おはよう、僕の眠り姫
勢いで書いた作品です。
設定緩めです。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
ーーねぇ、何で、みんなわたしを無視するの?
勇気を振り絞って話しかける。
だけど、誰も彼も言葉を返してくれない。
それどころか、誰もわたしを見てくれない。
ふわふわと漂うように移動して同じように声をかけるけど結果は同じ。
わたしはここにいる。
ここにいるのに。
何でみんなわたしがいないように振る舞うの?
わたしが何をしたというの?
みんなで楽しそうにお喋りしたり、ダンスを踊ったりしているのに。
どうしてわたしをその中に入れてくれないの?
きらびやかなパーティー会場を抜け出してふわふわと廊下を漂い歩く。
どこをどう歩いたのかわからないけど気づけばバルコニーにいた。
下をのぞけば綺麗に手入れされた花壇が見えた。
あの花壇の縁に座ってずっとお喋りをした男の子がいた。
もう随分前のこと。
あれは誰だったかしら?
ここはどこ?
誰にも名前を呼ばれないから、わたしはもう自分の名前さえ忘れてしまいそう。
もう疲れた。
ここから飛び降りて騒ぎになれば、少しはわたしが存在していたと思っていいかしら?
ああ、でもその前に誰か最期にせめてわたしの名前をーー
「イヴっ!」
名を呼ばれてふわりと抱きしめられる。
「やっと見つけた僕のお姫様」
久しぶりにわたしの名前を呼んでくれる人がいた。
久しぶりにわたしに触れてくれる人がいた。
久しぶりに、わたしの存在を認めてくれた人がいた。
でも、誰?
「僕のことがわからない?」
顔をのぞき込まれて訊かれる。
頷こうとして、口が勝手に動く。
「ウィル……」
「よかった! 覚えていてくれた」
そうだ。
ウィル……わたしの王子様。
あの花壇でずっとお喋りをしていたのは彼とだ。
服を汚してしまって二人で怒られたわ。
何故、忘れてしまっていたのかしら。
「ウ、ウィル、あのね、みんながわたしのことを……」
「うん。わかっている。ごめんね。すべては僕のせい。説明するから一緒に来てくれる?」
「うん」
ウィルに手を引かれて歩く。
久しぶりの人の温かさだ。
そして思い出す。
ここは城だ。
でも何でわたしはここにいるの?
「着いた」
騎士が厳重に扉を守っている一室。
そこにウィルは躊躇なく入っていく。
当然だ、彼はこの国の王子だ。
ぼんやりしていた意識が少しずつ晴れていく。
「ねぇ、イヴ、君はどこまで自分の状況を把握している?」
「え?」
「覚えていることを教えて。ここがどこかわかる?」
「ここは、お城、よね?」
「うん。僕は?」
「ウィルーーウィルフレード、この国の、第一王子、で、王太子」
「うん、正解。君は?」
「わたしは、」
一度言葉を切る。
わたしは、
頭の中に浮かんだ言葉をそのまま口にする。
「イヴマリー、ザダン侯爵家の娘で、ウィルの、婚約者。」
「正解。よかった、覚えていてくれていて」
ぎゅっとウィルに抱きしめられる。
すぐに身を離されて、真剣な顔で訊かれる。
「何でここにいるか、わかる?」
ウィルは緊張した顔をしている。
でもそれには答えられなかった。
頭の中に霧がかかっているようで他は何も思い出せなかった。
だからゆるくかぶりを振る。
「そうか」
「ごめんなさい」
「謝らなくていいよ。でもそうか。見てもらったほうが早いか」
わたしは首を傾げた。
ウィルはわたしの手を引いて部屋の中央に置かれた天蓋付きの寝台に近づいた。
どくん
何だろう、すごくーー怖い。
「イヴ、驚かないで。つらいかもしれないけど、僕が一緒にいるから」
「ウ、ウィル……」
「大丈夫。僕が傍にいる。ごめん、開けるよ」
ウィルはわたしの返事を待たずに天蓋を開けた。
その寝台に眠っているのはーー
「わたし……?」
声がかすれる。
何で?
どうして、わたしが眠っているの?
なら、ここにいるわたしは誰……?
ふわりとウィルに抱きしめられる。
その温もりが今のわたしに縋れる唯一のもの。
「イヴ、ごめん、驚いただろう?」
こくりと小さく頷く。
「わ、わたし、どうなっているの? わたしは、誰?」
「君はイヴマリー・ザダン侯爵令嬢。僕の愛しい婚約者」
「で、でも、わたしはそこにいるわ。
「うん。君はね、今、身体は眠っていて、魂だけが抜け出て彷徨っている状態なんだ」
「なんで?」
「一年半前のことになる。君は刺客から僕を庇って刺されたんだ」
「さされた……?」
胸がずきんと痛んだ気がした。
「幸い命は助かったけど、傷が癒えても君は目覚めなかった」
「え……?」
「だから色んな医者に片っ端から見てもらった。そのうちの一人が言ったんだ」
ウィルを見上げる。
ウィルはとても真剣な目をしていた。
「もしかしたら魂が身体なら抜け出しているのかもしれません、と。その頃、城で幽霊が出るなどと噂が立ち始めた」
「ゆう、れい……」
「柔らかな金色の髪をなびかせて、穏やかな菫色の瞳の少女がふわふわ漂っている、と。イヴだと思った」
確かにわたしはふわふわと移動していて、お城の中をあちこち歩き回っていた。
誰かにわたしを認識してほしかった。
身体から抜け出して魂だけが彷徨っていたのなら、なるほど幽霊だ。
誰もわたしに話しかけず、触らず、存在を無視するのも納得だ。
見えていなかったのかもしれないし、関わりたくなかったのかもしれない。
だけど、疑問が残る。
「でも、ウィルはわたしにふれられる……」
「これ、作ってもらったんだ」
ウィルが左手に嵌まっている腕輪を見せてくれる。
大振りなそれは不思議な紋様が刻まれていた。
魔道具だ。
人間は誰しも魔力を持っている。
だけどその魔力は道具を通してしか使うことができない。
その魔力を使うための道具が魔道具だ。
「これがあれば魂だけの者にでも触れられるし、会話もできる」
「そうなの」
だったら納得だ。
「でも、君はふわふわと移動していてなかなか見つからなくて、焦ったよ」
「ごめんなさい。寂しくて。誰かにわたしを見つけてほしかったの」
「うん、当然だ。君は悪くない。だけど、記憶をすべて失ってしまえば身体に戻れなくなって永遠にさまようと聞いて焦ったよ」
「え……?」
「あまりにも肉体から離れている時間が長いと記憶が薄れていってしまうと聞いた。最終的には自分が誰かもわからなくなってしまう、と。自分が誰かわからなくなれば戻るべき肉体もわからなくなる。当然だ。もうだいぶ記憶も薄れてしまっていたんじゃない? さっき、僕のこと、すぐにはわからなかったでしょう?」
「ウ、ウィル……」
ウィルは身を離してわたしの両手を握った。
そして。真剣な顔でわたしの目をのぞき込む。
「僕を襲った黒幕を突き止めて、関わった者全て粛清した。君を煩わせていた者も全て排除した。だから、身体に戻ってくれないかい? その瞳にもう一度僕を映してほしい」
「え、ええ、勿論。でも、どうすれば……」
「大丈夫。自分の身体に触れて戻りたいと思えばいい。僕が傍にいるから」
「え、ええ、やってみるわ」
ウィルがそっと手を離す。
わたしは恐る恐る眠っている自分の手を握った。
あっ。
確かに自分の身体へと繋がる糸を感じる。
この糸を辿っていけば肉体に帰れる。
そう、本能でわかった。
ウィルを振り向く。
今伝えておかなければ寝たきりだった自分の身体ではどこまで動かせるかわからない。
「ウィル、わたしを見つけてくれてありがとう。また後でね」
「うん、イヴ、僕のお姫様。待っているよ」
わたしはウィルに微笑みかけて、目を閉じた。
自分を繋ぐ糸に集中する。
戻りたい。
強くそう思った時、ふわりと身体が浮かび、あるべきところに帰った感覚に襲われた。
ゆっくりと重い瞼を持ち上げる。
視界いっぱいに広がったのは吸い込まれそうな青。
ウィルの瞳の色だ。
ウィルがわたしの顔をのぞきこんでいた。
「おはよう、僕の眠り姫」
「た…だい…ま、ウィ…ル……」
久しぶりに出した声はひどく掠れていた。
「うん……」
ウィルはくしゃりと顔を歪めて泣きそうな顔で微笑いながら、わたしを抱きしめた。
読んでいただき、ありがとうございました。