第10話 君の普通が気になる放課後
「奥野兄弟はね、あのあと塾には行かないですぐに家に帰ったんだって。ちなみに僕も家に帰ったよ」
それで夏高くんがお母さんと話し合うとき、陽大くんはちゃんと同席して、夏高くんを支えてあげたんだって。そしたらお母さん、じっと聞いてくれたって。夏高くんの中学受験を考え直すっていってくれたって――。
柘榴塚さんは僕の報告を聞いて、丸っこいつぶらな瞳をぱちくりさせて意外そうに呟いた。
「なんだ。もっと夏高くんが責められたのかと思った。どうしてそんな我が儘いうの! って」
思わずガクッとずっこけそうになる。この人、本当に人間ってものを信用してないんだな。
確かに夏高くんがしたことを考えると、お母さんが激怒する可能性は高かったんだろうけど。『パンクババアに会ったから』なんていって塾に行かなくなってたんだから……。
お母さんが子供の意見も聞かない苛烈な教育ママだったら、夏高くんを責めることすれ考え直すなんてことはなかっただろうね。
「いいお母さんをもって、夏高くんは幸せだよね」
僕が笑いながらいうと、柘榴塚さんは自分の裁縫箱をがさごそ探りながら呟いた。
「……水間くんと奥野くん、相変わらず仲がいいんだね。私の予想ではもっと恨まれるはずだったんだけど」
「なんでそうなるの。僕、奥野くんの願い通りのことしたんだよ?」
「だって身内の嘘を暴かれたんだよ? 余計なことしやがって! って逆上するのが普通じゃない?」
「そうかな。そうはならないと思うんだけど……」
彼女のいう普通って、なんだろう?
「そういや奥野くん、私のことなんかいってた? やっぱり、余計なことしやがって! って怒ってた?」
「だから、なんでそうなるの。怒るどころか反省してたよ、野球ばっかりやってるだけじゃ駄目だ、ちゃんと弟のこと見ないといけない、って。柘榴塚さんに『ありがとう』って伝えといてくれって頼まれてるんだからね」
今までは話しかけられなくて、伝えられなかったけど――。
そこで僕はにっこり笑った。見た人がホッとすると評判の、人当たりがいいと褒められる自慢のスマイルである。
「事件を解いてくれてありがとう、柘榴塚さん。これで、みんな前を向いて歩き出せるよ」
なのに、柘榴塚さんは神妙な顔をして目を瞬かせた。長い睫がパシパシと揺れる。
「普通はそうなんだね」
その言葉と一緒に、柘榴塚さんの睫が小さく震えた。笑うでもなく、泣くでもなく――ただ、息をひとつ吐いただけ。
「普通?」
「まあ、ほら。そういう感じ」
あ。
また話を強引に濁した。
視線が僕の肩の横を泳いでいるし……。
これが普通だといって動揺するってことは、やっぱり柘榴塚さんは普通じゃない経験をしたことがあるってことだ。
極度の人間不信に陥るほどの、強烈な経験を。
青蘭常磐中等部でなにがあったんだろう。
「こっちの話、こっちの話。気にしないで」
事件について話すときとは全く違う歯切れの悪さを見せる柘榴塚さん。
僕の喉の奥が、にわかに微かな熱を帯びた。欲しいと思った。彼女の秘密が。
でも無理矢理聞き出すのは違う。そんなことをしたらきっと彼女に拒絶される。せっかく『話しかけていい権利』をもらったのに……しかも助手にまでしてもらったのに、それを根こそぎ剥奪されてしまうかもしれない。ここは慎重になるべきだ……。
ああ、僕が柘榴塚さんの過去を知れる日はくるんだろうか?
なんて独りで感慨深くなってたら。
彼女、裁縫箱から取り出したリッパーの切っ先をハンカチにあてて……ぷつり、と青い刺繍糸を切り始めたんだ!
「えっ、なっ、なにしてるの!?」
「分解してるの」
それが当たり前であるかのように告げる柘榴塚さんに、僕は唖然とした。
なにそれ。
「それお礼の品なんだよね!?」
「そうだよ。もう私のものだよ」
「いや、だからって勿体ないよ。プロの刺繍作家さんの作品なんだよ?」
慌てて止めようとする僕に、彼女はそれでも真面目に返した。
「私もそう思う。けど気になって気になって仕方ないんだ。これ、材料はただの白いハンカチと数種類の刺繍糸なだけなんだよ? それがどうしてこんな素晴らしい作品になるのか。分解したら、きっと理屈が分かるから」
「えぇ……それはそうかもしれないけど。でも、ねぇ、もったいないよ? ねぇ、ねえってば」
制止するのも聞かず、柘榴塚さんは手早くリッパーを動かしていく。彼女の手元で、ぷつんぷつんと青い刺繍糸が手早く糸くずに変わっていった。
「事件を解体したら感謝されるのに、刺繍を分解するのは非難されるなんておかしい。分解で真実を知ることにかわりはないんだから、平等に扱われるべきだ」
そんな屁理屈を言う彼女の手は止まらない。
「う……。でもね、それは感謝のこもった大事な作品でねぇ……」
僕の言葉なんか聞こえていないみたいに、柘榴塚さんはどんどん刺繍を分解していく。
熱を帯びてきた真剣な丸っこい眼差しが、なんだか引き込まれてしまうくらい魅力的で。
――やっぱり、可愛いなって思う。
ああっ、もう。
ほんと変わってるな、僕の名探偵さんは。
そんな彼女のこと、やっぱり気になるんだよなぁ。
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