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星屑のスプーン

作者: 副笑い


夜空に星が瞬く、静かな山間の集落。そこに住む24歳の青年、蒼太そうたは、どこにでもいるような男だった。昼は小さな工務店で働き、夜は古びた一軒家で独り、静かに暮らしていた。しかし、彼の心には、どこか満たされない炎がくすぶっていた。名もなき日常に埋もれながら、彼は何か大きなもの――自分を定義する「何か」を求めていた。


ある晩、蒼太の家の扉を叩く音が響いた。開けると、そこには白髪の老人が立っていた。老人は手に古めかしい木箱を持ち、目には星のような光を宿していた。

「蒼太よ、時が来た」

と老人は告げた。


「お前は選ばれた。星屑のスプーンを受け取り、運命の皿に挑むのだ」

蒼太は困惑したが、老人の声には抗えない力が宿っていた。木箱を開けると、そこには銀色に輝くスプーンが収められていた。それはまるで夜空を切り取ったかのように、微かに光を放っていた。


「これを持って、山の頂にある『焔の祠』へ行け。そこで待つは、お前の魂を試す試練だ」

老人はそう言い残し、霧のように消えた。蒼太はスプーンを握りしめ、胸の高鳴りを抑えきれなかった。平凡な自分に、ついに訪れた冒険の予感――彼は迷わず山へ向かった。


山道は険しく、風は冷たく、闇は深かった。

獣の遠吠えが響き、木々のざわめきが彼を試すように囁いた。それでも蒼太は進んだ。星屑のスプーンが手に温もりを与え、まるで道を導くように光を放った。数時間後、彼はついに焔の祠に辿り着いた。そこは岩に囲まれた小さな祠で、中心には巨大な石の台座があった。台座の上には、黄金の鍋が鎮座していた。


鍋からは、濃厚でスパイシーな香りが立ち上り、蒼太の腹を震わせた。



カレーだった。



「これが…試練?」

蒼太は呟いた。鍋の周囲には、古代の文字が刻まれた石碑が立っていた。そこにはこう書かれていた。「星屑のスプーンを持つ者よ、魂の炎を燃やし、このカレーを食せ。完食せし者、宇宙の真理を垣間見る」

蒼太は笑いそうになったが、同時に異様な緊張感に襲われた。カレーの香りは、ただの料理のものではなかった。それは生命の鼓動、宇宙の脈動そのものだった。


蒼太はスプーンを手に取り、鍋に近づいた。カレーは深紅に輝き、まるで溶岩のように沸騰していた。具材は見慣れぬもの――星の欠片のような輝きを放つ野菜、銀河の渦を思わせる肉片。そして、スパイスの香りは彼の心の奥底に眠る記憶を呼び覚ました。幼い頃、母が作ってくれたカレーの味。仲間と笑い合った学食のカレー。失恋の夜に一人で食べたインスタントカレー。すべての記憶が、この一皿に凝縮されているかのようだった。


最初のスプーンを口に運んだ瞬間、蒼太の身体は電撃に打たれたように震えた。

スパイスの嵐が舌を焼き、喉を駆け抜け、心臓を突き刺した。熱い。あまりにも熱い。

だが、その熱さの中に、奇妙な安堵があった。カレーは彼の体を満たし、同時に彼の魂を試していた。2口目、3口目。食べるたびに、蒼太の視界は揺らぎ、宇宙の果てが見えた。

星雲が爆発し、銀河が回転し、無数の生命が生まれては消える。その全てが、このカレーの一粒一粒に宿っているかのようだった。


しかし、試練はそう簡単ではなかった。カレーは無尽蔵に湧き続け、鍋は一向に空にならなかった。蒼太の額には汗が滲み、腕は震え、胃は限界を訴えた。

「もう無理だ…」と呟きかけた瞬間、星屑のスプーンが再び光を放った。その光は彼の心に囁いた。


「お前の魂は、こんなところで諦めるのか?」


蒼太は歯を食いしばった。自分は何のためにここまで来たのか。平凡な日常を抜け出し、己の存在を証明するためではないのか。


彼は再びスプーンを握り、カレーを掬った。

食べるたびに、彼の身体は熱くなり、魂は研ぎ澄まされた。過去の後悔、未来への不安、すべてがカレーの炎に焼き尽くされていく。

やがて、彼は気づいた。

このカレーは、ただの食べ物ではない。それは彼自身の人生そのものだ。苦さ、辛さ、ほのかな甘さ――すべてが彼の歩んできた道を映し出していた。


どれほどの時間が経ったのか。

蒼太は最後のスプーンを口に運んだ。鍋はついに空になり、祠は黄金の光に包まれた。蒼太の視界に、宇宙の果てが広がった。そこには無数の星々が輝き、生命の歌が響いていた。


「お前はやり遂げた」と、星々の声が囁いた。


「このカレーは、お前の魂の結晶だ。受け入れ、進め」

蒼太は涙を流した。それは達成感か、解放感か、それともただのカレーの辛さか。すべてが混ざり合い、彼の心を満たした。


気がつけば、蒼太は自宅の食卓にいた。目の前には、いつものスーパーで買ったレトルトカレーの空袋。星屑のスプーンも、焔の祠も、どこにもなかった。夢だったのか? しかし、蒼太の胸には、確かに何かが変わっていた。平凡な日常が、なぜか輝いて見えた。カレーの残り香が、鼻腔に残っていた。


翌朝、蒼太はいつものように工務店へ向かった。だが、彼の歩みは軽やかだった。カレーを食べたあの夜、彼は何かを見つけたのだ。それは、宇宙の真理でも、神秘の力でもなく、ただ、自分自身を信じる力だった。


そして、蒼太は決めた。週末には、仲間を呼んでカレーを作ろう。

スパイスを調合し、鍋をかき混ぜ、笑い合う。そんな小さな瞬間が、彼の人生を星屑のように輝かせるのだと。


(完)


---

ただカレーを食べる物語

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― 新着の感想 ―
ただカレーを食べるだけの物語の筈なのに、そこかしこに真理が含まれているような……。 しばらくは、カレーを食べる度にこの話を思い出すでしょうね。いや、素晴らしい物語でした。
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