第97話 影の功労者
現実世界。アマリエンブルク荘。鏡の間。
十面の銀色の鏡が置かれている、円形の部屋。
窓の外は暗く、大粒の雨が窓を叩く音が聞こえる。
「……探し物は、見つかったかねぇ?」
声をかけてきたのは、老婆。
表情は柔らかく、微笑んでいる。
その黒い瞳は、遠くを見つめていた。
「ええ。ギリギリでしたけどね……」
問いに対し、返事をするのは、鏡から現れたジェノ。
右手を伸ばし、白と黒のメイド服の胸部分を掴んでいる。
ドキンドキンと心臓の音が、右手を通して伝わってきていた。
(この手で、掴めたんだな……)
それがたまらなく嬉しい。
掴み取れた達成感が、心地いい。
気分はまだ、鏡の中にいるみたいだった。
「……ごほん。お戯れは、その辺りにしてもらえますか」
胸を掴まれた赤髪の女性は、平然と言い放つ。
そうだった。今はこんなことしている場合じゃない。
「ごめんなさい。えっと、セレーナさん……で、いいんですよね?」
反射的に手を放しながらも、ふとした疑問が浮かぶ。
それは、目の前にいるのが、本物のセレーナかどうか。
鏡面世界にいた時は、見た目をローラの姿に変えていた。
確率は低いけど、偽物である可能性は、否定できなかった。
「はい、ご主人様。このセレーナ・シーゲル。生涯を御身に捧げます」
片膝をつき、赤髪のメイドは、突然、宣言をする。
事務的で、丁寧な口調で、感情を微塵も感じられない。
素なのか、演技なのか、顔色から読み取ることはできない。
だけど、分かる。彼女の息吹を感じる。心意気が伝わってくる。
「じゃあ、主人として最初の命令です。敬語禁止で、俺と対等に接してください」
本物のセレーナが、間違いなく目の前にいる。
そう思うと、意地悪したい気分になってしまった。
◇◇◇
未だに心臓の高鳴りが収まらない。
体は熱を帯び、顔を上げることができない。
(無理……。直視できない……。眩しすぎて、溶けちゃう……)
知らない感情が全身を駆け巡る。
尊敬。畏怖。憧憬。恐悦。感動。敬服。
それらが心の中でミキサーされたような感じ。
推し、じゃなくて、神を相手にしてるみたいだった。
(命令は絶対……。求められたことを全力でお応えするのが、真のメイド)
ただ、このまま何もしないわけにもいかない。
初めてのオーダーは、敬語禁止で対等に接すること。
期待に応えられなければ、主人の顔に泥を塗ることになる。
「あたしが戻った後の展開、ちゃんと考えているんでしょうね」
セレーナは思い切って顔を上げ、ふてぶてしく告げる。
オーダー通りの完璧な対応。一切の遠慮も、忖度もない。
ただ一つ、欠点を挙げるなら、目線を合わせられなかった。
今はこれが限界。これ以上は、心臓が耐えられる気がしない。
「もちろんです。恐らく、そろそろ――」
ここまで計算通りだったのか、ジェノは携帯を確認する。
その画面が目に入り、そこには現在の日時が表示されていた。
(8月31日の22時31分。期限まで二時間を切ってる……)
ドイツの訪れてから一か月が経とうとしていた。
体感は半分以下だけど、設定された期日に揺らぎはない。
(すぐにでも、最後の四首領を相手にしないと厳しいけど……)
あれだけの大口を叩いたのだから、きっと策はある。
だけど、ここからの展開は、どうも予想ができなかった。
「……全く、人使いの荒い。約束通り、準備してやったぞい」
すると、鏡の間に訪れたのは、リアの姿。
手には、黒いアタッシュケースを持っていた。
(あれって、核の……。まさか、これまで、預けてたってわけ?)
あの中身は、核兵器の発射装置。
しかも、リアは、その中身を欲していた。
敵かもしれない相手に預けるなんて正気じゃない。
「ありがとうございます。これで一つはっきりしました。例のアレは外に?」
ジェノはケースを受け取って、話を続ける。
反応からして、無計画ってわけじゃないっぽい。
ちゃんと考えて、ケースを預けていたみたいだった。
「ああ。苦労したぞい。なんせ、バレたら、大騒ぎだからな」
リアは、振り返り、その先に嫌でも目がいく。
(バレたら、大騒ぎって、大げさじゃ……)
見えたのは、アマリエンブルク荘前にある広い庭。
そこは激しい雨が降り、轟くような雷の音が響き渡る。
そんな中、物怖じせず、雄々しく立っている存在があった。
「…………黒、龍っ!?」
地下世界の奥深くにいたとされる、魔物。
直接、見てはいないけど、間接的に見ていた。
脅威も強さも利便性も、十分、頭では理解してる。
だけど、心が追いつかない。あまりに無茶苦茶すぎる。
「さぁ、行くがよい。レジデンツ宮殿。皇帝の間。そこに最後の四首領がいる」
ただ、期せずして、舞台は整ってしまった。
これなら、間に合う。なんとか間に合ってしまう。
「行きますよ。セレーナさん。最後はビシッと決めてくださいね!」
面倒な要素を、徹底的にクリアされた計画。
上澄みだけをすくえる、一番美味しい立ち位置。
あまりにも高すぎる後輩力。ドイツでの影の功労者。
推しであり、神であり、この先、一生、頭が上がらない。
ただ、今は余計なことを考える必要はない。やることは一つ。
「ふん。超面倒だけど、ここまでされたら、全力で期待に応えましょうか!」




