い声と、僕の荒い呼吸音だけ。
――やがて。
「参ったな」
大きなため息と共に、呆れたような、けれどどこか温かい声が降ってきた。
「中学生相手に試した俺が、これじゃ馬鹿みたいじゃないか」
顔を上げると、木谷先輩は困ったように眉を下げて、苦笑していた。
その表情にはもう冷たさはなかった。あるのは――清々しいほどに『負け』を認めた顔だ。
「本当に、君ってやつは。でもそんなこと言ってたら、本当に柘榴塚さんのこと全部奪うからな? 気をつけろよ」
「え……?」
「俺には無理だよ」
木谷先輩は視線を窓の外に向け、寂しげに呟いた。
「俺は他校の生徒だ、しかも高校生だ。どうしたって距離がある。今の彼女に必要なのは、日常の中で、泥にまみれても隣にいてくれる存在だよ」
彼は居住まいを正すと、真剣な眼差しで僕を射抜く。
「それでもな、水間くん。俺も君と同じくらい彼女の才能と在り方に惹かれている。……その俺が、悔しいけど君を認めて託すんだ。彼女の過去、彼女が経験した『ウサギ解体』の真実をな。だから絶対、柘榴塚さんを助けてやってくれ」
託す――。
その切ないような表情を見て、彼が本気で柘榴塚さんの助手を狙っていたんだということが理解できた。
……僕。木谷先輩に、柘榴塚さんのこと託されちゃった。
それが、なんだかすごく嬉しくて……。涙が溢れてしまいそうになって、ぱちぱち瞬きさせて、なんとか踏ん張った。
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