第54話 校長先生
生け垣の向こうから校長先生の怒声が飛んでくる。
「君たち、そこは立ち入り禁止だぞ。真藤さんのお宅なんだからな!」
葉の隙間から見え隠れするその顔は、熟れたトマトのように真っ赤だった。
ああ、終わった。人生の汚点が今まさに染みを広げようとしている。
でも。僕がパニックで頭を抱えているというのに、隣に立つ名探偵は、まるで散歩中に通り雨に降られた程度のような顔で、涼しく佇んでいた。
そして、もう一人。
この場の支配者である女王が、静かに口を開いた。
「鶴木校長先生」
真藤先輩は、若草色のエプロンの胸元をパンと払い、背筋を伸ばした。その瞬間、彼女のまとった空気が、怒れる女子から冷徹な交渉人へとガラリと変わる。
「この人たちが勝手に裏庭に入り込んできて、困っているんです。母も選挙前で神経質になっておりますし……大事にする前に、先生の方で引き取っていただけましたら、教育委員会のほうには報告しないで済むのですけど」
教育委員会。選挙。
その単語が出た瞬間、校長先生からプシューという音が聞こえそうなほど、威厳が萎んでいった。
「ひっ……! も、申し訳ありませんね、真藤さん。うちの生徒がご迷惑を……! お母様には、どうかご内密に!」
南ヶ丘中学校の代表者が、一介の生徒にへりくだる。なんとも世知辛い、政治の縮図を見せられた気分だ。
「さあ、君たち、早くこっちへ来なさい!」
と校長先生が手招きするのに、なおも柘榴塚さんは食い下がる。
「でも先生、私たちは調査を……」
「ここは退こう、柘榴塚さん。退学になっちゃうよ!」
僕は必死で柘榴塚さんの袖を引っ張った。
いくら名探偵だって、学生生活を営んでいるんだから、まずはそっちを優先させないといけないでしょ。
「……退学は困るな。報酬のワープロが貰えなくなる」
結局それかい。
不満げに唇を尖らせながらも、彼女は生け垣の向こうの校長先生へと向き直った。
「分かりました。ただ、せめて校長先生からのお口添えをお願いします。この段ボール箱を持ち帰らせてくれるよう、真藤先輩に許可がいただきたいのです」
「はぁ?」
怪訝そうな校長先生に、だが真藤先輩は冷たい瞳で、腕で大きなバツを作った。
「駄目です。このゴミはウチで処分します」
「……そういうことだ、君たち」
校長先生が、威厳を取り繕うように咳払いをする。
「おほん。とにかくその場所から離れて。早くこっちに来なさい!」
「はい! 行こ、柘榴塚さん」
僕は頷くと、柘榴塚さんの手を引っ張って、素直に従って生け垣の穴に身を突っ込んだ。
僕に続く柘榴塚さんは最後まで、名残惜しそうにあの甘い匂いのする段ボールを振り返っていた。
僕たちが背の高い垣根を越えて中学校の敷地に戻ったとき、背後から真藤先輩の盛大なため息が聞こえてきた。それは怒りというより、危機を脱した安堵のため息のように聞こえた。
……なんか、やっぱり。彼女が隠し事をしているのは確実だ。
あの箱の中には、絶対に見られたくない何かがあったんだ。
* * * *
それから僕たちは校長室に連行され、たっぷりと油を絞られた。
今回は事を大きくするつもりはないから、厳重注意で済ます……といってくれたのが、救いではあった。
校長先生の説教は不法侵入のことよりも、「真藤家に迷惑をかけるな」ということと、「新聞部のくだらない噂に関わるな」という点に終始していた。
必死な形相をしていたけれど、それは教育者というよりは、保身に走る中間管理職のように見えた。
で、解放された頃には、すっかり日が傾いていた。
夕暮れの昇降口は、部活の掛け声も遠くに聞こえ、どこか気だるげな空気が漂っている。
「はー、大変だったね……」
教室に残していた荷物をとってきて、僕は靴箱の前でため息を一つついた。
結局、この放課後の成果といえば、たれ込みポストの調査が空振りだったことと、銀ヒョロの追跡調査が校長先生に邪魔されたことと、真藤先輩が何かを隠している、ということだった。
銀ヒョロに近づいたような、近づいていないような……。とにかく疲労感が徒労感が半端ない。
「人間関係が複雑になってきたね」
上履きを脱ぎながら、柘榴塚さんは涼しい顔だった。
「……真藤先輩が怪しい、ってこと?」
「まあ、分かりやすい人ではある。隠し事があるとかえって饒舌になるタイプだ」
夕日を受けて赤く染まったその笑顔は、小学生のような無邪気さと、獲物の喉元に牙を突き立てる直前の肉食獣のような凄みが同居していた。
あるいは――分解する宝物を見つけた不審者の薄笑い。
「銀ヒョロの正体、たぶん分かったし」
「え、ほんと!?」
僕は靴を履く手を止めて顔を上げた。放課後のこの一連の調査でなにを掴んだっていうんだ?
「なに、なに? やっぱり野良猫?」
「まだ秘密」
彼女は人差し指を唇に当てて、悪戯っぽく微笑んだ。
「あの段ボールからしてきた甘い匂いと、真藤先輩の過剰な反応。それに銀ヒョロを目の敵にする校長先生……。パズルのピースは揃いつつあるよ。これなら脅迫状の犯人にも、案外早く行き着けるかもしれない」
「あ、そうだった。脅迫状の差出人を捜すのが依頼だったね」
すっかり銀ヒョロ探しが目的みたいな気分になっていたけど、本来の目的はそっちだった。
スニーカーに履き替えた柘榴塚さんは、軽やかな足取りで昇降口を出ていく。
その背中は、謎という名の玩具を手に入れた子供のように弾んでいた。
「それにしても、秘密を解体するのは楽しいね。なんだか名探偵になった気分だよ」
「いやもう立派な名探偵でしょ、柘榴塚さんは!」
僕は苦笑しながら彼女の後を追う。
彼女の嗅覚は、確実に誰かの秘密の匂いを捉えている。脅迫状の――銀ヒョロの秘密が僕たちの目の前で解体される日は、きっとそう遠くないはずだった。
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