第43話 楽しい調理実習
柘榴塚さんは鋭い視線で僕を睨み付けると、小さく呟くように言った。
「有名になんかなりたくない。二度とそんなこと言わないで。言ったら、助手をクビにする」
ぞくり、背筋に悪寒が走った。
彼女が放ったクビという言葉が、冗談には聞こえなかったからだ。
「え……ご、ごめん。悪かったよ」
僕は慌てて両手を上げた。彼女がここまで過剰に反応するなんて思わなかった。
ふと、前の学校――青蘭常磐で何かがあったのかもしれない、とピンとくる。その何かが、今の彼女を縛り付けているんだ。
でもそれを無理矢理暴いたら、それこそ助手を首になる程度ではすまないだろう。
「……それもいいかもしれないね。知る人ぞ知る、影の名探偵。うん、その方がミステリアスでかっこいいや」
僕はわざと明るく振る舞うと、重くなりかけた空気を払拭するように手を叩いた。
「さあ、準備、準備! 今日は待ちに待った調理実習なんだからね!」
そう。今日は六月最初の活動日。待ちに待った、調理実習の日だ。
というわけで調理実習が本格的にスタートして、家庭科室の棚からスパイスの瓶を取り出す頃には、柘榴塚さんの強張った表情もいつもの仏頂面に戻っていた。
今日のメニューはチキンカレーだ。市販のルーを使わない、スパイスを調合する本格派である。
「水間くん、鶏肉切っていい?」
「あ、お願い」
薄いピンク色のエプロンを身に着けて真っ白な三角巾でぼさぼさのショートヘアをまとめた柘榴塚さんが、包丁を握る。
その姿は、普段の少しぼさっとした印象とは打って変わって、清潔感に溢れていて……率直に言って、すごく可愛い。包丁を持っているのがちょっと怖いけど。
彼女は謎を解体するときと同じように、鶏肉の繊維を見極め、迷いなく刃を入れていく。
その横顔は真剣そのもので、見ているだけで胸が温かくなった。この子はこんな家庭的な解体もできるんだなぁ……。
それから鍋にみじん切りの玉ねぎを入れて飴色になるまで炒めて、にんにく・しょうがを加えて香りを立たせた。そこにトマト缶を入れてちょっと水気を飛ばしたところに、クミン、コリアンダー、ターメリック……といったスパイスを投入する。途端に、家庭科室は暴力的なまでに食欲をそそる香りで満たされた。その濃厚なベースに鶏肉と野菜を入れて火を通し、水を加えてしばらく煮込んで、塩で味を調えて……。
完成したカレーを皿によそい、クラブ員全員で手を合わせて、いざ実食だ。
「いただきます」
スプーンで、黄金色のカレーと白米を口に運ぶ。
――美味しい!
トマトの酸味が最初に弾け、その後に複雑なスパイスの辛味と鶏肉の旨味が追いかけてくる。店で出すレベルじゃないか、これ。
だが、僕はこれだけでは満足しなかった。
密かに持参した小瓶をポケットから取り出して。
「ここで、これを投入……!」
とろりとした黒い液体を、カレーの上にひと回し。フルーティーな甘みと熟成された酸味が凝縮された、水間直翔厳選のカレーによく合う中濃ソースだ。
「……何それ」
隣でスプーンを止めた柘榴塚さんが、信じられないものを見るような目でこちらを見ていた。
「すぐそれ入れるの? せっかく作ったのにもったいないと思わないわけ?」
「味っていうのは万華鏡なんだよ。ソースは角度を変える魔法で、全ての味を違った光にキラキラ染め上げるんだ。柘榴塚さんもどう?」
「遠慮する。私は分解された味を個別に楽しみたいの」
つれない返事をして、彼女は再びスプーンを動かし始めた。
……まあ、いいよ。別に強要なんかしないから。
ソースとカレーが混ざり合った部分を口に運ぶと……うーん、最高。ソースのコクがカレーに深みを与え、まさに至福の味わいだ。
ふと視線を上げると、入り口付近にジャージ姿の大きな影があった。体育の川中先生だ。カレーの匂いに釣られたのか、鼻をヒクヒクさせながらフラフラと入ってくる。この先生、調理実習の嗅覚だけは警察犬並みなんだよな……。
美味しいカレーとエプロン姿の柘榴塚さんに、僕は満足していた。
先ほどの新聞部の騒動も、彼女が見せた一瞬の暗い表情も、ソースとスパイスの香りのなかに溶けていく。今はただ、この平和な時間を味わっていたい。
そんなわけで、僕の頭は完全に新聞部のことを忘れようとしていた。
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