第52話 リッパーを持ち歩く不審者
硬い枝葉を無理やり押し広げて、生け垣の向こう側へと転がり込む。
すると、目の前には背の低い青竹が広がっていた。
生け垣の向こうは学校と市議さんの豪邸を隔てる1メートルほどの緩衝帯だったんだ。
……二重構造か。市議さん宅のプライバシーはバッチリというわけだ。
その細長いひんやりとした日陰の隙間で、柘榴塚さんはしゃがみ込んでいたのだった。
「これを見て」
彼女がじっと観察していたのは、みかん箱ほどの大きさの段ボール箱だった。
雨風にさらされた様子はなく、まだ新しい。だが、ただのゴミでないことは明白だった。箱の側面に、カッターで丁寧に切り抜いたような、直径十センチほどの穴が開いていたからだ。まるで小動物の巣穴のようであり――あるいは、獲物を誘い込む罠のようでもあり。
「……中に、何か入ってる」
柘榴塚さんは立ち上がると手に白手袋をはめ、箱を持ち上げて胸元でコトコトと軽く振った。確かに音がする。それから彼女は、側面の穴に鼻を近づけた。
「甘い匂いがする」
「え?」
僕も彼女の手元へ顔を寄せた。段ボール特有の乾いた紙の匂いに混じって、確かに鼻腔をくすぐる濃厚な香りがする。
それは、ナッツを煮詰めたような、あるいは熟しすぎた果実のような、強烈に甘ったるい匂いだった。
「開けてみよう」
「え、ちょっと。いいの? 勝手に開けたらマズいんじゃ……」
僕の制止などやっぱり聞かず、彼女は箱を地面に置くと、蓋を厳重に封印しているガムテープの端を爪でカリカリと引っ掻き始めた。
しかし、テープは強固に張り付いていて、なかなか剥がれてくれない。
「……よし、やるか」
彼女はちょっと得意げにいうと、スカートのポケットに手を突っ込んだ。
そうして取り出したのは、10センチほどの赤い細長い棒だった。先端のキャップを外すと鋭利な金属の鉤爪が現れる。U字型に湾曲した短いほうの先端には、小さな赤い玉がついていて……って、それは。
「リッパー!? なんでそんなもの持ってるわけ?」
僕は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
今は家庭科クラブの時間じゃないでしょ。ていうか今日はクラブ自体がない日だよ?
「なんでって」
彼女はきょとんとして、真面目くさった顔で僕を見上げた。
「好きなんだ、リッパーが。だから常に持ってる」
「えー……」
愛の告白みたいなトーンで言われても、対象が解体道具じゃドン引きするしかない。
「細かいところに入り込める切っ先、手芸用品にしておくには惜しい小回りのきく鋭い切れ味。そして何よりこの携帯性。分解するチャンスは日常のどこに潜んでいるか分からないんだから、万全の態勢を整えておくのは当然だよね?」
「不審者ぁ……」
僕は思わず頭を抱えた。
女子中学生のポケットの中身といえば、リップクリームや手鏡、あるいは可愛らしいマスコットと相場が決まっているはずなんじゃあないのか?
なのに我が名探偵のポケットには、縫い目を引き裂き、糸を断ち切るための解体道具が常備されているんだ。
いや、ナイフを持ち歩くよりはマシ……なのだろうか。
「いいから、これで開けてみよう。この中身が銀ヒョロの正体に繋がるかもしれないんだから」
「銀ヒョロの、正体?」
まるで野良猫の家みたいなこの段ボールのなかに、銀ヒョロの秘密が隠されているっていうのか? ていうか、銀ヒョロの正体って、もしかして、やっぱり猫?
いろいろ考えてしまう僕の前で、彼女はリッパーの切っ先を、地面に置いた箱のガムテープに突き立てた。
プツリ。
テープに小さな穴が空く音が、静寂に響く。
彼女はそのまま刃をスライドさせ、箱の秘密を暴こうとした――が、その時。
「待ちなさい!」
鋭い声が、背後から突き刺さった。
ビクッとして振り返った僕の目に映ったのは、生け垣の切れ間から顔を覗かせてこちらを睨みつける、女子生徒の姿だった。
そのまま生け垣から大股に出てきて、竹林の薄暗がりさえも切り裂くような、鮮烈な存在感が露わになる。
黒く艶やかな長髪を、規律正しい二本のお下げにして背中に流すという、今時珍しいくらい女学生っぽい髪型をした女子だった。昭和の銀幕スターを思わせる整った顔立ちには、気が強そうな凛とした切れ長の双眸が輝いている。
彼女は制服の上に若草色のエプロンをつけていた。部活動だろうか? 家庭科クラブ以外でエプロンを使う部活なんてあったっけ……華道部かな?
現実逃避気味に思考を飛ばしそうになる僕を、彼女の冷たい視線が射抜いた。
「私の家で勝手に何をしてるの! 生徒がウチの敷地に入るのは禁止されているはずよ」
「私の、家……?」
僕は思わず彼女の顔をまじまじと見つめてしまった。
この豪邸に住む市議会議員の苗字は、確か……。
「私は3年1組の真藤清花です。あなたたちは?」
ああ、やっぱり! この人、市議さんのお屋敷のお嬢様だ!
不法侵入の現行犯をその家の人に見つかるなんて……。最悪の展開だ。
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