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ただ君のために  作者: 麩天 央
第一章
1/8



連日の雨から、ついにこの地域でも梅雨入りしましたとアナウンサーが話しているのをBGMに、俺の指は休まずパソコンのキーを叩いていた。

そこにピンポンと軽快な電子音が一度響いた。

顔を上げ、少しズレた眼鏡を押上げインターホンに視線を向ければ、カメラに向かい手を振る隣人の姿があった。


「今晩は、今日もお互いお仕事お疲れ様です。今日は営業先から沢山野菜貰って、ついつい作りすぎちゃいました。」


隣人、森田 優一郎(もりた ゆういちろう)君は少し大きめの容器を持ち上げて見せる。仄かにスパイスの香りがして、あぁカレーか、と思った。


「いつも悪いね、こんなオッサンに持ってこずとも、育ち盛りな森田君だけで食べられそうだけどね。」

「いえ、流石に大学卒業したら俺の胃も落ち着いたみたいなんです。」


ありがとう、と受け取れば森田君は「それじゃまた」と爽やかに手を振って部屋へと戻っていった。

それを見送り俺もドアを閉め、玄関先に置いてある時計へ目を向ける。森田君が帰って30秒、…あと少で1分になるかというタイミングで再度電子音が響いた。


ピンピピピピピンポーン


今日も相変わらず勢いの良い連打だ。

直ぐにドアを開け、ドア前に立つ肩で息をし、髪から雨水を滴らせる男を部屋へと招いた。


「今日も速いね。」


俺が苦笑交じりに声をかければ、「当たり前だ」とフンと鼻を鳴らし、不機嫌さを隠すことなくずかずかと部屋へと上がった。

彼は向かいに住む葛木 透矢(かつらぎ とうや)。さっき俺に差し入れしてくれた森田君と深い縁のある子だ。


「お前また傘も差さずに来たの?タオル使う?」

「いらない。それより、それを早くこっちに渡せ。」

「はいはい、今用意するから座って待ってろ。」


俺には目もくれず、透矢は勝手知ったる我が家の中を進み、どかりと壁を背に座った。

それから、じっと壁に肩を引っ付け聞き耳を立てている。

その壁の向こうは森田君の住む部屋で、まぁ要は森田君の生活音を必死に聞こうとしている。

この行動は我が家でのルーティーンでもあるため、俺も何も言わずさっさと頂き物のカレーを皿に移し替え、透矢の前へと用意した。勿論彼の分だけ。

透矢は用意された食事を見ると、ポケットからサッと携帯を取り出し数枚撮影する。それから、恭しく手を合わせカレーを食べ始めた。

その様子に「相変わらずだなぁ」と思いながら、再度彼へ近づき頭にタオルを乗せ拭いてやる。

ジロリと睨まれたが、透矢にとって食事の方が大事なので、俺の行為を拒否する気はない。それを見越して、俺も透矢の濡れそぼった頭をガシガシと拭き上げた。

服はどうしようもないので、バスタオルを肩にかけてやる。


「お前さ、別に俺は食わないんだから、傘ぐらい持ってこいよ。」

「嫌だ。そんな時間も勿体ない。」

「はいはい、そうですか。」


いつも通りの返答にやっぱりなと受け流しながら、空になった皿を片付ける。勿論森田君から貰ったカレーは全て透矢の胃に収まっている。

「因みに風呂は?」と再度声をかければ「違うシャンプーは嫌だ」と返ってきた。これも何時も通りで、要は森田君と同じシャンプー類が自宅にあるので、ここの風呂は使いたくないという事だ。

俺は透矢の前にコーヒー置き、俺もまた入れ直したコーヒーを手に彼の前に座り直した。それから眼鏡を掛け直し、再びパソコンのキーを叩き始めた。


「優一郎、今日はスポーツ番組を見てる。」


何かを聞き取った透矢はリモコンを手に操作し、同じ番組へと変える。併せて音量は小さくし、満足そうに映像を眺めている。

因みに森田君はサブスク関連をよく利用するようで、俺も無理やり加入させられこの部屋で見られるようになっている。


そう、透矢は森田君に対して並々ならぬ恋心を抱いている。それも高校時代からで、慕い続けて8年目になる。

方向性はちょっとアレだが、でもこの甲斐甲斐しくもいじらしい透矢を眺め、俺は彼との出会いを思い出していた。


透矢との出会いは、今日と同じようにチャイムを連打された所から始まった。

俺は5年前、大学進学を機に上京した森田君と同時期にこのアパートに入居し、彼とはその縁もあってかよく顔を合わせるようになった。

すると、ある日我が家に透矢が突撃してきて「あんたのせいで優一郎と離れてしまっただろ!ふざけるな!」とめちゃくちゃな怒りを俺にぶつけてきた。

その後も、森田君から何かを頂く度に直ぐチャイムを連打しに来る。

他にも、森田君が自宅で過ごす休日は「部屋に入れろ」と押し入り、ずっと壁に体を引っ付け過ごす。一応念のために言うが、このアパートの防音環境はそれなりにあり、生活音が駄々洩れと言う訳ではない。単純に、透矢の森田君に対する聴覚がずば抜けて高いだけだ。

それが当たり前になり、今では俺が在宅中で、森田君が居る時間帯は透矢も一緒に過ごすことが日常となっていった。立派なストーカーである。

彼が森田君に恋をしているのだと気づき、彼の執着ぶりに危機感を持った俺は、もしも事件が起こっては大変だと、せめて間違いが起こらないように見守ろう、とこうして自宅に上がり込む彼を受け入れている。因みに、これだけ森田君に恋していても、本人を目の前にすればそっけない態度しか出来ず、告白なんてもっての外。

以前、森田君との出会いを俺に語って聞かせた時に、透矢はいかに森田君が人格者か、自分が彼のおかげでどれだけ救われたかを語っていた。森田君は誰にでも分け隔てなく優しく、当時独りぼっちの透矢を気にかけ、授業や休み時間によく関わってくれていたらしい。そして、森田君は透矢がいかに魅力的か、本人にも周囲にも何度も語り、周囲と透矢の関係を取り持った。

そんな彼に恋をした透矢は、少しでも森田君と仲良くなりたい一心で、彼と同じサッカー部に所属し、大学も同じ学科を専攻。就職先も、部署は違えど同じ会社に就いた。

高校時代の透矢は人付き合いも、自分にも興味が持てず、身なりや体形をからかわれる事も少なくなかった。それが森田君と関わるうちに洗練され、運動部で肉体を鍛え、身なりも整えることで今ではイケメンの部類に入っている。確かに俺や森田君よりも高身長で、切れ長な瞳や低い声質は女性に人気かもしれない。まぁ、黙っていて、この拗らせ具合を見なければ、の話だが。

そんな彼の一途さに俺も絆され、今では透矢を見守る立場にいる。

が、もう一つ気になることもあって彼を招き入れている。


そっと透矢へ目を向ければ、幸せそうに笑みを浮かべていた。

が、「あっ」と小さな声を発したのと同時に顔から笑顔が消え、見る見るうちに瞳から光が消えていった。

その様子に、俺が透矢を気にかけるもう一つの事案が発生したことに気付いた。


「家に、彼女が来た…」


そう、森田君には大学時代からの彼女が存在する。しかもここ1年は、森田君の家で彼女が過ごす事も増えている。

その事実に、透矢は暗い表情をしつつも、壁から離れることはなく、じっと耐えながら壁向こうの様子を窺っていた。

その姿に、俺はぎゅうと心臓が締め付けられた。


森田君はとても気さくで、明るい子だ。そして、無自覚だからこそ、彼が放つ言葉は残酷だ。

以前、俺と透矢が偶然道端で一緒にいた事があった。その時、森田君は透矢と俺へ声をかけてくれたが、透矢の恋心なんて知らない森田君はずっと彼女の話をしていた。

その中で、結婚も視野に入れているとも照れながら打ち明けてくれた。

ぎょっとして隣の透矢を見上げれば、彼はとてもきれいな笑みを浮かべ、「良かったな。」と返していた。その後森田君と離れたが、透矢は動けず、気の毒になり俺も隣で彼が動けるようになるまで一緒に過ごした。

透矢は森田君を好きだが、彼女と別れさせたいとか、傷つけたいとは思っていない。それをすれば森田君が悲しむと分かっているから。恋をした瞬間から、透矢はずっと森田君の幸せを願っている。

その姿がまたいじらしいと思え、どうにか彼が幸せになれないものか、と俺は願わずにはいられない。


表情を硬くしたままの透矢を見て、俺はよいしょと腰を上げキッチンへ向かい、冷蔵庫から一つ皿を取り出した。

それを「ほれ、食後のデザート」と透矢の前へ置いた。それは今朝、出勤前に作ったコーヒーゼリーだ。持ち帰り仕事を終わらせたら、糖分補給も兼ねて食べようと仕込んでおいた。

が、今は俺よりも透矢へ食べさせたいと思い、「早く食えよ。」と再度促した。

俺に胡乱な視線を向けつつも、透矢はスプーンを手に一口食べる。


「優一郎の作った料理の方が美味い。」

「うっせ、つべこべ言わず食え。」


ぼそりと文句を零す透矢の額へ軽く指を弾かせ、俺は続きを促す。

二口、三口と食べ進めた透矢を見て満足したおれは、「甘いもんは体に良いんだから、しっかり食えよ!」とニカッと笑って見せた。

それからまた、俺は仕事を再開した。透矢は気になるが、さっきよりは若干顔色は良さそうだ。内心ほっとし、俺はまたいつもの様に小言を投げる。


「ちゃんと12時には終わりにして、帰るんだぞ。」

「…いやだ。」

「ダーメ、明日も仕事あるだろ?睡眠は大事なんだから、帰ったらすぐ風呂入って寝る。」


それが守れないなら今後家には入らさん、と言えば、いつもの様にめちゃくちゃ不満を込めた声で「……分かった」と返ってきた。

「分かったなら良し。」と俺は満面の笑みで透矢の頭をわしゃわしゃと撫でくり回す。

透矢は不意打ちを食らったようで、物凄くぶすくれて、ジト目で俺を睨む。

その瞳には、さっきまでの暗い気配は無く、いつもの透矢に戻っていた。

これでもう大丈夫かな、と俺は安堵し「じゃ、俺は仕事するから。」と透矢から視線を外し自分のやるべき事へと意識を移した。



『隣人』と設定が似ている部分が多分にあります。同テーマの短編を作ろうとしてたので…

またこちらも、お付き合いの程よろしくお願いいたします。

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