表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/4

収集癖に愛の花束を

 かつてジュール・ベルヌ(joules Verne 1828-1905)作品と並び、同等に評価される現代作家の「SFの長老」と呼ばれた、ハインライン(Robert Heinlein 1907-1988)というSF書きがいた。

 彼の作品である『夏への扉』という緻密で高度に描かれたタイムリープもののサイエンス・フィクション小説は秀逸なSF作品と評価された。また同じ作者のファンタジーSFの元祖とも称される『魔法株式会社』や、邦画『宇宙戦艦ヤマト』のひな形モチーフと巷でいわれたことで有名な『地球脱出』も人気作品だった。

 そんなハインラインのSF小説が現代文学の花形だった同じ時代に精神世界(インナーワールド)のSF作品であるキース(Daniel Keyes 1927-2014)作の『アルジャーノンに花束を』が登場した。やがてこれはハインラインと双璧をなす現代SF作品となった。

 そしてロバート・F・ヤング(Robert Franklin Young 1915-1986)の『たんぽぽ娘』はSFファンタジーのロマンティック物語としてSFとファンタジーの垣根、日常恋愛物語と短編創作の世界の常識を一気に一蹴した名作として今もファンを増やし続けている。


 これらの作品中では、今では当たり前のように使われるSF作品のプロット、ギミック、アイテム、必須事項が次々に生み出されている。タイムマシーン、コールドスリープ(冷凍時間睡眠)や高次元知能指数(high-IQ)、宇宙冒険(space opera)というジャンルも登場している。

 科学的な見地や分析を駆使したサイエンスとその結果、時代や社会風潮、ポリティカル・システムという社会思想、社会形態。また個々の思考回路の変化がもたらす自分という存在の在り方や自我や意志という人間の持つ精神世界と人間社会の関係性の変化を本質から知ることになるという描写。

 そんな科学と人間と社会が虚構の中で三位一体として描かれていたのが1960年代から1980年代ごろに、もてはやされたSF文学作品たちのブームだった。

 これらを読むことで、創造的、精神的な()()となるギミックやアイテム。それがひょんな事で物語の筋立に大貢献する。そんなことも希にある。このお話は、ローマ神から譲り受けた読書の道具アイテム、「栞」がそんな()()となり人助けの道具になるというお話である。はじまりはじまり。


 さて時代は令和。このお話の舞台は現代である。

 どっぷりとそんなハインラインやキース、ヤングの世界に浸かりすぎている、その世代ではない現代の若者、大学生の男の子がいた。


「そっか、ここでアルジャーノンが自分の運命の予兆を教えているのか……。ここで前半の話の布石が拾えた」


 その名作を片手に公園のベンチでガールフレンドと待ち合わせている彼、墨田(すみだ)光男。ヨットパーカーに、ブルージーンズ。まあ、その辺の若い男の子の一般的な格好である。

 そして彼にゆっくりと近づく女性。たった一人の肉親、父親を一昨年亡くしたばかりの光男の彼女だ。その彼女が陽気に振る舞う性格だが、実は人一倍心配性で寂しがり屋なことを知っている光男である。


 ひとりぼっちになった彼女を勇気づけたり、言葉で安心を補うことの下手くそな光男は、その思いとは裏腹にいつも励ましの言葉を伝えあぐねていた。お金の面ではお父さんの保険もあって、大学の学費は問題ないという彼女。だが心の支えはそれとは別である。励ますという事に関しては、自分の無力さに、いつも歯がゆい思いをしている光男だった。

 

「なーに。また読書?」

 いつものように明るい彼女。のぞき込むようにガールフレンドの多摩純麗(たますみれ)はあきれ顔だ。折角お洒落して、膝丈五センチ超えのミニスカートで可愛さを出してきた彼女の魅力も気にせず、お天道さまの下でも活字を追っているのだから、相当な物好きである。

「うん。今は、さ、古典SFを読みたい気分でね、先日、何冊か古書店で買いあさってきたんだ。神保町にある行きつけのSF小説専門の古書店でね」

「あ、そう」

 本当に興味なさそうに純麗は頷くと、彼からその古い文庫本を取り上げる。

 そして彼の鞄に放り込むと、

「さあ、行くわよ。ケーキ・バイキングが始まっちゃう」と言って光男の腕を引っ張る。そして彼をベンチから立ち上がらせた。そのまま彼は彼女に背中を押されて地下鉄の駅へと歩き始める。


「あんた、いったい家に何冊ぐらいの小説本があるの?」

 列車に乗って最初の台詞は純麗だ。

 腕組みをしてドアにもたれかかる。薄目を開けてうさんくさい仕草。無論彼の本棚の本の冊数などに微塵も興味無い純麗。ただの暇つぶしの話題に過ぎない。

「正確に数えたことはないけど二〇〇〇冊以上はあると思う」と真面目に応える光男。

「小説だけで?」

「うん。小説だけで」

「はあ」とため息の純麗。


 地下鉄の中で、扉にもたれながら暗い窓の外を眺めて二人は会話する。


「あんた他に趣味ないの?」

 少々あきれ顔の純麗は訊ねる。そして今、彼の手にある名作『夏への扉』をひょいと取り上げてパラパラとページをめくる。


「趣味? どんな」

 彼は難しい顔で自分の趣味が思い当たらず、読書以外の趣味を考えてみた。

「そんなに難しい質問ではないと思うけど?」

 純麗は内心『あほ』と思いながら彼の答えを待つ。

「書店と古書店巡り!」

「それ同じ事じゃない?」

「読書ではない。また別の楽しみだよ。新しい本との出会いで僕の本棚が物質的にも満たされていく。これは僕の脳内の知識が充填されていくこととはまた別の作業だもの」

 彼の言い分。彼女の理屈からしてみれば当然屁理屈に聞こえる。



「あんた確かに、本集めるのが本当に好きよね。他にもへんな収集癖でもあるの?」

 はっきり言って大きなお世話とも言える彼女の台詞である。まあ、幼なじみのカップルだから許される会話だ。

「うーん。そんなことないよ。集めているのは本と雑誌ぐらいだよ。ほとんどが小説だけど」という。

 すると純麗は「でもそれだけで立派なモンよ。ちょっとした私設図書館だわ。二〇〇〇冊もあれば、収集癖と呼べるわ」と軽く笑う。

「そうだよね、ありがとう!」と嬉しそうな光男。

『ほめてないっ、ちゅーの』と心中で思い、顔をしかめて、苦虫を噛みつぶしたような様子の純麗。これで上手くいっているので、このカップルはこれでいいのである。


 二人の交際は長い。中学、高校時代からずっと二人は恋人だ。その頃から彼の読書は変わっていない。和製小説が翻訳物に変わったぐらいだ。勿論和製のものも変わらず読んではいるのだが。


 こんなやりとりがあっても、それでも純麗は光男の読書量にはどこかで感心している。二人が長年恋人関係で続いている理由でもある。そもそもの出会いは小学校の図書委員会なのだから、二人の仲は筋金入りだ。当時の愛読書の傾向は全く違う。光男のSFにたいして、純麗は日本の古典文学だったのだから。どこか光男をお子様扱いしている純麗がいた。


 パラパラと一通り確認した彼女は、「はい」と光男に本を返す。おそらく彼女、著者のハインラインの名前すら知らないであろう。


「そう、だから今日は飯田橋のホテルのケーキ・バイキングに行くから、隣町の神保町でまた、今傾倒しているSFのスタンダード作品を手に入れようと思うんだ」

 光男の言葉に純麗は「いいわよ。ケーキ・バイキングが終わってからなら付き合ってあげる」と目的が済んだ後の予定を光男に任せるようだ。

「うん」

 光男は嬉しそうに受け取った本を鞄にしまい込んだ。


「光男もう食べないの?」と純麗。ケーキ・バイキングも終盤、光男は甘い物のオンパレードに少々胃袋もエクスキューズな気分だ。

 結構な量のケーキを食した光男には、もう胃袋に入る余地はない。

「うん。お昼ご飯少しにしておいて良かった」と自分のおなかをなで回す光男。

「じゃあ、私はこれから本番と行きますか!」

 彼女の皿の上には、モンブランの掛け紙、ショートケーキのセロファン、シュークリームの敷紙などが何層にも置かれている。


「ええっ? これからが本番なの?」と光男。

「アタボーよ。ここからがミルフィーユ、グラッセ、フルーツパウンドとバラエティに富んだやつを試すのよ」

 自信満々で立ち上がる純麗。ケーキ・バイキングのテーブルに目をやる彼女。

「いってらっしゃい」と小さく手を振る光男の姿、その表情は満腹でげっそりしている感じだった。


 その時光男は『これが「別腹」という現象か』と妙に納得した。そして胃袋がいくつもある牛を視線の先の彼女に重ね合わせていた。

 戻ってきた純麗は「なーに、私の綺麗な脚線美に見とれていたの? そのためのミニスカートよ。まいったか!」と勝ち誇ったように光男に言う。

「うん」とだけ答える光男。我ながら、なんとも歯切れの悪い返事だった。口が裂けても『牛の胃袋』を想像して純麗を見ていたなどとは言えない彼である。


 純麗がケーキ・バイキングの目的を満たしたのは午後のおわりだった。

 約束通り純麗は光男の古書店巡りに付き合う。

 SF古書店で会計を終えた光男が通りに出てきた。彼女にとって、興味のない本が並ぶ本棚はその辺の景色と何も変わらない。

「目的達成! ハインラインとキース、そしてヤングが僕の脳内に至福をもたらす」と光男。神保町の古書店の町並みが彼にはバリーの描く「ネバーランド」のようなわくわくする場所なのだ。


 二人で通りに一歩踏み出したその瞬間の出来事だった。

 そこで二人は不思議な光景を目にする。

 空間に穴が広がり、まるで弓道で用いる(まと)のような幾重にも連なる円がそれを誘っているのだ。そうなにかの扉が開いたような異次元の中で。

「え?」と純麗。

「ん?」と光男。

 二人はその円の中心地に向かって引き寄せられていく。まるで宇宙空間で巨大な惑星の引力につかまってしまうような引かれ方だった。風もないのにそちらへと引き寄せられる二人。


「なんで?」と純麗。

「亜空間」と光男。

 そう、光男はそこが亜空間とすぐに判断した。SFの読み過ぎではある。でもあたらずと遠からずなのが現実だ。

 困ったのは純麗の方だ。

「ええ? なになになに。ありえない」

 今現実に起こっていることを把握できない純麗。いや正確にはこんな理不尽な風景を分かりたくないのだ。現実や常識を重んじる彼女。この状況を理解して、許してしまうと自分の常識を否定しなくてはいけない。そこは「負けじ魂」というヤツだ。


「こんにちは」

 光の先に人影らしきモノが見える。逆光でその人の顔は見えない。だが古代のギリシャやローマの人たちが身につけていたドレープやトガのような布の衣服を着けているのが分かった。

「おいおいおい」

 嫌に嬉しいそうな光男は興奮気味に、腕で光を遮りながらも眩しい先の影を見ている。

「私は日輪の馬車に乗るアポロ」

「ローマの太陽神ですね」

 お得意の神話やSFの知識で会話をする光男。

「いかにも」

「やはり本当だったんですね」

「なんと?」

 アポロは不思議そうな声で光男に訊ねた。

「実は僕はこの日を待っていたんです」

「この日を?」とアポロは意外な表情だ。予想しない彼の発言に不思議な顔である。

「きっと栞のエネルギーが満タンに達したのですね」と頷く光男。

「栞のエネルギー?」

 アポロは首を傾けて渋い顔をする。だがどことなくか何もかも察していて惚けているようにも見える。


「ええ、趣味のSFの本を読んでいるときに、この栞を挟んでいく度にこの栞に霊威が増していることに気付いたのがここ数年。この栞を挟んだ本のエネルギーで神の化身と遭遇できるかも、と栞を頂戴したときに言われたんです。ほらこの栞に書かれた前髪をアップにしている女性のイラストが、最初は横顔だったのに、違う本に挟む度に角度が変わって次第に正面を向いてきたんです。もともと横顔のイラストだった形跡は今やまるでない。あたかも僕に前髪を掴んで欲しいかのように正面を向いた」

「栞? どこでもらったんだ?」

 その現象に思い当たることがあるという顔つきでアポロは光男に訊く。


「横浜の元町にあるクラッシック音楽喫茶の『フランツ・リスト』という店です」

 その場所を言うと、影の主は納得したように「ああ、フォルトゥーナに会ったのだな」と言う。

「あの女主人はフォルトゥーナの化身だったのですね」と納得したような光男。


 この物語の賢い多くの読者はご存じのように、『幸運の女神』とか『チャンスの女神』というのがローマ神話のフォルトゥーナである。ギリシャ神話のテュケにあたる女神である。その前髪の逸話でも分かるが「チャンスは後ろからつかめない」(-Seize the fortune by the forelock.)という諺の語源となった女神である。もちろん読書家の光男はこのあたりのことも知っている。


「語源通りの束ねた長い髪を前に流した喫茶店のオーナー女性です。この栞のイラストに描かれた女性と似ていました」


 光男の言葉にアポロは、

「栞について、その者に何か仰せつかったのか?」と訊く。

「好きな人と一緒にいるための魔法を伝授すると言われました。心の温め方や慰め方を習得できる魔法だと。それは持ち主に合わせたものでケースバイケースなのだとか」

「ふむ」と納得のアポロ。


 ようやく光がおさまり始めたところで、アポロと日輪の馬車、その姿を見ることが出来た光男だ。

「おお、本当にローマ神だ」と彼。文学歴史マニアの彼は、表情には出さないが結構感動しているようだ。

 一方の純麗は「あわわわ」と目を白黒させて、襲い来るめまいの真っ最中である。それはそうだ。彼女の立場であれば、SF物語の中に自分が入り込むなどあり得ない。さっきまで美味しくケーキを食べていた日常の時間に存在していたはずなのだから。アポロと何の疑いもなく会話している光男のほうが常識的にはおかしいのだ。


「願いはその隣にいる恋人との恒久的な恋愛成就か?」

 アポロがそう言うと、光男は「はい」と頷く。

「何故彼女を元気づけたい?」

「僕の太陽だからです」とハキハキと答える光男。「いつまでも雲に隠れていては、彼女を愛している僕の心も悲しいからです」と真面目に付け加えた。

「私は倍賞千恵子※1じゃない、って」と、どうでも良い悪態をつく純麗。そう言いながらもどこか嬉しい純麗だ。


「それの原因は?」

「たったひとりの肉親の父親を亡くしたからです」

「だがその栞の霊威で去った者をふたたび蘇らせるなんてことはできんぞ。ムリだ」

 事の重大さにアポロは真面目な顔で返す。


 そして、

「なぜ彼女を愛している」と次の質問をしてきた。

「幼少期からダメな僕の面倒を見て、いつも笑顔で許してくれて、それでいていつも自分の事だけじゃなく、僕の意見もちゃんと聞いてくれる素晴らしい女性なんです。美しくて、優しくて、センスの良い、僕には勿体ない彼女だからです」


 普段は小説のことしか話さない光男に、おもてだって褒められた純麗は、めまいをすっ飛ばしてぽーっとしてしまう。両頬を押さえて真っ赤になって無口になった。夢心地だ。もう愛の告白以上の効果である。そう、彼女は今めろめろなのだ。


「なるほど」

 アポロは頷くと「その栞、私に見せて欲しい」と手を差し出す。

 光男は言われるままに、今し方読み終わった本から抜き取るとアポロに差し出した。アポロがその栞を触ると、栞の周りに光の輪が出来て眩しく光り出した。

「確かにこの栞はそなたの読んでいた物語の中身を養分にしてエネルギー源としている。Magical Bookmarkだな」とアポロ。さすがデルフォイの神である。触れただけで察しが付くようだ。


 そしてその栞はアポロの手中で形状を変化させ始める。まるでカプセル型の乗り物のような形に変形する。そう、超精密なプラモデルと言った感じだ。そして完全に整形が完了すると光男に告げる。


「神託を授けよう。時間移動するがよい。これは小さいがタイムマシンだ。オモチャじゃないぞ。この打ち出の小槌で大きくなれと唱えれば人間が乗れる大きさになるし、小さくなれと言えば元の大きさに戻るのだ。三回だけ過去の空間と今を行き来出来る。移動方法と使い方は簡単、コクピット部分にある液晶パネルを指でなぞり、行きたい西暦と日付、時間を書けば良いのだ。時間を飛び越えた同じ地点につれて行ってくれる。それであとの計算やパラドクスの有無など、全てはこのマシンがやってくれる」


 アポロはニンマリとこのマシンの使い方を伝えるとでは、「いずれまた会おう」と言って光輪とともに異空間に消えてしまった。


「うーん」と腕を組んで悩む光男。また三回という限定されたチャンスのところが、なにかの民話や昔話のような展開である。

『一往復半か。いったいそんな中途半端な回数でどうしろと?』

 その横で光源から目をそらした後、放心状態の純麗が小首を傾げている。

「ついに私も天からお迎えが来たのかと思ったわよ。あの世から三行半みくだりはんで突っ返された気分よ」と言い放つ彼女。疲れてはいるが、彼に褒められたことでくすぐったい気持ちが未だ残っている。

 その言葉が何かのヒントになったのか、「そっか!」と言って納得した光男だった。彼はタイムマシンの活用法について、何かの妙案を思いついたようだった。


 三年前の純麗の家の庭に降りたったのは光男だった。彼が大学一年生の頃だ。もちろん例のタイムマシンを使っての時間移動だ。

 雨戸を閉めようと縁側のサッシに手を伸ばす大五郎。亡くなった純麗の父である。……ということは彼は過去に飛んだ。


「おじさん、おじさん」

 庭の茂みから手招きをする光男。

 それに気付くと「やあ」と言いかけたところで、光男が「しーっ!」と人差し指を口にあてた。そして大五郎だけに手招きをする。

 大五郎はキョロキョロと辺りを見回す。そして自分の鼻頭を人差し指でさす。光男が頷くのを確認すると、居間で往年の名画鑑賞をしている純麗に「ちょっと町内会長さんが来たんで立ち話をしてくるよ」と言って、室内スリッパを玄関先でサンダル履きに替えた。この家の父娘は定期的に父と母がデートで見ていた往年の映画を家のサブスクで一緒に鑑賞することがあるのだ。

 純麗は相変わらず映画に没頭しているようだ。


「やあ」と小声で右手を挙げる大五郎。

「すみません、おじさん」と光男。

「どうしたの、こんな時間に」

 大五郎の問いかけに、光男は、

「実はおじさんにお願いがあって今日はここに来ました」と時間も惜しいからか、単刀直入に切り出した。少々焦っている感じの光男に不思議そうにする大五郎。

「うん」

「笑わないで聞いて欲しいんだけど、僕は今より未来、三年後の世界から来ました」と真顔の光男。

「またあ、光男君、悪のりしすぎだよ冗談が。ジュースで酔っ払っている? なんかの催しの余興? それともどっきりカメラ?」と取り合わない大五郎。

「いいえ」といって、光男は画像が詰まったスマホを見せる。アルバムの画像には昨年の大五郎の闘病時のお見舞いの写真なども入っている。

「加工写真じゃ無いですよ。僕にそんな技術ありませんし」

 その写真を見て大五郎は驚く。病室の写真の窓からは見える景色で自分が通っている病院と分かった。しかも担当の先生やお世話になっている看護師さんの姿もある。そして何よりも、今現在娘にも内緒にしている病院のことが映像として残っているのだ。

「いや、どうして僕の病気のことを知っているのかと思って。しかも君とは面識のない私の担当医の先生も一緒に写っている」

「はい。このあとおじさんのお見舞いで知り合うことになります。そういうことなんです」

「うん」

 馬鹿馬鹿しいと一蹴するには少々事実が揃いすぎており、信じるしかない、といった感じの大五郎だ。


「おじさんのいない時代、今の僕の時代に、すなわち三年後の世界に純麗が塞ぎ込んでいます。僕との結婚が決まっているんです。結婚写真と式場選びの時におじさんにも協力して頂きたくて……。今おじさんが元気なウチに未来に行って、その協力と純麗を慰めることと、言い残したことを伝えてあげてくれませんか?」と光男は切り出す。

「そんなおとぎ話のようなことがことが出来るの?」と険しい表情の大五郎。


 半信半疑の大五郎に、

「今の僕には出来るんです。しかも安全に。この通り、ここにいるのは未来の僕です。彼女と一時だけ一緒に過ごして頂いて、またこの日のこの時間に戻れるようにしておきます。どうか信じて下さい」

 光男の目は真面目だ。冗談で話す話題の内容でもない。

「このタイムマシーンは三回だけ時間を飛び越えることが出来ます。僕のもらった「魔法の栞」が変化(へんげ)して、ローマの神の力でタイムマシンになっています。なので一回目は僕ひとりでここに乗ってきました。今からふたりで二回目に僕のいる時代に乗っていきます。三回目はおじさんひとりで、この時間と場所に戻って来ることになります。そうすればこのタイムマシンは役目を終えて消滅します。またただのブックマーク、栞に戻るんです」


 プラモデルのような乗り物を見る大五郎。空々しい話でもあるが、光男が真顔で嘘を言う性格ではないことを大五郎は知っていた。ゴクリと重いツバを飲み込んで、覚悟を決める。

「まるで『バック・トゥー・ザ・フューチャー』のデロリアン※2だな。わかった。今から用意するから、一時間後にまたそこの門の前に来てくれ」

「はい。では僕も式場の予約とか、諸般ありますのでまた一時間後に」

 大五郎は光男にそう言って家に戻ると、二階に上がり亡くなった妻の部屋へと急ぎ足で入る。

 白い厚紙で出来た衣装箱。その中にオブラートのような透けた薄紙で包まれた白い衣装を確認すると彼は小さく頷いて、「よし」と小声を発して立ち上がった。



 さて純麗も読者もここでプロットともに現代に戻る。アポロの消え去った直後の古書店前である。


 はっと気付いたのは純麗だ。

「あれ、ここって神保町の本屋の前」

 見上げれば『SF文学専門書店』の看板が高々と掲げられている古書店の前。

『あのローマの神と遭遇したのは夢?』

 純麗は自分の頬を抓る。そして先を平然と歩く光男に、

「ねえ、さっきのアレは何?」と訊ねる。だが光男は答えない。大五郎との打ち合わせで純麗にサプライズを仕掛けるからだ。


 ここからが光男の本番である。

「よし、さっきのケーキ・バイキングに戻るよ」

「なんで?」

 不思議そうな純麗に、

「ちょっと用事があるのさ」と言う光男。


 来た道の逆戻りの行程に意味も分からずに、ただ光男に付いて来た純麗。

 日本庭園の綺麗な一流ホテルである。

「ゴメン、このままブライダルコーナーに行くよ」

「ええ?」と言って純麗は急にモジモジそわそわし始める。赤面のまま何か言いたげだ。さっきあれだけ彼女としてアポロの前で褒められての今である。

「どうしてそんないきなり。卒業後のウエディング・プランなの?」

「いや今日明日の話だよ」

「なに? そんな待てないの? もう嫌だわ。私たちまだ学生よ。就職活動も控えているし……」と純麗は照れ笑いである。モジモジしているところを見るとまんざらでもないと言った感じだ。

 その頃、大五郎は既にこの時代にいた。光男と打ち合わせをしたとおりのスケジュールをこなしていた。同じ建物の中にあるブライダルサロンの奥、スタジオで光男からのリクエストを消化しているのだ。


 光男と純麗は試着コーナーでウエディングドレスの選別が始まる。

「ドレスと白無垢のどちらが良いのか?」

 そんな質問に光男も分からないまま「君がやりやすいように、そして綺麗になることを考えて、好きにしていいから」と答える。

 事の次第を理解していない純麗はただ無邪気に花嫁気分で、

「もう、あなたの意見も教えてよ」と新婦気取りである。

 そこに担当者と思われる女性が顔を見せる。

「墨田さま、本日はありがとうございます。以前の、三年前のご連絡どおりで変更はございませんか? 確認をさせて下さい。また本日の別件でご新婦のお身内の方の録画もスタジオにて、以前伺ったお話通りに進めております。本日が写真だけの結婚式のご用意で、ご招待客を含めてのお披露目のお式は年明けの三月頃でよろしいでしょうか?」

 光男は準備万端という表情で、

「大丈夫です。そのままお願いします。卒業式の後が良いので」と言う。

 すると横で、「光男、決めたわ」と純麗。

「決まった?」

「うん。さっきね。ローマ神のアポロに会う夢を見たし洋装で行くわ。ウエディングドレス。お披露目の式では和装も化粧直しで出来るしね」

「分かった。じゃあ早速、サイズの調整に入って」と光男。内心彼は『純麗の中で、あれは夢になっているか。じゃあ、今から起こることはぶったまげるよなあ』とひとりほくそ笑んでいた。

 一方の彼女は、

『光男ったら、そんなに私と結婚したかったのかしら? 結構焦っているけど』とちょっと得意げな勘違い。悪い気はしないのだろうが、呑気にそんな程度ことを考えていた純麗だ。


 ウエディングドレスを選んで着飾った純麗と、シルバーの燕尾服を着込んだ光男。二人の準備が整うと、スタッフに案内されるままに、式場の館内にあるフォトスタジオへと案内される。


 そこで純麗は既にスタジオにいる人影に気付く。それは懐かしい表情だった。

「純麗、綺麗だ」と大五郎。親に写真だけの日とはいえ、花嫁姿を見せることが出来たのは感無量である。

「おとうさん……。なんで?」

 純白のウエディングドレスの彼女は、少し涙ぐむ。そして大五郎はそのまま純麗のもとに駆け寄った。

「純麗」

 そう言って我が娘を抱きしめる。

「なんで?」

「光男君のおかげなんだ」

「光男の?」

「うん。彼は、入院前のまだ元気なお父さんのところにタイムマシンで来て、元気な頃の体で会ってあげてと提案してくれたんだ。そして純麗の花嫁衣装を見て下さいと言って、そのタイムマシンに同乗させてくれたのさ」と現実離れをした本当の話を娘に告げた。

 その話を聞いた純麗は、ようやくあのアポロの一件が夢ではなく現実のことなんだと驚く。

「私、あの時半分ボーとしていたけど、あれって現実の出来事だったのね。でもそれに反した夢幻のような、こんな、お父さんと会える現実を作ってくれたのね」

「ああ、お父さんの心残りはもう無いよ。帰ってから未来のことを口にしないことだけ守っていれば、お前が幸せになることを分かっているのだから、もうなにも思い残すことはない。光男君ち、お隣さんは家族ぐるみでお付き合いしていた人たちだ。気心も知れている。良いところへ嫁いでくれた」


「光男の収集癖も随分と役立つモノなのね」と潤んだ瞳を軽くハンカチで拭う純麗。憎まれ口なのか、感謝なのか分からないが、彼女はこの結果には満足だったようだ。

 大五郎はそのまま一枚の写真を純麗に見せる。

 そこにはタキシードとウエディングドレスでレストラン・ウエディングをしている若かりし頃の父と母が写っていた。

「これは父さんたちのお披露目会なんだ。横浜の『フランツ・リスト』って言う音楽喫茶で撮ったモノなんだ」

 その言葉に光男は納得した。彼女の母親の願いが自分に栞を託したんだと。


「それでね……」と続ける大五郎。

「この写真のドレス。お母さんの形見。生前お母さんが言っていた願いがあって、お母さんが着たウエディングドレスを持ってきたんだ。写真だけでいいので、このドレスを着て写真に収めてあげてくれないか。こんな時のために年に一回はクリーニング店でメンテしてもらっていたモノだ。すぐに着れるし、簡単な寸法あわせならここでやってくれるということだ。お母さんの願いでもある。お願いできるかい?」

 

 純麗は懐かしそうな想いのなか笑顔を浮かべると「勿論よ」と快諾した。

 純麗は係の者を探して別にもう一枚の写真を撮ってもらう算段に切り替える。一枚は貸衣装のドレス。もう一枚は亡き母の花嫁衣装を着ての撮影だった。


 ウエディングドレスの撮影が終わると、大五郎は光男との打ち合わせ通り、未来の景色などはなるべく見ないようにして、タイムマシンに乗って去って行った。勿論、形見のウエディングドレスと一緒に。


 それから何事もなく単位満了と卒業論文を提出して、無事大学生活を終えた二人は、卒業式も終えていた。

「しばらくこのお家ともお別れね」と笑う純麗。自宅の居間で二人、コーヒーブレイクである。

 二人で暮らせるアパートを借り、職場に近い都内での生活が始まる。

「でもすぐに戻ってこれる距離だし、定期的にお掃除には来ようね」と光男。

「そう言えば、ドタバタしていたけどお母さんの部屋のウエディングドレス、お父さんと同じくクリーニング店に出さないとイケないわ。あれから()()もたっている筈だし」と思い出した純麗は二階に上がる。その後ろを光男も付いていく。


 一段高くなったクローゼットの最上部に開き戸がある。そこを開けると、いつか見た白い厚紙の箱を見つける。

「ああ、これだわ。お父さんが時間を越えて持ってきてくれたヤツ」と言って背伸びをする。ところが純麗の身長ではその高さに届かない。気を利かせた光男がその箱を代わりに取ってやる。

「ありがとう」

 純麗は光男からその箱をそっと受け取る。何故か箱の上にはドライフラワーの花束が載せてあった。そして花束の中には一枚の栞も納められていた。

 光男はそれが何なのかすぐに分かった。

「タイムマシンが役目を終えて、また栞に戻ったんだな。それをお義父さんは花束と一緒にしまっておいてくれたんだね。……ということは、栞は最初から二枚あったということになるな。……いや、そう言えば、見当たらなくて一時期なくしていたと思っていた時期があった。突然見つかったんだよなあ」

「いいじゃない。きっと神々の気まぐれよ。メビウスリングの謎と一緒。それにパラドクスはタイムマシンが制御してくれるんでしょう?」と笑う純麗。難しく考えるのはやめたようだ。

 何にせよ、三年の月日が経過して、ふたたび栞は光男の元に戻ってきたのだ。



 そしてどこからともなく声が聞こえる。

『若者たちよ、汝等の未来に幸せあれ。機会があればまた会おう』

 それがアポロの声と二人はすぐに分かった。

 二人の声は重なって「ありがとうアポロ」と自然に礼を述べていた。

「礼なら、私に美しいピアノの調べを聴かせてくれた、生前のそなたの母親に言うが良い」

 その声はドップラー効果のように小さくなりながら語りかけていた。


 そして棚から取った白い箱を開けると、あの日と同じ純白のドレスが薄紙に包まれた状態で入れてあった。

「お父さん、お母さん、ありがとう」

 両親の愛情の象徴物とも言える純白のドレスを抱きしめると純麗は嬉しそうにこう言った。


「今回の出来事は、光男という読書家の収集癖が生んだ賜物だわ。収集癖が大いに役立ってくれたことに私は考えを改めたの。あなたが読んだ物語のガジェットやアイテムが父の時間旅行を助けてくれたのだから。読書は結婚後もずっとやってね」と。

 くすぐったい気持ちで光男はただ肯いている。それは彼の中でも一緒の意見なようで、同じように純麗と大五郎、そしてアポロに対する感謝とも繋がっていたのだ。


 そして数日後に控えた結婚披露宴では、写真撮影のあの日、大五郎が式場のスタジオで録画していたお祝いのメッセージも用意されているはずである。そのビデオの中で母親の花嫁衣装の由縁のことも教えてくれるという。

 父はそれを式場で純麗にそっと伝えていた。まるでテレビドラマの続きのようで、その祝福メッセージも楽しみなのだ。

 純麗の心はいなくなったはずの父が、まだまだ近くにいる気がして寂しさを抱かない心境に変わっていた。重ね重ね光男やアポロには感謝しかない。


「はい」

 おもむろに純麗が差し出したドライフラワーの花束。その先には光男がいた。光男が花束を受け取ると、

「役立つ収集癖には愛の花束をあげるわ。感謝だわ」とウインクで笑うと、そこにはいつもの燦々と輝く純麗がいた。




※1 山田洋次監督作品、往年の青春映画『下町の太陽』の石けん工場勤務で家族を愛する主人公女性を演じたのが倍賞千恵子である。筆者が生まれるよりも随分前の公開作品である。

※2 ロバート・ゼメキス(Robert Zemeckis)監督の名作『バック・トゥー・ザ・フューチャー』に出てくるのが自動車型のタイムマシン、デロリアンである。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ