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ただ君のために  作者: 麩天 央
第一章
4/8



「服…ありがとうございます。」


俺が廊下を拭いていると、上からぼそりと小さく声がかかった。見上げれば風呂から上がり、タオルを手に持ち棒立ちの透矢がいた。俺も立ち上がり、再度透矢の表情を観察する。

幾分かスッキリしていて、あの後風呂に入り直させたおかげか、顔色も良い。これなら大丈夫だろう。


「ごめんな、今服は洗ってるから、乾くまではちょっと我慢しろよ。サイズはどうだ?」

「腕回りと丈が小さい。あと裾が短い。」

「そこは思ってても問題ないって答えろよな。」


いつもの様に返す透矢に、俺はハハッと笑い背中をバシッと一度叩いた。それから腕を掴んで部屋へ連れていく。

何時もの壁際…は良くないと判断し、反対側の俺が使う場所へと透矢を座らせた。

それからキッチンへ戻り、牛乳をレンジで温める。そこに前回買ったチョコを一粒落とし、出来上がったホットミルクを透矢の前へ置く。ちびちびと飲み始めたのを確認すると、再び俺は踵を返し、今度は脱衣所へ戻りドライヤーを掴んで再度透矢の元へ向かう。

透矢の後方、ベッドに腰かけ彼のまだ乾ききらず水分を多く拭くんだ髪へと温風を当てた。

透矢は特に文句も言わず、じっとそのまま座っている。触れる髪も段々と柔らかく軽くなり、ふわふわに戻れば俺は満足してドライヤーを脇に置き、俺も透矢の横へと座り直した。

特に何かすることも思い浮かばず、俺は近くに放置していた文庫本を手繰り寄せ、パラパラと捲る。文字に目は行くが読む気にはなれない。

脱衣所からはガタンガタンと洗濯機がけたたましい音を響かせていて、そろそろ買い替え時だなと意識を飛ばしていると、ふと右肩に重みを感じた。次いで、ふわりと石鹸の香りが漂い、透矢の頭が肩に触れているのだと分かった。


その頭を一度撫で、再度本へと目を落す。

透矢は何も言わず、ただ頭を摺り寄せていた。


「あんたこそ風呂は?」


それから数分、無言だった透矢がふと思い出したように俺へと声をかけてきた。


「俺は大丈夫。ちゃんと着替えたから問題ないよ。」


「だから気にするな」と再度頭を撫でる。

あの後、浴槽に浸かったままでもいられず、透矢が落ち着いたのを見計らって俺はサッと風呂から出た。そのまま服は全て洗濯機へ突っ込み着替え直し、透矢が出てくるまでに濡れた靴を洗い、廊下を拭いていた。

因みに、俺の家に透矢の体格に合う服は無く、一番大きめのスエットとTシャツを着させた。下着は…無しというのは余りにも可哀そうで、俺の予備、もちろん新品を渡している。

そのことを思い出し、若干気まずくなり俺はそういえば、と話題を逸らす。


「透矢、お前の連絡先俺にも教えて。やっぱ何かあった時に連絡手段が無いのは困るからな。」


肩に乗った頭がこくりと頷き、「…あ、でもスマホ今は家。」と返事が返ってくる。そういえば服には何も入ってなかったな。


「ならまたスマホ持ってる時に交換しよう。てか、お前服には何も無かったけど、家の鍵は閉めてきたのか?」

「してない。」

「おいおい、それ不用心だって。今から閉めに行くか?」


どうやら着の身着のままふらりと俺の家まで来たらしい。何かあっては大変だと、俺は腰を浮かそうとした瞬間、「やだ」と透矢に拒否をされ、そのまま腰に腕を回され抱きつかれた。

その勢いに、背中がベッドへとぶつかる。

「お前なぁ」とため息を付けば、透矢は何度も頭を左右に振り、また「やだ」とだけ言う。

俺が少しでも離れるのが嫌なのか、覆いかぶさった透矢の背が若干震えている。

仕方がない、と俺はその背中を優しくぽんぽんと宥め、「じゃあ後で一緒に行こうな。」と声をかけ直した。

未だ離れない透矢の背から見える窓向こうの空は、さっきまでの黒雲が嘘のように消え失せ、鮮やかな青色をしている。網戸に付いた雨水も、きらきらと太陽の光を反射し輝いていた。

その風景を眺め、この空の様に透矢の心の中もゆっくりでいいから晴れていきますように、と俺は強く願った。




日の入りも段々と早く、ジャケット無しでは肌寒い夜が続き始めた頃、俺は仕事帰りに買った総菜袋をガサガサと持ちながら、アパートに戻ってきた。鍵を差さずにドアノブを回せば、直ぐに開く。

その奥から明るい光が漏れ、その光を背に玄関前には透矢が立っていた。

その光景にも見慣れ、俺が「ただいま。」と返せば、「おかえり。」と透矢は返してくる。


「今日は随分遅いんだな。」

「明日大事な発表があって、それの最終チェックをしてたんだよ。お前こそ、ちゃんと飯食ったか?」

「まだ。」

「またか。今日は遅いって連絡してんのに、これじゃ意味ないだろ。」


靴を脱ぎ、部屋へと続く廊下を歩きながら、俺は後ろを付いてくる透矢へ口を尖らせてぼやいた。

そのままリビングに荷物を置き、スーツの上着を脱いだところで背後から腕が伸び、そのまま抱きしめられた。


「アンタと、ヒナと一緒に食べたかったから。」


容赦なく力を込める透矢に、俺の口から「ぐえ」と奇声が漏れる。

分かったから力を抜け、全ての臓物が出る!

俺は軽く透矢の腕を叩き、「分かった、一緒に食おう。」と宥めれば満足そうに笑む気配を背に感じた。


あの日、透矢の心の内を聞いた日から、透矢の俺に対する態度がガラリと変わった。

今まで俺に対しては若干、いやかなり冷たく、ほぼ不機嫌な態度を見せていたのが、今では俺の帰宅を甲斐甲斐しく待ち、俺の言動全てに神経を集中した態度を見せるようになった。


そもそもあの日、透矢は結局俺から離れることはなく、そのまま夜を迎え、シングルベットに男二人ぎゅうぎゅうに詰めて眠った。

翌朝、心の整理が少し出来たのか「帰る」と一言だけ残し、透矢はさっさと帰宅した。

次はいつ来るのかと気にしていたが、その日の午後には再度戻ってきて、また俺に引っ付いて過ごした。

それは俺や透矢に仕事があっても続き、透矢は起床後直ぐに帰宅して出勤、退勤後はそのまま俺の家へと上がり込む。俺もそれを拒否することなく、帰宅すると部屋で透矢が迎え入れる事が当たりまえになっていた。

残業で俺の帰宅が遅い日、ずっと玄関前で待つ透矢を見てからは早々に合鍵を渡してある。

森田君はというと、数日後結婚のため転居します、と俺へ挨拶に来てくれた。どうやら実家に戻った際に、互いの両親への挨拶を済ませ、本格的に話が進んでいたようだ。

夏の終わりには森田君は退去し、今の隣室は空き部屋となっている。


透矢の変貌ぶりは態度だけでなく、俺を呼ぶ言い方さえも変わった。

俺に引っ付き離れなかった最初のころ、「アンタの名前って?」と失礼にも程がある質問をしてきた。蓮見 陽向(はすみ ひなた)と教えてからは、俺の呼び名が「オッサン」「あんた」から「ヒナ」へと変わった。

何でも雛鳥みたいで響きが良いらしい。ふざけている。

けど、俺も透矢の態度に満更でもなく、ちゃんと名前を呼ばれ、必死に後ろを付いてくる姿は子犬のようで可愛らしいと思った。いや、でかい図体をしているから大きい子犬か。

それともう一つ、俺の中で自覚したことがある。


買ってきた総菜を並べ、俺たち二人して肩を並べて遅い夕食を食べ始める。

チラリと隣の透矢を見れば、視線に気づいた透矢が「何?」と声をかけてくる。その声音はとても柔らかく、軽く首を傾げて見せた。それに「なんも」と返し、俺は総菜へと箸を伸ばす。視線をふいと逸らし、食事へと意識を集中させる。それでも、透矢と目が合った瞬間に心臓が跳ね、頬や耳にまで熱が集まったのを感じた。


どうやら、俺は透矢へ恋してしまったらしい。甲斐甲斐しく俺についてくる姿や、不思議そうに俺を見る表情が可愛くて、以前とは違う愛しさが胸に宿り始めた。

けど、失恋して弱り、縋った相手から好意を持たれるなんて、透矢にとって災難に他ならない。

今の透矢は、まだ傷心中でその傷を癒している最中だ。その場所が偶然にも俺だっただけ。

だから勘違いするな、と俺は今日も自分に言い聞かせる。



食事を終え、用事を済ませ寝る支度を始めれば、当たり前のように透矢はベッドへと寝転ぶ。


「なぁやっぱり俺床で寝るよ。俺が横にいたら休まらないだろ?」


風呂から上がり、いつものように俺が提案すると、食い気味に「却下」と返される。ならと「じゃあソファか一回り大きいベッドを買う」と言えば「やだ」と一言。それから俺の腕を引っ張り、俺はそのままベッドへと倒れ込む。

透矢は、抱き枕のように腕の中へ俺を仕舞い込み、満足そうに眼を閉じた。

ここまでのやり取りを毎回繰り返し、そして俺が折れて話は終わる。

この繰り返しに、少し期待してしまい、その都度俺は心の中でかぶりを振り、自分の頭をはたく。勘違いするな、と。

この状況は俺にとって非常に辛いもので、離れたいと思うのに、透矢の体温があまりにも居心地が良くて、益々離れ難くなっている。

規則的な寝息を立てる透矢の背に腕を回し、俺は背を撫でながら、あともう少しだけだから、と自分へ言い聞かせ目を閉じた。



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