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第8話 家畜騒動

「伯爵、お昼ご飯の用意が出来ました」

 書斎で魔法実験をしているヴィスタルにマルタが声を掛けた。

 無表情ながらに目を輝かせたヴィスタルはマルタについて居間へと向かう。


「今日はなんだ?」

「先日も作ったサーモンと緑黄色野菜の蒸し鍋です」

「人参は少なめで頼む」

「はいはい」


 二人がテーブルへと着席した途端、扉を叩く騒がしい音がした。


 マルタとヴィスタルは顔を見合わせる。


「……私、外の様子を見てきますね」

 マルタは立ち上がって、扉へと駆け寄り、開く。


 すると――。


 館の門前に、怒りと不安に揺れる住民たちが押し寄せていた。

 マルタは予期せぬ光景に肩をびくりとさせた。


「家畜が消えたのは伯爵のせいだ!」

「また実験に使ったんだろう!」

 誰かの叫びが引き金となり、群衆は一斉に声を張り上げる。


 一歩後退ったマルタの背中に、ヴィスタルの体温を感じた。

「……なんだ?」

 マルタの耳元にヴィスタルの訝し気な声が落ちる。


 ヴィスタルは一歩も動かず、冷ややかに群衆を見詰める。その沈黙が、ますます誤解を煽ってしまうことになる。


「なんとか言ったらどうなんだ!」

「言い訳も出ないのか!」


(……説明が下手だから黙っているだけなのに)

 マルタは胸をぎゅっと握りしめ、前に出た。


「皆さん、まず落ち着いてください! 事実を確かめましょう。私も一緒に確認しますから」


 穏やかだが、しっかりとした口調で話しかける。

 住民たちを見据える瞳には芯の強さが宿っている。


 マルタの誠実さを感じ取った住民たちは顔を見合わせ、しぶしぶ頷いた。


 ◇


 住民たちから聞いた話はこうだった。

 

 今朝がた牧場に行くと、家畜たちの姿がごっそりと消えていた。

 牧場には牛や馬、鶏など五十体近くが放し飼いにされており、人力で移動させるには難しく、“冷徹伯爵”が魔法で移動させたのだろうという推測に至ったそうだ。


 マルタとヴィスタルは住民たちに連れられ、件の牧場へと辿り着いた。

「……確かに一頭も残っていませんね」

 辺りを見渡したマルタがボソッと呟いた。

「マルタよ」

 ヴィスタルが名を囁くので、何か思い当たることが? とマルタは彼の方を見る。

「以前は牧場に来れば、鼻水が止まらなかったのだが、今日は平気だ。マルタのアレルギー対策レシピのおかげだな」

(伯爵ったらこんな時に……)

 呆れながらもマルタはクスっと笑ってしまった。


「おかげで匂いもある程度は感じられる」

「………………」


 ――匂い?


 マルタはハッとなる。

 牧場には鼻を突くような異臭が漂っていた。


 マルタは柵の方へと走っていく。

 壊れた柵、土に残る足跡、そして牛舎の扉の隙間から漏れる黒い染み――。

「やっぱり伯爵の仕業だ!」と住民が騒ぎ立てるが、マルタはしゃがみ込み観察した。


「違います。柵はずいぶん前から脆く、簡単に壊れたはずです。それに、この臭い……。油と残飯、腐敗の臭い。これが原因で家畜が怯えて逃げたんです」

 言い切るマルタに、住民のざわめきが一瞬止まる。


「家畜は嗅覚が敏感で異臭を嫌がります。逃げられる条件さえ整っていたら、異臭から逃れようとするでしょう」


「え? そうなのか……?」

 再びざわめきが起きる。


「……なら家畜たちはどこへ?」

 呆然とした様子で、住民のひとりが独り言ちるように尋ねた。


 その矢先、ヴィスタルが静かに手を掲げ、詠唱を囁いた。


「……感知魔法」


 淡い光が辺りに広がり、残留する気配が森の奥へと導いていく。


「どうやら家畜たちは向こうの方角にいるようだ」


 ◇


 住民たちは慌ててヴィスタルが示した方角へと走って行った。


 取り残されたマルタとヴィスタルは顔を見合わせる。


「さすが、ヴィスタル伯爵。だけど……家畜の場所が分かっても、原因を取り除かないと根本の解決にはなりません」

「異臭の正体か」

「はい。異臭のする方角へ行ってみようと思います」

「うむ」


 ◇


 住民たちが走って行った方角とは逆方向――二人は森へ分け入った。


 前を進むヴィスタルがふと振り返る。

 そして、そっと手を差し出した。


「ここは足場が悪い」


 真剣な瞳で自身を案じる彼に、マルタはくすぐったいような嬉しさを感じる。

「……はい」


 鼓動を高鳴らせたまま、マルタはそっと大きなヴィスタルの手を掴んだ。

 まるで包み込まれているかのような温かさに、鼓動がさらに逸る。



 足場の悪い場所を通り抜けても、ヴィスタルは手を放そうとはしなかった。


(……どうしよう。手を放すタイミングを見失ってしまった……。でも今、こっちから放すのも不自然な気がするし……)

 ドキドキしながら、マルタはヴィスタルの方を見る。


 彼の視界は前方を捉えており、手を放す気もなさそうだった。

 

『怪我でもされては困る』


 背伸びをした瞬間、うっかり足を滑らせてしまったことを思いだす。


(そうよね。ただでさえ役立たずなんだから、怪我をして伯爵の足を引っ張るわけにはいかない……)


 自分に言い聞かせるように、マルタはぎゅっとヴィスタルの手を握り返した。


 進に連れて異臭が強くなる。

 そろそろ「源」に近づいているのだろう。


「あれは……」

 木々の間を抜けると、目の前に広がったのは――山のように積まれたゴミだった。

 腐った果物、油まみれの布、錆びた金属。

 これらが異臭の正体だった。


「これが……原因」

 マルタは拳を握る。

「おそらく住民たちが分別を知らずに捨てたのでしょう。……これでは家畜も逃げ出します」


 ヴィスタルは眉を寄せたが、マルタの声にうなずいた。



 ◇


 牧場へと戻ったマルタとヴィスタルは、家畜たちの居場所を突き止めた住民たちと合流した。


「ま、まさか……異臭の原因が森に不法投棄されたゴミだったなんて……」

 マルタによって突き付けられた真実に、住民はたじろいだ。

 その隣で、バツが悪そうに視線を逸らす者もいる。


「一体誰がそんなことを……」

 驚く住民に対して、気まずそうに俯く住民。反応が真っ二つに割れる。


 やがて、一人の住民がおずおずと手を上げた。

「じ、実は……俺も森の奥へ捨てたことがある……」

「え!? おまえまでか!」

「わ、わたしも……」

「ええ!? なんで!? みんなやってんのかよ!」


 次々に飛び出す告白に、場の空気は混乱と動揺でざわめいた。

 けれどマルタは一歩も動じず、落ち着いた声を響かせる。


「この街のゴミ分別ルールはとても細かいです。字が読めなければ尚更わかりにくいでしょう」


「そ、そうなんだよ!」

「ややこしいったらありゃしない!」

 住民たちから不満の声が相次ぐ。


 マルタは小さく頷き、しかしその表情を引き締めた。

「けれど、だからといって不法投棄を続ければ、今回のように家畜が犠牲になります。……それでは、結局困るのは私たち自身です」


 言葉に力を込めて一歩踏み出す。

「これからは、分かりやすい看板を立てます。誰にでも一目でわかるように。そうすれば、みんなも迷わずに済むはずです」


 不安げだった住民たちの顔に、少しずつ安堵の色が戻っていく。


 その間に、ヴィスタルの感知魔法で逃げ出した家畜が一頭ずつ戻ってきた。

「伯爵が……家畜を連れ戻してくれたのか」


 ヴィスタルは涼しい顔で首を傾げる。「当然だろう」と言わんばかりだ。


「う、疑って申し訳なかった」

 一人の住民が深々と頭を下げ、それに倣って次々と住民たちが頭を垂れる。


「伯爵、ありがとう……」

「お嬢さんも……原因と解決策まで授けてくれて、本当に助かった」


 やがて、拍手が広がった。

 館を囲んでいた冷たい視線は消え、そこには感謝と尊敬の色が宿っている。


 マルタは胸を撫でおろし、頬をほのかに染めた。

(みんなが……伯爵の良さに気付いてくれた……)


「コホン」

 ヴィスタルが不自然に咳払いをする。


 注目が集まる中、彼はわずかに口元を引き結んだ。

「彼女の名はマルタだ」


 そのひとことに、住民たちは嬉々として声を上げる。

「マルタ! ありがとう!」

「マルタさん、助かったよ!」


 自分の名前がこんなふうに呼ばれるのは初めてで、マルタの胸は熱く震えた。


 ◇


 夜。館の窓から月を見上げながら、ヴィスタルは静かに目を閉じる。

 思い返すのは昼間の光景――真剣な顔で住民を説得し、感謝されて頬を緩めたマルタ。


(どうして俺は……こんなにも誇らしい気持ちになる)


 胸に芽生えた熱は、もはや否定できなかった。

 月明かりに照らされる静かな部屋で、ヴィスタルは気づく。

 

 ――彼女の存在は、いつの間にか自分の心を照らす光になっていたのだ。

 



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