第六話 サウナは調理方法ではないの
やがて、張り切ったキキが準備完了の知らせを寄越したので、ジョヴァンナは言われたとおり女性用バスルームへやってきました。
水が豊富で石炭も手に入るグレーゼ侯爵領では、頻繁に風呂へ入る習慣があります。同じ王国内でも事情は違い、ジョヴァンナの故郷ダーナテスカ伯爵領では冬場以外は水風呂が基本でした。基本的に暑いものの乾燥していて過ごしやすいので、それで十分だったのです。
さほど違和感もなくこちらの習慣に慣れてきたジョヴァンナは、長風呂さえしなければ熱いお湯にも浸かれるのですが——。
ジョヴァンナがキキの案内でバスルームに入った途端、広い部屋の四分の一を占める木製の小部屋が唐突に目の前に現れ、しかも小部屋からは壁越しでも分かるくらい熱気が溢れていました。なぜか窓の外へ通風口のようなものまで取り付けられています。皆の協力があったとはいえ、たった一時間でこれほど大がかりなものを作れたとは信じられません。
呆気に取られたジョヴァンナへ、キキは得意げに説明します。
「というわけで、簡易サウナです」
「サウ、ナ……?」
「中は蒸気で熱されて、とても暑くなっております。入って少し待ち、それから水に浸かります。まあ、騙されたと思って、中に座ってみてください!」
キキの故郷である北国では当たり前にあったサウナは、南の国々ではまず見かけません。ジョヴァンナが小部屋の扉をそっと開けて中を覗くと、薪ストーブの密閉された腹の中で炎が燃え盛っていました。その上には、なぜか石です。拳大ほどの石がたっぷり載せられていました。さっぱり要領を得ませんが、ジョヴァンナはもう後には退けません。
「これで、痩せるなら……!」
ジョヴァンナは勇気を振り絞り、ドレスを脱ぎます。くるくるした巻き毛を束ね、バスタオルをまんまるになった体に何とか巻いて、小部屋の中に置かれた背もたれもついていない簡素な木製椅子に腰掛けました。椅子からギシシッ、と嫌な音が鳴ります。
薪の燃える匂いが漂っています。薪ストーブの上方へ伸びる金属製のパイプから、小部屋の外へ煙が流れているのでしょう。すでに頬から爪先まで薪ストーブの熱気で火照り、ジョヴァンナは後悔しかけていましたが、いきなりキキが薪ストーブに水をかけてじっとりと蒸気が小部屋を満たしたころには、若干絶望感を覚えていました。
「じゃ、ごゆっくり!」
「え、ちょっ……えぇ……?」
無慈悲にも、小部屋の扉は閉められました。
実は、元はキキの故郷にあるサウナですが、昨今グレーゼ侯爵家でも取り扱えないかと北国の商人がサウナ用薪ストーブの試作品を持ってきていたのです。それを知っていたキキは、半ばお蔵入りになりかけていたサウナ用薪ストーブを引っ張り出し、厨房からすでに火の点いた薪や炭を持ってきて、騎士があちこちからかき集めた木の板を庭師や馬丁が大至急小部屋の形にしたのです。
いくら知っていたとはいえ、これを年若いキキが皆を指揮して計画実行したとは信じられないほど、とんでもない作業です。であれば、ジョヴァンナはその意思を無碍にはできません。摂氏八十度を超えた小部屋サウナの椅子で、じっと熱に耐えます。
小部屋の外では、バスローブやバスタオルを広げてジョヴァンナを待ち構えるメイドたちが困惑していました。
「キキ、これ、本当に大丈夫なの?」
「うん。まあ、痩せるためじゃなく、リラックス目的だから」
「え? 痩せないの?」
「奥様は自分を追い詰めすぎだもん。それに、汗をかくから多少は痩せるかもだし」
しれっとキキはそう言いました。窓の外には、パイプから伝っていく薪を燃やした煙が見えます。
残念ながら、サウナでは体重を減らすことはできません。当然キキは知っていて、ジョヴァンナを放り込んだのです。もちろん、これも彼女なりにジョヴァンナを気遣ってのことです。
ただ、騒動を聞きつけたベレンガリオがやってきて、サウナの小部屋を見つけ、怪訝な顔をしたのも当然のことです。
「何だ? 騒々しいと思ったら、妙なものを作っているな」
「旦那様、これは」
ベレンガリオは周囲を見渡します。バスルームのバスタブには水が張っているものの、ジョヴァンナの姿はなく、しかしドレスや下着はカゴの中に畳まれてあり、メイドたちが体を拭くものを持って待ち構えている——そして、ベレンガリオから見て謎の小部屋からは、煙や蒸気が漏れています。
意味不明な現状を目の当たりにしたベレンガリオは、ついこんなことを言ってしまいました。
「……ジョヴァンナを蒸して調理でもするのか?」
「違いますよ! そんなことより、殿方がレディのお風呂時間に入ってくるものではありません!」
「いや、これはさすがに何事かと思うだろう……」
困惑のベレンガリオへ、キキがサウナについて説明しようと鼻息荒くしている最中、小部屋の扉が音を立てて開きます。
同時に、ジョヴァンナが外へ飛び出すように倒れてきました。全身を真っ赤にして、のぼせた体をバスルームの床のタイルに貼り付けて少しでも涼を取ろうと溶けていました。
「暑い〜……」
「はい、じゃあ、次は水に入ってください」
「待ってこれ」
キキに促されるままに立ちあがろうとしかけて、ジョヴァンナはやっとベレンガリオの姿に気付きます。
二人の目が合いました。片方は服を着ていて、もう片方はタオルを除けば全裸です。
このまま立ち上がればどうなるか。ジョヴァンナは即座にとろけていた脳が働き、すぐさま床にうつ伏せになります。まだ一夜さえもともに過ごしていない夫婦の、予想外の遭遇に、女性陣から悲鳴が上がります。
「いーーーやーーー!!!」
「ベレンガリオ様、ちょっとこれほらもうだめです!」
「外に出てください!」
「破廉恥ですよ!」
「あ、ああ、悪かった、出ていくから!」
とうとう、心配してやってきたはずのベレンガリオは、この家の主人なのにバスルームから追い出されました。
メイドたちが主人のデリカシーのなさに烈火のごとく怒る横で、床に伏せたままのジョヴァンナは立ち上がれません。
「恥ずかしいもういや太ってる裸見られたおうち帰る」
「奥様、しっかり! はい、水分補給を!」
このあと、水を飲まされたジョヴァンナは水風呂に放り込まれてまた悲鳴を上げるのですが、外にいたベレンガリオは何もできませんでした。
一体、何がどうなってこんな拷問のようなことを、という疑問が湧き、しばらくしてから、ベレンガリオは顔面蒼白になってやっとその原因に思い当たりました。
自分がジョヴァンナへ、太ったと叱責したからだ、と。
ちなみに、ベレンガリオ自身はサウナに入ったことはありませんでした。
ジョヴァンナの奮闘むなしく、たった半日では体重が減ったりしません。
サウナ後にも運動に励みましたが、何も変わらない現実に凹んだジョヴァンナは、泣きそうな声でポツリとこんなことをつぶやきました。
「ああ、故郷の栗粉の焼き菓子が食べたい……」
その言葉は使用人たちの口を通じて老執事長ドナートの耳に入り、ついにはベレンガリオに伝わりました。
「と、おっしゃっておりまして」
「それを私に伝えてどうしろと言うんだ」
「旦那様、本当にこのままでは離婚に至ってしまいますよ。それは本意ではないでしょう?」
ジョヴァンナのことが気にかかり、何一つ作業の進まない執務机の前でうろうろしていたベレンガリオは、老執事長ドナートの諫言をようやく受け入れる気持ちになりつつありました。
「そうだな。そもそも、ジョヴァンナを口説いて結婚に持ち込んだのは私だ、まるまる太って」
「こほん」
「……訂正する。太ってしまっても、私が愛するジョヴァンナであることには変わりない。外見で彼女を見誤り、あまつさえ自分の労苦に苛立ってついきつく責めてしまった」
今のベレンガリオなら、呪い云々はともかく、ジョヴァンナが心身ともに苦しんでいることを理解できます。そう簡単に仲直り、とはいきませんが、この事態に対処するだけの判断能力はやっと戻ってきたのです。
そうと決まれば、ベレンガリオの行動は素早く、革靴をジョッパーブーツに履き替え、薄手のジャケットとコートを羽織りました。剣帯と最低限の身の回りのものを持って、老執事長ドナートへあとを任せます。
「ダーナテスカ伯爵領へ行ってくる。ジョヴァンナが倒れないよう、見張っておいてくれ」
「かしこまりました」
「彼女には所用で出かけたと言っておいてくれ。これ以上心配をかけたくない」
「はい、お任せを。どうかお気をつけて」
老執事長ドナートはうやうやしく頭を垂れ、自慢の主人の出立を見送りました。
ベレンガリオは気難しいところもありますが、やればできる子なのです。
そして何より、ジョヴァンナを愛しています。その思いを胸に、独り馬を駆って一路南へ、ジョヴァンナの故郷へ向かいます。
ベレンガリオに呪いが理解できないなら、理解できているであろう専門家に聞けばいいのです。
※サウナに痩身効果はありません。
※サウナは清潔にすべき場所です。料理はしてはいけません。