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第9話 ヴィスタルの兄・カイン

 マルタは今日も街の市場を訪れていた。

 柔らかな日差し、どこからか漂うパンの香り、子供たちの高らかな声。

 今日も村は平和だった。


「すいません。今日のおススメの魚はありますか?」

 魚を売っていた漁師が日焼けした顔を上げる。

「今日はイキのいい魚が入ってるよ。これなんでどうだい?」

「わあ、新鮮な魚」

 マルタは目を輝かせる。

「今ならサービスでもう一匹つけてあげるよ」

 漁師からの太っ腹な提案に、マルタは嬉々とした。

 

「おや。マルタちゃん。伯爵は元気?」

 背後から野菜売りのおばさんが話しかける。

「はい」

「この人参、ちょっと傷が入って売り物にならないから貰ってくれないかい?」

「え、でも……。傷って言っても目立たないですよ?」

「いいんだよ。人参ってアレルギーに効くらしいじゃない」

 どうやらヴィスタルがアレルギー持ちであることは、村中に広まっているらしかった。

「ではお言葉に甘えて……」


「よう、マルタ。この前は助かったよ」

 次に話しかけてきたのは、先日牧場から家畜が逃げ出したと怒鳴り込んできた一人だった。

「いえいえ。私は何も……」

「よかったら、うちの鶏がさっき産んだ卵、持ってきな」

 そう言って手のひらに卵をふたつ持たせてくれた。

「伯爵と食べてくれ」

「ありがとうございます」

 

 ……なんだか最近、村のみんなが優しい。


 マルタの胸がじんわりと温かくなる。

 住民たちが、自分だけじゃなくヴィスタルのことも受け入れてくれていることが何より嬉しかった。


 「おい、セヴェリヌス家の家紋が入った馬車が村に来たぞ!」 


ひとりの住民が上げた声に、のどかだった雰囲気が緊迫したものへと変わる。



(セヴェリヌス家って、たしかヴィスタル伯爵の……)

 

 

 マルタは住民たちが小走りに走って行った方へ、歩を進めた。

 村の中央部では、既に人だかりができている。――かき分けて、隙間から覗き込んだ。

 

 そこには、この村に不釣り合い極まりない豪華絢爛な馬車が一台とまっていた。


 馬車の扉が開き、長身の男が姿を現した。


 淡いブロンドの髪が、陽の光を受けてキラキラと輝く。

 溢れんばかりの品位に淡い笑み。

 まるで絵画から出て来たかのような美しさに、住民たちは息を呑む。


(あの人、ヴィスタル伯爵に似ている……)


「これはこれは、カイン伯爵」

 高らかな声で村長が、男を出迎えた。


 男はにこやかな表情で「こんにちは」と告げる。


「近くを通りかかったもので、弟の様子を見に来ました」

「ああ。ヴィスタル伯爵ですか」

「はい」


 視線を感じたのか、カインはマルタの方を見る。

 目が合ってしまったマルタはドキッとした。


 カインの視線の先にマルタを見つけた村長は「マルタじゃないか。ちょうどよかった」と声を上げる。


「カイン伯爵。彼女は、ヴィスタル伯爵に雇われている家政婦です」

「……そうですか」


 カインは微笑みながら、マルタに声をかける。


「はじめまして。ヴィスタルの兄、カインと申します」


「一ヶ月ほど前からヴィスタル伯爵様にお仕えしておりますマルタと申します」

 慌ててマルタはお辞儀をした。


「利発そうなお嬢さんですね。今からヴィスタルの家へ行こうとしていたのです。宜しければ付いていっても宜しいですか?」

「も、もちろんです!」

「では馬車へどうぞ」


 カインはすっとマルタの手を取り、馬車の中へと誘った。


 ふいに手を触れられたマルタの鼓動が逸る。


 馬車の中は、ふかふかのベルベット素材で出来たソファで、座るのが申し訳なく思った。


「ヴィスタルは元気ですか?」

「はい。伯爵は極度のアレルギー体質ですよね。アレルギー対策効果のある食事に変えてからは、だいぶ症状が緩和されて、以前より調子がいいようです」

 マルタはにっこりと笑う。

 カインは一瞬目を見開いたが「……それは良かった」と微笑んだ。


 二人の間に沈黙がおりる。


 ヴィスタルの家までもう少し時間がかかる。

 マルタは思い切って、気になっていたことを尋ねた。

「……ところで、ヴィスタル伯爵はなぜ、王都ではなくこの村で暮らしているのでしょうか?」

 カインは薄い笑みを浮かべた。

 マルタの胸にチクリとした違和感が残る。


「兄としては恥ずかしいのですが、ヴィスタルは少々性格に難がありまして……。魔法実験として動物を扱い、それがエスカレートし、やがて動物の命を奪うまでに至ったのです。動物の遺体が王都のあちこちで発見され、今まではヴィスタルを庇って来たのですが、さすがにもう庇いきれない。それでこの村に追放したのですよ」

「………………」

「ですが、私にとってはたった一人の可愛い弟。表面上は追放ですが、彼には田舎でのどかな生活を送ってほしいと思っています。今日もヴィスタルが心配で訪れました」

 カインは少し垂れ気味の眦を更に下げた。

「……ひと月ほど、伯爵と共に暮らしていますが、ヴィスタル伯爵は動物に危害を加えるような実験はしていません……」

 マルタの低い声に、カインはおどけたように「ははっ」と笑って見せる。

「少しばかり反省したのか……もしくは」

 そこまで言って、カインはマルタの耳元に口を近づける。

 咄嗟の距離感にマルタの肩がビクッとなった。

「貴方が知らないだけかもしれませんよ、ヴィスタルの本性を」


 ぞわっとした感覚が走り、マルタの腕が粟立った。


 その矢先、馬車が止まった。

「着いたようですね。降りましょう」


 そう言ってカインは扉を開けて降り、振り返ってマルタに手を差し出す。


 マルタは彼の手を取らずに降りようとしたが、ぐいっと手を掴まれた。


(……え?)


 手を引っ張られてバランスを崩したマルタは、馬車から転げ落ちそうになる。


「おっと危ない」

 

 気づけば、マルタはカインの腕の中に居た。

 一瞬、首筋にジュワっと焼け付くような熱を感じ、マルタは目をぎゅっと瞑る。


「マルタさん、大丈夫ですか?」


 耳元にカインの穏やかな声がおりる。



「兄上……」


 聞きなれた声にハッとして、その方を見ると、ちょうど庭先に居たヴィスタルがこちらを見詰めて佇んでいた。


 マルタは咄嗟にカインを引き離して距離を取る。


「久しぶりだな。ヴィスタル」

 口元には美しい微笑み。――だが、ヴィスタルを見詰めるその瞳には冷ややかさが差している。


「どうして兄上がここへ? それに……マルタも」

「近くを通りかかったから、様子を見に来た。マルタさんとは村でたまたま出会ったんだ」

「そう……か……」

 カインの穏やかな眼差しと、ヴィスタルの冷徹な眼差しがぶつかり合う。

 その様子を見ていたマルタは息を呑んだ。

 

「せっかく訪ねて来たんだ。茶のひとつでも出してくれないのか?」

 カインは諧謔的に笑う。


「すいません。直ぐに用意します!」

 そう言ってマルタはそそくさと家に入り、台所へと向かおうとする。


 その瞬間、ヴィスタルがマルタの腕を掴んだ。

 驚いたマルタはヴィスタルの顔を見る。


 真っすぐな視線がそこにあった。

 ヴィスタルが小声で囁く。

 

「マルタ、兄になにかされていないか?」

 自身を案じる憂いを帯びた声。


 先ほど体勢を崩しカインに抱きかかえられたところを、ヴィスタルに見られてしまったことが、急に辛くなる。


「はい。大丈夫です」


 ヴィスタルは心底ほっとしたように息をひとつ吐き出した。

「よかった……」


 マルタの胸が温かくなる。

「マルタ、お茶はいい。兄上には帰ってもらう。お前は家の中に居ろ」

 ヴィスタルは歩を進めて、カインへと近づいた。

 マルタに向けた柔らかな目つきとは一転――その目は鋭くカインを捉える。


「見ての通り、俺はそれなりにやっている。予定があるので、申し訳ないが帰ってくれ」

 カインの目を見据えて、ヴィスタルははっきりと告げる。


 カインはフッと笑ったあと「予定って動物実験か?」とおどけたように尋ねる。


 何も答えないヴィスタルにカインは溜息をついた。


「……まあ、いい。今日は帰るとしよう」


 カインはヴィスタルに近づき彼の耳元で囁く。


「辺境の地に追放しようと、お前に安寧など与えない」


 そしてカインは家の中からこちらを見詰めるマルタに声を掛ける。

「私はこれで失礼します。マルタさん、では()()


 カインは踵を返し、豪奢な馬車へと乗り込み、そのまま去っていった。


(ヴィスタル伯爵の悪評を広げたのってまさか……)


 良くない想像をかき立てられたマルタは、胸のざわめきを無視できなかった。

 



 



 

 

 

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